第8話 軍制と軍法
入校査閲が終わり、本格的な授業が始まった。
王立士官学校の第一学年、その最初の授業として指定されたのは「王国軍制」だった。俺は教室へ入り、指定された席へ腰を下ろす。周囲には、王立貴族学院から来た貴族もいれば、騎士家の子弟、平民、商家の令嬢など、これまでなら同じ教室に入ることすらなかったような人間が並んでいる。
教壇に立ったのは、四十代ほどの男性教官だった。王国軍の軍服を着ているが、肩に付いている階級章を見る限り、現役の軍人でもあるらしい。教官は黒板へ「王国軍制」と書き、そのまま振り返った。
「第一学年最初の軍事学講義だから、まず諸君には自国の軍隊について理解してもらう。敵国の軍制を知る前に、自分たちがどのような軍隊を持っているのかを知らなければ、戦場で判断を下すことなどできない」
教官はそう言って資料を配った。
「まず、アンティクイランド王国軍は大きく二種類に分けられる。諸侯軍と中央軍だ」
教室のあちこちで紙をめくる音が響く。
「諸侯軍とは、各領地の貴族が自らの費用で維持する軍だ。平時においては、領主が領地収入から兵士や騎士を維持し、戦時になれば領民からの徴募、傭兵、予備役騎士などを加えて兵力を増やす。一方、中央軍は国王陛下が直接統帥する王国直属の軍であり、王都防衛、王族警護、主要拠点の防衛、海上戦力などを担う」
俺は資料に目を落とす。
以前、王宮でセドリックから聞いた内容とほぼ同じだ。だが、あの時は王子として説明を受けた。今日は違う。これは士官候補生として覚えるべき軍制の基礎知識なのだ。
「まず諸侯軍から説明する。現在、王国内最大規模の諸侯軍を有していたのがガルディシア伯爵家だ。だが、先の内乱によって同家は断絶し、領地は王領へ編入された。したがって現在は、旧ガルディシア伯爵領に存在した軍事力も王家の管理下に置かれている」
一瞬だけ教室の空気が変わった。
ガルディシアの名前を知らない者はいない。
「現在、国内の諸侯軍は、伯爵家、子爵家、男爵家など、それぞれの領地規模と爵位に応じて異なる兵力を維持している。諸侯軍の特徴は、領地ごとに兵站と指揮系統が独立していることだ。つまり、王国軍と呼ばれていても、全ての部隊が平時から一つの軍隊として統一されているわけではない」
俺はそこで少し考えた。
やはり、この国の軍制は完全な中央集権型ではない。
王家が中央軍を持つ一方で、領地貴族も自分たちの軍隊を持っている。これは領主権が強いこの国の政治構造と一致していた。
「では中央軍について説明する。現在、中央軍は五個軍団から編成されている」
教官が黒板へ数字を書いていく。
「第一軍団は千人。王族居住区域、王立学院、貴族街などの警備と王族護衛、王都の重要区域防衛を担当する。残る第二軍団から第五軍団は、それぞれ五百人規模で編成されている」
教室の後ろから質問が飛んだ。
「第二軍団は海軍ですよね?」
「その通り。第二軍団は海上戦力を担当する。平時には二個艦隊、合計八隻。戦時には商船などを徴用し、三個艦隊、最大三十隻程度まで増強される」
教官は続ける。
「第三軍団から第五軍団は、王都防衛および各方面への展開を担う。軍団ごとに指揮系統が存在し、それぞれ法衣貴族である子爵家が軍団長を務める」
俺は少しだけ意識を集中させた。
第四軍団軍団長はフェルディナン子爵。
第五軍団軍団長はカシウス子爵。
どちらも、内乱によって生まれた新しい体制の中で配置された軍団長だ。
「ただし、軍団長の爵位だけを見てはいけない。軍団長に求められるのは、軍事指揮能力と王国への忠誠である。家格が高いから優れた指揮官とは限らない。逆に、家格が低くても軍事能力が高い指揮官は存在する」
その言葉に、俺は少し笑いそうになった。
まさに、この学校の理念そのものだ。
「次に戦時動員について。諸侯軍は平時から維持している兵力に加え、領民からの徴募や予備役騎士、傭兵などによって増員される。中央軍も予備騎士や志願兵によって増強される。現在の王国軍制では、戦時に諸侯軍およそ一万五百人、中央軍およそ六千六百人、合計約一万七千百人を動員可能とする」
俺はその数字を聞き、先日の御前会議を思い出した。
そこへ組織的な傭兵団を五千人まで加え、戦時総兵力は二万二千百人。ただし、遠征軍を出すためにも国内防衛兵力を五千人残す必要があるため、対シルウァニア王国戦へ送り出せるのは一万七千百人。
この数字を、今度は士官候補生として聞いている。
「ここで重要なのは、動員可能兵力と実際に戦場へ投入できる兵力を混同しないことだ」
教官が言った。
「一万七千人動員できると聞いて、それだけの兵力を一つの戦場へ送ればいいという話ではない。国内防衛、国境警備、王都警備、港湾、街道、補給拠点などにも兵士は必要だ。さらに戦場へ送った兵士を維持する食料、武器、防具、馬、医療、輸送が必要になる」
教官は黒板に大きく書いた。
「軍隊は兵士の数だけでは決まらない」
「これを覚えておけ。士官学校では何度も聞くことになる。兵力が多くても、補給がなければ戦えない。優秀な指揮官がいても、命令を伝える指揮系統が崩れれば戦えない。兵士がいても、国家に戦費がなければ長期戦はできない」
教室が静かになる。
「つまり軍事とは、戦場で剣を振ることだけではない。国家全体を戦える状態に維持することまで含めて軍事だ」
俺はその言葉を聞きながら、先日の御前会議を思い出した。
財務卿が国家貯蓄を示し、軍務卿が一万七千百人の継戦能力を計算し、父上が戦費一万枚の支出を決定した。
あれこそ、この授業の内容を実際に国家規模で行ったものなのだ。
「最後に、諸侯軍と中央軍の関係について」
教官は資料をめくる。
「戦時には両者が共同して戦うことになる。しかし、平時から完全に同一組織ではないため、指揮系統や装備、訓練方法、兵站制度などに違いが生じる場合がある。そのため、士官学校では将来的な統合運用を想定した教育を行う」
なるほど。
この学校で身分の違う者たちを混ぜて訓練する理由の一つも、そこにあるのだろう。
領主の軍を率いる者も、中央軍に入る者も、最終的には同じ王国の戦争に参加する。
「では、今日の最後の問題だ」
教官が板書する。
「諸侯軍一個部隊と中央軍一個部隊が、同じ戦場で作戦を行うことになった。諸侯軍指揮官が中央軍指揮官より爵位が高い場合、どちらが上官となるか」
教室がざわついた。
俺は問題を見つめる。
簡単そうに見えて、かなり重要な問題だ。
身分と軍の指揮権を混同してはいけない。
「答えは?」
教官が尋ねる。
しばらくして、誰かが答える。
「任務上の指揮権を持つ者、ではありませんか?」
「その通り」
教官が頷いた。
「軍隊の中では、原則として任命された指揮系統が優先される。爵位が高いからといって、勝手に他の軍団を指揮できるわけではない。これを理解しなければ、諸侯軍と中央軍を同じ戦場で運用できない」
その言葉で、今日の授業は終わった。
俺は資料を閉じる。
王国軍制。
単なる組織図だと思っていた。
だが。
実際には、この国の政治構造そのものだった。
王家。
領地貴族。
中央軍。
諸侯軍。
法衣貴族。
そして平民兵士。
全てが複雑に繋がりながら、一つの王国軍を形作っている。
その複雑さを理解しなければ。
いつか俺が軍を統帥する時、必ずどこかで判断を誤る。
そう考えると。
最初の授業としては、かなり重い内容だった。
◆
次の時間。
教室の黒板には、新たな文字が書かれた。
「軍法」
先ほどまでとは教官が違う。
今度の教官は法務卿の配下にある軍法担当官で、軍人らしい厳しい顔つきをしていた。
「前の授業で、諸君は王国軍がどのような組織なのかを学んだ。では、その軍隊が戦場で好き勝手に行動していいのか?」
「いいえ」
教室全体から声が返る。
「その通り。軍隊は強力な組織だ。だからこそ、国家によって法で縛られている。本日の授業では、その軍隊を規律する『軍法』について学ぶ」
教官は黒板へ大きく書いた。
「軍人にも法がある」
「まず覚えろ。軍人だから何をしても許されるわけではない。命令に従う義務がある一方、違法な命令に従った場合の責任も存在する」
俺は少しだけ姿勢を正した。
これは王太子としても重要な話だった。
「軍法では、命令違反、敵前逃亡、略奪、部下への不当な暴行、捕虜への不当な扱い、軍需物資の横領、機密漏洩、勝手な戦闘行為などを処罰対象としている」
教官は淡々と説明する。
「特に重要なのが、軍事機密だ。王立士官学校で学ぶ内容の中には、国家機密に関わるものも含まれる。卒業後、諸君が軍の中枢へ進めば進むほど、扱う情報の重要性は増す」
先ほどのリアの話が、俺の頭を一瞬よぎった。
帝国出身の優秀な新入生。
この学校では軍事情報を学ぶ。
だからこそ、情報管理そのものが軍事力になる。
「また、上官であることを理由に、部下へ私的な命令を出してはならない。軍事命令には目的が必要だ。私怨、派閥争い、金銭目的など、軍事とは無関係の目的で兵士を動かせば、それ自体が重大な規律違反になる」
その言葉に、俺は少しだけ胸の奥が重くなった。
ヴィクトリアの内乱。
第四軍団。
第五軍団。
軍が王宮へ向かったあの夜。
あれは、まさに軍法が最も重要になる事例だった。
軍団長が私的な政治目的のために兵士を動かした。
国王からの命令ではなく、政変のために部隊を動かした。
それは。
軍という組織を国家から切り離して私兵化する行為に近い。
「では、問題だ」
教官が黒板へ書く。
「上官から命令を受けた。しかし、その命令が王国法に違反する可能性がある。どうする?」
教室が静まった。
簡単な問題ではない。
「命令には従わなければならないのでは?」
誰かが答える。
「原則としてはな。しかし、違法な命令まで無条件に実行してよいわけではない」
教官は続ける。
「まず命令の内容を確認し、必要であれば上官へ確認する。それでも違法性が明らかな場合には、軍法に定められた手続きを利用して拒否し、上級指揮官へ報告する。軍人は命令に従う義務を負うが、国家に対する犯罪行為まで命令される権利を上官に与えているわけではない」
俺は頷いた。
これは重要だ。
軍隊は命令系統によって動く。
だが。
命令系統そのものが国家を裏切った時、その下にいる兵士たちが全員巻き込まれてしまう。
だからこそ、軍法が必要になる。
「次に、戦時下における民間人への対応について」
教官は板書を続けた。
「戦場では、民間人の財産を勝手に奪ってはならない。食料や物資を必要とする場合は、軍の規則に従って徴発する。個人的な略奪は認められない」
「敵領の住民だから何をしてもいい、ということでもない。軍人は戦争を理由に個人的な犯罪を行うことはできない」
その言葉が続く。
「捕虜についても同様だ。捕虜となった敵兵は、軍法に従って管理する。私的な報復は禁止される。尋問などについても定められた手続きを守ること」
教室は静かだった。
「戦争だから許されることが増えると思うな」
教官の声が低くなる。
「むしろ逆だ。戦争だからこそ、軍人には平時以上の規律が必要になる」
その言葉は印象に残った。
戦争だから何をしてもいい。
戦場だから法律がなくなる。
そんなことではない。
国家が兵士に武器を持たせるからこそ、その武器をどこへ向けていいのかを法律で決めなければならない。
「最後に」
教官が黒板へ一言書いた。
「軍人の力は、国家から与えられた権限である」
「忘れるな。諸君が将来、剣を持ち、部隊を率い、兵士へ命令することができるのは、自分が偉いからではない。王国が軍人へ権限を与えているからだ」
その言葉に、俺は深く頷いた。
王太子である俺にも同じことが言える。
俺が将来軍を統帥できるのは。
王太子だから当然、というだけではない。
国家そのものから与えられた権限があるからだ。
「そして、権限には責任が伴う」
教官は最後にそう言った。
「部下を死なせたなら、なぜ死なせたのかを説明する責任がある。住民へ損害を与えたなら、その理由を説明する責任がある。命令を出したなら、その命令を出した人間として責任を負う。それが軍法だ」
授業終了の鐘が鳴った。
教官が資料を閉じる。
「本日の授業はここまで。次回から、実際の事例を使って軍法を学ぶ」
学生たちが一斉に息を吐いた。
俺も教科書を閉じる。
王国軍制と軍法。
どちらも、単なる知識だと思っていた。
だが。
実際には違う。
軍隊がどのように組織されているのかを理解すること。
そして、その軍隊が何をしてよく、何をしてはいけないのかを理解すること。
その二つが揃わなければ。
軍を統率することなどできない。
俺は教室を出ながら、先ほどの黒板に書かれていた言葉を思い出していた。
軍人の力は、国家から与えられた権限である。
いつか。
俺はこの国の軍隊を動かす。
その時。
自分の命令が、何万人もの兵士を動かすことになる。
だからこそ。
今、この学校で学んでおかなければならないのだ。
自分が持つ力が。
どこまで許され。
どこからが許されないのかを。




