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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第4章 二つの生を越えて
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第18話 弓・弩訓練 前編

 夏季休暇前の武術大会が近づくにつれて、王立士官学校の武術訓練は武器ごとにより専門的な内容へ分かれていった。剣術や槍術では近接戦闘を中心とした訓練が続く一方、弓術と弩術を担当する生徒たちは射撃場へ集められるようになる。俺自身も弓と弩の両方を扱うことになったが、この二つは剣や槍以上に「腕力だけではどうにもならない」武器だった。距離、風、地形、姿勢、呼吸、射るタイミング、そして次の一射までに必要な時間。たった一発の矢を放つだけでも、考えるべきことはかなり多い。しかも、剣なら失敗しても相手の動きを見て次の手を考えることができるが、弓や弩から放った矢や弩矢は、一度空中へ放ってしまえば戻ってこない。だからこそ、この訓練では技術だけでなく、集中力と判断力そのものが試されていた。


「まず弓術から始める」


 射撃場へ集められた俺たちの前で、教官がそう告げた。正面には距離の異なる標的が並び、さらに左右には旗が立てられている。旗の動きによって風向きや風の強さが分かるようになっているらしい。今日は単純な的当てではなく、一定の条件の中でどこまで安定して射撃できるかを見る訓練だという。「弓兵に必要なのは、力自慢ではない。正確性、集中力、射撃速度、そして状況判断だ。戦場では止まった標的だけを撃つわけではない。敵も動く。味方も動く。風も変わる。自分の身体も疲れる。その中で同じ精度を保てるかどうかが重要になる」


 最初は基礎姿勢の確認から始まった。足の位置を決め、弓を持つ腕を安定させ、弦を引く。俺も言われた通りに動く。だが、何度も繰り返していると、微妙な違いが結果に出る。ほんの少し肩に力が入るだけで狙いがずれる。呼吸のタイミングを外せば、矢先が揺れる。弦を引き絞った状態で力みすぎれば、放った瞬間の軌道が不安定になる。俺は自分の姿勢を確認しながら、一射ごとに何が違ったのかを頭の中で整理していった。


「始め!」


 最初の標的へ向けて矢を放つ。命中。二本目は少し外側へ逸れた。俺はその結果を見て、すぐに原因を考える。風が変わったことを意識しすぎて、射る直前に腕を余計に動かした。それだけだ。次は修正する。三本目は中央近くへ入った。


 特に感情はなかった。外れたなら理由を考えればいい。命中したなら、なぜ命中したのかを確認すればいい。武術では、勝敗や結果に一喜一憂するより、再現できる動きを増やすことの方が重要だと俺は考えている。だから俺にとって弓術は、意外と性に合っていた。無駄な動きを減らし、余計なことを考えず、必要な情報だけを拾って結果を出す。その繰り返しだからだ。


 しかし、同じ訓練をしていても、周囲の反応はそれぞれ違った。エリシアは一本目を外した瞬間、あからさまに悔しそうな顔をした。自分では納得できなかったのだろう。だが、そこで感情に引きずられるのではなく、すぐに姿勢を修正して二本目を射る。今度は中央へ入った。「……やっぱり肩ですね」と小さく呟き、自分の腕を確認している。その表情には悔しさが残っていたが、それ以上に「次は外したくない」という意志が見えていた。フェルディナン家が子爵家へ昇格し、父親が第四軍団軍団長となったことで、エリシアには以前より強い責任感が生まれている。弱くあってはいけない、期待される立場にいる以上、それに相応しい力を身につけなければならない。そんな思いが、彼女の射撃へも表れていた。


「エリシア、力を抜け」


 俺がそう声を掛けると、エリシアが振り返る。


「分かっているつもりなんですが……緊張すると、どうしても力が入ってしまいます」


「なら、当てることを考えすぎるな。動作を同じにすることだけを考えればいい」


「……同じ動作を」


 エリシアはその言葉を繰り返し、もう一度弓を構えた。次の一射は中央へ入る。彼女は小さく息を吐き、それから嬉しそうに笑った。「できました」と呟く。その表情を見て、俺はただ頷いた。成功したのなら、それでいい。


 少し離れた場所では、ティアが弓を構えていた。彼女は槍を得意としているため、弓に関してはそこまで高い適性があるわけではない。それでも、俺やエリシアの結果を見ているうちに、本人の中に妙な対抗心が生まれたらしい。一本目を外した時には、見るからに不満そうな顔をしていた。


「……また外しました」


「風だな」


「分かっています」


「なら、次は修正すればいい」


「それも分かっています」


 そう言いながら、ティアは少し頬を膨らませる。それでも弓を持ち直した時には、表情が変わっていた。負けず嫌いなのだ。俺やエリシアが当てているのに自分だけ外していることが気に入らないのだろう。次の一射は標的の中央近くへ入った。


「……当たりました」


「そうだな」


「もう少し褒めてください」


「十分だろ」


「冷たいです」


 ティアが不満そうに言う。だが、その声にはどこか楽しそうな響きも混じっていた。彼女にとっても、武術訓練は単なる義務ではなくなりつつあるのだろう。


              ◆


 午後になると、今度は弩術訓練へ移った。射撃場には弓とは別の装備が並んでいる。弩は弓ほど長い訓練を必要としない一方、構え方や装填動作が異なるため、初めて扱う者にとってはかなり戸惑う武器だった。教官は一本の弩を持ち上げ、構造を説明した後、「弩は一発の威力や命中精度だけを見るな。重要なのは、撃った後にどれだけ早く次の射撃へ移れるかだ」と強調した。


 弩を構え、標的を狙う。弓と違って弦を引いた状態を安定させやすい。そのため照準自体は楽だが、その分、装填に時間がかかる。戦場では一発目を正確に撃ったとしても、敵がその間に距離を詰めてくれば二発目を撃てないまま近接戦へ持ち込まれる可能性がある。だから弩兵には、射撃の正確性だけでなく、装填速度と周囲を見る余裕も必要になる。


「装填、開始!」


 全員が一斉に動く。弩へ次の弩矢を取り付け、構え直し、狙いをつける。速い者はすぐに次の射撃へ移るが、慣れていない者は手順に手間取る。


「急ぐな!」


 教官の声が飛ぶ。


「速ければいいわけじゃない! 装填を失敗すれば次の射撃はできない。正確な手順を身体へ叩き込め!」


 その言葉に、焦っていた生徒たちの動きが少しずつ落ち着く。


 そして。


「撃て!」


 一斉に弩が放たれる。


 標的へ弩矢が突き刺さる。


 俺は自分の結果を確認した後、周囲へ目を向けた。その中で、一人の平民出身の男子生徒が特に安定した動きを見せていた。弓ではそれほど目立っていなかった生徒だが、弩を持った途端に動きが変わった。装填が速い。照準も安定している。余計な動きがない。


「お前、弩を使った経験はあるのか?」


 教官が尋ねる。


「ありません。今日が初めてです」


「なら適性があるな」


 教官は簡潔に言った。


 その生徒は一瞬きょとんとした後、顔を輝かせた。


「本当に?」


「嘘をついてどうする。続けて訓練しろ」


「はい!」


 明らかに嬉しそうだった。その表情を見て、俺は少しだけ興味を持った。才能とは、こういうものなのだろう。本人が知らなかった能力が、たった一つの武器を握ったことで突然姿を現す。


 弓術と弩術。


 同じ遠距離武器でも、求められる能力が違う。


 弓では身体全体の安定、集中力、連射性が重要になる。


 弩では装填動作、照準の安定、射撃後の再準備速度が重要になる。


 だからこそ、一人の兵士がどちらに向いているのかを見極める必要がある。


              ◆


 訓練が進むと、単純な標的射撃は終わり、動く標的への射撃訓練が始まった。標的は一定速度では動かない。速度が変わり、途中で止まり、再び動く。さらに、一部の標的は味方を示す印が付けられており、攻撃してはいけないことになっている。


「戦場では、撃てるから撃つのではない。撃っていい相手かどうかを判断しろ」


 教官の言葉が響く。


 俺は標的を追った。


 右へ動く。


 速度が落ちる。


 止まる。


 再び動く。


 風もある。


 距離も変わる。


 だが、焦る必要はない。


 どこへ動くかを予測し、撃つ。


 弩矢が飛ぶ。


 命中。


 次の標的。


 今度は味方表示。


 撃たない。


「よし!」


 教官の声が飛ぶ。


 弓と弩は、単純な命中精度だけではない。戦場において何を撃ち、何を撃たないのか、その判断まで含めて武術なのだと分かる。


              ◆


 夕方になると、最後の訓練として弓と弩を使った簡易的な実戦形式が行われた。ただし、歩兵基礎訓練とは違って、ここではあくまで射手個人の能力を見る。射撃位置を変更しながら敵役の標的を狙い、遮蔽物を利用し、移動しながら撃つ。弓兵も弩兵も、撃つ場所が変われば結果も大きく変わる。


 エリシアは最初、焦りが見えていた。標的が動くたびに早く撃とうとする。しかし数回失敗すると、彼女は一度深く息を吸った。そして、それからは標的の動きを待つようになった。結果、命中率が一気に上がる。


「……待つことも必要なんですね」


「そうだ」


 教官が頷く。


「敵を早く倒したい気持ちが先に出れば、狙いが雑になる。弓兵は焦った方が負ける」


 エリシアは納得したように頷いた。


 ティアはというと、弓ではまだ苦戦しているものの、弩になると少し動きが良くなる。槍で培った距離感覚を利用し、標的との距離を見ながら落ち着いて照準を定めている。


「ティア、弩の方が向いているんじゃないか?」


 俺が言うと、ティアが少しだけ不満そうな顔をした。


「槍が一番です」


「それは知っている」


「なら、弩は二番です」


「勝手に順位を決めるな」


 ティアが笑う。


 こういうやり取りができる程度には、学校での生活にも慣れてきたのだろう。


 一方、俺自身は最後まで淡々と訓練を続けた。一本外したなら、その原因を確認する。射撃が遅れたなら、その動作を修正する。風を読み違えたなら、次は観察の時間を増やす。感情に振り回される必要はない。俺にとって重要なのは、武術大会までにどれだけ安定した技術へ変えられるか、それだけだった。


 夕暮れになり、最後の射撃が終わる。


「本日の弓・弩訓練は終了!」


 教官の声とともに、生徒たちが一斉に弓や弩を下ろした。


 疲れた顔をしながらも、エリシアは最後の結果に満足そうだった。ティアはまだ弓の不調が気に入らないらしく、帰る途中も自分の射撃について考えている。弩で結果を出した平民の生徒は、嬉しそうに仲間へ自分の記録を話している。ホリウスたちは少し離れたところで、今日の射撃について互いに意見を交わしていた。


 俺は彼らを眺めながら、静かに訓練場を後にした。


 弓と弩。


 遠くから敵へ攻撃するための武器だが、その本質は単なる遠距離攻撃ではない。距離を測り、風を読み、敵の動きを予測し、味方を見て、撃つべき瞬間を選ぶ。


 そして一度放った矢は戻らない。


 だからこそ。


 射手には、冷静さが必要になる。


 夏季休暇前の武術大会まで、まだ時間は残っている。


 俺は今日の結果を頭の中で整理した。


 改善点はいくつかある。


 ならば。


 明日の訓練で直せばいい。


 それだけだった。

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