第49話 狩猟大会と刺客
秋の狩猟大会当日。王立貴族学院の生徒たちは朝から森へ入り、それぞれに獲物を探していた。今年の大会は個人戦で行われるため、参加者たちは誰かと組んで行動するのではなく、自分自身の技量だけで獲物を仕留め、その成果を競うことになっている。
武術大会によって学院内の派閥争いがほぼ決着してから初めて迎える大きな行事ということもあり、以前なら露骨な緊張を漂わせていた第二王子派の生徒たちも、表向きには何事もなかったかのように大会へ参加していた。少なくとも、この日の森だけを見れば、学院にはすでに平穏が戻ったように思えた。
俺も王族として狩猟大会へ参加していた。護衛は周囲に配置されているが、個人戦という形式もあって必要以上に近くへ置くことはせず、俺自身も森の中を一人で進みながら獲物を探していた。木々の葉は赤や黄色へ変わり始め、夏の強い日差しも弱くなっている。
ここ最近はエクィトゥム王国での協議、一年半後に迫ったシルウァニア王国戦、そして第二王妃ヴィクトリアの動向など、考えなければならないことが多かっただけに、こうして森の中へ入ると、それらから一時的に離れることができるような気がした。今くらいは狩猟大会そのものを楽しんでもいい。そんな気持ちで、俺は森の奥へ進んでいった。
しばらくして、木々の向こうに小さな湖が見えてきた。水面には秋の空が映り、その上を一羽の白鳥が静かに泳いでいる。白い羽は周囲の景色の中でも目立っており、狩猟大会の獲物としても十分な価値がある。
俺は足を止め、距離と風向きを確認してから弓を構えた。白鳥の動きを追いながら、最も狙いやすい瞬間を待つ。やがて白鳥がこちらから見て横向きになった瞬間、俺は弦を引き切り、そのまま矢を放った。
矢は真っ直ぐに飛び、白鳥を射止めた。
周囲から歓声が上がる。
「見事です、殿下!」
「さすが第一王子殿下です!」
「素晴らしい一射でした!」
近くにいた学院生や教師たちが口々に称賛する。俺は弓を下ろし、軽く手を上げてそれに応えた。大したことをしたつもりはなかったが、王族が狩猟大会で獲物を仕留めれば、それだけで周囲の注目を集めるらしい。
「見事な腕前でしたな、殿下」
近くの貴族からも声をかけられる。
「ありがとうございます」
俺がそう答えた、その時だった。
風を切る音がした。
極めて小さな音だった。
森の中では風が枝葉を揺らし、鳥の羽音や獣の気配も混じっている。だからこそ、その音を異常だと認識するより先に、俺の身体が反応した。
振り向く。
だが。
間に合わなかった。
「――っ!」
次の瞬間、腹部へ強い衝撃が走った。
息が止まる。
手から弓が落ちた。
何が起きたのか理解できない。ただ、身体の奥まで響くような衝撃だけが残っている。周囲にいた者たちが、一瞬遅れて異変に気づいた。
「殿下!」
「何だ!?」
「攻撃だ!」
一斉に叫び声が上がる。
俺は自分の身体を見ようとしたが、視線がうまく動かない。足元が揺れ、立っている感覚さえ曖昧になっていく。護衛たちがすぐに駆け寄ってきて、俺を囲むようにして周囲へ視線を向けた。
「殿下をお守りしろ!」
「射線を確認しろ!」
「医師を呼べ!」
「誰か、森の外へ知らせろ!」
叫び声が重なっていく。
俺は何とか意識を保とうとした。
ここで倒れるわけにはいかない。
敵は。
誰だ。
どこから。
何のために。
考えようとする。
だが、思考がまとまらない。
遠くで誰かが走っている音がする。
護衛が周囲を取り囲む。
教師たちが学院生を後方へ下がらせている。
それなのに、俺には全てがひどく遠く感じられた。
「殿下、聞こえますか!」
「意識を保ってください!」
声だけが聞こえる。
視界が少しずつ暗くなる。
俺は最後の力で顔を上げた。
秋の森が見える。
赤く色づき始めた葉。
青い空。
遠くの湖。
さっきまで称賛の声が響いていた場所。
その全てが、少しずつ遠ざかっていく。
――まずい。
そう思った。
そこで。
俺の意識は途切れた。
◆
狩猟大会の会場が騒然となるまで、それほど時間はかからなかった。
「第一王子殿下が狙撃された!」
知らせが森中を駆け抜ける。
学院生たちは一斉に狩猟を中断し、教師や護衛騎士たちは現場へ向かって走り出した。狩猟大会のため森へ配置されていた警備兵も動き始め、複数の部隊がそれぞれの持ち場から集まり、第一王子のいる場所を中心に周辺を封鎖していく。
そして、現場から少し離れた森の中では、一人の少年が立っていた。
王立貴族学院第三学年。
ヒルゼルス男爵家長男ゼリグ・デイ・ヒルゼルス
かつて軍務卿を務めたヒルゼルス男爵家の嫡男であり、第二王子派に属していた貴族子弟だった。
手には弓を持っている。
その表情には、隠しきれないほど強い怒りが浮かんでいた。
「……」
しかし、彼が逃げるよりも先に、周囲へ展開していた騎士たちが姿を現した。
「ゼリグ!」
「動くな!」
複数の騎士が一斉に駆け寄る。
狩猟大会の警備体制下では、王族の近辺で異常が起きれば周辺の警戒線が即座に狭められるようになっていた。そのため、ゼリグがその場を離れることはできなかった。
「……放せ!」
ゼリグが抵抗する。
だが、相手は複数の騎士だった。
「弓を捨てろ!」
「嫌だ!」
「命令だ!」
「俺は……!」
ゼリグは怒りに顔を歪めた。
その声を聞いた周囲の学院生たちが足を止める。
「ヒルゼルス男爵家の……?」
「第二王子派の……?」
「まさか……」
誰かが呟く。
だが、次の瞬間には答えが出た。
「第一王子殿下を狙ったのはお前か!」
教師の問いに、ゼリグは何も答えなかった。
その代わり、第一王子がいる方向を睨みつける。
怒りに満ちたその表情が、全てを語っていた。
「拘束しろ!」
騎士たちが一斉に動く。
ゼリグの弓は取り上げられ、本人もその場で完全に拘束された。
「離せ!」
「抵抗するな!」
「俺は……!」
そこでゼリグの声が途切れる。
周囲には多くの学院生と教師、そして護衛騎士が集まっていた。
逃げることも。
隠れることも。
言い逃れすることも。
すでにできない状況だった。
「ヒルゼルス男爵家長男を拘束。第一王子殿下への襲撃容疑で連行する!」
教師の声が森へ響いた。
数人の騎士がゼリグを連れていく。
その場に残された学院生たちは、誰も口を開かなかった。
つい先ほどまで、秋の狩猟大会を楽しんでいた。
第一王子が白鳥を射止め、周囲から賞賛されていた。
それが、ほんの数分で変わった。
学院内で表立った抵抗を見せなくなった第二王子派。
終わったと思われていた派閥争い。
その静けさの中から。
第一王子を直接狙うという行動が起きた。
そして犯人は、学院の中にいた。
王立貴族学院第三学年。
ヒルゼルス男爵家長男
その名が、秋の狩猟大会の記録に刻まれることになる。
同時刻。
現場では医師たちが第一王子の治療を開始し、護衛騎士たちは周辺を完全に封鎖していた。
狩猟大会は中止が決定される。
森の各所にいた学院生たちも順次集められ、事情を確認するため王宮へ連絡が入れられる。
この日、学院内の派閥争いが終わったと思われていたその直後に――。
第一王子暗殺未遂事件が発生した。
やっぱり主人公っていうのは一度死にかけてくれないとね!




