第26話 障害
王都レクィエリアで戦争準備が本格的に始まってから、しばらく経った頃。
王宮の一室では、レノ、ティア、アウレリウスを中心に、軍務関係者を交えた会議が開かれていた。
議題は当然、来年春に予定されているシルウァニア王国への遠征についてだった。
すでにアンティクイランド王国では、傭兵団5000人の募集、王都での段階的徴兵、各領地での民兵招集準備、食料や武器の確保など、戦争に向けた準備が進められている。
カヴィーレスターンからも3万3000人の軍勢がガルディシアへ順次上陸している。
アイティクイランド側の戦力も合わせれば、今回の侵攻軍はおよそ5万人。
数字だけを見れば、十分な戦力に思えた。
だが――。
「失礼いたします」
扉が開いた。
入ってきたのは、レノの護衛騎士であるグラフィルだった。
「グラフィル?」
「はい、殿下。シルウァニア方面について、報告がございます」
その声には、いつもの落ち着きとは少し違う緊張があった。
レノが姿勢を正す。
「何が分かった?」
「シルウァニア王国では、すでに総動員令が発動されているとの情報が入っております」
室内の空気が変わった。
「総動員……?」
ティアが呟く。
「はい」
グラフィルが頷く。
「さらに、シルウァニア側では大量の兵力が国境方面へ移動しているとのことです」
「兵力の規模は?」
「正確な数字は不明です」
レノは眉を寄せた。
「分からないのか?」
「はい。現在、シルウァニア国内から得られている情報が少なすぎます」
グラフィルは続けた。
「ただし、もう一つ重要な情報があります」
「何だ?」
「我々が侵攻する予定の地域に、木造の防御壁が建造されているとの報告があります」
室内が静まり返った。
「木造の防御壁……」
レノは地図を見る。
シルウァニア側の国境付近。
そこには、これまで想定していた侵攻ルートが記されている。
「つまり、シルウァニアはすでにこちらの侵攻を想定して、防御陣地を構築しているということか」
「その可能性が高いかと」
グラフィルが答える。
「しかも、単なる小規模な柵ではないようです。かなりの人数を投入して建造しているとの情報があります」
レノは地図へ目を落とした。
木造の防御壁。
総動員令。
大量の兵力。
これまで想定していたシルウァニア軍とは明らかに状況が違う。
「……作戦を練り直す必要があるな」
アウレリウスが静かに言った。
「はい」
レノも頷く。
「当初の計画では、敵の国境防衛がこれほど早く整備されていることは想定していない」
問題は、情報が少ないことだった。
防御壁がどこまで続いているのか。
高さはどれほどなのか。
兵力はどれだけ配置されているのか。
弓兵や弩兵はいるのか。
魔術師はどれほどいるのか。
さらに、シルウァニアは貴族制度がほぼ存在せず、一般国民にも低レベルながら魔術を行使できる者がかなりいる。
それが軍事的にどう使われているのかも、ほとんど分かっていない。
「情報が足りなさすぎる……」
レノが呟く。
「はい」
グラフィルも頷いた。
「本来ならば斥候を大量に展開し、敵陣地の位置、規模、兵力、防御施設、補給線などを確認する必要があります」
「だが、それができない」
アウレリウスが言った。
グラフィルが頭を下げる。
「現在、国内では徴兵、民兵訓練、傭兵招集、国境警備、各地の防衛準備などに、多くの兵力が割かれております」
「そのため、大規模な斥候部隊を新たに編成して国境へ送り込む余裕がありません」
レノは黙り込んだ。
兵士が足りないわけではない。
むしろ、王国全体ではこれから大量の兵力を動員しようとしている。
しかし――。
今この瞬間に自由に使える兵力が少ない。
徴兵した兵士はまだ訓練中。
民兵も訓練が必要。
傭兵もまだ募集段階。
既存の兵力は国境警備や国内防衛に回されている。
そして、ガルディシアには3万3000人のカヴィーレスターン軍が上陸している。
兵力を動かせば、その分だけ別の場所が手薄になる。
「では、現時点ではどうする?」
ティアが尋ねる。
誰もすぐには答えなかった。
レノも地図を見つめたまま考える。
当初の計画をそのまま実行するのは危険だ。
しかし、情報がない状態で新しい作戦を作ることもできない。
ましてや、計画外の大規模な軍事作戦を今から行えば、国内の戦争準備そのものに影響が出る。
「……現時点では、作戦変更を決定できない」
レノが言った。
「まず敵の防御壁がどこにあるのかすら正確に分かっていない。兵力も、配置も、補給線も分からない」
レノは地図上のシルウァニア側を指した。
「この状態で新しい作戦を立てても、推測でしかない」
「その通りです」
グラフィルが答える。
「斥候については、今後可能な範囲で情報収集を進めます」
「ただし、大規模な斥候部隊をすぐに展開することは困難です」
「分かった」
レノは頷いた。
アウレリウスも腕を組んだ。
「では、今回の議題は一旦保留とする」
室内の者たちが頷く。
「戦争準備そのものは予定通り進める。徴兵、民兵訓練、傭兵の招集、食料・武器の確保、国内防衛を優先する」
「そして、シルウァニアに関する情報が増え次第、改めて作戦を検討する」
「はい」
会議はそこで終了となった。
レノは椅子から立ち上がり、もう一度地図を見る。
シルウァニア。
貴族制度がほとんど存在せず、身分による制約が緩い国。
魔術を使える者も多い。
そして今、その国は総動員令を発動し、5万人規模の連合軍が侵攻してくることを想定して防御壁を築いている。
こちらが戦争の準備を始めた。
だが――。
向こうも、すでに戦争の準備を始めていた。
しかも、こちらが想定していた以上の速度で。
「……敵の情報が、あまりにも少ない」
レノは小さく呟いた。
来年の春まで、まだ時間はある。
だが、その時間をただ待っているわけにはいかない。
戦争準備と並行して、シルウァニアの情報を集めなければならない。
しかし現状では、そのための兵力すら十分に割けない。
結局この日、シルウァニア方面の新たな作戦立案は保留となった。
情報不足。
兵力不足。
そして、国内の戦争準備との両立。
レノたちは、初めて「敵と戦う前の戦い」が始まったことを実感していた。




