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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第4章 二つの生を越えて
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第29話 行軍

 休憩を終えた俺たちは、再び隊列を組んで街道を進み始めた。


 王都を離れてから時間が経つにつれ、周囲の景色は少しずつ変わっていった。都市部ではほとんど見かけなかった軍装の人間や、大量の荷物を積んだ馬車が目につくようになってくる。


 最初に目に入ったのは、街道脇の開けた土地で訓練を行っている集団だった。


「……あれは民兵ですね」


 エリシアが前方を見ながら言った。


「そうだな」


 数十人ほどの男たちが木製の槍を手にして並び、指導役らしき男の号令に合わせて動いている。別の場所では盾を構える訓練をしている者たちもいた。


 まだ正式な開戦には至っていない。


 それでも、王国各地ではすでに民兵の招集と訓練が始まっている。


 俺は歩きながら、その光景をしばらく眺めていた。


 夏季休暇前なら、こんな光景を国内のあちこちで見ることはなかっただろう。


 けれど今は違う。


 王国が戦争へ向けて動いている。


 それを実感させられる光景だった。


「かなり本格的に訓練していますね」


 ティアが言う。


「領地によって差はあるだろうけど、少なくとも準備を始めていることは間違いないな」


 俺が答える。


 その直後、今度は街道の反対側から大量の荷馬車がやってきた。


 一台、二台どころではない。


 何十台もの馬車が列を作り、穀物や保存食と思われる荷物を大量に積んでいる。


「食料の輸送でしょうか?」


 エリシアが尋ねる。


「おそらくな」


 俺は馬車の列を目で追った。


 食料の追加購入も、すでに始まっている。


 王都や各地で購入された食料が、軍事拠点や兵站拠点へ運ばれているのだろう。


 兵士を集める。


 民兵を訓練する。


 傭兵を雇う。


 そして、その兵士たちを生かすための食料を運ぶ。


 戦争というものは、戦場だけで始まるわけではない。


 こうした街道の上から、すでに始まっているのだ。


「殿下、あれは傭兵では?」


 カイが前方を指差した。


 街道の向こうから、今度は武装した集団が歩いてくる。


 装備は統一されていない。


 剣を持つ者もいれば、槍を担いでいる者もいる。弓を背負った者もいた。


「そうだろうな」


 彼らは俺たちの横を通り過ぎる際、一瞬こちらを見た。


 そして、そのまま街道の先へ消えていく。


 しばらくすると、また別の集団が現れた。


 こちらも傭兵らしい。


 さらに進めば、今度は数十人ほどでまとまって移動する傭兵団とすれ違った。


「本当に多いですね」


 カイが呟く。


「傭兵団5000人の募集が始まっているからな。仕事を求めて移動しているんだろう」


 俺はそう答えながら、周囲を見渡した。


 民兵。


 食料輸送隊。


 傭兵。


 傭兵団。


 そして、俺たち900人の士官候補生。


 王都から離れるほど、戦争準備の影響が目に見えて増えていく。


 まるで王国全体が、少しずつ戦場へ姿を変えているようだった。


 俺は歩きながら、ふと前方を見た。


 街道はまだ先へ続いている。


 その先にあるのはシルウァニアとの国境だ。


 そして、その向こうではすでにシルウァニア軍が総動員されている。


 ――来年の春。


 俺たちは、この国と戦うことになる。


 その現実が、以前よりもずっと近く感じられた。


 午後も行軍は続いた。


 何度か休憩を挟みながら、俺たちはひたすら街道を進んでいく。


 1年生の中には疲労の色が濃くなっている者もいたが、教官たちは隊列を崩さないよう細かく指示を出していた。


「前との間隔を維持しろ!」


「勝手に速度を上げるな!」


「疲れている者は無理に先へ出るな!」


 900人の隊列が、街道を長く伸びていく。


 そして、日が傾き始めた頃だった。


「前方に施設が見えるぞ!」


 先頭付近から声が上がった。


 俺も顔を上げる。


 街道の先に、大きな建物が見えてきた。


 近づくにつれて、その姿がはっきりしていく。


 高い石壁。


 見張り塔。


 重厚な門。


 そして、その内側には複数の建物が配置されている。


「……あれが?」


「コンキューウン男爵家の屋敷兼砦です」


 教官が答えた。


 国境陣地を守るコンキューウン男爵家の本拠。


 貴族の屋敷でありながら、同時に軍事拠点として機能するよう造られているらしい。


 俺は近づきながら周囲を観察した。


 兵士が多い。


 馬もいる。


 武器や物資を運んでいる姿も見える。


 普通の貴族屋敷とは明らかに違う。


「ここが国境陣地なんですね」


 ティアが言う。


「正確には、国境そのものを守る最前線ではないみたいだ」


 俺は周囲を見ながら答えた。


「そうですね」


 エリシアが頷く。


 やがて俺たちが門前まで到着すると、コンキューウン男爵家の家臣と駐屯兵たちが出迎えた。


「王立士官学校の皆様、お待ちしておりました」


 代表の男が頭を下げる。


「本日は当家周辺を野営地として使用していただきます」


「ありがとうございます」


 俺も王太子として礼を返した。


 その後、教官たちがこの周辺の軍事施設について説明を受ける。


「国境に最も近い位置に展開している部隊は、どちらに?」


 教官が尋ねた。


「国境の関所兼砦に駐屯しております」


 家臣が答える。


「ここからさらに国境側へ進んだところにございます。国境に最も近い部隊は、そちらを拠点としております」


 俺は持っていた地図を開いた。


 なるほど。


 このコンキューウン男爵家の屋敷兼砦が後方の拠点。


 そこからさらに国境側に進んだ場所に、関所と砦を兼ねた前線拠点がある。


 そこが国境防衛の最前線ということか。


「明日は、その関所兼砦の方面へ向かうんですか?」


 俺が尋ねる。


「予定ではそうなっています」


 教官が答えた。


「ただし、詳細な行動については明朝に改めて指示する」


「分かりました」


 俺は地図を閉じた。


 今日はここまで。


 明日からは、いよいよ国境に近づく。


 夕方になると、900人の士官候補生たちはコンキューウン男爵家の屋敷兼砦周辺に野営地を設営した。


 天幕を張り、食事の準備をし、水を確保する。


 これも課外学習の一部だ。


 教官たちは生徒たちだけで準備をさせ、必要な場面でのみ指示を出している。


 俺も自分の天幕を整えながら、少し離れた場所を見た。


 砦の城壁には見張りの兵士が立っている。


 街道には、まだ時折、兵士や輸送隊が通っている。


 王都からここまで来る間に見てきたものと同じだ。


 ただ、この場所まで来ると、その意味が違って見える。


 ここは国境に近い。


 この先にはシルウァニアがある。


 そして、その国境にはすでにシルウァニア軍が集まり、防御壁まで建造されている。


「……」


 俺は西の空を見た。


 夕日が沈みかけている。


「レノ」


 ティアの声がした。


「どうしたの?」


「明日、いよいよ国境の近くまで行くんだよね」


「そうだね」


 俺は頷いた。


「でも、まずは今日を無事に終わらせよう」


「うん」


 ティアが頷く。


 俺は再び周囲を見渡した。


 今日の行軍で、王国が戦争に向けて動いていることを嫌というほど実感した。


 そして、ここまで来れば戦争の気配はさらに濃くなるだろう。


 明日は国境へ向かう。


 その先には、まだ見たことのないシルウァニアの防御壁がある。


 俺は天幕へ戻り、装備を整理した。


 今日の課外学習は、まだ始まったばかりだ。


 明日からが、本当の偵察訓練になる。

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