第29話 行軍
休憩を終えた俺たちは、再び隊列を組んで街道を進み始めた。
王都を離れてから時間が経つにつれ、周囲の景色は少しずつ変わっていった。都市部ではほとんど見かけなかった軍装の人間や、大量の荷物を積んだ馬車が目につくようになってくる。
最初に目に入ったのは、街道脇の開けた土地で訓練を行っている集団だった。
「……あれは民兵ですね」
エリシアが前方を見ながら言った。
「そうだな」
数十人ほどの男たちが木製の槍を手にして並び、指導役らしき男の号令に合わせて動いている。別の場所では盾を構える訓練をしている者たちもいた。
まだ正式な開戦には至っていない。
それでも、王国各地ではすでに民兵の招集と訓練が始まっている。
俺は歩きながら、その光景をしばらく眺めていた。
夏季休暇前なら、こんな光景を国内のあちこちで見ることはなかっただろう。
けれど今は違う。
王国が戦争へ向けて動いている。
それを実感させられる光景だった。
「かなり本格的に訓練していますね」
ティアが言う。
「領地によって差はあるだろうけど、少なくとも準備を始めていることは間違いないな」
俺が答える。
その直後、今度は街道の反対側から大量の荷馬車がやってきた。
一台、二台どころではない。
何十台もの馬車が列を作り、穀物や保存食と思われる荷物を大量に積んでいる。
「食料の輸送でしょうか?」
エリシアが尋ねる。
「おそらくな」
俺は馬車の列を目で追った。
食料の追加購入も、すでに始まっている。
王都や各地で購入された食料が、軍事拠点や兵站拠点へ運ばれているのだろう。
兵士を集める。
民兵を訓練する。
傭兵を雇う。
そして、その兵士たちを生かすための食料を運ぶ。
戦争というものは、戦場だけで始まるわけではない。
こうした街道の上から、すでに始まっているのだ。
「殿下、あれは傭兵では?」
カイが前方を指差した。
街道の向こうから、今度は武装した集団が歩いてくる。
装備は統一されていない。
剣を持つ者もいれば、槍を担いでいる者もいる。弓を背負った者もいた。
「そうだろうな」
彼らは俺たちの横を通り過ぎる際、一瞬こちらを見た。
そして、そのまま街道の先へ消えていく。
しばらくすると、また別の集団が現れた。
こちらも傭兵らしい。
さらに進めば、今度は数十人ほどでまとまって移動する傭兵団とすれ違った。
「本当に多いですね」
カイが呟く。
「傭兵団5000人の募集が始まっているからな。仕事を求めて移動しているんだろう」
俺はそう答えながら、周囲を見渡した。
民兵。
食料輸送隊。
傭兵。
傭兵団。
そして、俺たち900人の士官候補生。
王都から離れるほど、戦争準備の影響が目に見えて増えていく。
まるで王国全体が、少しずつ戦場へ姿を変えているようだった。
俺は歩きながら、ふと前方を見た。
街道はまだ先へ続いている。
その先にあるのはシルウァニアとの国境だ。
そして、その向こうではすでにシルウァニア軍が総動員されている。
――来年の春。
俺たちは、この国と戦うことになる。
その現実が、以前よりもずっと近く感じられた。
午後も行軍は続いた。
何度か休憩を挟みながら、俺たちはひたすら街道を進んでいく。
1年生の中には疲労の色が濃くなっている者もいたが、教官たちは隊列を崩さないよう細かく指示を出していた。
「前との間隔を維持しろ!」
「勝手に速度を上げるな!」
「疲れている者は無理に先へ出るな!」
900人の隊列が、街道を長く伸びていく。
そして、日が傾き始めた頃だった。
「前方に施設が見えるぞ!」
先頭付近から声が上がった。
俺も顔を上げる。
街道の先に、大きな建物が見えてきた。
近づくにつれて、その姿がはっきりしていく。
高い石壁。
見張り塔。
重厚な門。
そして、その内側には複数の建物が配置されている。
「……あれが?」
「コンキューウン男爵家の屋敷兼砦です」
教官が答えた。
国境陣地を守るコンキューウン男爵家の本拠。
貴族の屋敷でありながら、同時に軍事拠点として機能するよう造られているらしい。
俺は近づきながら周囲を観察した。
兵士が多い。
馬もいる。
武器や物資を運んでいる姿も見える。
普通の貴族屋敷とは明らかに違う。
「ここが国境陣地なんですね」
ティアが言う。
「正確には、国境そのものを守る最前線ではないみたいだ」
俺は周囲を見ながら答えた。
「そうですね」
エリシアが頷く。
やがて俺たちが門前まで到着すると、コンキューウン男爵家の家臣と駐屯兵たちが出迎えた。
「王立士官学校の皆様、お待ちしておりました」
代表の男が頭を下げる。
「本日は当家周辺を野営地として使用していただきます」
「ありがとうございます」
俺も王太子として礼を返した。
その後、教官たちがこの周辺の軍事施設について説明を受ける。
「国境に最も近い位置に展開している部隊は、どちらに?」
教官が尋ねた。
「国境の関所兼砦に駐屯しております」
家臣が答える。
「ここからさらに国境側へ進んだところにございます。国境に最も近い部隊は、そちらを拠点としております」
俺は持っていた地図を開いた。
なるほど。
このコンキューウン男爵家の屋敷兼砦が後方の拠点。
そこからさらに国境側に進んだ場所に、関所と砦を兼ねた前線拠点がある。
そこが国境防衛の最前線ということか。
「明日は、その関所兼砦の方面へ向かうんですか?」
俺が尋ねる。
「予定ではそうなっています」
教官が答えた。
「ただし、詳細な行動については明朝に改めて指示する」
「分かりました」
俺は地図を閉じた。
今日はここまで。
明日からは、いよいよ国境に近づく。
夕方になると、900人の士官候補生たちはコンキューウン男爵家の屋敷兼砦周辺に野営地を設営した。
天幕を張り、食事の準備をし、水を確保する。
これも課外学習の一部だ。
教官たちは生徒たちだけで準備をさせ、必要な場面でのみ指示を出している。
俺も自分の天幕を整えながら、少し離れた場所を見た。
砦の城壁には見張りの兵士が立っている。
街道には、まだ時折、兵士や輸送隊が通っている。
王都からここまで来る間に見てきたものと同じだ。
ただ、この場所まで来ると、その意味が違って見える。
ここは国境に近い。
この先にはシルウァニアがある。
そして、その国境にはすでにシルウァニア軍が集まり、防御壁まで建造されている。
「……」
俺は西の空を見た。
夕日が沈みかけている。
「レノ」
ティアの声がした。
「どうしたの?」
「明日、いよいよ国境の近くまで行くんだよね」
「そうだね」
俺は頷いた。
「でも、まずは今日を無事に終わらせよう」
「うん」
ティアが頷く。
俺は再び周囲を見渡した。
今日の行軍で、王国が戦争に向けて動いていることを嫌というほど実感した。
そして、ここまで来れば戦争の気配はさらに濃くなるだろう。
明日は国境へ向かう。
その先には、まだ見たことのないシルウァニアの防御壁がある。
俺は天幕へ戻り、装備を整理した。
今日の課外学習は、まだ始まったばかりだ。
明日からが、本当の偵察訓練になる。




