第70話 成人式
内乱が終結した翌朝、王宮は昨夜の戦闘によって至るところに傷跡を残していた。王族居住区域では破壊された扉や折れた武器がそのまま残され、廊下には負傷した兵士たちを運び出した痕跡があり、夜通し治療と警備に当たっていた医師や侍従たちが、ほとんど眠ることもなく王宮中を行き来している。それでも、王宮は止まらなかった。
ヴィクトリアとルキウスが亡くなり、第四軍団と第五軍団の大部分が武器を置いたことで内乱そのものは終結し、残った反乱勢力も各軍団によって順次拘束され始めていたからだ。昨夜まで戦場だった場所を片づけ、必要な施設を確保し、負傷者を治療し、そして何よりも国王の生死を確認することが、今の王国にとって最優先されるべきことだった。
そんな慌ただしい朝、医務室から一人の医師が俺のもとへ駆け寄ってきた。表情を見れば、それまでとは違う報告を持ってきたことが分かる。
「殿下、国王陛下についてご報告があります」
「父上はどうなった?」
「意識を取り戻されました」
その言葉を聞いた瞬間、俺は思わず息を吐いた。昨夜からずっと胸の奥に張りついていた重苦しいものが、ほんの少しだけ解けていく。
「本当か?」
「はい。第二王妃殿下が所持していた解毒薬が残されており、それを使用したことで毒の作用を抑えることができました。まだ身体はかなり衰弱しており、完全に危険を脱したわけではありませんが、少なくとも意識を取り戻せたことは大きな前進です」
ヴィクトリアが最後まで隠し持っていた解毒薬が、皮肉にも父上の命を救った。自分が起こしたクーデターによって国王を瀕死へ追いやった彼女が、その治療のために用意していた薬で父上が助かったという事実は、あまりにも奇妙で、それでいて今の俺にとってはどうでもいいことだった。何よりも重要なのは、父上が生きていることだった。
「会えるか?」
「短時間でしたら。ただし長く話されるのは避けてください」
「分かった」
俺は医務室へ入った。そこにはベッドへ横たわる父上の姿があり、昨夜までの威厳ある国王の姿とは比べものにならないほど衰弱しているものの、確かに意識を取り戻してこちらを見ていた。
「……レノか」
「はい、父上」
「随分と……ひどい顔をしているな」
「父上も同じです」
俺がそう返すと、父上はほんの少しだけ笑った。こんな状況でさえ冗談を返せるのなら、少なくとも今すぐ命を失うような状態ではないのだと思えた。
「昨夜のことは……」
「内乱は終わりました。第四軍団と第五軍団は制圧し、反乱へ関与した者たちの拘束も始まっています。ヴィクトリアとルキウスも、もういません」
父上はしばらく目を閉じたままだったが、やがて静かに息を吐いた。
「……そうか」
それ以上の言葉はなかった。俺も無理に続けるつもりはなかった。昨夜の出来事はあまりにも重く、今ここで詳しく語ったところで父上の負担を増やすだけだ。
「父上、今日の予定ですが……」
「まさか、予定通りやるつもりか?」
父上は驚いたように俺を見る。
「成人式と立太子の儀です」
「延期しろ。こんな状況で式典をする必要はない」
「王宮が戦場になったことは分かっています。でも、ここで全てを延期すれば、昨夜の内乱によって王国の未来そのものが止まったことになります」
俺は静かに答えた。
「昨日、ヴィクトリアが狙ったのは国王の身柄だけではありませんでした。俺の立太子を止め、王国の進む方向そのものを変えることまで含めて、あのクーデターだった。ならば、俺たちは予定通り前へ進むべきです」
父上はしばらく俺を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「……お前は、本当に変わったな」
「そうでしょうか」
「ああ。なら、やれ」
「はい」
俺は一礼して医務室を後にした。
◆
朝になってから、王宮では急ピッチで式典の準備が進められた。本来であれば卒業式の翌日に予定されていた成人式と立太子の儀を、昨夜の内乱を理由に延期することもできたはずだが、国王自身の許可によって予定は変更されないことが決まった。もちろん、昨夜戦闘が行われた王族居住区域や中央宮殿をそのまま式典に使用するわけにはいかないため、会場は別区域へ移され、警備も通常より遥かに厳重にされたが、王宮そのものが昨日の混乱に屈していないことを示すためにも、式典は予定通り行われることになった。
そして、来賓席にはエクィトゥム王国からの重要な客人が座っていた。
王太子フィリウス・アウレリア・デイ・エクィトゥム。
ティアの兄であり、エクィトゥム王国の次代を担う人物である。昨日は妹の婚約相手となる俺の卒業式に出席し、その夜にはまさか自国と同盟を結ぶはずの相手国の王宮で内乱が起こるところまで目撃することになったのだから、俺としても申し訳なさはあった。しかし、起きてしまったことを隠すわけにはいかないし、これから軍事同盟や貿易協定を正式に結ぶことを考えれば、アンティクイランド王国がどのような国なのかを知ってもらう意味でも、昨夜の出来事まで含めて見てもらうしかなかった。
正直なところ、俺ももう少し平穏な形でエクィトゥム王国の王太子を迎えたかった。しかし、今さら「内乱は見なかったことにしてください」と言えるわけでもない。昨日の夜が過ぎた以上、今の俺たちにできることは、何事もなかったように装うことではなく、内乱を乗り越えた上で王国が次へ進もうとしている姿を見せることだった。
やがて、式典の開始を告げる声が会場へ響いた。
「これより、アンティクイランド王国における成人の儀を執り行います」
成人式は、俺一人だけのために行われるものではない。王立貴族学院を卒業した同世代の者たちもまた、この日に正式な成人として認められることになるため、会場には昨日まで学院で机を並べていた卒業生たちが一堂に集まっていた。エリシアも、コリウスも、ティアも、その他の卒業生たちも、それぞれが緊張した面持ちで指定された場所に立っている。
昨日の卒業式では、まだ学院の生徒だった。
しかし。
今日は違う。
成人として、これから先の人生を自分自身の責任で歩いていく立場になる。
式典が進み、卒業生たちの名前が一人ずつ呼ばれていく。呼ばれた者が前へ進み、成人の証を受け取る。その様子を見ながら、俺は学院で過ごした年月を思い返していた。武術大会も、戦争も、派閥争いも、ティアとの再会も、エリシアたちとの日々も、今となっては一つの長い学院生活の中にあった出来事として繋がっている。
そして。
「レノウィウス・ゲンス・デイ・アンティクイランド」
自分の名前が呼ばれた。
俺は静かに前へ進み、成人の証を受け取った。
今日。
俺は十五歳になった。
前世では、十五歳などまだ子供だった。学校へ通い、友人たちと笑い、将来が漠然と遠くにあるだけの年齢だった。しかし今の俺にとって十五歳は、王立貴族学院を卒業したという事実だけではなく、王国の未来を担う成人として扱われる年齢であり、この先に立太子という重大な儀式が待っている年齢でもある。
俺は一礼して席へ戻った。
視線を上げる。
来賓席にはフィリウス王太子がいる。
その少し離れた場所には、ティアもいる。
俺は一瞬だけ彼女と目を合わせた。
ティアは静かに頷いた。
昨夜。
王宮は戦場になった。
父上は毒で倒れた。
ヴィクトリアとルキウスは亡くなった。
それでも。
今日、俺たちは成人した。
そして、この後には。
俺自身が王太子となるための儀式が待っている。




