第11話 魔術基礎
王立士官学校で「軍事数学」と「基礎兵站学」を終えた数日後、今度の教室の黒板には、これまでとは少し雰囲気の違う科目名が記されていた。
魔術基礎。
俺は席につきながら、その文字を見つめた。
魔術については、幼い頃から訓練してきた。身体強化魔術も、武具強化魔術も使える。王族である俺には上級身体強化魔術と上級武具強化魔術も扱える。だから、いまさら基礎を学ぶことに少しだけ不思議な感覚もあったが、同時に、これまで俺が学んできたのはあくまで「使う側」としての知識であり、士官学校ではそれを軍事技術として体系的に学ぶのだろうと思うと、むしろ興味があった。
教官が入室する。
年齢は三十代後半ほどで、一般的な軍人というより研究者に近い雰囲気を持った男性だった。黒板の前に立つと、まず俺たちを一度見渡し、それから静かに口を開いた。
「本日の授業は魔術基礎。諸君の中には、すでに魔術を使える者もいるだろう。だが、最初に一つだけ明確にしておく」
教官は黒板へ「魔法」と書き、その隣に「魔術」と書いた。
「この二つを同じものだと思っている者がいれば、今日のうちに認識を改めてもらう」
教室の何人かが顔を上げる。
「魔法と魔術は、完全に別物だ」
俺は黙って黒板を見る。
「魔術とは、一般的な人間が扱うことのできる超常的な技術だ。基本的には、自分自身、あるいは自分が触れている武具へ作用させる。代表的なものが身体強化魔術と武具強化魔術である。一方、魔法は約三百年に一度という極めて低い確率で、王族または上級貴族から生まれる特異な能力であり、自分自身や自分が触れている武具以外の自然現象そのものへ干渉する」
俺は少しだけ姿勢を正した。
教官はまだ、俺が魔法使いであることを知らないわけではないだろう。しかし、授業では特別扱いせず、あくまで全員に共通する基礎として説明するようだ。
「魔術は鍛錬によって扱えるようになる。魔力を持つ者であれば、正しい教育を受けることで身体強化や武具強化を習得できる。だが、魔法は努力だけで身につくものではない。そもそも魔法を使える者そのものが極めて少ないからだ」
教官はそこで一度、黒板の「魔法」という文字を指先で叩いた。
「したがって、本校の魔術基礎では基本的に魔術を扱う。魔法については、存在と性質を知識として学ぶに留める」
俺は小さく頷いた。
それが正しい。
魔法は魔術の上位互換ではない。
そもそも、仕組みが違う。
教官は次に黒板へ二つの文字を書いた。
氷属性。炎属性。
「この世界の属性は、大きく二つに分かれる。氷属性と炎属性だ。アイティクイ人は氷雪の女神グラシエルを信仰するため氷属性を持ち、アイティクイ人以外の多くの民族は灼熱竜アルデーンスを信仰するため炎属性を持つ」
教室の中には、魔力持ちらしい学生が何人かいる。リアもその一人だろう。
「ただし、ここで誤解しないように。通常の魔術において、氷属性と炎属性の違いは基本的には魔力の色に表れる。氷属性の魔力は水色、炎属性の魔力はオレンジ色だ。氷属性だから氷を作れるわけではない。炎属性だから炎を作れるわけでもない」
教官は黒板に、
氷属性=水色
炎属性=オレンジ色
と書く。
「諸君が通常の魔術師として使うのは、身体強化魔術と武具強化魔術だ。属性によって、この基本構造そのものが大きく変わるわけではない」
そう説明してから、教官は一度黒板を消した。
「まず、身体強化魔術」
手を前へ伸ばす。
「これは術者自身の身体へ魔力を作用させ、筋力、速度、反応、耐久力などを高める魔術だ。ただし、重要なのは『強くする』という言葉だけで理解しないことだ。身体強化魔術は、自分の身体が持つ能力を魔力によって引き出す術であって、限界を無視してどこまでも強くなるわけではない。術者の肉体そのものが耐えられなければ、強化した身体を扱えない」
なるほど。
強化すればするほど強くなるなら、誰でも際限なく魔力を注ぎ込めばいい。
しかし、そうではない。
身体には身体の限界がある。
「次に武具強化魔術。これは自分が触れている武器や防具などへ魔力を作用させ、その性能を高める。剣なら強度や攻撃力、槍なら破壊力、防具なら耐久性といった具合に、武具へ魔力をまとわせることで本来以上の性能を引き出す」
教官は一人の生徒へ視線を向けた。
「武具強化魔術では、一つ注意点がある。自分が触れていない武具へは、通常の武具強化魔術を作用させられない。魔術は自分自身、あるいは自分が触れている武具へ作用させるものだからだ」
教室の数人が頷く。
「だから、戦場では武具を持った兵士全員が個別に強化魔術を使うことになる。もちろん、全員が同時に詠唱を始めればいいという話ではない。敵が待ってくれるわけではないからな」
その言葉で、教室に少しだけ笑いが起こった。
「だからこそ、魔術師を運用する指揮官には、術者を守りながら詠唱時間を確保する能力が求められる」
俺はそこで、授業が単なる魔術の使い方ではないことに気づいた。
士官学校で教えるのは。
魔術をどう使うかだけではない。
魔術を戦場でどう使わせるか。
そこまでが軍事教育なのだ。
◆
教官は次に、詠唱について説明を始めた。
「魔術の使用には、基本的に詠唱を必要とする。魔力を持っているからといって、思った瞬間に術を発動できるわけではない。決められた言葉によって術式を整え、魔力を制御し、初めて術が成立する」
「したがって、魔術師にとって詠唱は単なる宗教的儀式ではない。魔術を発動するための工程そのものだ」
教官が手を上げる。
「もちろん、威圧だけは例外だ」
黒板へ新しく、
威圧=詠唱不要
と書いた。
「威圧は魔力を放出することで相手を圧する魔術であり、通常の身体強化や武具強化とは異なり、詠唱を必要としない。したがって、戦闘中に即座に使用できる」
俺は少しだけ興味を持った。
威圧は、これまで実戦でも何度か見ている。
強い魔力を持つ者が敵を圧するだけで、相手の身体や精神へ負荷を与える。
「ただし、威圧は万能ではない。魔力差、精神力、戦闘経験などによって効き方が変わる。強い魔力を持っているからといって、必ず敵全員を無力化できるわけではない」
これも重要だ。
魔力を放てば勝てる。
そんな単純なものではない。
◆
「では、実際に身体強化魔術を使ってみよう」
教官の指示で、生徒たちは訓練場へ移動した。
教室の外に用意された広い魔術訓練区画には、術式確認用の円形の場所がいくつも用意されている。魔力を持つ生徒だけが指定された場所へ集められ、魔力を持たない生徒たちは少し離れた場所から見学することになった。
この区別は身分ではない。
魔力の有無によるものだ。
貴族だから必ず魔力があるわけではなく、平民だから必ず魔力がないわけでもない。平民へ落ちた貴族の家系には魔力を持つ者が残っている場合があり、平民落ちした家同士で婚姻を重ねてきた結果、平民身分でありながら魔力を受け継いでいる家も存在する。
だから魔術教育だけは、身分に関係なく魔力持ちを集める必要がある。
教官が説明する。
「これから詠唱を行う。魔術を使用する際には、自分の魔力を意識し、術式を乱さないこと。慌てて魔力を流し込めばいいわけではない」
「氷属性の者は氷雪の女神グラシエルへ祈る。炎属性の者は灼熱竜アルデーンスへ力を求める。詠唱内容はそれぞれ決められている」
まず氷属性の生徒が前へ出た。
一人の少女が深く息を吸う。
「アエテリアの大地に祝福をもたらす氷雪の女神よ」
足元から小さな魔法陣が浮かび上がった。
続いて、
「哀れにも神の御力に縋る我に神の祝福を与えたまえ。我が願うは『身体強化』の祝福。我が祈りを聞き届け、御身が祝福を与えたまえ」
詠唱が終わる。
魔法陣が淡く輝き、その光が消えると同時に、水色の魔力が少女の身体を薄く覆った。
「これが通常の身体強化魔術だ」
教官が説明する。
「魔力が身体を覆っているのが分かるだろう。これが属性による魔力色だ」
続いて炎属性の帝国出身らしき生徒が前へ出る。
「アエテリアの大地を支配する灼熱竜アルデーンスよ」
同じように足元へ魔法陣が浮かぶ。
「哀れにも其の御力に縋る我に竜の御力を与えたまえ。我が願うは『身体強化』の力。我が祈りを聞き届け、御身が御力を与えたまえ」
今度はオレンジ色の魔力が身体を覆った。
そこふとリアの言葉が蘇る
帝国出身のとても優秀な生徒か....
教官が頷く。
「見ての通り、術式として行っていることは同じだ。違うのは属性と、その魔力の色だ」
俺は静かに二人を見比べた。
この授業を受けていると、改めて自分の魔法がどれほど異質なのかが分かる。
水色。
オレンジ色。
それが一般的な魔力。
俺が魔法を使った時に現れる碧色。
ティアの紅色。
それらは、通常の魔術とは明確に異なる。
◆
次は武具強化魔術。
訓練用の剣が配られる。
生徒たちは剣へ触れ、先ほどと同じように詠唱する。足元から魔法陣が浮かび、詠唱が終わると、今度は剣そのものが魔力に覆われる。
水色。
オレンジ色。
それぞれの属性の魔力が、剣身や柄を包み込んでいく。
「武具強化魔術では、魔力が武具を覆っている状態を維持することが重要になる。しかし、強くしようとして魔力を過剰に流し込めばいいわけではない」
教官が訓練剣を一本手に取る。
「武具にはそれぞれ許容量がある。術者が扱える魔力の量、武具そのものの性能、魔力制御の精度。この三つによって、どこまで強化できるかが決まる」
これも。
力を込めればいいわけではない。
魔術は。
制御が重要なのだ。
◆
最後に教官は、一段階上の話を始めた。
「王族や上級貴族には、通常の強化魔術より上位の術が存在する」
黒板へ、
上級身体強化魔術
上級武具強化魔術
と書かれる。
「これらは通常の身体強化や武具強化よりも高い効果を得られる。ただし、当然ながら魔力消費も大きい。誰もが使える術ではない」
俺は自分の手を見る。
俺には、それが使える。
「ここで重要なのは、上級魔術だからといって、通常魔術とは別の理屈で動くわけではないということだ。基礎ができていない者が上級魔術へ進んでも、魔力制御に失敗するだけだ。だからこそ、本校ではまず通常の身体強化と武具強化を徹底して学ぶ」
納得できる話だった。
強い術を覚えることより。
弱い術を完璧に扱う方が重要なのだろう。
◆
授業の終わり、教官は最後に一つの術について説明した。
「そして、魔術にはもう一つ覚えておいてほしいものがある」
黒板へ、
集団詠唱魔術『武装』
と書いた。
教室にざわめきが広がる。
「これは十人以上が同時に一つの詠唱を行うことで成立する集団魔術だ。発動すれば、参加者それぞれにとって最上位の威圧、身体強化魔術、武具強化魔術を同時に発動できる」
それは。
かなり強力だ。
「つまり、一人で身体を強化し、武器を強化し、威圧を使用するのではなく、集団全体が一度に最大限の状態へ移行する」
教官は続ける。
「氷属性の場合、四方に小さな魔法陣が四つ、さらに中央に大きな魔法陣が一つ出現する。炎属性の場合も同様だ。集団全体を一つの大きな術式として扱う」
これは、実戦では相当に強いだろう。
十人以上が同時に詠唱する必要がある。
つまり。
戦闘前に発動しておく必要がある。
しかし一度成立すれば、全員が最上位の強化状態に入れる。
「この術は、個々の実力だけではなく、集団としての統一性が問われる。詠唱のタイミングがずれれば成立しない。魔力制御が乱れれば術式そのものが不安定になる」
つまり。
これも士官学校らしい魔術だ。
一人の英雄の力ではなく。
集団として戦うための魔術。
教官が黒板へ最後の一文を書いた。
「魔術は、個人の力であると同時に、軍隊の力でもある」
「諸君が将来、王国軍へ入った時、魔術を使える者が一人いるだけでは大きな意味を持たない。どう配置するか、どう守るか、どこで詠唱させるか、いつ武装を使うか。そして魔力を持たない兵士とどう連携するか。そこまで考えて初めて、魔術は軍事力になる」
授業終了の鐘が鳴った。
生徒たちが席を立つ。
俺も教室を出ながら、今日の授業を思い返していた。
魔術とは。
身体を強化する。
武具を強化する。
そして集団であれば、武装によって複数の強化を同時に成立させる。
魔法とは違う。
自然現象そのものを書き換える力ではない。
もっと地道で。
もっと多くの人間が扱うことのできる力だ。
だからこそ。
軍隊にとっては重要なのだろう。
英雄一人の力ではなく。
百人。
千人。
場合によっては一万人の兵士が、それぞれの魔術を使い、互いの力を補いながら戦う。
それが。
この世界における「軍隊」なのだ。
俺は廊下の窓から訓練場を見下ろした。
そこではすでに、次の授業の準備が始まっている。
王立士官学校で学ぶ三年間。
俺はここで、剣だけではなく。
魔術だけでもなく。
軍隊という巨大な組織そのものを理解していかなければならないのだろう。




