↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第4章 二つの生を越えて
PR
230/335

第28話 出発

 課外学習当日。


 朝早く、王立士官学校の校庭には900人の士官候補生が整列していた。


 普段の授業開始前とは明らかに違う空気が漂っている。


 全員が野営用の装備を背負い、必要最低限の荷物を携行している。地図、食料、水筒、雨具、野営道具など、これから数日間にわたって野外で活動するための装備だ。


 俺も背嚢を背負い、腰の装備を確認した。


 前方には教官たちが並んでいる。


 そして900人は、学年ごとに3つの部隊へ分けられていた。


 第1学年。


 第2学年。


 第3学年。


 それぞれ300人。


 今回の目的地はシルウァニア王国との国境付近。


 ただの行軍訓練ならともかく、今回は実際に敵国の防御施設を偵察する。


 俺は改めてそのことを思い出し、気を引き締めた。


「それでは、出発する!」


 教官の号令が響いた。


「おう!」


 900人の声が重なる。


 最初に第1学年の部隊が動き、その後ろを第2学年、第3学年が続く。


 俺たちも隊列に加わった。


 校門を抜ける。


 王都の街路を進む。


 いつもなら学院へ向かう生徒たちや、仕事へ向かう人々が行き交っている時間だ。


 だが今日は違う。


 900人もの士官候補生が軍装に近い姿で隊列を組んで進んでいく。


 道行く人々がこちらを眺めている。


「すごい人数……」


「士官学校の課外学習らしいぞ」


「今年は国境まで行くって話だ」


 そんな声が聞こえてくる。


 俺は歩きながら、少し複雑な気分になった。


 表向きは学校行事。


 しかし実際には、戦争準備の一環でもある。


 900人の士官候補生が、シルウァニアの防御施設を偵察する。


 父上は俺に「頼んだ」と書いていたが、どう考えても簡単な課外学習ではない。


「殿下」


 横から声をかけられた。


 エリシアだった。


「何?」


「緊張されていますか?」


「少しはね」


 俺は苦笑する。


「これまでの課外学習とは違うから」


「やはりそうですよね」


 エリシアが前方を見る。


「実際の国境付近まで行くんですから」


「うん」


 俺は周囲を見渡した。


 今のところ、全員落ち着いている。


 ただ、初めての長距離行軍になる1年生の中には、すでに少し疲れが見えている者もいた。


 当然だ。


 王都から国境方面までは、それなりの距離がある。


 しかも今回は、単に目的地まで移動するだけではない。


 到着後には野営を行い、その後も山岳移動や河川渡河、地図判読などの課外学習が待っている。


「第1学年の速度が少し落ちているな」


 俺が呟くと、カイが後ろから答えた。


「まあ、最初だからな。慣れてないんだろ」


「そうだね」


 俺たちはそのまま歩き続けた。


 王都を抜ける。


 都市部の建物が少しずつ減り、やがて街道沿いの田畑や森林が目立つようになった。


 行軍の速度も一定に保たれている。


 教官たちは時折、隊列を確認していた。


「間隔を空けすぎるな!」


「前の部隊についていけ!」


「水分を取れ!」


 その声が街道に響く。


 俺も水筒を確認した。


 こうした長距離行軍では、体力を一気に使わないことが重要だ。


 急ぐ必要はない。


 一定の速度を維持する。


 隊列を崩さない。


 周囲を確認する。


 そして目的地まで進む。


 単純に見えて、実際にやってみると意外に難しい。


 しばらくすると、先ほどまで話していた生徒たちも口数が減っていった。


 足音だけが一定の間隔で続く。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 900人の足音が重なっていく。


 俺は歩きながら前方を眺めた。


 この先にはシルウァニアとの国境がある。


 そして、その向こうには俺たちが来年戦うことになる国がある。


 今回の行軍は、その戦争に向けた最初の一歩なのかもしれない。


「……」


 俺は少しだけ息を吐いた。


 夏季休暇中に父上から聞かされた戦争の話。


 カヴィーレスターン軍3万3000人。


 アイティクイランド軍。


 合わせて約5万人。


 そしてシルウァニア側の総動員。


 木造の防御壁。


 情報不足。


 それらが頭の中をよぎる。


 俺たちはまだ戦争を始めていない。


 だけど、もうその準備は始まっている。


 そして今、俺たちはその戦場になるかもしれない場所へ向かっている。


 昼頃。


 最初の休憩地点に到着した。


「全隊、休憩!」


 教官の号令と同時に、900人が足を止める。


 生徒たちはその場で背嚢を下ろした。


「……疲れた」


 誰かがその場に座り込む。


「まだ最初の休憩だぞ」


「分かってるよ……」


 カイが苦笑する。


 俺も水筒を取り出して水を飲んだ。


 ティアも少し離れた場所で休んでいる。


「殿下、疲れていませんか?」


 ルリウスが声をかけてきた。


 士官学校では別クラスだったため、普段の行動を共にすることは少ない。


 それでも今回の課外学習では同じ部隊として行動している。


「私は大丈夫です。ルリウスは?」


「私も問題ありません、殿下」


 ルリウスはそう答えてから、前方の街道を見た。


「しかし、国境までまだありますね」


「そうですね」


 俺も頷く。


 今回の行軍はまだ始まったばかりだ。


 ここから先はさらに距離がある。


 そして、目的地に到着すれば終わりではない。


 むしろ、そこからが本番だ。


 やがて休憩時間が終わった。


「出発準備!」


 再び号令が響く。


 900人が立ち上がる。


 背嚢を背負う。


 装備を確認する。


 そして隊列を整える。


「前進!」


 再び900人が歩き始めた。


 王都レクィエリアからシルウァニア国境へ。


 長い行軍が続いていく。


 俺は前を向いて歩きながら思った。


 ――まずは目的地まで無事に到着する。


 それが最初の任務だ。


 そして、その先に待っているのは、シルウァニアの防御壁。


 俺たちはまだ、それがどれほど大規模なのかも知らない。


 敵がどれだけいるのかも分からない。


 ただ一つ分かっているのは――。


 この課外学習は、普通の学校行事ではない。


 俺たちは今、本当に戦場になるかもしれない場所へ向かっている。


 その事実を胸に刻みながら、俺は900人の士官候補生たちとともに、国境への街道を進み続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。