第3話 王立士官学校入学試験
王立士官学校の入学説明会から数日が経ち、俺は再び王都北東部に広がる王立士官学校の正門前へ来ていた。今日は説明を聞く日ではない。十五歳から十八歳までの三年間を過ごすことになるこの学校へ入学できるかどうかを決める、正式な入学試験の日である。全寮制で一学年三百人しか受け入れない以上、王立貴族学院の卒業生だからといって自動的に進学できるわけではないし、平民だからといって能力があれば無条件で入学できるわけでもない。入学試験では身分を問わず能力が測られ、平民にはさらに学費や寮費などを負担できるだけの金銭的条件が求められる。ただし、軍務を志望する平民のための奨学制度や費用支援もあり、能力そのものを身分で否定する制度ではなかった。
そして今日は、俺自身もその試験を受ける。
王太子なのだから、父上の推薦一つで入学することだってできただろう。だが、父上は最初からそれを認めなかった。
「王太子だからこそ、試験を受けろ」
それが父上の言葉だった。
将来、王国軍を統帥する立場になる人間が、軍人たちと同じ試験を受けることもなく、ただ王族だからという理由だけで士官学校へ入る。それでは軍人たちの前に立ち、彼らへ命令を下す資格がない。俺自身もその考えには納得していたし、むしろ王太子だからこそ、ここでは特別扱いを受けたくなかった。
「受験番号を確認します!」
門前では教官たちが受験生を次々と誘導している。俺が列へ並ぶと、当然ながら周囲から視線が集まった。
「王太子殿下だ……」
「本当に試験を受けるんだな」
「特別扱いされないって話、本当だったのか」
貴族の子弟だけではない。平民らしき受験生たちも、ちらちらとこちらを見ている。王国の次期国王が、自分たちと同じ列に並び、自分たちと同じ試験を受ける。考えてみれば、かなり珍しい光景なのだろう。
だが、俺は気にせず前へ進んだ。
「王太子レノウィウス・ゲンス・デイ・アンティクイランド殿下」
受験番号を告げると、教官は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに表情を戻した。
「確認しました。試験会場へ進んでください」
「分かりました」
それだけだった。
特別な挨拶もない。
特別な説明もない。
それでいい。
今日の俺は、王太子である前に受験生なのだから。
◆
最初の試験は筆記だった。大講堂へ入ると、長い机が等間隔に並び、それぞれの席に受験番号が振られている。正面には大きな時計があり、教壇には数人の教官が立っていた。ざわめいていた講堂が静まり返ると、そのうちの一人が問題用紙を配り始める。
「試験時間は二時間。出題範囲は大陸史、民族史、軍事史、地理、数学、兵站、王国軍制、基礎法務、政治制度。全受験生共通の問題です」
問題用紙を受け取り、一枚目をめくる。
民族史。
王国成立以前のアイティクイ民族の歴史、ルイーナエ大戦、周辺諸国との関係、過去の戦争、歴代王家、軍制に関する問題が並んでいた。前世から歴史が好きだった俺にとって、このあたりはそれほど苦にならない。むしろ問題を解いているうちに、昔の自分が歴史書を読み漁っていた頃のことを思い出してしまう。前世では、ただ過去を知るだけだった。今は、自分がその歴史の続きを作る側にいる。そう考えると、なんとも妙な気分だった。
地理もそれほど難しくなかった。山脈、河川、街道、港湾、国境、周辺諸国との位置関係。これまで王宮で外交や戦争について学んできた分、知識としてはかなり頭に入っている。しかし、問題の後半に差しかかったところで、難易度が明らかに上がった。
兵站計算だった。
一定数の兵士を一定期間維持するために必要な食料。補給路が一つ潰れた場合の代替経路。冬季における行軍速度。複数の部隊へ限られた物資をどう配分するか。さらに、前線から本国までの距離と補給能力を踏まえ、どの時点で攻勢を停止するべきかを判断する問題まで出てくる。
俺は思わず苦笑した。
入学試験でここまで聞くのか。
だが、考えてみれば当然だった。
剣が強い。
身体能力が高い。
魔術が得意。
それだけで部隊を率いることはできない。兵士には食料が必要で、武器が必要で、装備が必要で、馬が必要で、それらを維持するには金も必要になる。戦場で兵士が戦うためには、その背後に膨大な数の人間と物資が存在しなければならない。戦争とは、最前線だけで完結するものではない。
さらに最後の方には、簡単な戦術判断問題まで含まれていた。
「山岳地帯の狭隘な街道を敵軍が封鎖している場合、正面攻撃以外で最も有効と考えられる対処を選べ」
選択肢を読む。
地形。
兵力。
補給。
敵の目的。
条件を一つずつ確認しながら答えを選ぶ。
シルウァニア王国戦についてエクィトゥム王国の作戦を聞いた時のことを思い出す。軍隊の強さは人数だけでは決まらない。地形と補給と時間、そして敵がどこへ動かされるのかまで考えなければならない。
「終了です」
教官の声が講堂に響いた。
俺は筆を置いた。
筆記試験が終わった。
◆
次は体力試験だった。
広大な訓練場へ移動すると、すでに多くの受験生が集まっている。地面には走るための線が引かれ、少し離れた場所には障害物が並び、さらに別の区画では筋力測定の器具が準備されている。
「第一試験、長距離走!」
教官の号令が響く。
受験生たちが一斉に構え、合図とともに走り出す。俺もその中へ混じった。
王太子だからと手を抜くつもりはない。
しかし、何が何でも一位を取ろうとも思わなかった。
ここで見られているのは、俺が王太子であることではなく、士官候補生としてどれだけの身体能力を持っているかだ。だから、今の自分をそのまま出す。
長距離走では上位に入った。短距離も悪くない。障害走では、これまで剣術や実戦的な訓練を積んできたことが役に立った。しかし、周囲を見れば俺より明らかに速い平民の少年もいるし、幼い頃から騎馬や武術を叩き込まれてきた騎士家の令息もいる。女性の受験生にも、身体能力だけならかなり優れた者がいた。
ここでは、家名が先に見られるわけではない。
まず身体能力そのものが評価される。
「王太子殿下も普通に息切れてるな」
近くの受験生が小声で言った。
俺は思わず笑った。
当然だ。
王太子だからといって、体力まで増えるわけではない。
◆
午後からは魔術適性試験が始まった。
ここについては、俺も少し気になっていた。王立士官学校において、魔術は重要な軍事技術の一つである。しかし、ここで試されるのは、三百年に一度しか現れない特異な魔法使いとしての能力ではない。あくまで一般的な魔術師として、どれだけ魔力を扱えるのかという適性の確認だった。
「魔術適性試験では、魔力総量、魔力制御、詠唱精度、身体強化魔術、武具強化魔術の適性を確認する!」
教官が説明する。
「なお、魔術を使用する場合は指定された詠唱を必ず行うこと。無詠唱による使用は試験対象外とする!」
受験生たちが順番に前へ出ていく。
まずは魔力総量の確認。魔力を集めると、各人の属性に応じた色が浮かび上がる。氷属性なら水色。炎属性ならオレンジ色。属性によって通常の身体強化魔術や武具強化魔術そのものが変わるわけではなく、基本的には魔力の色に違いがあるだけだ。
俺は受験生たちの様子を眺めながら、自分の番を待った。
「王太子殿下」
「はい」
「身体強化魔術を使用してください」
俺は指定された位置へ立った。
そして、詠唱を始める。
「アエテリアの大地に祝福をもたらす氷雪の女神よ」
声とともに、俺の足元へ魔法陣が浮かび上がる。
「哀れにも神の御力に縋る我に神の祝福を与えたまえ」
魔法陣の紋様がゆっくりと輝く。
「我が願うは『身体強化』の祝福」
「我が祈りを聞き届け、御身が祝福を与えたまえ」
最後の言葉を発した瞬間、身体へ魔力が流れ込む。足元の魔法陣が消え、水色の魔力が腕や脚、身体全体を薄く覆っていく。俺は指定された動作を行い、強化状態での身体能力を測定された。
「次、武具強化魔術」
今度は剣を渡される。
俺は剣へ手を触れ、同じように詠唱を行う。足元から魔法陣が現れ、詠唱が終わると、今度は水色の魔力が剣を覆った。教官が指定した動作を行い、武具強化の強度と魔力制御を測定する。
「終了」
「ありがとうございました」
俺は一礼して下がった。
当然だが、ここでは魔法の試験は行わない。
魔法とは、約三百年に一度、王族や上級貴族から現れる極めて稀な特異能力だ。俺がその例外であることを、この学校の入学試験で証明する必要はない。むしろ、自分が他の魔術師と何が違うのかを隠すことの方が重要だった。
今日の俺は。
王太子でありながら、一人の受験生だ。
◆
そして。
最後に行われるのが、戦術判断試験だった。
受験生は一人ずつ試験室へ入り、机の前に座る。机の上には簡易的な地図と駒が用意されていた。
「君は小規模部隊の指揮官とする」
教官が説明する。
「与えられた兵力、地形、時間、補給状況を考慮した上で、与えられた任務を達成せよ」
「なお、勝利条件は敵軍の完全撃破ではない」
俺は顔を上げた。
「任務達成そのものを評価する」
なるほど。
敵を全滅させれば勝ち。
そんな単純な試験ではないらしい。
「制限時間、三十分」
開始。
俺は地図を見た。
味方三百。
敵四百。
正面には川。
右側に森。
左側には丘。
補給物資には限りがある。
そして任務は、重要拠点を三時間維持し、敵軍の進撃を遅延させること。
敵の方が兵力は多い。
正面からぶつかれば、時間が経つほど不利になる。
なら。
敵を倒す必要はない。
敵の時間を奪えばいい。
俺は駒を動かした。
中央には主力。
丘には偵察部隊。
森には少数の兵力を配置する。
さらに、別の小隊を大きく迂回させる。
目的は敵軍を包囲することではない。
敵に「この森を無視するのは危険だ」と思わせること。
そうすれば、敵はその対応に兵力を割かなければならない。
さらに川には、あえて一つだけ比較的渡りやすい場所を残しておく。
敵がそこへ集中すれば。
丘の部隊から動きを確認できる。
完璧な防御を築くのではなく、敵に選択肢を与える。
そして。
その選択肢の先にこちらの次の手を置いておく。
俺が最後の駒を配置する。
「終了」
教官が地図を確認する。
しばらく沈黙が続いた。
「……王太子殿下」
「はい」
「どうして中央の兵力をもっと厚くしなかった?」
「三時間守る必要があるからです」
「正面を固めた方が安全ではないのか?」
「敵が正面から来ると決まっているなら、その方がいいと思います」
俺は答えた。
「ですが、敵の方が兵力が多い以上、正面から受ければ消耗戦になります。三時間を維持することが目的なら、敵を正面で倒すより、敵の進軍そのものを遅らせた方がいい」
「では、敵がこちらの意図を見抜いたら?」
「その時は配置を変えます」
「最初から一つの勝ち筋に絞っていないのか」
「戦場では、敵が予定通りに動くとは限りませんから」
教官はしばらく俺を見た。
やがて記録用紙へ何かを書き込む。
「……分かった」
それ以上は何も言わなかった。
◆
全ての試験が終わる頃には、空はすっかり夕暮れになっていた。受験生たちは疲れた表情で訓練場から出ていき、友人同士で答えを確認し合ったり、今日の試験について話したりしている。俺もその流れに混じって、ゆっくりと正門へ向かった。
「殿下」
門の外ではグラフィルが待っていた。
「お疲れ様でした」
「疲れた」
俺が正直に答えると、グラフィルが僅かに笑った。
「本格的な試験でしたからね」
「ああ。王立貴族学院とは全く違う」
俺は一度、王立士官学校の広大な敷地を振り返った。
ここには、王立貴族学院とは違う人間が集まってくる。
上級貴族。
下級貴族。
騎士家。
平民。
男性。
女性。
軍人を目指す者。
将来は文官になる者。
それぞれ、生まれも身分も目指す道も違う。
それでも。
三年間だけは同じ場所で学ぶ。
同じ規律に従う。
同じ訓練を受ける。
そして戦争になれば、それぞれの立場から王国を支える。
王立貴族学院では、政治と貴族社会を学んだ。
ここでは。
軍を知る。
兵士を知る。
指揮を知る。
兵站を知る。
そして、戦場で人間がどう動くのかを学ぶ。
いつか王になる自分にとって、この三年間は決して無駄にはならないだろう。
「……ここからだな」
俺は静かに呟いた。
入学試験は終わった。
あとは結果を待つだけだ。
王太子としてではなく。
一人の士官候補生として。
俺の王立士官学校での三年間が、今まさに始まろうとしていた。




