第53話 処遇と昇格
意識を失ってからどれほどの時間が経ったのか、俺には分からなかった。夢を見ていたような気もするし、何もなかったような気もする。ただ、長い暗闇の中を漂っていたという感覚だけが残っている。何度か遠くから声が聞こえた気がした。誰かが自分の名前を呼んでいたような気もする。けれど、それが現実だったのか夢だったのかも分からない。
そして。
ゆっくりと、意識が浮かび上がってきた。
最初に感じたのは、身体の重さだった。まるで全身から力が抜け落ちてしまったように、指一本動かすことさえ億劫に感じる。目を開けようとしても瞼がひどく重く、喉は乾いていて、頭の中には薄い霧がかかっているようだった。
それでも。
今度は、自分の意思で目を開けることができた。
「……ここは」
掠れた声が漏れる。
その声を聞いた瞬間、近くにいた侍女が息を呑んだ。
「殿下……?」
すぐに駆け寄ってくる。
「殿下! お目覚めになったのですね!」
その声を聞きつけたのか、廊下から足音が近づいてきた。扉が開き、医師が慌てた様子で入ってくる。
「殿下、意識が戻られましたか!」
「……ああ」
自分でも驚くほど弱い声だった。
医師は俺の瞳や脈を確認し、呼吸の状態を確かめる。
「意識ははっきりしていますか?」
「少し……頭が重い」
「それは当然です。まだ身体が回復している途中ですから、できるだけ話さないでください」
そう言われても、俺には聞きたいことがあった。
「……狩猟大会」
医師の表情が少し変わる。
「事件についてですか?」
「ああ」
「ご安心ください。犯人はすでに拘束されています」
「……そうか」
それを聞いて、俺は僅かに息を吐いた。
「誰だ?」
「ヒルゼルス男爵家長男、ゼリグ・デイ・ヒルゼルスです」
「……ヒルゼルス」
聞き覚えのある家名だった。
かつて軍務卿を輩出し、第二王子派に属していた貴族家。
「理由は?」
「現時点では、第二王子派への忠誠と、第一王子殿下への個人的な憎悪が主な動機とされています。犯行そのものについては本人も認めています」
「毒は?」
医師が一瞬だけ黙った。
「その件についても調査されています。矢には毒が塗られていました。殿下の命を脅かした最大の原因の一つです」
「……そうか」
俺は天井を見つめた。
武術大会で第二王子派が敗北し、学院内ではもう争いは終わったと思っていた。
だが。
そう簡単ではなかったらしい。
「処分は?」
俺が尋ねると、医師は少し困ったような顔をした。
「その件については、陛下から直接お聞きになった方がよろしいでしょう」
「父上が来るのか?」
「すでにお呼びしております」
それから間もなく、扉が開いた。
「レノ」
入ってきたのは父上だった。
アウレリウス。
国王としてのいつもの落ち着いた表情をしているが、その目には明らかな安堵があった。
「目を覚ましたか」
「はい、父上」
「無理をするな。まだ起き上がる必要はない」
「分かりました」
父上は俺のそばまで歩いてくると、しばらく俺の顔を見ていた。
「本当に、生きていてくれてよかった」
その言葉は短かった。
だが、父上がどれだけ俺の生死を案じていたのかは、それだけで十分に分かった。
「ご心配をおかけしました」
「謝る必要はない。お前が悪いわけではない」
父上は椅子へ腰を下ろした。
「事件について知りたいのだろう?」
「はい」
「ならば、話そう」
父上は静かに口を開いた。
「ヒルゼルス男爵本家は、今回の件によって取り潰しとした」
「……本家を?」
「ああ」
「王立貴族学院の狩猟大会で第一王子を狙撃し、さらに毒まで用いた。本人が犯行を認めている以上、重大な王族襲撃事件として扱わざるを得ない。ヒルゼルス男爵家は爵位を失い、本家は取り潰しとなった」
俺は父上へ視線を向ける。
「しかし、ヒルゼルス家の分家の一つについて、騎士家として存続を認めた」
「……騎士家?」
「そうだ。今回の事件とは直接関係していないことが確認されたため、家そのものを消滅させればまたその穴を埋める家を新しく作るのは難しい判断した。爵位は失わせたが、騎士として王国に仕える道を残した」
俺は頷いた。
「分かりました」
「しかし、空いた男爵位については別の家を昇格させその家へ与えることになった」
新設と昇格は別、ということか。
「どこですか?」
「フェルディナン騎士家だ」
その名前を聞いた瞬間、俺は思わず目を見開いた。
「……フェルディナン?」
「ああ」
父上は静かに頷いた。
「先のアイティクイ・エクイトゥム戦争で敵国の子爵2名と男爵3名を本陣奇襲と追撃戦で打ち取るという多大な功績を挙げた第一軍団第二騎士団所属のフェルディナン騎士家を昇格させ、フェルディナン男爵家とする。功績が大きすぎて、何を与えればいいのか困っていたのだ。恩賞が不十分なままだったのでな。ちょうどよかった。」
俺はしばらく黙った。
さすがエリシアの父、父娘共に屈強な騎士のようだ。
「エリシア・フェルディナンは、これから男爵令嬢になる」
思いもしない変化だった。
ついこの間まで騎士家の令嬢だったエリシアが、正式に男爵家の令嬢となる。
「本人には伝えたのですか?」
「もちろんだ。非常に驚いていたようだ」
「……そうでしょうね」
俺は思わず小さく笑った。
エリシアが自分の家に突然男爵位が与えられたと知った時の様子が、何となく想像できた。
「今回の昇爵は、単に空いた爵位を埋めるためではない。フェルディナン騎士家は以前から王家への忠誠を示し、先の戦争でも功績を挙げている。今回の件によって生じた男爵家の空白を埋める家として、過剰なほどの実績があると判断した」
「なるほど」
俺は天井を見ながら、今回の事件の結末を整理した。
ヒルゼルス男爵家の取り潰し。
分家の一部は騎士家として存続。
そして、空いた男爵位はフェルディナン騎士家へ。
第二王子派の貴族家が一つ消え、その場所へ第一王子派に属する家が入る。
政治的にも、大きな意味を持つ処分だった。
「ヒルゼルス本人は?」
俺が尋ねると、父上の表情が少しだけ硬くなった。
「厳罰に処する」
「……死刑ですか?」
父上は少し間を置いてから答えた。
「うむ、本家の者全員が対象となる。」
俺は何も言わなかった。
今回の事件で俺が死んでいれば、王位継承そのものが揺らいでいた可能性がある。しかも王族への襲撃だけではなく、毒まで用意されていた。
「それで、毒の出所は?」
父上の表情が僅かに曇った。
「現時点では、決定的な証拠がない」
「ゼリグは何と?」
「カヴィーレスターンの商人から購入したと供述している。その商人から、さらに南方のダリジーズという土地で入手した毒だと聞いたそうだ」
俺は少し考えた。
「商人は特定できなかった?」
「できていない。ゼリグは商人から毒を買ったことについては認めているが、その商人を誰に紹介されたのかについては、本人から聞き出せていない」
俺は目を細めた。
「……聞いていない?」
「ああ」
父上の声には、僅かな苛立ちが滲んでいた。
「尋問では毒の種類、入手経路、商人との接触について調べた。しかし、ゼリグは『商人から買った』というところまでは認めたものの、その商人を知るようになった経緯については説明していない」
「つまり」
俺は静かに続けた。
「嘘をついているとは限らない」
「そうだ」
父上は頷いた。
「だからこそ、厄介なんだ」
俺は目を閉じた。誰かがゼリグへ商人を紹介したが、調べ切れていない。
偶然なのか、誰かが意図的に繋げたのか、今の段階では判断できない。
「分かりました」
俺はそう答えた。
「今は、それ以上考えないことにします」
「それでいい。お前はまだ治療中だ」
「はい」
父上は立ち上がった。
「ただし、事件そのものについては心配しなくていい。必要な処分はすでに進めている」
「……ありがとうございます」
「礼を言うのは、完全に回復してからにしろ」
そう言って、父上は少しだけ笑った。
扉へ向かう父上を見送りながら、俺は再び目を閉じた。
今回の事件は終わった。
少なくとも、表向きには。
犯人は捕まり、ヒルゼルス男爵家は取り潰された。
空いた男爵位は、先の戦争で功績を挙げたフェルディナン騎士家へ与えられた。
そしてエリシアは、男爵令嬢になった。
学院内の勢力図も、これでさらに変わるだろう。
だが。
俺の中には、一つだけ引っかかるものが残っていた。
カヴィーレスターンの商人。
ダリジーズ。
そして、その商人を誰がゼリグへ繋いだのか。
そこだけが。
まだ、分からない。
俺はそれ以上考えるのをやめた。
今は身体を治すことが先だ。
幸い、三日間の死線は越えた。
ここからは、時間をかけて回復していけばいい。
そして身体が戻った時。
その時に改めて、今回の事件に残された疑問を一つずつ拾い上げればいい。
俺は静かに目を閉じた。
そして、深い眠りにつこうとした時だった
王宮にそぐわないような轟音とともに一人の少女が飛び込んできた。




