第28話 出発
課外学習当日。
朝早く、王立士官学校の校庭には900人の士官候補生が整列していた。
普段の授業開始前とは明らかに違う空気が漂っている。
全員が野営用の装備を背負い、必要最低限の荷物を携行している。地図、食料、水筒、雨具、野営道具など、これから数日間にわたって野外で活動するための装備だ。
俺も背嚢を背負い、腰の装備を確認した。
前方には教官たちが並んでいる。
そして900人は、学年ごとに3つの部隊へ分けられていた。
第1学年。
第2学年。
第3学年。
それぞれ300人。
今回の目的地はシルウァニア王国との国境付近。
ただの行軍訓練ならともかく、今回は実際に敵国の防御施設を偵察する。
俺は改めてそのことを思い出し、気を引き締めた。
「それでは、出発する!」
教官の号令が響いた。
「おう!」
900人の声が重なる。
最初に第1学年の部隊が動き、その後ろを第2学年、第3学年が続く。
俺たちも隊列に加わった。
校門を抜ける。
王都の街路を進む。
いつもなら学院へ向かう生徒たちや、仕事へ向かう人々が行き交っている時間だ。
だが今日は違う。
900人もの士官候補生が軍装に近い姿で隊列を組んで進んでいく。
道行く人々がこちらを眺めている。
「すごい人数……」
「士官学校の課外学習らしいぞ」
「今年は国境まで行くって話だ」
そんな声が聞こえてくる。
俺は歩きながら、少し複雑な気分になった。
表向きは学校行事。
しかし実際には、戦争準備の一環でもある。
900人の士官候補生が、シルウァニアの防御施設を偵察する。
父上は俺に「頼んだ」と書いていたが、どう考えても簡単な課外学習ではない。
「殿下」
横から声をかけられた。
エリシアだった。
「何?」
「緊張されていますか?」
「少しはね」
俺は苦笑する。
「これまでの課外学習とは違うから」
「やはりそうですよね」
エリシアが前方を見る。
「実際の国境付近まで行くんですから」
「うん」
俺は周囲を見渡した。
今のところ、全員落ち着いている。
ただ、初めての長距離行軍になる1年生の中には、すでに少し疲れが見えている者もいた。
当然だ。
王都から国境方面までは、それなりの距離がある。
しかも今回は、単に目的地まで移動するだけではない。
到着後には野営を行い、その後も山岳移動や河川渡河、地図判読などの課外学習が待っている。
「第1学年の速度が少し落ちているな」
俺が呟くと、カイが後ろから答えた。
「まあ、最初だからな。慣れてないんだろ」
「そうだね」
俺たちはそのまま歩き続けた。
王都を抜ける。
都市部の建物が少しずつ減り、やがて街道沿いの田畑や森林が目立つようになった。
行軍の速度も一定に保たれている。
教官たちは時折、隊列を確認していた。
「間隔を空けすぎるな!」
「前の部隊についていけ!」
「水分を取れ!」
その声が街道に響く。
俺も水筒を確認した。
こうした長距離行軍では、体力を一気に使わないことが重要だ。
急ぐ必要はない。
一定の速度を維持する。
隊列を崩さない。
周囲を確認する。
そして目的地まで進む。
単純に見えて、実際にやってみると意外に難しい。
しばらくすると、先ほどまで話していた生徒たちも口数が減っていった。
足音だけが一定の間隔で続く。
ザッ、ザッ、ザッ。
900人の足音が重なっていく。
俺は歩きながら前方を眺めた。
この先にはシルウァニアとの国境がある。
そして、その向こうには俺たちが来年戦うことになる国がある。
今回の行軍は、その戦争に向けた最初の一歩なのかもしれない。
「……」
俺は少しだけ息を吐いた。
夏季休暇中に父上から聞かされた戦争の話。
カヴィーレスターン軍3万3000人。
アイティクイランド軍。
合わせて約5万人。
そしてシルウァニア側の総動員。
木造の防御壁。
情報不足。
それらが頭の中をよぎる。
俺たちはまだ戦争を始めていない。
だけど、もうその準備は始まっている。
そして今、俺たちはその戦場になるかもしれない場所へ向かっている。
昼頃。
最初の休憩地点に到着した。
「全隊、休憩!」
教官の号令と同時に、900人が足を止める。
生徒たちはその場で背嚢を下ろした。
「……疲れた」
誰かがその場に座り込む。
「まだ最初の休憩だぞ」
「分かってるよ……」
カイが苦笑する。
俺も水筒を取り出して水を飲んだ。
ティアも少し離れた場所で休んでいる。
「殿下、疲れていませんか?」
ルリウスが声をかけてきた。
士官学校では別クラスだったため、普段の行動を共にすることは少ない。
それでも今回の課外学習では同じ部隊として行動している。
「私は大丈夫です。ルリウスは?」
「私も問題ありません、殿下」
ルリウスはそう答えてから、前方の街道を見た。
「しかし、国境までまだありますね」
「そうですね」
俺も頷く。
今回の行軍はまだ始まったばかりだ。
ここから先はさらに距離がある。
そして、目的地に到着すれば終わりではない。
むしろ、そこからが本番だ。
やがて休憩時間が終わった。
「出発準備!」
再び号令が響く。
900人が立ち上がる。
背嚢を背負う。
装備を確認する。
そして隊列を整える。
「前進!」
再び900人が歩き始めた。
王都レクィエリアからシルウァニア国境へ。
長い行軍が続いていく。
俺は前を向いて歩きながら思った。
――まずは目的地まで無事に到着する。
それが最初の任務だ。
そして、その先に待っているのは、シルウァニアの防御壁。
俺たちはまだ、それがどれほど大規模なのかも知らない。
敵がどれだけいるのかも分からない。
ただ一つ分かっているのは――。
この課外学習は、普通の学校行事ではない。
俺たちは今、本当に戦場になるかもしれない場所へ向かっている。
その事実を胸に刻みながら、俺は900人の士官候補生たちとともに、国境への街道を進み続けた。




