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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第65話 味方

 戦闘が始まる直前、俺は一度だけ深く息を吸った。傷はすでに塞がっている。しかし、完全に治ったわけではない。狩猟大会で受けた傷の影響はまだ身体の奥に残っており、激しく動けば鈍い痛みが走るし、長時間の戦闘に耐えられるだけの体力もまだ戻り切っていなかった。本来なら今夜も王宮全体の指揮を執る側にいるべきだったが、サナとティアを狙った別働隊が第一王子宮へ侵入してきた以上、二人を置いたまま中央宮殿へ戻るわけにもいかない。ここは自分自身で守る必要があった。


 しかし、こちらには一つ大きな問題があった。俺たちが態勢を整えるより先に、ロリウスたちはすでに戦闘準備を終えていたのである。


「――武装」


 ロリウスが低く告げた瞬間、その場にいた兵士たちの魔力が一斉に膨れ上がった。開戦前から準備していた集団詠唱によって、身体強化と武具強化が最大出力で発動し、全身の筋力や反応速度が引き上げられると同時に、手にした武器にも強い魔力が宿る。俺たちがこれから魔法を使おうとすれば、そのために詠唱する時間が必要になるが、ロリウスたちはすでに戦うための準備を終えている。最初からここでの近接戦を想定していたのだろう。


「……なるほど。最初から、ここで戦うつもりだったか」


 俺が呟いた直後、ロリウスが一気に距離を詰めてきた。反応が速い。俺はすぐに剣を合わせたが、受けた瞬間に想像以上の重さが腕へ伝わり、そのまま一歩後ろへ押し込まれた。二撃目、三撃目と間髪入れずに攻撃が続き、俺は防ぐことを優先せざるを得なくなる。魔法の詠唱を始めれば、その瞬間に斬り込まれる。詠唱のために距離を取ろうとしても、周囲の兵士たちが一気に間合いを詰めてくる。狭い廊下という環境も相手にとって有利に働いていた。


「殿下、お下がりください!」


「駄目だ!」


 第一軍団の兵士が援護に入ろうとしたが、俺は制した。サナとティアは俺の後ろにいる。この場所で俺が退けば、ロリウスたちはそのまま二人へ向かってしまう。だから、多少苦しくてもここで止めるしかなかった。


 俺はロリウスの剣を弾き、その隙を狙って踏み込む。だが、ロリウスは身体を捻って斬撃をかわし、すぐに反対側から剣を振り抜いてきた。俺は受け止めたものの、衝撃で腕が痺れる。さらに周囲ではロリウスの部下たちが第一軍団へ圧力をかけており、こちらの前衛が少しずつ押し込まれていく。強化魔術を事前に済ませている相手に対して、俺たちは純粋な剣技と人数で耐えるしかない。しかも、俺自身は負傷から完全には戻っていない。


「押せ!」


 ロリウスの声に合わせ、敵兵が一斉に前へ出る。俺は次の攻撃を受けようとしたが、今度は完全には受け切れなかった。身体が大きく流れ、視界が僅かに揺れる。その瞬間を逃さずロリウスの剣が迫り、俺は咄嗟に身体を捻った。刃は直撃こそ避けたものの衣服を切り裂き、傷の近くへ強い衝撃が走る。


「殿下!」


「……まだだ」


 俺は痛みを無視して剣を構え直した。しかし、呼吸は明らかに乱れていた。今から詠唱を始める余裕はない。身体強化も武具強化も最大出力で維持しているロリウスたちに対し、俺だけが強化なしの身体で戦い続けている。このままでは、長くは持たない。


 ここまで自分の計算が崩れるとは思っていなかった。ヴィクトリアの主力、第四軍団、第五軍団、第一軍団、第二軍団、第三軍団については事前に全て想定していた。だが、少人数の別働隊が第一王子宮へ入り込み、俺自身をここへ足止めするという動きだけは想定していなかった。王宮全体の戦況を考えれば小さな戦場に過ぎない。それでも、この場所だけに限れば、俺は完全に後手へ回っていた。


「ここまでです、殿下!」


 ロリウスが再び踏み込んでくる。俺は剣を構え直すが、腕が重い。次の攻撃をまともに受ければ、今度こそ持たないかもしれない。


 その時だった。


「――レノ!」


 聞き慣れた声が廊下へ響いた。


 俺が振り返ると、そこにいたのはティアだった。身体には身体強化魔術が施され、手にした武器にも強い魔力が宿っている。さらに周囲には赤橙色の魔力が渦巻き、今にも炎へ変わろうとしていた。明らかに、炎熱魔法を発動する準備を整えている。


「何で出てきた!」


「レノが危ないから!」


「第一王子宮から出るなと言っただろ!」


「そんなこと言ってる場合じゃない!」


 ティアは迷うことなく俺の前へ出た。


「私だって戦える」


 その言葉と同時に、周囲の魔力が一気に膨れ上がる。ロリウスたちは反射的に距離を取った。ティアの存在によって、それまで一方的だった戦場の空気が変わったのである。


「全員、構えろ!」


 ロリウスが叫ぶ。


 ティアは武器を構え、俺の横へ並んだ。


「レノ、後ろは任せて」


「……分かった」


 俺は短く答えた。


 ティアがいるだけで、戦い方が変わる。俺一人なら詠唱の時間を作ることさえ難しかったが、今はティアが魔法を使うための時間を作れる。俺は前衛としてロリウスたちを引きつけ、ティアが後方から魔法を放つ。それだけで、こちらの選択肢が一気に増えた。


 ティアは一度目を閉じ、魔力を集中させる。


 そして、詠唱が始まった。


『アエテリアの大地を支配する灼熱竜アルデーンスよ。


 哀れにも其の御力に縋る我に竜の御力を与えたまえ。


 我が願うは『竜の鼻息』の力。


      我が祈りを聞き届け、


         御身が御力を与えたまえ。』


 詠唱が終わった瞬間、ティアとティアの剣先に魔法陣が出現し、剣先の魔法陣の上に紅色の透明な球体らしきものが現れる。


そしてティアがそれをロリウス達に向かって振った瞬間、炎熱魔法が放たれロリウスたちは横へ散開する。俺はその瞬間を逃さず踏み込んだ。ロリウスの剣と俺の剣が正面からぶつかり、鋭い金属音が響き渡る。


「……っ!」


 互いに押し合う。


 だが、次の瞬間にはティアの炎が横から迫ってきた。ロリウスは咄嗟に身を引き、俺はその動きに合わせて距離を詰める。さらにティアが別方向へ炎を走らせることで、敵の退路が一つずつ潰されていく。先ほどまでロリウスたちが強化魔術の力を利用して押し込んでいた戦場が、今度は俺たちの側へ傾き始めた。


「囲め!」


 ロリウスの部下が叫ぶ。


 だが、第一軍団の兵士たちも前へ出た。盾で攻撃を受け、隙を作り、その隙へ別の兵士が踏み込む。ティアの炎が敵の進路を制限し、俺がその隙を突いてロリウスへ斬り込む。近距離での剣技と炎熱魔法が入り混じり、狭い廊下は激しい戦場へ変わっていった。


「レノ、右!」


「分かってる!」


 ロリウスの斬撃を受け流した直後、ティアの炎がその横を走り抜ける。ロリウスは後退するが、そこへ俺が踏み込み、さらに別の兵士が割って入る。ティアが炎を放ち、その兵士を後退させる。その隙に第一軍団が押し込み、ロリウスたちの隊列が徐々に崩れていく。


 それでもロリウスは諦めなかった。


「まだだ! 押し返せ!」


 彼らにとっては最後の任務だった。ヴィクトリアから与えられた命令を完遂し、第一王子宮を奪わなければならない。だからこそ、簡単には退かない。しかし、開戦前から強化魔術を使っていたとはいえ、その魔力には限界がある。対してこちらは、ティアの炎によって彼らの行動を制限しながら戦っている。時間が経つほど、戦況は確実にこちらへ傾いていった。


 俺の身体はまだ万全ではない。傷の奥には鈍い痛みが残っているし、息をするたびに疲労が蓄積していく。それでも、ティアが横にいることで戦い続けることができた。彼女の魔法が敵の動きを制限し、そのたびに俺が剣で前へ出る。二人で一つの戦い方を作るようにして、少しずつロリウスたちを追い詰めていく。


「くそっ……!」


 ロリウスが苦しそうに吐き捨てる。


 俺は最後の力を振り絞って踏み込んだ。ロリウスが剣を振り下ろす。俺はそれを受け流し、その瞬間にティアの炎が背後から走った。ロリウスは炎を避けるために身体を開く。その隙を逃さず、俺は一気に距離を詰めた。


 次の瞬間。


 ロリウスの武器が床へ落ちた。


 周囲の兵士たちも一斉に動きを止める。


「……降伏しろ」


 俺は剣を向けた。


 ロリウスは荒い息を吐きながら、周囲を見回した。第一軍団が自分たちを包囲し、ティアの魔法が戦場を制圧している。これ以上戦えば、ただ犠牲が増えるだけだ。


 やがて、ロリウスは武器を下ろした。


「……降伏します」


 その言葉を聞いた瞬間、第一軍団の兵士たちも武器を下ろした。


 戦闘が終わった。


 俺は大きく息を吐き、剣を下ろした。身体に残っていた緊張が一気に抜け、傷の周囲へ遅れて痛みが戻ってくる。俺が僅かによろめくと、すぐにティアが近づいてきた。


「レノ、大丈夫?」


「ああ……」


「本当に?」


「少し痛むだけだ」


「それ、少しって顔じゃないよ」


 ティアの表情は心配そうだった。


「だから無理しちゃ駄目だったのに」


「分かってる」


「絶対分かってない」


 そう言われて、俺は小さく笑った。


「でも、助かった」


 ティアは少しだけ黙った後、柔らかく笑う。


「当然だよ。レノが危ないなら、私だって戦う」


 その言葉を聞きながら、俺は再び中央宮殿の方へ目を向けた。


 第一王子宮を狙った別働隊は止めた。


 だが、王宮中央ではまだ第四軍団と第五軍団が戦っている。父上の容態も分からない。ヴィクトリアの計画も、まだ終わってはいない。


 俺は剣を握り直した。


 いくら事前に計画を立てても、戦場では必ず想定外が起きる。今回は、自分自身が負傷から完全に回復していないという弱点を突かれ、開戦前から最大出力の強化魔術を済ませていたロリウスたちに押し込まれた。そこへティアが加わり、ようやく戦況を覆すことができた。


 だからこそ、俺は一つのことを改めて理解した。


 どれだけ完璧な計画を立てても、その通りに戦場が進むとは限らない。重要なのは、計画から外れた瞬間にどう対応するかだ。


 そして今夜は。


 まだ、終わっていない。


 俺たちは第一王子宮を守り切った。


 だが、本当の戦場は中央宮殿にある。


 俺はティアと並んで歩き出した。


 父上を守るために。


 そして、この内乱を終わらせるために。

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