エピローグ (第75話)第二次諸国連合
軍事同盟と貿易協定の調印から数日後、俺の執務室へ一人の男が訪れた。あの夜、ガルディシア伯爵城を僅かな部隊で制圧し、プロディトル・デイ・ガルディシア伯爵を捕縛したカヴィーレスターン軍三千を率いていた男――カヴィーレスターン・スルタン国の三大部族の一角を担い、ラシード族に次ぐ勢力を誇るゼフィル族の大族長、アイガード・ゼフィルである。褐色の肌に鋭い目を持ち、豪奢な衣装を纏いながらも、その立ち姿には戦場を生き抜いてきた者特有の無駄のなさがあった。俺は彼を見た瞬間、この男が単なる一部族の族長としてではなく、カヴィーレスターンという国家そのものの意思を背負ってここへ来ているのだと感じた。
「第一王子……いや、今は王太子殿下とお呼びするべきですかな」
アイガードはそう言って、僅かに笑った。
「どちらでも構わない。ここへ来た以上、話があるんだろう?」
「ええ。実に話の早い方だ」
その言葉には探るような響きがあった。俺の側にはグラフィルをはじめとする側近たちが控え、アイガードの後ろにも数名の護衛がいる。だが、今回の会談で問題にするのは、先のガルディシア伯爵領への侵入そのものではない。俺が使者を通じて提示した条件によって、カヴィーレスターン軍はすでに戦闘を停止している。それなら、なぜ彼らが最初からガルディシアへ三千の兵を送り込んだのか、その本当の理由を聞いておく必要がある。
「まず確認したい。あの夜、ガルディシア伯爵領へ来た理由を、最初から話してもらえるか」
俺がそう尋ねると、アイガードはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「分かりました。なら、こちらも隠す必要はないでしょう。あの三千の兵は、ヴィクトリア第二王妃との密約に基づいて動かした兵です」
「やはりな」
「第四軍団と第五軍団によるクーデターを支援し、その混乱に乗じてガルディシア伯爵領へ入り、最終的には我々にも相応の利益が与えられる。その約束がありました」
「どんな利益だ?」
「交易上の優遇、いくつかの戦略拠点への影響力、そして何より、我々が求めていた外交上の保証です」
アイガードはそこで一度言葉を切った。
「ただし、我々にはもう一つの目的がありました」
「エクィトゥム王国との軍事同盟か」
俺が先に言うと、アイガードは僅かに目を細めた。
「そこまでご存じでしたか」
「カヴィーレスターンが何を恐れているかを考えれば、想像はつく」
第四次カヴィーレスターン戦争で大敗を喫したカヴィーレスターンは、大きな人的損失と経済的損失を抱えたまま現在に至っている。大国として生き残っているとはいえ、かつてのように帝国の脅威を単独で受け止められる状態ではない。帝国に次ぐ大国であるエクィトゥム王国との軍事的な結びつきを得られるなら、帝国への対抗力は大きく変わる。
「その通りです」
アイガードが頷いた。
「第四次カヴィーレスターン戦争で、我々は思い知らされました。我々だけでは帝国に対抗できない。次に大規模な戦争になれば、敗北するだけでは済まないかもしれない。国そのものを守るためには、帝国に次ぐ大国であるエクィトゥム王国との軍事同盟が必要だった」
「それで、アイティクイランド王国との同盟を経由してエクィトゥムへ接近しようとした」
「ええ」
アイガードは続けた。
「我々にとって大きな問題の一つが、アイティクイランド王国の領土によってカヴィーレスターンの勢力圏が分断されていることでした。そこで、我々はアイティクイランド王国の第二王子派を支援し、王位継承争いへ介入し、第二王子派が政権を握った後に新政権と同盟を結ぶつもりだったのです」
「そして、その同盟を足掛かりにエクィトゥム王国との軍事協力を得る」
「その通りです」
俺は小さく息を吐いた。
「だが、俺とティアの婚約でその計画が崩れた」
「はい」
アイガードは苦笑した。
「両国の王族が婚姻によって結びつけば、我々が第二王子派へ賭ける意味が薄くなる。むしろ、新しい第一王子派政権がエクィトゥム王国と強固な関係を築くことになる。予定していた道が目の前で消えたわけです」
「それでも、ヴィクトリアやガルディシア伯爵との約束を反故にはできなかった」
「その通りです。カヴィーレスターンにとって、密約を結んだ相手を簡単に裏切ることは、今後の外交上大きな傷になります。ですから、状況が変わっていたとしても、我々は約束通り兵を動かしました」
「そして、あの夜にガルディシア伯爵城を落とした」
「ええ」
アイガードは否定しなかった。
「ですが、その後に殿下から使者が来た。我々が第一王子派へ寝返るなら、これまでのことは水に流す。その上で、殿下がエクィトゥム王国との同盟を仲介するという条件でした」
「そう約束した」
「我々にとっては、これ以上ないほど都合のいい話でした」
アイガードは静かに笑った。
「しかも、ヴィクトリア第二王妃が最終的には我々を切り捨て、帝国軍を招き入れるための材料として扱うつもりだったことまで判明した。我々としても、もはや彼女に忠誠を尽くす理由はありません」
「なら、この件はここで終わりにしよう」
アイガードは深く頭を下げた。
「ありがとうございます、王太子殿下」
俺は続けた。
「ただし、エクィトゥム王国との同盟を得たいなら、当然ながらエクィトゥム側にも利益が必要になる。俺が仲介するのは構わない。だが、フィリウス王太子殿下が納得できる条件を出してくれ」
「もちろんです」
◆
その日の午後、俺はフィリウス王太子へカヴィーレスターン側の事情を説明した。別室にはエクィトゥム王国側からフィリウス、オスティエール公爵ら外交・軍務関係者が集まり、アンティクイランド王国側からは俺とグラフィル、関係する担当者が席についた。カヴィーレスターン側からはアイガード本人が交渉に参加している。
「つまり」
フィリウスは書類を読みながら整理する。
「カヴィーレスターンは、アイティクイランド王国の第二王子派を利用して政権へ接近し、我が国との軍事的な関係を築こうとしていた。しかし、両国の王族婚姻によってその計画は崩れ、それでも密約を守るために三千の兵を動かした。その結果、第一王子殿下から別の条件を提示され、現在はこちら側へ協力することを選んだ」
「その通りです」
アイガードが答える。
フィリウスは少し黙った。
「私は、この提案をそのまま受け入れることはできません」
予想通りの答えだった。
「カヴィーレスターンと軍事同盟を結ぶことで、エクィトゥム王国が具体的に何を得るのか。その点が明確ではない。我が国が一方的に軍事的な責任を負うことになる可能性もあります」
「ごもっともです」
俺も頷いた。
「さらに、我が国がカヴィーレスターンとの軍事同盟を結べば、帝国との緊張も確実に高まるでしょう」
「その通りです」
フィリウスの判断は冷静だった。
俺もそれを理解している。
単に友好のためという理由で、自国の外交と軍事を大きく変えるような決断をする人間ではない。
その時だった。
「では」
アイガードが静かに口を開いた。
「我々が提供できるものを、明確にしましょう」
フィリウスが顔を上げる。
「現在、カヴィーレスターン・スルタン国は対シルウァニア王国戦へ三万三千の兵を派遣できます」
部屋の空気が変わった。
「三万三千?」
フィリウスが聞き返す。
「はい。単なる動員可能兵力ではありません。遠征軍として実際に派遣できる兵力です」
フィリウスの目が細くなる。
エクィトゥム王国は、これからシルウァニア王国との大規模な戦争へ突入する。その戦争に三万三千の軍勢が加われば、単純な兵力増加だけではない。戦線を増やせる。敵の防衛兵力を分散させられる。エクィトゥム王国自身が負担する兵站と戦闘の重さも軽くなる。
「……それなら話は変わります」
フィリウスが答えた。
「我が国にとって、三万三千の実戦兵力は無視できない」
オスティエール公爵も資料へ目を落とし、静かに頷いた。
フィリウスはしばらく考えた後、はっきりと言った。
「カヴィーレスターン・スルタン国との軍事同盟について、前向きに協議することを承認します」
アイガードの表情が僅かに緩んだ。
「ありがとうございます」
「ただし、詳細な条約はこれから詰める必要があります。相互防衛の範囲、戦時の派兵義務、指揮権、補給、軍隊の通過、戦費負担、外交上の独立。その全てを明確にする必要がある」
「異論ありません」
アイガードが頷いた。
こうして、三国による交渉が始まった。
誰も最初から、こんな形になるとは思っていなかった。
俺たちは、つい数日前まで内乱を戦っていた。
カヴィーレスターン軍三千は、本来なら敵になるはずだった。
それが。
ヴィクトリアの密約が明らかになったことで、カヴィーレスターンは俺たちの側へ回った。
そして今、その三千の兵をきっかけとして、より大きな同盟が生まれようとしている。
その後の交渉では、条文を一つずつ詰めていった。軍事支援の範囲、戦争時の派兵、補給、兵站拠点の使用、相互の外交的独立などについて、三国それぞれの利害を調整していく。フィリウスは自国の利益を譲らず、アイガードもカヴィーレスターンの主権と安全保障について妥協しない。俺は両者の間に立ちながら、三国すべてが受け入れられる落としどころを探した。
やがて。
カヴィーレスターン・スルタン国は、アイティクイランド王国とエクィトゥム王国との軍事的な結びつきを正式に受け入れることになった。
アイティクイランド王国。
エクィトゥム王国。
カヴィーレスターン・スルタン国。
こうして、三国の軍事同盟が成立した。
正式名称は、「大陸西部三国同盟」。
条約上は、それ以上でもそれ以下でもない。
だが。
人々は、この三国同盟をただの新しい軍事協定とは見なさなかった。
ルイーナエ大戦。
かつて大陸西部の諸国が、大国の脅威に対抗するために手を結んだ時代。
その時に結成された諸国連合と、この三国同盟の姿が重なって見えたのである。
「まるで、あの時代の諸国連合の再来だな」
「西部の三国が、再び大国へ対抗するのか」
「第二の諸国連合だ」
最初は一部の貴族や学者がそう呼んだだけだった。
しかし、その呼び名は急速に広がっていった。
商人たちの間でも。
軍人たちの間でも。
そして王都の民衆の間でも。
正式名称である「大陸西部三国同盟」よりも。
歴史上の諸国連合になぞらえた、**「第二次諸国連合」**という通称の方が次第に定着していった。
俺はその話を聞きながら、窓の外へ目を向けた。
ヴィクトリアが恐れていた未来。
帝国が再び力を取り戻した時、アイティクイランド王国は単独では生き残れないという考え。
その恐怖から、彼女は帝国への従属を選ぼうとした。
俺は、別の道を選んだ。
複数の国と結びつき、軍事力を共有し、交易を広げ、互いの利益を守ることで、一つの大国へ屈服することなく生き残る。
まだ、それが正しいと決まったわけではない。
この三国同盟が未来永劫続く保証もない。
同盟国同士で利害が衝突することもあるだろう。
帝国がこれをどう見るかも分からない。
それでも。
俺は、今ここにある三国同盟を見つめた。
大陸西部三国同盟。
そして、人々がそう呼び始めた名は――。
第二次諸国連合。
偶然から始まった。
内乱から生まれた。
しかし。
やがてこの同盟が、再び大陸の歴史を動かすことになる。
その時の俺は、まだそれを知らなかった。




