第17話 士官学校での武術訓練
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武術訓練と歩兵基礎訓練は明確に分けられている。歩兵基礎訓練が盾と片手剣、投げ槍などを用いて兵士たちを集団として戦わせるための教育なのに対し、武術訓練ではあくまで一人の戦士として、自分が扱う武器の技量を高める。剣なら剣、槍なら槍、弓なら弓、弩なら弩。それぞれの武器をどこまで正確に扱えるのかを突き詰めるのが、この授業の目的だった。
朝の訓練場へ集合すると、武術担当の教官が一年生たちを見渡した。「夏季休暇前には武術大会が行われる。だが、勘違いするな。大会で勝つことだけを目的にした訓練ではない。諸君が自分の得意とする武器を知り、その技術を伸ばすことも重要だ。剣を極める者、槍に秀でる者、弓を得意とする者、弩に適性を持つ者、それぞれがいる。今日はその個人技を徹底して鍛える」
俺は静かに木剣を受け取った。王立貴族学院でも剣術の授業は受けてきたし、幼い頃から剣を振っている。実戦も経験している以上、同年代の相手に大きく遅れを取るとは思っていない。だが、士官学校へ来てから分かったこともある。騎士家の子弟には、俺より長い年月を剣に費やしてきた者がいる。平民の中にも、狩猟や護身術などで実戦的な動きを身につけている者がいる。そして三年生ともなれば、単純な技術だけではなく、相手の動きを読む経験そのものが違ってくる。だから俺は、今日も自分の強さを確認するつもりはなかった。必要なのは、自分が今どこにいるのかを知ることだ。
「では、二人一組。基本打ち込みから始める」
正面に立ったのは騎士家の令息だった。互いに礼をし、木剣を構える。斬撃、受け、返し、足運び、間合いの調整。最初は単純な反復だったが、数度繰り返すうちに、相手の癖が見えてきた。攻撃の後、右肩が僅かに開く。本人は無意識なのだろう。その動きが出るたび、次の攻撃へ移るまでにほんの僅かな隙ができる。
「王太子殿下、そこまで!」
教官の声が飛んだ。
「今の返しはいい。相手の癖を見つけるのが早いな。ただし、実戦では一人だけを見ていればいいわけではない。相手を読むことと周囲を確認することを同時に行えるようにしろ」
「承知しました」
俺は頷いた。
相手の令息は木剣を下ろしながら、悔しそうに自分の肩を見ていた。「自分では気づかなかった……」と小さく呟き、しばらく考えた後、教官へ向かって「もう一度お願いします」と頭を下げる。教官は少しだけ笑い、再戦を許可した。
俺はその様子を見ていた。
負けたこと自体よりも、負けた原因を知ろうとしている。
それなら伸びる。
人間は敗北した瞬間に強くなるわけではない。敗北した理由を理解し、次の行動を変えた時に初めて強くなる。そう考えると、彼が今見せている悔しさは悪くないものだった。
◆
剣術の後は、槍術だった。木剣を返却し、長い訓練槍を受け取る。剣とは違い、槍は間合いそのものを武器にする。相手を近づけない一方で、自分の攻撃が届く距離にいなければ意味がない。長い武器だからこそ、一度懐へ入られれば扱いにくくなる。
「槍術は距離を支配する技術だ。相手が踏み込む前にこちらが届く距離を作り、その距離を維持しろ」
基本の突き、払い、引き、足運びを繰り返した後、一年生の相手として三年生が一人呼ばれた。彼は明らかに槍に慣れていた。俺が一歩動けば穂先が動き、踏み込もうとすれば先に突きが飛んでくる。距離の取り方が巧みで、正面からでは簡単に近づけない。
「……面倒だな」
俺が呟くと、向こうの三年生が僅かに笑った。
「一年生にしては冷静だな。普通は焦って突っ込んでくる」
俺は返事をしなかった。
焦る必要がない。
相手が槍を得意としているなら、槍の間合いで戦わなければいい。
俺は一歩だけ前へ出る。
相手の穂先が動いた。
予想通り。
そこでさらに踏み込む。槍が振り下ろされる前に柄へ手を添え、軌道を外側へ流し、そのまま懐へ入る。
「そこまで!」
教官が止めた。
「今の判断はいい。ただし、実戦ならそこから先を考えろ。槍兵一人の懐へ入って勝ったところで、背後に二人いればお前が死ぬ。個人戦術を、戦場の状況と切り離して考えるな」
「はい」
三年生は槍を下ろしながら、少し悔しそうに笑った。「やられたな」とでも言いたそうだったが、その目には怒りよりも興味があった。自分の間合いを破られたことを恥じるのではなく、次にどうすれば同じことを防げるのかを考えている。俺はその表情を見ながら、この先もこの人物とは何度か手合わせしたいと思った。
槍術の面白さは、力よりも距離の選択にある。どこまで近づくか。どこで止まるか。いつ踏み込むか。相手がどの距離を嫌がるのか。それを見抜くことができれば、腕力の差を覆すこともできる。
◆
午後からは弓術が始まった。剣や槍とは違い、弓では相手が目の前にいない。標的までの距離、風向き、呼吸、引き絞る力、放つ瞬間の姿勢。その全てが一射の結果へ直結する。
「弓は焦った者から外れる」
教官が言う。
「腕力だけで引こうとするな。身体全体を使え。呼吸を整え、標的を見て、最後の一瞬まで余計な力を入れるな」
俺は弓を構えた。
一射目は命中。
二射目は僅かに外れた。
三射目は中央近くへ入った。
俺は外れた二射目の原因を考える。風を読みすぎた。射る直前に余計な修正を入れた。それだけだ。原因が分かっているなら、次で直せばいい。
だが、隣にいたエリシアは違った。彼女は一本目を外した瞬間、明らかに悔しそうな顔をした。唇を結び、標的を睨みつけている。フェルディナン子爵家の令嬢となり、父親が第四軍団軍団長という立場になったことで、彼女の中には「弱いところを見せたくない」という意識が以前より強くなっているのだろう。
二射目。
命中。
三射目。
中央。
エリシアはようやく小さく息を吐いた。
「……最初の一射を外したのが悔しいです」
「原因は?」
「肩に力が入りすぎました」
「なら問題ない」
俺が答える。
「原因が分かっているなら修正できる」
エリシアは少し驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「ありがとうございます。殿下にそう言っていただけると、次はもっと頑張ろうと思えます」
その言葉には、俺からの評価を意識していることがはっきり表れていた。俺は特に気に留めず、次の標的へ視線を戻したが、エリシアはその後の射撃でさらに記録を伸ばした。
少し離れた場所ではティアも弓術訓練を見ていた。彼女の得意武器は槍だが、王立士官学校では一つの武器だけ学んで終わりではない。自分が苦手とする分野を見る時、ティアはいつも少し悔しそうな表情をする。それは俺に負けたくないという感情もあるのだろうが、自分が王女だからこそ、何事も中途半端にしたくないという意地の方が強いのだろう。
「殿下、弓も上手いですね」
「平均的だ」
「その平均的が嫌なんですけど」
ティアが少しだけ頬を膨らませる。
「なら、練習すればいい」
「……そうします」
ティアは素直に頷いた。
その顔には悔しさが残っていたが、同時に闘志も見えていた。
◆
続いて弩術。弓よりも装填に時間がかかるが、その分照準を安定させやすい。教官は装填、構え、照準、射撃、再装填までを繰り返させ、どれだけ速く、正確に次の一射へ移れるかを測った。
「弩は命中率だけを見るな。二発目をいつ撃てるかまでが技術だ」
一人の平民出身者が、弩を構えた途端に高い適性を見せた。弓術ではそれほど目立たなかったのに、弩では標的の中心へ次々と命中させていく。
「俺、弩の方が向いているのか……?」
本人が呟く。
「そうかもしれないな」
教官が答えた。
「なら、伸ばせ」
学生の顔がぱっと明るくなる。
俺はその様子を見て、少しだけ口元を緩めた。
適性とは便利なものだ。
自分が努力しても結果が出ない分野がある一方で、少し触れただけで自然にできるものもある。それを知ることができるだけでも、士官学校で武術を学ぶ意味はある。
◆
夏季休暇前の武術大会が近づくと、訓練は一層厳しくなっていった。だが、歩兵基礎訓練とは違い、ここで行われるのはあくまで個人としての武術能力を高めるためのものだった。二人一組での模擬戦、一対一の実戦形式、武器ごとの技術試験、上級生との手合わせ。相手が何を持ち、どのように動くのかを見て、自分一人の力でどう対応するのかを考える。
当然、勝てない時もある。
ティアは槍術で三年生の女子生徒に何度も負け、そのたびに悔しそうに木槍を握り直していた。それでも、「もう一度お願いします」と繰り返す。相手へ食らいついていくその姿勢は、王女という身分とは関係なく、一人の武術家としての意地そのものだった。
エリシアは弓術の自主訓練を続けていた。一本外れれば原因を書き出し、次の射撃で修正する。結果が悪ければ落ち込むこともあるが、そこで終わることはない。父親が第四軍団軍団長になったこと、フェルディナン家が男爵から子爵へ昇格したこと、そして自分自身が次期王太子妃の側近として見られるようになったことが、彼女へ責任感を与えているのだろう。弱い姿を見せたくないという気持ちが、彼女を訓練場へ向かわせていた。
コリウスは剣術に打ち込んでいた。才能だけで押し切るタイプではない。教官から指摘された内容を小さな紙へ書き留め、訓練が終わった後に何度も確認している。上級生との模擬戦で負ければ悔しそうな顔をするが、その感情はすぐに「次はどうすれば勝てるか」という思考へ変わっていく。子爵家長男として家を背負うことになる以上、軍事においても一定以上の結果を出したいという責任感があるのだろう。
そして、ホリウス、ポリウス、ボリウスの三人は少し違っていた。三百人規模のリウス傭兵団で育った彼らにとって、武術は学校で初めて学ぶものではない。幼い頃から身近に武器があり、戦場へ向かう大人たちの姿を見て育っている。そのため、三人とも武器を扱うことに妙な落ち着きがあった。
ホリウスは剣術を扱う時、相手の攻撃よりも次の動きを見る。ポリウスは槍を持つと距離を細かく調整し、無理に力を使わない。ボリウスは弓を引く時、風や距離を確認する時間が他の学生より短い。三人の戦い方には、それぞれの個性が出ている。
「三人とも、さすがに傭兵団で育っただけあるな」
俺が言うと、ホリウスが苦笑した。
「父には、弱い奴から死ぬと何度も言われましたから」
「随分と直接的だな」
「傭兵ですからね」
ホリウスは軽く肩をすくめる。
ポリウスはその横で槍を回しながら、「でも学校は楽しいです」と笑った。
ボリウスも、「戦場じゃなくて訓練だから、怒鳴られないだけ楽ですよ」と冗談を言う。
三人とも笑っている。
だが、俺には分かっていた。
彼らは戦場を知らないわけではない。
むしろ、俺たち貴族より近い場所で見て育ってきた。
◆
ある日の午後、俺は三年生との模擬戦で敗れた。木剣を受け流された直後、肩へ一撃を受け、教官が終了を告げる。
「一年生にしては悪くない」
三年生が木剣を下ろす。
「ただ、足が素直すぎる。次はそこを直せ」
「分かりました」
俺は木剣を返そうとした。
「……もう一度お願いします」
三年生が少し驚いた顔をする。
「すぐに?」
「問題がありますか?」
「いや。別にないが……」
俺は先ほどの戦闘を頭の中で整理する。
最初の攻撃。
相手の誘導。
自分の足の位置。
最後に踏み込んだ瞬間。
原因は明確だ。
足の踏み込みが予測しやすかった。
ならば変える。
それだけだ。
「始め!」
再び木剣がぶつかった。
今度は相手の肩を見る。
足ではない。
肩が動いた。
一拍早くこちらが動く。
相手の攻撃を誘い、空いた側へ回る。
だが、三年生もすぐに対応した。
木剣が交差する。
一度。
二度。
三度。
今度はすぐに勝負が決まらない。
俺は相手の動きを見ながら、次の手を考える。
その様子を少し離れた場所からティアが見ていた。
「……また変えましたね」
エリシアが言う。
「殿下は負けると、次は必ず違うことを試しますから」
「それが殿下らしいんでしょうね」
ティアは小さく笑った。
その表情には、誇らしさと、それ以上に「自分も負けていられない」という競争心が混ざっている。
エリシアもまた、二人の戦いを見ながら弓を握っていた。
「私も、もっと頑張らないと……」
そんな呟きが漏れる。
コリウスは黙って二人の動きを見ていた。
「……やっぱり、殿下はすごいな」
そこには尊敬だけでなく、少しの悔しさもあった。
同じ王立貴族学院を卒業し、同じ一年生として入学したのだから、自分も近づきたい。そう思っているのだろう。
一方、ホリウスたちは少し離れたところから冷静に見ていた。
「次はあの三年生、右から仕掛けると思う」
ポリウスが呟く。
「俺もそう思う」
ボリウスも頷く。
ホリウスだけは黙っている。
やがて。
「いや、殿下がそれを読んでる」
その一言の直後、俺は相手の攻撃を誘っていた。
三年生が踏み込む。
俺は半歩引く。
そこへ木剣を滑り込ませる。
「そこまで!」
教官の声が響いた。
今度は引き分けだった。
俺は木剣を下ろした。
感情は特にない。
勝ちでも負けでもない。
必要な情報は得た。
相手の戦い方も。
自分の足の癖も。
次の課題も。
それだけだ。
だが、周囲の反応は違った。
ティアは嬉しそうに微笑み、エリシアはほっとしたように息を吐き、コリウスは悔しそうに拳を握り、ホリウスたちは面白そうに顔を見合わせている。
俺はそんな仲間たちを一度だけ見た。
同じ訓練を受けていても。
感じ方は全員違う。
それでいいのだろう。
◆
それからも、夏季休暇前まで武術訓練は続いた。剣術では間合いと読み合い、槍術では距離の支配、弓術では呼吸と精度、弩術では装填と射撃速度。それぞれの武器について、自分がどこまでできるのかを確かめ、何が不足しているのかを修正していく。
訓練が終わる頃には、全員が汗だくになっていた。疲労の色を隠せない者もいる。それでも、誰も最初の頃のように「ただ疲れた」とは言わなくなっていた。ティアは自分の槍術の弱点を何度も確認し、エリシアは最後の射撃まで集中を切らさず、コリウスは今日の訓練内容を紙へ記録している。ホリウス、ポリウス、ボリウスは三人で互いの動きを確認しながら、何が悪かったのかを話し合っていた。
俺は木剣を返却し、静かに訓練場を出る。
今日一日で、何が分かったか。
剣術では、足運びにまだ改善の余地がある。
槍術では、相手の誘導にもう少し余裕を持たせられる。
弓術では、風を意識しすぎた時に余計な修正が入る。
弩術では、装填速度を上げられる。
それだけだ。
それを次の訓練で直す。
夏季武術大会は、その成果を確認するための場所になる。
俺にとって大会は、王太子として名声を得る場ではない。自分の武術がどこまで通用するのかを測り、自分に足りないものを確認する一つの試験に過ぎない。
ただ。
後ろから聞こえてくる声に足を止めた。
「殿下!」
振り返る。
ティアが笑いながら駆けてくる。その後ろにはエリシア、さらにコリウスたちもいる。
「次の訓練も頑張りましょう」
ティアが言う。
「そうだな」
俺は短く答えた。
「武術大会では負けませんから」
「勝手にすればいい」
「そこでそう言うところが殿下らしいんですよね」
ティアが少しだけ不満そうに笑う。
エリシアがその様子を見て笑い、コリウスも肩をすくめ、ホリウスたち三人も笑っている。
俺は彼らを見ながら歩き始めた。
王立士官学校で過ごす三年間は、まだ始まったばかりだ。
そして、夏季休暇前の武術大会も近づいている。
それまでに。
俺は自分の武術を、さらに完成へ近づける。
ただ、それだけだった。




