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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第56話 帝国軍諜報部隊との海戦

 王都を出港した一隻の商船が、ゆっくりと沖へ進んでいた。船倉には高級酒、宝飾品、高級織物、香辛料など、通常の商船が積むにはあまりにも高価な品々が大量に積み込まれている。しかも、その多くには高位貴族へ献上する品に用いられるような丁寧な包装が施されており、甲板へ出ている船員たちも普段の商取引とは違う緊張を漂わせていた。


 その船から少し離れた海上を、一隻の小型船が追っていた。さらにその後方には、もう一隻の船が一定の距離を保ちながら進んでいる。一見すれば海上を移動するただの船団にしか見えないが、その中にはグラフィルと、彼が連れてきた情報員たち、そして口の堅さで選ばれた傭兵団が乗り込んでいた。彼らは海賊に見えるよう装備も服装も整えている。目的は一つ。アルゲントゥム商会残党の船を襲撃し、船そのものと積み荷、そして船員を確保することだった。


 甲板の上で、グラフィルは遠くに見える商船を黙って見つめていた。


「距離は?」


「まだ少しあります。ただ、風向きはこちらに有利です」


「もう一隻は?」


「予定通り、反対側から回っています」


 グラフィルは短く頷いた。


 相手の船には、アルゲントゥム商会残党の船員だけではなく、帝国軍の諜報部隊である護衛兵が乗っている可能性が高い。だからこそ、ただの海賊を装った襲撃なら簡単にはいかないだろう。それでも、レノから与えられた命令は明確だった。


 船を沈めるな。


 積み荷を燃やすな。


 逃がすな。


 そして、可能な限り船内を完全な状態で確保する。


「そろそろです」


 隣にいた情報員が告げる。


 グラフィルは海賊に見えるよう外套を羽織った傭兵たちへ目を向けた。


「合図を出せ」


 直後、後方の船から旗が上がった。


 それを見た傭兵たちは一斉に配置につく。


 商船の見張りがこちらに気づいたのは、その直後だった。


「船影!」


「後方からも来るぞ!」


 商船の甲板が一気に騒がしくなる。


 船員たちが弓と弩を取り出し、甲板上へ散開する。同時に、別の男たちが船内から姿を現した。その立ち振る舞いだけで、ただの商船員ではないことが分かる。周囲を確認する目、武器を構える速さ、船上での位置取り。その全てが訓練された兵士のものだった。


「来るぞ!」


「放て!」


 弓弦が一斉に引かれた。


 次の瞬間、矢が海上を飛び交った。


 グラフィルの乗る船にも矢が降り注ぎ、甲板へ刺さっていく。傭兵たちは盾を掲げ、その陰に身を隠しながら距離を詰めていった。弩から放たれた矢が船縁へ突き刺さり、木材が軋む。


「撃ち返せ!」


 今度はこちらから矢が放たれる。


 この世界では、大砲も銃もない。


 遠距離から相手を攻撃できる手段は、弓と弩だけだ。


 そのため、両船は距離を縮めながら矢を撃ち合い、甲板には次々と矢が飛び交った。だが、グラフィルたちは相手を殺すことが目的ではない。矢を受けて動けなくなった者は無理に追撃せず、敵の射撃位置を崩すことを優先していた。


「あと少し!」


「衝突に備えろ!」


 やがて二隻の距離が急速に縮まる。


 商船側が進路を変えようとした。


 だが、それより早く、横から回り込んだもう一隻が進路を塞いだ。


「逃がすな!」


 傭兵団の船が商船へ突っ込む。


 船体同士が激しくぶつかり、大きな衝撃が甲板を揺らした。


「今だ!」


 傭兵たちが一斉に飛び移った。


 縄が投げられ、鉤が船縁へ引っかけられる。さらに別の縄が船体同士を繋ぎ、二隻の船がほとんど一つの船のように固定されていく。


 商船側もすぐに反応した。


「敵が乗り込んでくるぞ!」


「押し返せ!」


 甲板上で武器がぶつかる。


 傭兵たちは剣と盾を手に商船へ乗り込み、商船側の護衛兵も応戦する。


 先ほどまで海上で飛び交っていた矢は、距離がなくなったことで意味を失った。


 ここからは近距離の戦いだった。


 船と船が繋がれたことで逃げ道は狭くなり、甲板の上で双方の兵が入り乱れる。船上という限られた空間では、大きな武器を振り回すことも難しい。そのため、短い剣や盾を使った素早い攻防が続いた。


「右から来る!」


「受けろ!」


 傭兵の一人が盾で相手の攻撃を受け止め、その隙に別の兵が横から相手を押し退ける。


 しかし、敵も弱くはない。


 商船員の中に混じっていた男たちは、明らかに普通の護衛ではなかった。互いに声を掛け合いながら隊列を維持し、船上という不利な状況でも崩れない。


 グラフィルはその様子を見て確信した。


 やはりいる。


 帝国軍諜報部隊。


「グラフィル様」


 情報員が駆け寄る。


「敵の動きが普通ではありません」


「分かっている」


 グラフィルは腰の剣を抜いた。


「商人だけではない」


「はい」


「ならば、なおさら逃がすな」


 グラフィル自身も船へ飛び移った。


 足が甲板へ着いた瞬間、目の前から敵兵が迫る。


 グラフィルはそれを受け止め、短い攻防の末に相手を押し退けた。そのまま船内へ続く階段へ視線を向ける。


「船倉を確保しろ!」


「はい!」


「船員を一人でも逃がすな!」


 傭兵たちが返事をする。


 甲板の各所で戦闘が続く。


 船員たちは必死に抵抗し、帝国軍諜報部隊の護衛兵たちはさらに激しく反撃する。海上で二隻の船が繋がれたまま、甲板は完全な戦場へ変わっていた。


 そして。


 商船の船倉へ続く扉が、グラフィルの目の前にあった。


 その向こうに。


 アルゲントゥム商会の残党が、何を隠しているのか。


 そして。


 高位貴族への献上品のように包装された大量の高級品が、誰のために積み込まれているのか。


 グラフィルは扉へ手を伸ばした。


「ここからだ」


 甲板では、まだ戦闘が続いている。


 しかし。


 グラフィルたちが追っていた本当の獲物は、船そのものだった。

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