第32話 偵察 中編
次の観察地点へ向かうため、俺たちは丘陵地帯を西へ進んでいた。
先ほどの地点よりも国境に近い。
そのため、教官たちは移動速度を落とし、周囲を警戒しながら進むよう指示していた。
「ここから先は特に注意しろ。国境に近づくほど、地形だけでなく敵側の動きにも注意を払え」
「はい!」
候補生たちの返事が響く。
俺は地図を確認しながら歩いた。
現在地は国境線からそれほど離れていない。
森が多く、視界は決して良くない。
しかし逆に言えば、こちらの姿を隠すには都合がいい。
「殿下」
ルリウスが声をかけてきた。
「何でしょう?」
「この森林ですが、地図に記載されているよりもかなり密集しています」
「そうですね」
俺も周囲を見渡した。
地図では単なる森林として記載されている。
だが実際には、木々の密度が高く、馬車や大部隊が通過するのは難しそうだ。
逆に歩兵なら移動できる。
「これは記録しておこう」
「はい」
ルリウスが記録する。
こういう細かな情報も重要だ。
戦場では、地図に書かれている情報だけが全てではない。
実際に歩いてみなければ分からないことがある。
やがて、先頭の教官が手を上げた。
「停止」
俺たちは一斉に足を止めた。
「前方に高地がある。あそこからなら、先ほどとは別の角度で防御壁を確認できる」
俺は地図を確認する。
確かに、この高地からなら国境方面を広く見渡せそうだ。
しかし――。
「一つ問題があります」
俺が言うと、教官がこちらを見る。
「何だ?」
「ここからだと、こちらの姿も見られやすくなるのでは?」
「……その通りだ」
教官は少し考えた。
「だから観察時間を短くする。確認したらすぐに移動する」
「分かりました」
俺たちは高地へ向かった。
高地の頂上に到着する。
教官の指示に従い、候補生たちは地面に伏せるようにして国境方面を観察した。
そして――。
「……」
俺は息を呑んだ。
先ほどとは比べものにならない。
防御壁が、はっきりと見える。
木材を縦横に組み合わせた壁。
一定間隔で設置された見張り台。
壁の内側には複数の建物が並んでいる。
さらに、その周辺には人の姿が確認できる。
「これは……」
ティアが小さく呟く。
「かなり大きいね」
俺も頷いた。
先ほどは森に遮られて一部分しか見えなかった。
しかし、この地点からなら防御壁が左右へ長く伸びているのが分かる。
「記録!」
教官の声が飛ぶ。
候補生たちが一斉に記録を始めた。
「見張り台、確認!」
「複数あります!」
「壁の内側に建物!」
「人員も確認できます!」
俺は自分の地図にも情報を書き込んでいく。
壁の位置。
見張り台。
周囲の森林。
街道。
そして、壁の内側にある建物。
しかし――。
「……妙だな」
俺は呟いた。
「どうしました?」
エリシアが尋ねる。
「壁の内側に、かなり多くの建物がある」
「兵舎でしょうか?」
「分からない」
兵舎かもしれない。
物資の倉庫かもしれない。
あるいは指揮所。
遠すぎて判断できない。
ここで推測を事実として記録するのは危険だ。
「『用途不明の建造物を複数確認』で記録しておこう」
「分かりました」
エリシアが書き込む。
そのときだった。
「……待ってください」
ルリウスが小声で言った。
「何か動いています」
俺たちは一斉に国境側を見る。
防御壁の向こう側。
何人もの人間が移動している。
さらに――。
荷馬車らしきものも見えた。
「補給?」
ティアが呟く。
「可能性はある」
俺は目を細めた。
だが、ここでも断定はできない。
ただ、兵士だけではなく、物資の移動が行われていることは確認できる。
それだけでも十分な情報だった。
突然、教官が手を上げた。
「全員、伏せろ」
声が低い。
俺たちはすぐに身を伏せた。
「どうしたんですか?」
ティアが小声で尋ねる。
「向こうを見ろ」
教官が視線だけを向ける。
俺もそちらを見る。
防御壁の上に、人影が現れた。
一人。
二人。
そして、さらに数人。
見張り台の上から周囲を確認しているようだった。
こちらの存在に気づいたのか?
俺は息を潜めた。
しかし、距離がある。
こちらを直接見ているのか、それとも周囲を警戒しているだけなのか分からない。
数十秒。
誰も動かない。
やがて、防御壁の上にいた人影は別の場所へ移動していった。
「……今のは?」
ティアが尋ねる。
「分からない」
俺は答えた。
ただ一つ分かることがある。
シルウァニア側も、国境周辺を警戒している。
当然と言えば当然だ。
すでに総動員令が発動され、連合軍の侵攻が予想されているのだから。
「観察終了」
教官が静かに言った。
「これ以上ここにいる必要はない。移動する」
俺たちは高地から離れ始めた。
少し離れた森林の中まで戻ると、ようやく足を止めた。
「現在までの情報を整理する」
教官の指示で、候補生たちは記録をまとめ始めた。
今回確認できたものは多い。
木造の防御壁。
複数の見張り台。
壁内部の複数の建造物。
兵士らしき人員。
物資を運んでいると思われる荷馬車。
そして、防御壁上で周囲を警戒する人員。
「少なくとも、シルウァニア側が防御施設を本格的な軍事拠点として運用していることは間違いなさそうですね」
エリシアが言う。
「うん」
俺は頷いた。
ただの臨時の壁ではない。
そこには人がいて、物資が運ばれ、見張りが立っている。
つまり、すでに軍事拠点として機能している。
「殿下」
ルリウスが地図を見ながら言った。
「この位置から確認した範囲だけでも、壁はかなり長く続いているようです」
「そうだね」
俺は地図を見る。
問題は、その先だ。
壁がどこまで続いているのか。
そして、どこが弱点なのか。
それが分からない。
しかし、それを調べることこそ今回の課外学習の目的だった。
「次の地点へ移動する」
教官の声が響く。
俺たちは再び立ち上がった。
まだ日が高い。
偵察できる時間は残っている。
俺は最後に一度だけ国境方面を振り返った。
森の向こうに、防御壁がある。
その壁の向こうには、来年俺たちと戦うことになるシルウァニア軍がいる。
そして俺たちは今、その敵の姿を少しずつ明らかにしている。
――まだ情報が足りない。
もっと見る必要がある。
もっと知る必要がある。
俺たちは再び森の中へ入り、次の観察地点へ向かって歩き始めた。




