第51話 毒
第一王子が狩猟大会で襲撃されたという報告を受け、王宮の医師団が学院へ到着した頃には、森の中にあった即席の治療場所から、レノウィウスは学院内の医務施設へ運び込まれていた。
治療を担当する医師たちは周囲の者を退かせ、負傷したレノウィウスの状態を確認しながら必要な処置を進めている。矢が深く残っているため、まずそれを取り除き、その後に傷の処置を行う必要がある。
だが、医師たちの表情は決して明るくなかった。単純な負傷であればここまで緊張することはない。彼らは何度も矢とレノウィウスの状態を確認しながら、互いに短い言葉を交わしていた。
「慎重にいきます。周囲を押さえてください」
「分かりました」
治療室の外には護衛騎士が並び、学院関係者や他の生徒が近づけないように警戒している。その中には、王宮から駆けつけた者たちもいた。第一王子が狩猟大会の最中に狙撃されたという事実だけでも大事件だが、今は政治よりも先に、まず命を救うことが優先されている。
そして、その治療が始まってからしばらくした頃、廊下から急いだ足音が近づいてきた。
「レノは!?」
扉の前に現れたのはティアだった。狩猟大会の途中で事件を知らされ、そのまま駆けつけてきたらしい。エリシアや護衛たちも少し遅れて後ろへ続いていたが、ティアは一刻も早く俺の状態を確認したいという様子で、治療室の前まで来ると医師へ詰め寄った。
「グラーティア殿下、今は治療中ですので――」
「分かっています。でも……」
その声には、普段のような落ち着きがなかった。
「レノは、助かるんですよね?」
医師は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……全力を尽くしております」
その答えを聞いたティアの顔から血の気が引く。
「それは……」
続きが出てこない。
だが、医師たちは彼女へ十分な説明をしている余裕がなかった。治療台の上では、俺を救うための処置が続いている。やがて、医師の一人が深く息を吸った。
「これから矢を抜きます。皆さん、離れていてください」
矢を引き抜く。
そのために必要な準備が整えられる。
ティアは治療室の外から、その様子を見つめていた。
そして。
「……おかしい」
医師の一人が、矢を確認して表情を変えた。
「どうしました?」
別の医師が尋ねる。
「矢尻に何か付着しています」
「……それは?」
医師が慎重に確認する。
僅かな沈黙。
そして、その言葉が治療室へ落ちた。
「毒です」
ティアの身体が固まった。
「……毒?」
「はい。矢そのものが問題なのではありません。矢に毒物が塗布されています」
その瞬間、治療室の空気が変わった。
単なる狙撃ではなかった。
矢が身体へ刺さっただけではない。
その矢には、明確に殺すための意思が込められていた。
「毒の種類は分かりますか?」
「まだ分かりません。今すぐ特定できるものではありませんが、少なくとも自然毒ではない可能性があります」
医師は矢を確認しながら言葉を続けた。
「毒によっては、傷そのものよりもこちらが危険になります。どの程度の量が使用されたのかも含めて、急いで確認しなければなりません」
ティアは扉の前で立ち尽くしていた。
「……レノ」
小さな声だった。
返事はない。
治療室の中では医師たちが必死に処置を続けている。
ティアは自分の手を強く握った。
狩猟大会で白鳥を射止めた時、周囲から賞賛されていたレノが、そのわずかな時間の後に倒れた。
そして今。
その矢には毒まで塗られていた。
ただの恨みではない。
明確に命を奪うための襲撃だった。
「……絶対に、死なせないで」
ティアは震える声で呟いた。
「絶対に……」
だが、治療室の中から聞こえてくる医師たちの緊迫した声が、その願いの重さを嫌というほど伝えていた。
◆
治療は長時間に及んだ。
毒の種類を特定するための調査も同時に進められ、矢そのものも重要な証拠として厳重に保管されることになった。
そして王宮では尋問と調査が始まっていた。
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ゼリグ・デイ・ヒルゼルスへの尋問は、最初の取り調べが終わった後も続いていた。犯人が誰なのかについては、もはや疑う余地がない。本人が現場で弓を持っていたこと、第一王子へ向けて矢を放ったこと、そしてその場から逃げることなく怒りを露わにしていたことから、襲撃そのものについては事実として確定している。だからこそ、次に問題となっていたのは、あの矢に塗られていた毒だった。
尋問官は新たな資料を机の上へ置いた。
「先ほどの尋問から確認したいことがある」
ゼリグは黙っている。
「お前が放った矢には毒が塗られていた」
「……ああ」
「毒の存在は認識していたな?」
「もちろんだ」
「何という毒だ?」
ゼリグは少し黙った。
「分からない」
「分からない?」
「ああ。俺が自分で作ったものじゃない」
「では、誰から手に入れた?」
「カヴィーレスターンの商人だ」
尋問官の目が細くなる。
「カヴィーレスターンの商人?」
「そうだ」
「商人の名前は?」
ゼリグは一瞬だけ視線を逸らした。
「……聞いていない」
「本当に?」
「商人の名前までなぜ聞く必要があるか?」
尋問官はしばらくゼリグを見つめた。
「その商人は、毒について何と説明した?」
「南の方から持ってきた毒だと言っていた」
「南?」
「カヴィーレスターンのさらに南だ」
ゼリグは淡々と答えた。
「ダリジーズという土地で手に入れた毒らしい」
「ダリジーズ……」
尋問官が記録係へ目を向ける。
「聞いたことは?」
「南方地域の地名としては確認できますが、具体的な産地や毒物については資料が不足しています」
尋問官が再びゼリグを見る。
「毒の種類は本当に知らないのか?」
「ああ。商人から渡されたものを使っただけだ」
「毒の効果については?」
「傷に塗ればいい。時間が経てば危険になる、としか聞いていない」
尋問官は黙った。
「その商人と接触した場所は?」
「カヴィーレスターンだ」
「誰かに紹介されたのか?」
ゼリグは少し間を置いて答えた。
「……商人を通じて知った」
尋問官は眉を寄せた。
「つまり?」
「そのままだ」
それ以上、ゼリグは答えない。
「分かった。今日はここまでだ」
尋問官は資料を閉じた。
毒の入手経路について、これ以上追及しても、現時点では具体的な手掛かりが出てこない。カヴィーレスターンは広大な交易圏を持つ国家であり、商人だけを手掛かりにして一人の人物を追跡するのは難しい。さらに、その商人が「南方のダリジーズで入手した」と述べているのであれば、そこから先は国境を越えた調査となる。
今回の事件はアンティクイランド王国内で発生したものだ。
犯人も拘束されている。
しかし。
毒の製造者。
毒を売った人物。
カヴィーレスターンの商人。
そして、その毒がダリジーズから来たという情報。
ここまで広がってしまえば、捜査には膨大な時間と外交上の問題が伴う。
「現時点でこれ以上の追跡は困難と判断します」
尋問官が上役へ報告する。
「では?」
「毒の入手経路については、これ以上の捜査を一旦打ち切ります。まずは国内の犯行関係者とヒルゼルス男爵家についての調査を優先します」
「分かった」
こうして、毒の入手経路についての追跡は中止された。
ダリジーズ。
カヴィーレスターン。
そこへ繋がる商人。
だが、そこから先には確実な証拠がなかった。
少なくとも、表向きには。
◆
ゼリグは牢へ戻される前、廊下を歩きながら無言だった。
尋問官の質問には、ほとんど全て答えた。
毒はカヴィーレスターンの商人から買った。
その毒はダリジーズで手に入れたものだと聞いた。
自分では毒の種類を知らない。
それは全て事実だった。
嘘はついていない。
ただ。
一つだけ。
尋問官は聞かなかった。
その商人を、誰がゼリグへ紹介したのか。
だからゼリグは答えなかった。
聞かれていないことを、自分から話す必要などない。
ゼリグは最後まで嘘をつかなかった。
そう。
嘘はつかなかった。
ただ、真実の一部を話さなかっただけだった。




