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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第4章 二つの生を越えて
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第7話 入校査閲

 王立士官学校へ入学してから数日後。


 授業はまだ本格的に始まっていなかった。新入生たちは学校の規則や施設の使用方法、寮生活の手順などを覚えながら、これから始まる三年間へ向けて準備を進めている。そして今日は、王立士官学校における最初の正式な行事が予定されていた。


 入校査閲。


 新入生三百人を一堂に整列させ、校長をはじめとする学校関係者や王国軍の高級士官が、その姿勢、服装、整列、行進、規律などを確認する。


 単なる入学行事ではない。


 今日から自分たちは、王立士官学校の学生であると同時に、将来の王国軍を担う候補者なのだと自覚させるための儀式なのだろう。


「新入生、整列!」


 訓練場に教官の声が響いた。


 俺たちは一斉に動く。


 制服を整え、指定された位置へ立つ。隣には平民出身の学生がいる。その反対側には騎士家の令息。その後ろには王立貴族学院を卒業した貴族の姿もあれば、女性騎士を目指している令嬢もいる。


 身分は違う。


 だが。


 今は全員が同じ制服を着ている。


 俺も例外ではない。


「気をつけ!」


 号令が響く。


 三百人の身体が一斉に伸びる。


 自分の足音。


 隣の呼吸。


 少し遠くにいる学生の衣擦れ。


 そんな細かな音まで聞こえるほど、訓練場は静まり返った。


 俺は正面を見る。


 そこには校旗と王国旗が掲げられている。


 その向こう側には、王立士官学校の校長である法衣男爵ローデリック・フェルガントが立っていた。


 その両脇には、各軍団から派遣された教官や上級士官が並んでいる。


 さらに奥。


 見慣れた顔があった。


 軍務卿アトラシート伯爵。


 そして王国軍の関係者たち。


 王太子としてではなく。


 今日は、士官候補生として見られている。


「敬礼!」


 三百人が一斉に敬礼する。


 その動きにはまだ少しだけばらつきがあった。


 さすがに入学したばかりだ。


 すべてが完璧なわけではない。


 だが、それでいいのだろう。


 今日の目的は完璧さを見せることではなく、ここから始まる三年間を意識させることなのだから。


 校長が一歩前へ出た。


「新入生諸君」


 よく通る声が訓練場へ響く。


「諸君は本日より、正式に王立士官学校の学生として本校の教育を受けることになる」


 俺は正面を見ながら聞く。


「この学校では、貴族も平民も、騎士家の子弟も商家の子弟も、軍人を志す者も、将来文官となる者も、共に学ぶ」


 校長の視線が三百人をゆっくりと横切った。


「もちろん、卒業した後に待つ道は同じではない。生まれた家によって立場が異なる者もいるだろう。家の財力によって王国騎士となる者もいれば、王国上級兵として軍へ入る者もいる。文官となる者もいる」


 だが。


「それでも、本校にいる三年間だけは違う」


 その言葉が、訓練場に落ちる。


「ここで諸君を評価するのは、家名ではない。訓練場でどれだけ努力したか。戦術をどれだけ理解したか。仲間とどれだけ連携できるか。そして、いざという時に自らの責任を引き受けられるかだ」


 俺はその言葉を聞きながら、周囲を見たい気持ちを抑えた。


 身分ではなく実力。


 この学校の理念そのものだった。


「戦場では、伯爵令息だから敵の矢が避けてくれるわけではない。王国騎士だから剣が勝手に敵を倒してくれるわけでもない。平民出身だからといって、優れた判断をすることができないわけでもない」


 少しだけ、教官たちの表情が厳しくなる。


「軍では、実力がなければどうにもならない」


 その一言が、訓練場に重く響いた。


「だからこそ諸君は、この三年間で学びなさい。自分より強い者から技を学び、自分より賢い者から知恵を学び、自分より経験のある者から判断を学ぶのです」


 校長は最後に、新入生を見渡した。


「本校は、ただ戦う人間を育てる場所ではありません。戦争という国家最大の災厄を前にして、それを終わらせる力を持つ人間を育てる場所です」


 静かな拍手が起こる。


 俺たちはまだ動かない。


「では、これより新入生の入校査閲を開始する」


 校長が下がる。


 次に前へ出たのは軍務卿アトラシート伯爵だった。


 彼は王国軍全体を統括する立場にある。


 そして。


 俺にとっては。


 昨夜の内乱の中で第一軍団を率い、第一王子宮を守ってくれた人物でもある。


「王国軍軍務卿として、諸君へ一つだけ伝えておく」


 アトラシート伯爵は、校長とは違って簡潔だった。


「三年後、諸君の中には王国騎士になる者もいれば、王国上級兵として軍へ入る者もいるだろう。文官となる者もいる。しかし、戦時になれば、男であれば多くの者が予備役として召集される」


 そう。


 この国では文官志望の男性も軍事教育を受ける。


「だから覚えておけ」


 アトラシート伯爵の声が低くなる。


「王国軍とは、軍人だけのものではない。国家そのものだ」


 俺はその言葉を聞いて、静かに頷いた。


 確かに。


 戦争になれば、兵士だけでは戦えない。


 兵站。


 財務。


 外交。


 行政。


 情報。


 すべてが軍と繋がる。


 だからこそ男性は士官学校へ入り、軍事を学ぶ。


 そして女性の中でも、騎士や兵士を目指す者たちは同じようにここへ来る。


「これより、第一列!」


 教官の号令。


 新入生の査閲が始まった。


 俺たちは一人ずつ、その場で姿勢を確認され、続いて一列ずつ前を通過する。


 制服。


 靴。


 髪型。


 姿勢。


 敬礼。


 視線。


 一つ一つを教官が確認していく。


 当然、身分によって甘くなることはない。


 俺の前に来た教官も、王太子だからといって態度を変えなかった。


「王太子殿下。姿勢をもう少し正してください」


「はい」


 言われた通りに直す。


 少し離れたところから、かすかな笑い声が聞こえた。


 誰かは分からない。


 だが。


 そんなものでいい。


 この学校では、王太子であっても訓練を受ける学生の一人なのだ。


 そして。


「第三列、前へ!」


 次の隊列が動き出す。


 その中にはティアの姿もあった。


 グラーティア・アウレリア・デイ・エクィトゥム。


 武術を嗜み、魔力を持つ第三王女。


 堂々とした姿勢で歩いていく。


 エリシアも、その少し後ろにいる。


 さらにコリウスの姿も見える。


 王立貴族学院時代の仲間たちが、今は同じ士官候補生としてここに並んでいる。


 しかし。


 ここでは昔の関係がそのまま通じるわけではない。


 俺は王太子。


 ティアはエクィトゥム王国の第三王女。


 エリシアはフェルディナン子爵令嬢。


 コリウスはガイウシア子爵家長男。


 リアは三大商会の一つ、ヘーロース商会の令嬢でありながら平民。


 そして、この学校にはさらに多くの平民と騎士家の子弟がいる。


 全員が、違う立場から同じ訓練を受ける。


 それが王立士官学校なのだ。


              ◆


 入校査閲が終わる頃には、太陽もかなり高くなっていた。


 最後に再び校長が前へ出る。


「以上をもって、入校査閲を終了する」


 三百人が一斉に敬礼する。


 その瞬間。


 俺は、改めてこの場所を見渡した。


 王立貴族学院とは違う。


 ここでは。


 身分が消えるわけではない。


 上級貴族は上級貴族として見られる。


 商家の子女には商家の財力がある。


 平民には平民としての立場がある。


 けれど。


 軍事教育の場では。


 実力がなければ、どうにもならない。


 そして、その実力を身につけるために三年間を過ごす。


 今日の入校査閲は、その最初の一歩だった。


 俺は正門の向こうに広がる訓練場を見た。


 これから。


 ここで学ぶ。


 ここで失敗する。


 ここで競う。


 そして。


 いつか王国軍の最高指揮官として、この場所で学んだことを使う日が来るだろう。

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