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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第55話 アルゲントゥム商会の残党

 目を覚ましてから、しばらくの間、俺はほとんど寝たきりの状態だった。身体を起こすことさえ医師から止められており、食事も自力で満足に取ることができない。少し長く話すだけで疲れ、傷の痛みと毒の影響が残っているせいか、一日の大半を眠って過ごすことになる。それでも、三日間の死線を越えた後だけあって、日を追うごとにほんの僅かながら身体が軽くなっていくのは感じられた。


 俺がそんな状態で静養している間にも、王国内では事件後の処理が進められていた。学院の警備は強化され、ヒルゼルス男爵家への処分も決定し、フェルディナン騎士家は新たに男爵家として認められた。表向きには、第一王子暗殺未遂事件は一つの区切りを迎えたように見える。


 だが、俺はまだ完全には安心していなかった。


 矢に塗られていた毒。


 カヴィーレスターンの商人。


 その商人を誰がゼリグへ繋いだのか。


 そして、誰がその先にいるのか。


 証拠がない以上、今の俺にできることは限られている。身体を動かせない以上、自分から調べに行くこともできない。だからこそ、俺は側にいる者たちから届く情報に耳を傾けるしかなかった。


 ある日の午後。


 俺が寝台で本を眺めていると、扉の外から控えめな声が聞こえた。


「殿下、入ってもよろしいでしょうか」


「グラフィルか?」


「はい」


「入れ」


 扉が開き、グラフィルが入ってくる。


 いつもと変わらない無表情に近い顔だったが、今日は少しだけ視線が鋭かった。


「どうした?」


「ご報告があります」


「……何かあったのか?」


「はい。少々、気になる動きが確認されました」


 グラフィルは俺の寝台の横まで来ると、声を落とした。


「情報員たちから報告が入りました」


 情報員つまりもともと浮浪児だった者たちだ。


 俺が以前から水面下で育て、情報収集をさせている子供たちだ。


「内容は?」


「アルゲントゥム商会の残党についてです」


 その名前を聞いた瞬間、意識が少し引き締まった。


「続けろ」


「王都の港湾部にある倉庫から、アルゲントゥム商会の残党が大量の高級品を一隻の船へ積み込んでいるという報告がありました」


「高級品?」


「はい。宝飾品、酒、織物、香辛料など、かなりの量だったようです。そして情報員たちが特に気にしたのが、その包装です」


「包装?」


「はい」


 グラフィルは小さく頷いた。


「通常の商業貨物とは明らかに違っていたそうです。情報員たちは、以前に王都の貴族街で見た献上品の包装とよく似ていると報告しています」


 俺は少し考えた。


「高位貴族へ贈るための包装ということか」


「その可能性が高いと考えています」


「……なるほど」


 アルゲントゥム商会は以前、王国内での影響力を失った。


 残党も表立って活動することは難しいはずだ。


 それなのに、今になって一隻の船へ大量の高級品を積み込んでいる。


 しかも、その包装が高位貴族への献上品を思わせるもの。


 ただの商品輸送には見えない。


「その船はどこへ向かう?」


「まだ出港前です。ただ、船員の動きから見る限り、近いうちに王都を離れる可能性が高いと思われます」


「積み荷の量は?」


「一隻の船としてはかなり多いようです。残党がこれまで保有していた資産を、可能な限り積み込んでいるようにも見えます」


 俺はしばらく黙った。


 逃亡か。


 国外への資産移動か。


 それとも――。


 誰かへの献上品か。


「高位貴族との取引を疑っているのか?」


「はい。少なくとも、情報員たちはそう考えています」


 グラフィルは淡々と続けた。


「ただし、現時点では相手が誰なのかまでは分かっていません。船に積まれている荷物の正確な中身も、まだ全て確認できていません」


「……怪しいな」


 アルゲントゥム商会の残党が、今さら高価な品を一隻の船へ積み込む。


 しかも、その包装は高位貴族への献上品を思わせる。


 もし本当に高位貴族との取引なら。


 いや。


 それだけではない。


 過去のアルゲントゥム商会の動きを考えれば、これは単なる商取引として処理するには不自然すぎる。


「船が出るまで、どれくらいだ?」


「早ければ明日にも出港する可能性があります」


「そうか」


 俺は少し考えた。


 身体はまだまともに動かない。


 自分で現場へ行くこともできない。


 しかし、時間はない。


 船が出れば、荷物も人間も追跡が難しくなる。


 ここで見逃せば、せっかく掴んだ手掛かりを失う可能性がある。


「グラフィル」


「はい」


「その船は確保する」


 グラフィルが僅かに目を動かした。


「……確保、ですか」


「ただし、王国軍や王宮の人間を動かすのは避ける」


 俺はゆっくりと続けた。


「今の段階では、アルゲントゥム商会残党が高位貴族と取引しているという証拠はない。王宮が直接動けば、相手にこちらの意図を察知される可能性がある」


「では、どうしますか?」


「傭兵団を使う」


 グラフィルは黙って俺を見る。


「口の堅い傭兵団を一つ雇え。できれば、金で契約を裏切らないことで知られている連中がいい」


「承知しました」


「それと、船を二隻用意しろ」


「二隻、ですか?」


「ああ」


 俺は窓の外へ目を向けた。


「一隻では、荷を積んだ船を追うには不十分だ。二隻あれば、相手の船を挟んで逃げ道を塞ぐことができる」


「それを、どのように?」


「海賊に見せかける」


 グラフィルの表情は変わらない。


「アルゲントゥム商会の残党を襲撃する」


「商会の残党を、ですか」


「そうだ。ただし、目的は積み荷を奪うことではない」


 俺はグラフィルへ視線を戻した。


「船そのものを確保しろ」


「船と、内部の人間を?」


「当然だ」


 声は自然と低くなった。


「積み荷も全て押さえる。船員も逃がすな。船に乗っている者、積み荷、帳簿、手紙、取引の証拠――使えるものは全て確保する」


 グラフィルが頷く。


「表向きには海賊による襲撃」


「ああ。王国が関与した形跡は残すな」


「承知しました」


「ただし、一つだけ注意しろ」


「何でしょう」


「船を沈めるな」


 俺は即座に言った。


「今回欲しいのは金ではない。情報だ」


「……はい」


「相手を逃がすな。積み荷も、船も、人間も、できる限り完全な状態で確保しろ」


 グラフィルは静かに頭を下げた。


「承知しました。すぐに準備します」


 そして、部屋を出ようとする。


「グラフィル」


「はい」


「今回の件は、俺が命令したことを知る者を増やすな」


「分かっています」


「頼んだ」


 扉が閉じる。


 部屋に静寂が戻った。


 俺は寝台へ身体を預けたまま、目を閉じる。


 アルゲントゥム商会。


 帝国との繋がり。


 カヴィーレスターン。


 そして、今回の船。


 もしこれが単なる逃亡ではなく、本当に高位貴族との取引を意味しているのなら、今度こそアルゲントゥム商会残党を完全に潰すための証拠を手に入れられるかもしれない。


 だが。


 俺自身は動けない。


 身体はまだ寝台の上だ。


 だからこそ、動ける者を使う。


 自分が動けないなら、情報を持ってくる者を動かせばいい。


 俺は再び目を閉じた。


「……逃がさない」


 小さく呟く。


 そしてその頃。


 王都の港では、アルゲントゥム商会残党の船へ、最後の積み荷が運び込まれていた。


 高価な品々。


 丁寧に施された包装。


 そして、それを待つ一隻の船。


 誰かへ届けるための荷なのか。


 誰かから受け取るための荷なのか。


 その答えを知る者たちは、まだ自分たちが追われていることを知らなかった。

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