第4話 王立士官学校新入生代表挨拶
入学試験から数週間後。
王立士官学校の正門には、朝から多くの人間が集まっていた。春の穏やかな風が王都を吹き抜ける中、真新しい制服に身を包んだ新入生たちが、それぞれの家族や従者と別れを告げながら校門をくぐっていく。貴族の子弟の中には立派な馬車から降りてくる者もいれば、平民の中には最低限の荷物だけを抱えて一人でやって来る者もいる。王立貴族学院の入学式とは明らかに違う光景だった。同じ学校へ入る三百人でありながら、その生まれも、家の財力も、ここへ来た目的も全く違う。それでも今日から三年間は、全員が同じ王立士官学校の学生として扱われる。
俺も正装した状態で正門をくぐった。王太子になってから初めての正式な学校行事ということもあり、当然ながら周囲からの視線は多い。それでも、入学試験の時に比べれば少しだけ空気が落ち着いている。試験を受けたことで、「王太子でも試験を受ける」という事実がすでに受験生たちへ知られているからだろう。
「殿下」
校門の内側で待っていたカイが声を掛けてくる。
「入学おめでとうございます」
「ありがとう。これから三年間、よろしく頼む」
「こちらこそ」
カイは先輩として笑った。
「まあ、ここからは学院とは本当に違いますよ」
「説明会でも聞いた」
「でも、実際に始まるともっと違います」
「それは楽しみだな」
俺はそう答えて、本校舎へ向かった。
大講堂ではすでに新入生全員が席についていた。三百人。王立士官学校の一学年としては決して多すぎる数ではないが、それでも一つの空間に集まるとかなりの人数に感じる。前方には学校旗と王家の旗が掲げられ、その中央には壇上が設けられていた。後方の来賓席には王国軍の高級士官や法衣貴族、学院関係者などが並んでいる。軍人を育成する学校らしく、貴族学院とは違って軍装姿の来賓も多かった。
俺が席につくと、周囲から小さなざわめきが起こる。
「王太子殿下も同じ学年なんだよな」
「そうみたいだ」
「新入生代表は誰になるんだろうな」
そんな声が聞こえてきた。
俺は特に気にせず前を向いた。
やがて、式の開始を告げる鐘が鳴った。
新入生たちが一斉に姿勢を正す。
壇上へ上がったのは、入学説明会の時にも見た人物だった。王立士官学校校長、法衣男爵ローデリック・フェルガント。
校長は壇上中央へ立つと、ゆっくりと講堂を見渡した。
「新入生諸君。改めて、王立士官学校への入学を歓迎する」
落ち着いた声が講堂へ響く。
「諸君は今日から、この国の軍事教育を担う最高峰の教育機関で三年間を過ごすことになる。ここでは身分の違いも、家の大きさも、領地の広さも、王都における家の発言力も、訓練場の中では諸君を助けてくれない」
新入生たちは静かに耳を傾けている。
「諸君を守るのは、自ら身につけた知識と能力、そして仲間との信頼だけだ。学問を怠る者は戦場で判断を誤り、鍛錬を怠る者は身体が命令についてこない。そして仲間を信じられない者は、部隊を率いることができない」
軍事学校らしい言葉だ。
「もちろん、卒業した後には、それぞれ異なる道を歩むことになる。王国騎士になる者、王国上級兵として軍へ入る者、文官として国家を支える者、領地へ戻る者。身分や家の事情によって、それぞれの道には違いが生まれるだろう」
そこで校長は一度言葉を切った。
「しかし、三年間だけは違う」
「この学校にいる間、諸君は全員が王立士官学校の学生だ。互いに競い、互いに学び、時には互いに助け合え。そして三年後、それぞれの場所へ戻った時、この学校で過ごした時間を恥じることのない人間になりなさい」
短い訓示だった。
それでも。
この学校が何を求めているのかは十分に伝わってきた。
「続いて、新入生代表挨拶」
校長がそう告げた。
その瞬間。
俺の隣にいたカイが僅かに俺を見る。
そして。
「新入生代表、レノウィウス・ゲンス・デイ・アンティクイランド王太子殿下」
名前を呼ばれた。
「……俺か」
思わず呟く。
試験の成績が関係しているのだろう。
王太子だからという理由だけで選ばれたわけではない。
入学試験の結果を総合的に判断した上で、俺が新入生代表に選ばれたのだろう。
そう考えると、少しだけ嬉しかった。
俺は席を立った。
新入生三百人の視線が一斉にこちらへ向く。
王太子として壇上へ立つのは、もう慣れている。
だが。
今日は違う。
今日は王太子として演説するのではない。
三百人いる新入生の代表として、ここに立つ。
俺は壇上へ上がった。
そして、一度だけ講堂全体を見渡す。
王立貴族学院とは違う。
知っている顔ばかりではない。
むしろ、ほとんど知らない顔だ。
王立貴族学院のように同じ家格の者たちが中心でもない。
ここには平民がいる。
騎士家がいる。
下級貴族がいる。
王立貴族学院から来た貴族もいる。
男性が圧倒的に多いが、女性騎士を志す者たちの姿もある。
今日から俺たちは。
全員が同じ士官候補生だ。
「新入生を代表して、挨拶を述べます」
俺は口を開いた。
「今日、私たちは王立士官学校の門をくぐりました。ここに集まった三百人が同じ場所へ来た理由は、それぞれ違うと思います。騎士になるために来た者もいるでしょう。王国軍へ入るために来た者もいるでしょう。将来は文官になるつもりで、それでも戦時に国家を支えられる力を身につけるために来た者もいるでしょう」
俺は言葉を続ける。
「生まれた家も違います。育ってきた環境も違います。これまで受けてきた教育も違います。ここへ来るまでに、誰もがそれぞれ違う道を歩いてきたはずです」
講堂は静かだった。
「しかし、今日から三年間、私たちは同じ場所で学びます。同じ訓練を受け、同じ規律に従い、同じ失敗を経験し、同じように成長していくことになります。卒業後に待っている道が違ったとしても、この三年間だけは、私たちは同じ王立士官学校の学生です」
俺は一度、息を吸った。
「私は、この国の王太子です。いずれ王国軍の最高統帥権を持つ立場になります。だからこそ、私はこの三年間を決して形式だけのものにはしたくありません」
自分自身へ言い聞かせるように言葉を続ける。
「私は兵士を率いる立場になるでしょう。しかし、兵士を率いるということは、命令を出すことだけではないと思っています。兵士が何を考えるのか。何が必要なのか。どれだけの食料が必要なのか。どれだけ歩けるのか。どこで疲れ、どこで恐怖を感じるのか。そして、どうすれば一人でも多くの兵士を生きて帰すことができるのか。それを理解しなければ、本当の意味で軍を率いることはできないでしょう」
講堂の空気が変わった。
先ほどまでの入学式らしい静けさとは違う。
俺の言葉を聞いている。
「だから私は、この三年間で皆さんからも学びたいと思っています。私より速く走れる者がいるでしょう。私より剣が上手い者もいるでしょう。魔術に優れている者もいるでしょう。兵站や戦術の知識で私を上回る者もいるはずです」
俺は僅かに笑った。
「その時は、遠慮なく私を追い越してください」
講堂の何処かから、小さく息を呑むような音が聞こえた。
「そして私も、皆さんを追い越すために努力します」
俺は最後の言葉を選んだ。
「三年後、私たちがこの学校を卒業する時、ここへ来たことを誇りに思えるように。そして、それぞれの場所へ戻った後も、この三年間で得たものを王国のために使える人間になれるように。今日から共に学び、共に鍛えましょう」
最後に、一礼する。
「以上です」
その瞬間。
ほんの一瞬だけ。
講堂が静まり返った。
そして。
拍手が起こった。
一人。
また一人。
やがて、三百人全員が一斉に拍手を始めた。
大きな音が講堂いっぱいに響き渡る。
貴族も。
平民も。
騎士家の子弟も。
女性の士官候補生も。
関係なく。
全員が拍手している。
俺はその光景を見ながら、少しだけ驚いていた。
王立貴族学院でも、俺が挨拶をした時に大きな拍手が起きたことはある。
だが、あの時とは意味が違う。
学院では、俺は王太子であり、第一王子派の中心人物だった。
ここでは。
少なくとも今は。
俺たちは同じ新入生だ。
身分の違いもある。
卒業後の待遇にも違いがある。
それでも。
今、この瞬間だけは。
全員が同じ学校の学生として、俺の言葉を聞いてくれた。
俺は壇上で深く頭を下げた。
拍手はなかなか止まらない。
校長の隣に立っていた教官たちも、静かに拍手を送っている。
そして、後方の来賓席にいる軍人たちも頷いていた。
俺が顔を上げる。
目の前に広がっているのは、三百人の新入生。
これから三年間、一緒に学ぶ仲間たちだ。
俺は静かに壇上を降りた。
席へ戻る途中、何人かの平民の男子と目が合った。
すると、一人が小さく頷いた。
俺も頷き返す。
それだけだった。
けれど。
それで十分だった。
◆
式が終わり、新入生たちが大講堂から出ていく。
俺もその流れに混じって歩きながら、先ほどの拍手を思い返していた。
「殿下」
カイが近づいてくる。
「見事な挨拶でした」
「そうか?」
「ええ。少なくとも、あれだけ全員が拍手するとは私も思いませんでした」
「俺もだよ」
俺は苦笑した。
「でも、嬉しかった」
「そうでしょうね」
カイが笑う。
王立士官学校は。
これから三年間、俺が軍を学ぶ場所だ。
ここで出会う人間は、王立貴族学院のように貴族だけではない。
平民もいる。
騎士家もいる。
将来文官になる者もいる。
女性兵士を目指す者もいる。
そして。
いつか俺が王として軍を率いる時。
もしかしたら、この中の誰かが実際の軍団を率いているかもしれない。
誰かが兵站を担当しているかもしれない。
誰かが俺の命令を受けて戦場へ向かうかもしれない。
だからこそ。
この三年間は、単なる学校生活ではない。
俺は王立士官学校の校舎を見上げた。
「……三年間か」
長いようで。
きっと短い。
王太子として。
そして、一人の学生として。
俺の新しい三年間が始まった。




