第25話 戦争準備開始
ガルディシアでカヴィーレスターン軍の先遣隊とアイガード・ゼフィル大族長を迎えたレノたちは、その後、王都レクィエリアへと帰還した。
夏季休暇は始まったばかりだった。
だが、レノを待っていたのは休暇らしい穏やかな時間ではなかった。
来年の春にはシルウァニア王国との戦争が始まる。そして、その遠征軍の総司令官を務めるのは王太子であるレノだ。
ガルディシアで目にしたカヴィーレスターン軍3万3000人の上陸は、戦争がもう遠い未来の出来事ではないことを、レノに強く実感させていた。
そして王都へ戻った翌日。
王宮から、正式な招集命令が発せられた。
対象となったのは、法衣貴族、騎士家、王都に滞在している領地貴族など、現在王都で招集可能な貴族のほぼ全員だった。
突然の大規模な招集に、王都の貴族たちは次々と王宮へ向かった。
王宮の大広間。
そこには多くの貴族が集まっていた。
普段ならば華やかな会話が飛び交っているはずの場所だが、今日は誰もが緊張した表情を浮かべている。
やがて国王アウレリウスが姿を現した。
その後ろには、王太子レノウィウスも立っている。
「急な招集にもかかわらず集まってくれたことに感謝する」
アウレリウスが大広間を見渡す。
「諸君もすでに理解していると思うが、来年の春、我が国はシルウァニア王国との戦争に入る」
大広間は静まり返っていた。
「そして現在、カヴィーレスターン軍3万3000人が順次ガルディシアへ上陸している」
その言葉に、わずかにざわめきが起こる。
3万3000人。
それだけの大軍が、すでに自国へ入ってきている。
「我が国も、これに合わせて戦争準備を本格化させる」
アウレリウスがそう告げると、宰相府の官僚たちが資料を配り始めた。
「まず、現在の王国軍について確認する」
セドリックが前へ出る。
「現在のアンティクイランド王国軍は、大きく二種類に分けられます。各領地の貴族が率いる諸侯軍。そして、国王陛下が直接統帥する中央軍です」
レノは配られた資料に目を落とす。
「諸侯軍は、ガルディシア伯爵領が現在王領となっているため、旧ガルディシア伯爵家の兵力を除いて算出しております」
「以前は国内最大規模の諸侯軍を保有していたガルディシア伯爵家ですが、現在その兵力は中央軍の管轄です」
セドリックが説明を続ける。
「したがって、現在の諸侯軍は平時で2543人。戦時には8886人まで増員可能です」
レノは資料を見る。
「そして中央軍は、平時の3000人にガルディシアの兵力560人を加え、3560人」
「戦時には中央軍本体6600人にガルディシアの戦時兵力1620人を加え、8220人となります」
「したがって、王国全体では戦時に1万7106人を動員可能です」
レノは静かに頷いた。
これが、現在のアンティクイランド王国が持つ基本的な戦力。
だが――。
アウレリウスが口を開く。
「当然、これだけで戦争をするつもりはない」
貴族たちの視線が一斉に国王へ集まった。
「これより、国内全域で戦争準備を開始する」
そして、具体的な命令が次々と読み上げられていった。
1.傭兵団5000人の募集
「第一に、傭兵ギルドへの依頼を発注する」
官僚が資料を掲げる。
「対象は傭兵団に限る。個人傭兵は今回の募集対象としない」
「募集定員は5000人」
大広間にざわめきが広がる。
「国内全域の傭兵ギルドを通じ、契約条件を統一したうえで募集を開始する。採用された傭兵団は王国軍の指揮系統に組み込む」
5000人。
これだけでも相当な増援になる。
2.領地貴族への民兵招集準備命令
「第二に、領地貴族へ書簡を送る」
各領地へ送られる命令書が準備される。
「各領地における民兵の招集準備を開始せよ」
「ただし、現時点で全員を招集する必要はない。まず人口、常備兵力、予備役騎士、動員可能な民兵数を確認し、王都へ報告すること」
つまり、まず各領地の戦力を把握する。
そのうえで必要な兵力を決める。
3.王都での段階的徴兵開始
「第三に、王都での段階的徴兵を開始する」
アウレリウスの声が響く。
「一度に全ての対象者を徴兵するのではない。必要な兵力を算定し、段階的に招集する」
「徴兵された者には訓練を施し、装備を整えたうえで部隊へ編入する」
レノは静かに頷く。
兵士は集めるだけでは軍隊にならない。
訓練と装備が必要になる。
4.食料の追加購入
「第四に、食料の追加購入を開始する」
軍隊が増えれば、それだけ食料も必要になる。
「兵士だけではない。軍馬、輸送隊、駐屯部隊を含めて必要量を算定する」
「市場への影響を考慮しつつ、戦時備蓄を増加させよ」
戦争になれば、食料は武器と同じくらい重要になる。
5.武器・防具の増産発注
「第五に、武器と防具の増産を開始する」
王国各地の鍛冶工房、武器商人、防具職人へ発注を行う。
剣、槍、弓、弩、盾。
そして兵士たちの防具。
「現在の備蓄だけでは、新たに動員する兵力を装備できない可能性がある。必要数を算定し、余裕を持って生産を開始せよ」
6.軍馬・輸送馬車の確保
「第六に、軍馬および輸送用の馬車を確保する」
騎兵だけではない。
伝令、物資輸送、負傷者の搬送にも馬が必要になる。
「各地の馬産地、商人、運送業者と契約し、必要数を確保せよ」
「必要に応じて王国による買い上げも行う」
7.軍用倉庫・兵站拠点の整備
「第七に、軍用倉庫と兵站拠点を整備する」
ここでレノが顔を上げる。
「特にガルディシアを重点的に整備せよ」
当然だった。
カヴィーレスターン軍3万3000人が上陸する場所であり、海上輸送の拠点でもある。
「ガルディシアを中心に、主要都市、街道沿いの拠点へ軍用食料、武器、防具、医療物資を備蓄する」
これによって、前線への補給を安定させる。
8.医療物資の確保
「第八に、医療物資を確保する」
薬品。
包帯。
治療器具。
そして軍医や治療担当者。
「戦時に備え、王都および主要都市の医療施設についても受け入れ能力を確認する」
レノは黙って聞いていた。
戦争で必要なのは、戦える兵士だけではない。
負傷した兵士を治療し、生存させる体制も必要になる。
9.伝令網の整備
「第九に、王国全土の伝令網を整備する」
王都から各領地。
各領地から王都。
そしてガルディシア。
「重要街道上の伝令拠点を確認し、必要に応じて増設する。伝令騎兵の確保も進める」
戦場では、一つの命令が届くまでの時間が生死を分ける。
10.各領地の動員可能兵力の報告
「第十に、各領地の動員可能兵力を報告させる」
「常備兵、予備役騎士、民兵、その他戦時に動員可能な人員を分類して報告せよ」
「ただし、領地防衛に必要な最低兵力も同時に算定すること」
レノはこの命令を聞いて、なるほどと思った。
単純に「何人出せるか」だけを聞いてはいけない。
領地から兵を出しすぎれば、その領地自体が無防備になる。
11.戦費の試算と軍事予算の確保
「第十一に、戦費を試算する」
財務官僚が資料を開く。
「傭兵5000人への報酬。新兵の装備。食料。馬。輸送。医療。兵站。要塞整備。すべてを含めた戦費を算出する」
「必要な軍事予算を確保し、戦争が長期化した場合の追加費用についても試算せよ」
レノは思わず眉を寄せた。
軍隊は、兵士を集めただけでは動かせない。
それを維持する金が必要なのだ。
12.国内各地の要塞・防衛戦力の点検
「そして最後に――」
アウレリウスが大広間を見渡す。
「国内各地の要塞、および防衛戦力を点検する」
シルウァニア方面へ遠征軍を送り出す以上、国内が無防備になってはいけない。
「各国境、主要都市、街道、港湾、要塞について、防衛能力を再確認する」
「必要であれば兵力の再配置を行う」
ここまで聞いたところで、レノは静かに息を吐いた。
12個の命令。
どれも単独ならば、それほど大きなことには見えない。
しかし、それらが同時に動き出せば話は別だった。
兵士を集める。
傭兵を雇う。
徴兵する。
民兵を準備する。
武器を作る。
馬を集める。
食料を買う。
倉庫を整える。
医療体制を整える。
伝令網を整える。
戦費を確保する。
そして国内の防衛まで確認する。
国そのものが、戦争をするための形へ変わり始めている。
アウレリウスが最後に告げた。
「以上を、直ちに開始する」
貴族たちが一斉に頭を下げる。
「来年の春に開戦する。だが、戦争の勝敗は開戦の日に決まるものではない」
静かな声が大広間に響いた。
「その日までに、どれだけ準備できるかで決まる」
誰もがその言葉を理解していた。
やがて大広間から貴族たちが退出していく。
法衣貴族は各担当部署へ。
騎士家は軍務の確認へ。
領地貴族は、それぞれの領地へ送られる命令書を受け取る。
そして王宮の外では、傭兵ギルドへ向けた依頼書が作成され始めていた。
レノは大広間を出ると、長い廊下の窓から王都レクィエリアを眺めた。
「……本当に始まったな」
ティアが隣に立つ。
「うん」
その少し後ろにはルリウスもいた。
「殿下」
「なんだ?」
「ガルディシアでカヴィーレスターン軍を見た時にも感じましたが……今度はこの王都そのものが動き始めていますね」
「ああ」
レノは頷いた。
「来年の春に戦争が始まる。でも、俺たちに残された時間は、もう『来年』という言葉で考えられるほど長くない」
王都の街並みは、まだ夏の日常を保っている。
人々が行き交い、商人が店を開き、馬車が街道を走っている。
しかし、その裏側ではすでに無数の命令が走り始めていた。
傭兵団5000人の募集。
領地貴族への民兵招集準備。
王都での段階的徴兵。
食料の追加購入。
武器と防具の増産。
軍馬と輸送馬車の確保。
軍用倉庫と兵站拠点の整備。
医療物資の確保。
伝令網の整備。
各領地の動員可能兵力の調査。
戦費の試算。
そして国内各地の要塞と防衛戦力の点検。
そのすべてが、これから同時に進められていく。
アンティクイランド王国は、この夏を境に、本格的な戦争準備へ入った。
そして、その中心に立つことになる王太子レノウィウスは、まだ15歳だった。
来年の春には16歳。
その時、彼は3万3000人のカヴィーレスターン軍を含む大規模な遠征軍を率いて、シルウァニア王国との戦場へ向かうことになる。
そのための準備は――もう始まっていた。




