第71話 立太子の儀
成人の儀が終わると、会場の空気が僅かに変わった。ここから先は、昨日まで学院生だった俺が、王国の次代を担う王太子として正式に認められるための儀式になる。昨夜の内乱によって王宮にはまだ戦闘の傷跡が残っている。父上も完全に回復したわけではなく、医師の付き添いを受けながらの参列になっている。それでも父上は、自らの意思でこの場に姿を見せていた。王国の内乱によって予定を狂わせるのではなく、王位継承の手続きを予定通り進めることで、昨夜のクーデターが王国の未来そのものを奪うことはなかったのだと示すためだった。
会場の奥では、エクィトゥム王国王太子フィリウス・アウレリア・デイ・エクィトゥムが静かにこちらを見ている。その隣には、第三王女であるティアの姿もあった。昨日、卒業式を見届けた直後に王宮の内乱まで目にした二人にとって、今日の式典が決して平穏なものではないことは分かっている。それでも、フィリウス王太子は表情を崩すことなく、王族として正式な立場から俺を見守っていた。俺もその視線を一度だけ受け止め、ゆっくりと前へ進む。
「これより、第一王子レノウィウス・ゲンス・デイ・アンティクイランド殿下の立太子の儀を執り行います」
儀礼官の声が静かな会場へ響いた。
立太子の儀。
これまで第一王子として王位継承順位の第一位にいた俺が、正式に王太子として認められるための儀式だ。昨日までなら、武術大会で勝利したことや学院内の派閥争いを終わらせたことによって、事実上の王太子候補としての立場はほぼ確定していた。それでも、正式な儀式を経なければ王国の制度上、俺はまだ第一王子に過ぎない。だからこそ今日、この場でその立場を明確にする必要があった。
俺は指定された場所へ進み出る。
正面には父上がいる。
昨夜、毒に倒れた国王。
その命を奪おうとしたのは、父上の妻だったヴィクトリア。
そして、そのクーデターによって第二王子ルキウスも命を落とした。
本来なら、こんな日にそんなことを考えるべきではないのかもしれない。
それでも。
俺にとって、この立太子の儀は昨夜の内乱と切り離すことができなかった。
ヴィクトリアが最後に言った言葉が蘇る。
――あなたが決めた道を、何としてでも進みなさい。レノウィウス。
俺はゆっくりと息を吐いた。
「第一王子レノウィウス・ゲンス・デイ・アンティクイランド」
儀礼官が正式な名を読み上げる。
「これより、王太子としての証を受けるものとする」
俺は一歩前へ進んだ。
そして。
父上が立ち上がる。
まだ本調子ではない。身体には昨夜の毒の影響が残っている。それでも、王として、そして父として、この儀式を自ら執り行うためにここへ来た。
侍従が、台座の上に置かれていた冠を父上へ差し出す。
それは王太子のために作られた冠だった。
銀を基調とした細かな装飾が全体へ施され、その銀細工の間には碧い小さな宝石がいくつも散りばめられている。大きな宝石を一つだけ飾るような豪華さではなく、細かな碧い輝きが銀の上に連なっていることで、まるで夜空に無数の星が浮かんでいるようにも見えた。
俺は、その冠を見つめた。
王冠とは違う。
国王の座を示すものでもない。
だが。
この冠を頭に載せた瞬間、俺の立場は明確に変わる。
第一王子ではなく。
王太子。
次代の国王として。
父上が俺の前へ歩み寄る。
一歩。
また一歩。
そして、目の前で足を止めた。
父上と目が合う。
「レノウィウス」
「はい、国王陛下」
「今日より、お前は我が国の王太子だ」
その言葉に、会場全体が静まり返る。
「王太子として、この国を支える覚悟はあるか」
俺は迷わなかった。
「はい」
昨日までなら、この問いに対してもっと別の答えを考えていたかもしれない。
だが。
今は違う。
父上が毒で倒れた。
王宮が戦場になった。
兵士たちが同じ国の中で武器を交えた。
そして、ヴィクトリアとルキウスが亡くなった。
その全てを経た今なら。
俺には、この言葉の重さが分かる。
「私は、この国を守ります」
父上はしばらく俺を見つめていた。
その表情には、国王としての厳しさだけではなく、父親としての感情も混じっていた。
「ならば」
父上は侍従から冠を受け取る。
銀の装飾が施され、その間に小さな碧い宝石が無数に散りばめられた冠。
父上はそれを両手で持ち上げた。
そして。
ゆっくりと。
俺の頭へ載せる。
銀の冷たい感触が頭へ触れた。
次の瞬間、会場から大きな拍手が起こった。
昨日の夜まで、この王宮は戦場だった。
それでも今日。
ここにいる者たちは、王太子の誕生を祝っている。
俺はその拍手を聞きながら、静かに前を向いた。
銀の冠。
碧い小さな宝石。
そして、その重み。
それは装飾品としての重さではなかった。
これから背負うものの重さだった。
父上が俺の肩へ手を置く。
「レノウィウス・ゲンス・デイ・アンティクイランド」
「はい」
「本日をもって、お前を正式にアンティクイランド王国王太子に定める」
その言葉が、会場へ響き渡った。
俺はゆっくりと頭を下げた。
「承知しました」
顔を上げる。
視線の先には、ティアがいる。
彼女は何も言わなかった。
ただ、少しだけ笑っていた。
その隣には、フィリウス王太子。
彼も静かに頷いている。
王宮の壁の向こうには、まだ昨夜の戦いの痕跡が残っている。
第四軍団と第五軍団が起こした反乱。
ヴィクトリアの陰謀。
ルキウスの死。
そして、父上が倒れた夜。
それらは消えない。
俺自身の記憶からも。
この国の歴史からも。
だが。
俺はその全てを背負ったまま、ここから先へ進まなければならない。
王太子として。
そして。
いつか国王として。
父上から王位を受け継ぐ者として。
俺は頭上の冠へ一度だけ手を触れた。
銀の装飾に散りばめられた碧い宝石が、朝の光を受けて静かに輝いている。
昨日までの俺なら、この冠を未来への栄誉として見ていただろう。
だが、今は違う。
これは。
俺がこれから背負う国そのものだった。
そして、その重さから逃げるつもりはなかった。
俺は王太子として。
今日から、新しい未来へ進む。




