第27話 お茶目な国王
長かった夏季休暇が終わった。
王都レクィエリアへ戻っていた俺たちも、それぞれ王立士官学校へ帰ってきた。夏季休暇中には、カヴィーレスターン軍3万3000人の上陸、アイガード・ゼフィル大族長との面会、そしてシルウァニア王国に関する新たな情報まで入ってきた。
さらに王都では、本格的な戦争準備が始まっている。
徴兵。
民兵訓練。
傭兵団5000人の募集。
食料や武器の確保。
軍馬や輸送馬車の確保。
兵站拠点の整備。
国内各地の防衛体制の点検。
来年の春に始まる戦争に向けて、アンティクイランド王国そのものが動き始めていた。
そんな中での、士官学校の再開だった。
久しぶりに見る校舎を歩きながら、俺は少しだけ日常が戻ってきたような気分になっていた。
――もっとも。
その感覚は、始業直後に完全に打ち砕かれることになる。
全校生徒900人が校庭へ集められた。
俺たちは学年ごとに整列し、その前には士官学校の教官たちが並んでいる。
「諸君。夏季休暇は十分に楽しめただろうか」
壇上に立った学校長がそう言う。
生徒たちからは、まばらな返事が返ってきた。
俺も周囲を見渡す。
夏季休暇終了直後。
この時期には毎年、恒例の課外学習がある。
士官学校では、教室での座学だけではなく、実際の野外環境で軍人として必要な技能を身につけることになっている。
内容は、
野営。
行軍。
地図判読。
山岳移動。
水場・河川渡河。
どれも士官候補生にとって重要な訓練だ。
だから今年も、例年通りの課外学習が始まるのだと思っていた。
「では、本年度の課外学習について説明する」
学校長がそう言った瞬間、俺はなぜか嫌な予感がした。
こういう時の「説明する」という言葉は、だいたい普通では終わらない。
「今年度は、例年とは少々異なる」
「……やっぱり」
思わず心の中で呟いた。
隣にいたティアがこちらを見る。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
俺がそう答えた直後だった。
学校長が一枚の書簡を取り出した。
「これは国王陛下から預かっている書簡である」
「……父上から?」
思わず声に出してしまった。
学校長は頷き、書簡を開く。
「では、読み上げる」
そして最初の一文を読み上げた。
「アイティクイランド・カヴィーレスターン連合軍約5万人の侵攻先に、木造の防御壁が建造されているという報告があった。」
校庭がざわついた。
俺は思わず表情を引き締めた。
その報告は知っている。
夏季休暇中、グラフィルからもたらされた情報だ。
シルウァニア王国ではすでに総動員令が発動され、連合軍が侵攻する予定の地域に大量の兵力が集められている。
そして、その侵攻先には木造の防御壁が建造されている。
あの時の会議でも問題になった。
情報が少なすぎる。
だから作戦を練り直そうにも、具体的な防御壁の位置も規模も、敵兵力も分からない。
さらに、王国軍は徴兵や民兵訓練、傭兵招集、国境警備などに兵力を回している。
大規模な斥候部隊を新たに展開する余裕もない。
だからこそ、作戦変更は保留になった。
……まさか、その話をここで出すとは思わなかった。
学校長は淡々と続きを読み上げる。
「その為、作戦の練り直しが必要になったが、いかんせん情報が少なすぎるのでどうしようもないし、計画外の軍事作戦を行うことはできない。」
俺は額に手を当てそうになった。
父上。
まさか。
まさかとは思うが――。
「既に徴兵や民兵訓練、傭兵招集、国境警備などに回している兵が多すぎるので、斥候部隊を大規模に展開することは難しい。」
嫌な予感が確信に変わった。
そして学校長が、最後の一文を読み上げる。
「そこで士官候補生900人に国境にある対連合軍防御壁への偵察を行ってもらう! 我が愛息子よ! 頼んだ!」
「…………」
俺は完全に固まった。
校庭も一瞬、静まり返る。
次の瞬間。
「「「えええええええええええっ!?」」」
900人の声が一斉に響き渡った。
俺の隣では、ティアが目を丸くしている。
「レノ……」
「……うん」
「これ……」
「分かってる」
俺はため息をついた。そしてしみじみと呟く
「解毒薬飲ませなかった方が良かったかも....」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!」
ティアが凄い勢いで否定してくる。
そこで俺は、一つ悪戯を考え付きティアの耳に口をやり囁く
「俺は、ティアが居れば何でもいい。」
そして耳を甘噛みする。イケメンなら何でも許されるのだ。やっていることが変態でも!
ティアがボン!とでも効果音が聞こえそうなくらい一気に赤面した。
しかし、エリシアは俺たちの甘い雰囲気もつゆ知らず俺に話しかけてきた。
「王太子殿下、これは……課外学習なのでしょうか?」
「私にも分からん」
いや、分かっている。
これはどう考えても父上によるドッキリだ。
ただし、笑えない。
なにしろ目的地がシルウァニアとの国境なのだから。
900人による偵察
その後、学校側から今回の課外学習について詳細な説明が行われた。
全校生徒900人を、学年ごとに3つの部隊へ分ける。
第1学年300人。
第2学年300人。
第3学年300人。
それぞれが独立した部隊として行動し、教官の指導のもとで国境方面へ向かう。
もちろん目的は敵への攻撃ではない。
あくまでも偵察。
防御壁の位置。
長さ。
高さ。
構造。
周辺の地形。
道路。
山岳地帯。
河川。
水場。
敵軍の配置。
そして可能であれば、シルウァニア軍の規模や装備なども確認する。
俺は説明を聞きながら地図を眺めた。
これは確かに、軍事的には重要な情報になる。
問題は――。
俺たちが士官候補生だということだ。
「なお、諸君らに一つ伝えておく」
教官が前に出る。
その声が妙に重かった。
「王立士官学校の課外学習では、死者が出る場合も珍しくない」
「…………」
校庭の空気が一気に変わった。
何人かが顔を強張らせる。
教官は構わず続けた。
「野営中の事故、山岳移動中の事故、河川渡河中の事故、その他の訓練中の事故。これまでにも課外学習による死者は発生している」
俺は黙って聞いていた。
だが、その次の言葉には少し驚いた。
「そして、王立士官学校には一つの特徴がある」
教官が900人を見渡す。
「新入生より卒業生の数が少ない。」
ざわめきが広がった。
「その大半は、課外学習における戦死である」
「戦死……?」
誰かが呟く。
教官は頷いた。
「そうだ」
俺は眉を寄せた。
課外学習で戦死。
それはつまり、この学校では課外学習そのものが、実質的に実戦に近い環境まで想定されているということだ。
「なお、学校側は課外学習中に発生した死亡について、原則として責任を負わない」
再び沈黙が広がる。
「それは入学時に説明されている」
教官は淡々と言った。
「そして、これを承諾することも入学条件の一つである」
俺は入学時のことを思い出した。
確かに、士官学校は一般的な学院とは違う。
軍人を育成するための教育機関。
危険を伴う訓練があることも、ある程度は理解していた。
だが、こうして改めて聞かされると重い。
隣を見る。
ティアも真剣な表情をしていた。
エリシアも黙っている。
カイは珍しく冗談を言わなかった。
「今回の課外学習は、通常の訓練よりも危険度が高い」
教官が言う。
「なぜなら、偵察対象が実際の敵国防御施設だからだ」
その言葉に、俺は地図を見つめる。
木造の防御壁。
その向こうには、総動員されたシルウァニア軍がいる可能性がある。
魔術を使える者も多い国だ。
しかも、こちらは5万人規模の連合軍で侵攻する予定。
シルウァニア側からすれば、俺たちは明確な敵だ。
「ただし、目的は戦闘ではない」
教官が続ける。
「敵を倒すことではなく、情報を得て帰還することが目的である」
俺はその言葉を聞いて、少しだけ安心した。
それならやることは明確だ。
敵の防御壁に不用意に接近しない。
地形を確認する。
敵の配置を確認する。
可能な限り情報を集める。
そして、生きて戻る。
俺は地図を折りたたんだ。
「……やるしかないか」
「何か言った?」
ティアがこちらを見る。
「いや」
俺は小さく首を振った。
「私たちの目的は偵察だ。戦うことじゃない」
口に出したのは「私」。
けれど、心の中では別の言葉が浮かんでいた。
――父上、本当にとんでもない課外学習を用意してくれたな。
俺は空を見上げた。
夏季休暇は終わった。
そして、士官学校の新学期が始まった。
だが、今年の課外学習は例年とはまったく違う。
野営。
行軍。
地図判読。
山岳移動。
水場・河川渡河。
そして最後に――。
シルウァニア王国国境に建造された、対連合軍防御壁の偵察。
900人の士官候補生による、異例の大規模課外学習。
しかも、学校側からは明確に告げられている。
死者が出る可能性がある。
それでも行く。
なぜなら、ここは王立士官学校だからだ。
そして俺は、その士官候補生たちを率いる立場にある王太子だ。
俺は改めて地図を開いた。
シルウァニアとの国境。
その先にある木造防御壁。
まだ何も分からない。
だからこそ――。
「まずは、見てこないとな」
俺はそう呟いた。
そして900人の士官候補生たちは、3つの部隊に分かれ、それぞれの偵察行へ向けた準備を始めた。




