第62話 内乱
国王アウレリウスが倒れたとの報告が王宮内を駆け巡った直後、王族居住区域と貴族街を隔てる門の一つが、内側からゆっくりと開き始めた。深夜の王宮を守る兵士たちは突然の異変に気付き、門へ駆け寄ろうとしたが、その時にはすでに門番の何人かが倒されている。騒ぎを引き起こしたのは、カシウス公爵家三男ロリウスと、彼に従う者たちだった。
ロリウスは周囲を確認しながら門の前に立っていた。王宮の要所を開けるという行為が何を意味するのか、当然ながら理解している。ここから先は、もはやただの政争ではない。王宮へ軍を引き入れるという、明確な武力行使だった。
「開いたぞ!」
その声とほぼ同時に、夜の王宮外から多数の足音が響き始めた。
重い軍靴の音。
整然と進む兵士たちの列。
松明の明かり。
第四軍団。
そして第五軍団。
二つの軍団が、開かれた門から王宮へ雪崩れ込んでくる。
「第四軍団、王宮内部へ進め!」
「第五軍団は王族居住区域を確保しろ!」
指揮官たちの怒号が飛び交う。
兵士たちは迷いながらも命令に従い、王宮内部へ進んでいく。彼らの多くは、自分たちが国王陛下を守るために動いていると信じている。ヴィクトリア側から伝えられたのは、国王が何者かによって毒を盛られ、第一王子がその事件に関与しているという説明だった。だからこそ、彼らは自分たちの行動を反乱ではなく、王国を守るための軍事行動だと考えていた。
それが。
ヴィクトリアによって用意された最初の罠だった。
「国王陛下の身柄を確保する!」
「王族居住区域へ向かえ!」
第四軍団の一隊が中央宮殿へ向かう。
その後ろから第五軍団の兵士たちが続く。
まるで王宮そのものを飲み込むかのように、兵士たちは各通路へ散開していった。
だが。
彼らが中央宮殿へ到達するより先に、その正面へ一団の兵士たちが姿を現した。
王家の紋章を掲げた盾。
整然と並んだ槍兵。
その背後には弓兵。
そして中央に立つ指揮官。
「止まれ!」
声が王宮の石壁へ響き渡った。
第一軍団だった。
俺があらかじめ配置していた部隊が、すでに中央宮殿の要所を固めていた。
「ここより先は通さん!」
第四軍団側の指揮官が声を張り上げる。
「何をしている! 国王陛下が危険に晒されている! 我々は陛下を保護するために来た!」
「国王陛下の保護?」
第一軍団の指揮官が冷静に返す。
「そのために、夜間に王宮へ大軍を突入させるのか?」
「国王陛下が毒を受けたとの報告がある! 一刻の猶予もない!」
「ならば、まず王宮の正規指揮系統へ報告しろ」
「その時間すら惜しい!」
「ならば、ここから先へ通す理由はない」
両軍の間に緊張が走る。
一歩。
第四軍団の兵士が前へ出る。
第一軍団の兵士が槍を構える。
さらに一人。
もう一人。
武器を持った兵士たちが距離を詰める。
誰もが、この先に何が起きるのかを理解し始めていた。
王宮を守るはずの兵士同士が。
同じ王国の兵士同士が。
互いに武器を向けている。
「最後に警告する!」
第一軍団の指揮官が叫んだ。
「王宮から退け!」
「我々は退かない!」
第四軍団側が答える。
「ならば――」
第一軍団の兵士たちが一斉に構えを取った。
「ここから先は、通さない!」
次の瞬間。
最前列で盾と盾が激しくぶつかった。
「押せ!」
「前へ!」
「第一列、耐えろ!」
王宮の中央通路で、戦闘が始まった。
槍が交差する。
盾がぶつかる。
弓兵が後方から矢を放つ。
第四軍団の兵士が前進しようとすれば、第一軍団が押し返す。
第五軍団が別の通路へ回り込もうとすれば、そこにも第一軍団の兵士が配置されていた。
事前に準備していたからこそ、第一軍団は圧倒的に不利な状況へ陥らずに済んでいた。
王宮は広い。
だが。
大軍が自由に動けるほど広くはない。
複数の通路。
中庭へ繋がる門。
中央宮殿へ続く階段。
王族居住区域へ向かう狭い廊下。
その一つ一つが、第一軍団によって要所として抑えられていた。
「なぜだ!」
第四軍団の兵士が叫ぶ。
「なぜ第一軍団がこんなところにいる!?」
答えはない。
彼らは知らない。
第一軍団がこの夜のために、すでに準備されていたことを。
そして、その準備を命じたのが俺であることを。
その頃。
中央宮殿のさらに奥。
国王アウレリウスは医師たちによる治療を受けていた。
「陛下、意識はございますか!」
「……」
返事はない。
医師たちが毒の作用を抑えようと必死に治療を続けている。
その周囲には、第五軍団の一部が迫っていた。
「国王陛下を確保する!」
「医師もそのまま残せ!」
「陛下を安全な場所へ移す!」
彼らは本気だった。
本当に国王を守るつもりなのだ。
だからこそ、厄介だった。
ヴィクトリアは嘘をついた。
だが。
兵士たちは、その嘘を真実だと思っている。
そのため、戦っている側にも、戦う理由がある。
王宮の別の場所では、ロリウスがその状況を見ながら、静かに息を吐いた。
「第四軍団と第五軍団は中央宮殿まで入った」
彼の側近が報告する。
「第一軍団が抵抗しています」
「予想より早いな」
ロリウスが呟く。
「だが、王宮内の主要施設はすでに我々の側に入っている。国王陛下が倒れている以上、第一王子を拘束すれば――」
その言葉を遮るように、遠くから激しい金属音が響いた。
戦闘は続いている。
第一軍団はまだ崩れていない。
「……第一軍団を押し込め!」
ロリウスが第四軍団軍団長に命じる。
「王族居住区域への道を開け!」
「承知しました」
第四軍団の兵士たちが、再び前進を始める。
だが。
その先に待っていたのは。
王族居住区域へ続く通路を固める、別の第一軍団部隊だった。
中央宮殿の護衛だけではない。
俺が第一王子宮周辺へ密かに集結させていた第一軍団の兵力も、すでに動き始めていた。
「第一軍団が二つに分かれている……?」
「違う!」
第四軍団の指揮官が周囲を見る。
「王族居住区域側にも配置されていたのか!」
そう。
第一軍団は、中央宮殿の護衛だけではなかった。
国王を守るためだけではない。
第一王子宮と、その周辺を守るためにも配置されていた。
王宮の中央と。
王族居住区域。
その二つを押さえれば、第四軍団と第五軍団は一気に前進することができる。
逆に。
そこを突破できなければ。
王宮の完全制圧は不可能だった。
「第一軍団はここを死守しろ!」
「第四軍団を中へ入れるな!」
「第一王子宮への道を守れ!」
再び矢が飛ぶ。
盾が並ぶ。
槍が交差する。
王宮の夜は、完全な戦場へ変わっていた。
そして。
第一軍団の兵士たちが戦っている間に。
王宮の別の場所では、事態を聞きつけた第二軍団と第三軍団が動き始めていた。
だが。
それはまだ。
第四軍団と第五軍団には知られていない。
そして第一軍団にも、まだ知らされていない。
この戦いが。
もうすぐ挟撃されるということを。




