第19話 自壊
俺が貴族たちへの挨拶を終え、母上の近くへ戻ろうとした――そのときだった。
大広間の一角が、妙に騒がしい。
「だから、僕が次の公爵になるんだ!」
「ち、違う……! 僕だって……!」
子供の声だった。
俺が振り向く。
そこには二人の少年がいた。
顔立ちは驚くほどよく似ている。
双子なのだろう。
一人は腕を組み、周囲を睨みつけている。
もう一人は、困ったように俯いていた。
「僕は父上の息子だ!」
傲慢そうな少年が声を張り上げる。
「それなら僕だって……」
「お前は何だ!」
「……っ」
「いつも父上の後ろに隠れているじゃないか!」
「そ、それは……」
「そんな奴に公爵が務まるわけない!」
周囲の貴族たちがざわめき始める。
俺は思わず足を止めた。
……公爵?
ということは。
「カシウス公爵家の御子息たちですな」
隣にいたゼバズが小声で教えてくれる。
「なるほど……」
俺が二人を見ている間にも、口論は続いていた。
「僕は弱くなんかない!」
「だったら証明してみろよ!」
「やめなさい!」
近くにいた侍女が慌てて止めようとする。
だが――。
「御三男殿」
一人の貴族が、傲慢そうな少年へ歩み寄った。
「……何だ?」
「先ほどのお言葉、実にご立派でございます」
「……?」
少年が首を傾げる。
「公爵家を継ぐ者には、強い意志が必要です」
貴族は恭しく頭を下げた。
「私は、御三男殿こそ次代の公爵に相応しいと考えております」
「……!」
少年の顔が輝いた。
「本当か?」
「もちろんでございます」
その瞬間だった。
「失礼ながら、私は反対です」
別の貴族が口を挟んだ。
「公爵たる者に必要なのは、強さだけではありません」
その貴族は、気弱な少年へ視線を向ける。
「民を思いやる心。そして、他者の意見に耳を傾ける度量。それを備えているのは、御次男殿ではないでしょうか」
「僕が……?」
少年が驚いたように顔を上げる。
「はい」
そこへ、さらに別の声が加わった。
「私も御次男殿を支持いたします」
「我が家もです」
「では、我が家は御三男殿を」
「私も御三男殿を支持しましょう」
先ほどまで、ただの子供同士の喧嘩だった。
それが――。
少しずつ。
大人たちの問題へ変わっていく。
俺は黙って、その光景を見つめていた。
二人の少年を中心に、貴族たちが二つに分かれていく。
そして。
その様子を少し離れた場所から見ていた女性が、静かに口を開いた。
「……なんということでしょう」
カシウス公爵家第二夫人だった。
彼女は、冷たい目で双子を見つめている。
「王家の御前で、あのような騒ぎを起こすなんて」
「奥様……」
側に控えていた侍女が、小さく声を漏らす。
「この二人に、公爵家の未来を託すことが本当に正しいのでしょうか」
第二夫人の視線が、双子から離れる。
そして――。
少し離れた場所にいる、一人の少年へ向けられた。
「……あの子なら」
その少年は、まだ何も知らない。
ただ、大人たちの騒ぎを不思議そうに眺めていた。
第二夫人の長男。
七歳。
双子より一つ年上だった。
「少なくとも、あの二人よりは落ち着いております」
その言葉に、近くにいた貴族の一人が反応した。
「確かに……」
「年齢も上ですからな」
「公爵家を背負うのであれば、兄弟同士で争う者よりも……」
一人。
また一人。
今まで双子のどちらかを支持していた貴族たちの中から、視線を変える者が現れ始めた。
だが――。
全員が一斉に動いたわけではない。
次男を支持する者もいる。
三男を支持する者もいる。
そして、第二夫人の長男を支持する者もいる。
大広間の空気は、三つに分かれ始めていた。
「……」
俺は黙って見つめる。
三つ。
さっきまで二つだった勢力が、三つになった。
しかも、その三つ目は――。
「殿下」
ゼバズが小声で告げる。
「お気づきでしょうか」
「何が?」
「あちらをご覧ください」
ゼバズが視線だけを動かした。
そこにいたのは、数人の貴族。
先ほどまで三男を支持していた者たちだった。
だが、その視線はすでに第二夫人の長男へ向いている。
「……あの者たちは?」
「王弟派の貴族です」
「王弟派?」
「はい」
俺は再び三人の少年を見る。
次男。
三男。
そして、第二夫人の長男。
……なるほど。
王弟派の中で、すでに支持が割れ始めている。
「ですが、まだ何も決まっていません」
ゼバズが続ける。
「公爵家の家督を誰が継ぐのかは、最終的には陛下と公爵閣下の判断も関わります」
「そうなのか」
「はい」
俺は頷いた。
確かにそうだ。
ここで何人の貴族が支持したところで、正式に家督が決まったわけではない。
それなのに――。
貴族たちは、すでに動き始めている。
「……妙だな」
「はい?」
「さっきまで、あの二人のどちらかを支持していたはずの者たちがいる」
「……」
「なのに、第二夫人の息子が出てきた途端に、こちらへ動いた」
俺は目を細めた。
偶然なのか。
それとも――。
誰かが、そうなるよう仕向けたのか。
五歳の俺には、まだ判断できない。
ただ、一つだけ分かった。
貴族というのは、隙を見つければ動く。
そして。
その隙が大きければ大きいほど――。
人は群がる。
「殿下」
「何だ?」
「これ以上、ここに留まるのはお控えになった方がよろしいかと」
「分かった」
俺は母上の方へ向き直る。
だが、その前にもう一度だけ三人の少年を見た。
三男は、自分を支持する貴族たちを見て得意げな顔をしている。
次男は、突然自分の周囲に集まり始めた貴族たちを見て戸惑っている。
そして――。
第二夫人の長男は。
自分の周囲に集まり始めた貴族たちを見ながら、困惑したような表情を浮かべていた。
本人には、まだ何が起きているのか理解できていない。
それなのに。
大人たちは、もう動き始めている。
俺はその光景を見て、背筋に妙な寒気を覚えた。
子供同士の喧嘩。
本来なら、大人が止めて終わる程度のことだったはずだ。
なのに。
その喧嘩が――。
一つの家の未来を変えようとしている。
そして、この日。
誰もまだ知らなかった。
この小さな兄弟喧嘩が。
後に、アンティクイランド王国の王位継承争いにまで影響を及ぼすことを。
アエテリア歴一三〇五年・春
カシウス公爵家。
その後継者を巡り、双子の兄弟を中心とした対立が発生。
さらに第二夫人の長男を支持する勢力が形成されたことで、王弟派は分裂。
この日を境に――。
王弟カシウス公爵の政治的影響力は、大きく低下することとなった。




