第13話 リウス傭兵団の三人組
基礎武術の授業を終えた翌週から、王立士官学校では春季の野外基礎訓練が始まった。これまで教室で王国軍制や軍法を学び、訓練場で剣術や槍術、弓術を習ってきたが、今回からはそれらを実際の軍事行動に近い形で組み合わせていくことになる。最初に行われるのは、行軍訓練、集団規律、そして救護・野営。どれも一見すると地味な訓練に思えるが、教官は初日の集合時から「これができない部隊は、どれだけ剣が上手くても戦場では役に立たない」と繰り返し強調していた。
訓練場へ集められた三百人の新入生を前に、担当教官が大きな声で説明する。「今日から諸君は身分に関係なく班へ分ける。王太子だから特別な班にすることもない。伯爵令息だから同じ身分の者だけでまとめることもしない。騎士家、商家、平民、法衣貴族、王立貴族学院卒業生、全て混ぜる」その言葉に、学生たちの間から小さなどよめきが起こった。王立士官学校ではクラスそのものも身分に関係なくシャッフルされるが、今回の野外訓練ではさらに踏み込んで、日頃あまり接点のない者同士を意図的に一つの班へ組み込むらしい。
教官はその理由を隠さなかった。「戦場では、諸君が好きな人間だけを選んで部隊を作ることなどできない。平民兵士と騎士が同じ隊列に並び、商家出身の兵站担当と貴族出身の指揮官が同じ部隊を動かし、魔力を持つ者と持たない者が互いの能力を補いながら戦う。ならば、学校の段階から身分を理由に壁を作る必要はない。むしろ、その壁を壊すことの方が軍事教育として重要だ」
そして、俺も例外なく班へ組み込まれた。王太子である俺の周囲に自然と貴族が集まることを避けるよう、意図的に様々な身分の生徒が配置されているらしい。俺の班には王立貴族学院を卒業した貴族の令息だけでなく、騎士家出身者、商家の子弟、そして平民出身者が混ざっていた。全員が最初は少し緊張していたが、これから三年間を過ごすことを考えれば、いつまでも気まずいままではいられない。
その中で、ひときわ目立ったのが三人の男子生徒だった。三人とも見慣れない顔だったが、最初に自己紹介をした少年が妙に印象へ残った。「ホリウス・リウスです。よろしくお願いします」。続いて、隣の少年が「ポリウス・リウスです」、さらに三人目が「ボリウス・リウスです」と名乗った。
俺は思わず三人の顔を見比べた。
ホリウス。
ポリウス。
ボリウス。
……似すぎだろ。
「待て。お前たち、三人とも名前が似すぎてないか?」
思わず口にすると、三人は顔を見合わせた。そして最初にホリウスが苦笑する。
「よく言われます」
「家族なのか?」
「家族というより、同じ傭兵団で育った仲間です」
ポリウスが答え、ボリウスが続ける。「親も同じ傭兵団の人間です」。そこで俺は初めて、三人が単なる平民出身者ではないことを知った。
「俺たちは、リウス傭兵団の関係者です」
ホリウスがそう言った。
「リウス傭兵団?」
「はい。三百人規模の傭兵団です。俺の父が団長で、ポリウスの父とボリウスの父は団長付きの幹部をしています」
三百人規模。
それなら、単なる小さな傭兵団ではない。王国の軍事関係者なら名前を知っている者もいるだろう。
「帝国出身です」
ホリウスが付け加えた。
その瞬間、俺は一瞬だけ目を細めた。
帝国。
以前、リアから聞かされた警告が頭をよぎる。
ただし、この三人が帝国の諜報員だと決まったわけではない。士官学校には帝国出身者が何人かいると聞いているし、傭兵という職業柄、帝国出身者が王国内へ流れ込んでいても不思議ではない。
「リウス傭兵団は、帝国で活動していたのか?」
「そうです。第四次カヴィーレスターン戦争の時には帝国側について戦いました」
「……なるほど」
ホリウスの父が率いる三百人規模の傭兵団が、帝国から金を受け取り、カヴィーレスターンと戦った。それなら彼らが帝国出身であることにも納得できるし、三人が幼い頃から傭兵団の中で育ったことも理解できる。
「ずいぶんと面白い経歴だな」
俺がそう言うと、ホリウスは少しだけ肩をすくめた。
「傭兵ですから。金を払う相手がいれば戦います」
「なるほど」
俺は三人の名前へ改めて目を向ける。
「しかし、ホリウス、ポリウス、ボリウス……」
「やっぱりそこが気になりますか?」
ポリウスが笑う。
「かなり気になる」
今度は俺だけではなく、班の他の生徒たちからも笑いが起こった。最初は緊張していた空気が、少しだけ軽くなる。
「間違えないように気をつけます」
俺がそう言うと、ボリウスが笑った。
「俺たちも殿下を間違えないようにします」
「俺は間違えようがないだろ」
「確かに」
三人が笑う。
こうして、思いがけず班の最初の空気は少しだけ和らいだ。
◆
だが、笑っていられたのも訓練開始までだった。
「これより第一日目、行軍訓練を開始する!」
教官の号令が響く。
俺たちは指定された装備を背負い、王立士官学校の訓練区域を出て、郊外へ続く道を歩き始めた。今回の行軍は、単に決められた距離を歩けば終わるものではない。班ごとに一定量の物資を持ち、指定された時刻までに複数の地点を通過し、途中では簡単な地形確認や偵察、休憩地点の選定なども行わなければならない。
「歩調を合わせろ!」
班の後方から声が飛ぶ。
最初は全員が自分の速度で歩こうとするため、隊列が少しずつ乱れる。しかし、それを続けていれば先頭と最後尾の距離が開き、最終的には部隊が分断される。
「速度を一人に合わせるんじゃない。全員が歩ける速度を探せ!」
俺はそう声を掛けた。
王太子としてではなく、班の一員として。
最初は誰もが少し戸惑っていたが、やがて歩調が揃っていく。平民の少年が少し遅れれば、騎士家の令息が速度を落とし、逆に体力のある者が先へ行きそうになれば後方から声を掛ける。ホリウスたち三人も意外なほど規律を守っていた。
「傭兵団では、こういう行軍もやるのか?」
休憩の合間に俺が尋ねると、ホリウスが答えた。
「三百人をまとめて移動させるなら、似たようなことはします。ただ、傭兵団ではもっと自由ですよ。依頼によって必要な速度も人数も変わりますから」
「それでも隊列は乱れないのか?」
「乱れたら仕事になりませんから」
簡潔な答えだった。
その言葉に、俺は少しだけホリウスを見る目を変えた。
この三人。
ただ傭兵団の息子として育っただけではない。
実際に大規模な集団の中で育っている。
◆
午後になると、行軍に加えて集団規律の訓練が始まった。
「ここから先、班長は学生同士で決めろ」
教官が言った。
班の中から一人を選ぶ必要がある。だが、誰が上なのかは身分では決まらない。王太子である俺を班長に選ぶこともできる。しかし、それではこの訓練の意味が薄くなる。
俺は周囲を見渡した。
「ホリウス。お前がやってみろ」
「俺ですか?」
「ああ。傭兵団で集団行動の経験があるなら、一度見てみたい」
ホリウスは少し驚いたようだったが、すぐに頷いた。
「分かりました」
こうしてホリウスが班長になった。
その後の訓練では、点呼、整列、報告、伝達、物資確認、隊列変更などを次々に行う。たった一人が報告を忘れただけでやり直し。伝達が途中で間違えば全員が最初から。誰かが勝手に行動すれば班全体の評価が下がる。
「これが集団規律だ」
教官は厳しく言った。
「戦場で一人が勝手なことをすれば、その一人だけが困るわけではない。隣の兵士が巻き込まれ、指揮官の判断が狂い、部隊全体の動きが崩れる。だから軍では、一人の自由より全体の統一を優先する」
俺はその言葉を聞きながら、実際に班の動きを見ていた。
最初は身分の違いを気にしていた生徒たちも、訓練が進むにつれて相手の能力を見るようになっている。
平民だから。
貴族だから。
商人だから。
騎士家だから。
そんなことより、誰が正確に報告できるのか、誰が周囲を見られるのか、誰が疲れている仲間へ気づけるのか。
軍では、そうした能力の方が重要なのだ。
◆
日が傾き始める頃、最後の訓練が始まった。
救護・野営。
野外訓練区域の一角には、簡易的な天幕と救護所が用意されている。
「戦場では、全員が無傷で戻ってくることなどあり得ない」
担当教官が説明する。
「だから兵士は、仲間が負傷した場合に最低限の救護を行えるようにする必要がある。さらに、夜を越える場合には安全な場所を選び、火を管理し、食事を準備し、警戒を維持する」
班ごとに作業が始まった。
負傷者役の学生を安全な場所へ運ぶ。
簡易的な止血。
負傷状態の確認。
その後は野営地の設営。
天幕を張り、薪を集め、火を起こし、見張りの順番を決める。
ここでも、身分など関係ない。
王太子だから火を起こさなくていいわけではない。
商会長令嬢だから薪を拾わなくていいわけでもない。
平民だから荷物だけ持っていればいいわけでもない。
全員がそれぞれの役割を担う。
「殿下、そこを持ってください」
「分かった」
俺は天幕の支柱を支える。
隣ではポリウスが縄を結び、ボリウスが薪を運んでいる。ホリウスは全体の作業を見ながら指示を出していた。
「……見事だな」
俺が言うと、ホリウスは笑う。
「三百人の傭兵団をまとめる父を見て育ちましたから」
「なるほど」
「ただ、俺が班長でいいんですか?」
「何が?」
「殿下がいるのに」
俺は少し考えた。
「今は学校の訓練だ。王太子だからといって、毎回俺が班長をやる必要はないだろう。それに、お前が実際に集団を動かす経験を持っているなら、その方が勉強になる」
ホリウスは少し驚いた顔をした後、笑った。
「変わった王太子殿下ですね」
「よく言われる」
「そうですか」
その隣で、ポリウスとボリウスが笑っていた。
◆
夜。
簡易的な野営地が完成すると、班ごとに食事の準備が始まった。
薄暗い森の中で焚き火が燃え、学生たちの声があちこちから聞こえる。昼間はあれほど疲れていたのに、夜になれば自然と会話が増えていく。
「ところで」
俺は焚き火を眺めながら、ふと思った。
「お前たち、本当に名前が似すぎてるな」
「まだ言いますか」
ポリウスが呆れたように笑う。
「いや、だって気になるだろ。ホリウス、ポリウス、ボリウス。三人並んでると、どこからどこまでが誰なのか一瞬分からなくなる」
「俺たちの父親たちも、子供の頃はよく間違えたらしいです」
ボリウスが言った。
「それは大変だな」
「だから俺たちは、呼ぶ時は名前の最初を強く言うようにしてます」
「ホリウス」
「ポリウス」
「ボリウス」
三人が順番に名乗った。
俺は思わず笑った。
そして。
この日初めて、三人とも同じように笑った。
帝国出身。
三百人規模のリウス傭兵団。
第四次カヴィーレスターン戦争では帝国側について戦った。
そんな経歴だけを聞けば、警戒すべき人間にも見える。
だが。
今のところ、俺に見えているのは、少し変わった名前を持つ三人の士官候補生だ。
「まあ、これから三年間も同じ学校なんだ。名前を間違えないように努力するよ」
俺がそう言うと、ホリウスが笑った。
「こちらも、殿下を間違えないように努力します」
「だから俺は間違えようがないだろ」
「確かに」
再び笑いが起こる。
その時。
教官の声が響いた。
「夜間警戒の準備!」
笑い声が止まる。
全員が立ち上がる。
さっきまで談笑していた学生たちが、すぐに持ち場へ戻っていく。
それを見ながら、俺は少しだけ考えた。
これが。
集団規律なのだろう。
私生活では笑っていても。
命令が出れば、すぐに軍人として動く。
仲間と親しくなることと。
規律を守ることは両立できる。
むしろ。
信頼できる仲間がいるからこそ。
戦場では命令に従えるのかもしれない。
俺は夜空を見上げた。
王立士官学校へ来て、まだそれほど時間は経っていない。
それでも。
少しずつ分かってきた気がする。
ここで学ぶのは、剣術や魔術だけではない。
誰とでも組み。
誰とでも協力し。
誰かが傷つけば助け。
命令があれば一つの集団として動く。
そして。
自分とは全く違う境遇で育った人間を、仲間として受け入れる。
そのための教育なのだ。
俺は焚き火の向こうで話しているホリウス、ポリウス、ボリウスの姿を見た。
名前は似すぎている。
経歴も少し特殊だ。
だが。
三年間を共に過ごすのなら。
いずれ、もっと詳しく知ることになるだろう。
そう思いながら、俺は夜間警戒の持ち場へ向かった。




