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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第47話 帰還と報告

 エクィトゥム王国での協議を終え、俺たちはアンティクイランド王国へ戻った。長い旅を終えて王都へ入った時には、出発した頃とは少しだけ違う景色に見えた。


出発前は、婚約前の親族との顔合わせと対シルウァニア王国戦の打ち合わせという二つの目的を持った旅だと思っていたが、実際にエクィトゥム王国の巨大な国力を目の当たりにし、三十五万人規模の軍を動かす『竜の祝福』の全容を知り、さらにアイティクイランド王国自身が戦争へ投入できる兵力と戦費の限界を改めて確認したことで、今回の戦争が自分たちの想像以上に大きなものになることを理解していた。王都へ戻った俺たちは、まず国王陛下への帰還報告を済ませ、その後、今回のエクィトゥム王国訪問に関係した法衣貴族たちを集めた報告の場が設けられることになった。


              ◆


 会議室には、財務、軍務、外交、内務などを担当する主要な法衣貴族たちが集まっていた。国王アウレリウスが上座に座り、その左右には各卿が並んでいる。


俺はエクィトゥム王国で受け取った資料を机の上へ置き、今回の訪問について順に説明していった。まず、エクィトゥム王国が実施する予定の作戦、その名が『竜の祝福』であること、北部のヴロントリア辺境伯領から五万人を用いて防衛城壁を突破し、その後二十五万人規模の北部方面軍を前進させ、中南部から四万人、さらに南部からアイティクイランド王国軍を投入してシルウァニア王国軍の主力を南へ誘導し、最終的に北部へ二十万人の真の主力を投入すること。そして西半分を制圧した後、中南部方面軍と合流して王都周辺へ進出し、最終的にはシルウァニア王国全土の制圧を目指すという戦略まで、俺は一つずつ説明した。


 さらに、北東部については、最大勢力を持つソルフィエート族が穏健派であることから、完全な軍事制圧ではなく、和平を成立させる可能性が高いという話も伝えた。エクィトゥム王国国王がソルフィエート族長へシルウィア公爵の爵位を授け、旧シルウァニア王国北東部を統治するシルウィア公国として再編し、エクィトゥム王国の属国とすることで戦争を終結させる。もしそれを拒否すれば軍事的に排除することも想定されているが、セプテントリア連合公国との直接的な国境問題を避ける意味でも、和平によって緩衝国家を残すことが望ましいというのがエクィトゥム王国側の考えだった。


「……三十五万人、ですか」


 軍務卿が資料を読み返しながら呟いた。


「はい」


 俺は頷く。


「エクィトゥム王国の戦時動員可能兵力は約四十万人ですが、そのうち約三十五万人を今回の戦争へ投入します。残りは王都や主要都市、国境、重要拠点などの防衛に必要となるため、実質的には国家として動かせる限界に近い戦力です」


「そこまで動員するのですか」


「シルウァニア王国を単なる国境紛争の相手とは見ていないようです。今回の戦争では、王都の陥落だけではなく、国土全体を制圧して組織的な抵抗を終わらせることが勝利条件になっています」


 法衣貴族たちは互いに顔を見合わせる。アンティクイランド王国にとって、三十五万人という数字はあまりにも巨大だった。こちらが一万七千しか出せないことを考えれば、その差は明白である。それでも、俺は兵力差だけを強調することはしなかった。今回必要なのは、自国が担える役割を理解し、それをどこでどう使うのかを決めることだからだ。


「では、我が国からの兵力についても報告を」


 俺がそう言うと、軍務関係の資料を別のものへ切り替えた。


「エクィトゥム王国側の当初案では、南部からアイティクイランド王国軍二万人を投入することになっていました。しかし、これは修正しています」


「修正?」


「はい。我が国が実際に投入できるのは一万七千百人です」


 室内に小さなざわめきが起こった。


「諸侯軍一万五百、中央軍六千六百、合計一万七千百が戦時兵力の基礎となります。さらに、信用を持つ組織的な傭兵団を最大限集めた場合、五千程度を追加することができますから、限界動員そのものは二万二千百です。ただし、その全てを国外へ出すことはできません。我が国はエクィトゥム王国とアエテリア帝国の間に位置する小国であり、緩衝国家として最低限の防衛力を維持する必要があります。そのため、五千は国内に残し、シルウァニア王国戦へ投入できるのは一万七千百が限界です」


 内務卿が資料をめくる。


「人口に対する動員率は、それほど高くないように思えますが」


「数字だけなら、そう見えると思います」


 俺は静かに答えた。


「ですが、我が国の場合は食料事情があります。国内の穀物生産は需要を十分に満たせず、不足分を交易による輸入で補っている状態です。動員を増やせば農業や輸送、その他の産業から労働力が抜け、その一方で軍の食料需要は増えます。輸入を増やせば済むという問題でもなく、戦争によって交易が滞れば、食料価格の上昇だけでなく、国内の供給不足へ発展する可能性があります。したがって、人口に対する動員率だけを基準にして、さらに兵力を増やすことはできません」


 俺は資料を閉じた。


「二万二千百という数字が軍事的な限界であり、そのうち五千を国内に残す必要があるため、一万七千百が現実的な投入可能兵力となります」


 軍務卿は頷いた。


「理解しました。では、その一万七千百は南部方面へ投入するということですな」


「はい。王都への圧力をかけ、シルウァニア王国軍に南部を無視できないと思わせる役割です。敵主力との正面決戦を行うことが目的ではありません。むしろ、無意味な消耗を避けながら、エクィトゥム王国軍が北部で決定打を放つための時間を作ることが重要になります」


 国王アウレリウスは、それまで黙って俺の報告を聞いていたが、そこで一度頷いた。


「戦費についても報告しておけ」


「はい」


 俺は財務関係の資料を取り出した。


「今回、我が国が追加で戦費として使用できるのは、大金貨九千枚です」


 財務卿ペクーニア伯爵の表情がわずかに変わった。


「大金貨九千枚……」


「はい。これが今回の戦争へ追加で投入してよい戦費の上限と宰相閣下に仰せつかりました。」


 ペクーニア伯爵はしばらく資料を眺めた後、深く息を吐いた。


「国家貯蓄の三割五分を使うことになりますね」


 その一言で、室内の空気が重くなった。


「はい」


 俺は短く答えた。


「三割五分ですか……」


 ペクーニア伯爵は困ったような顔をしながらも、反対を続けることはなかった。財務を預かる者としては、それだけの国家貯蓄を一つの戦争へ投入することに難色を示すのは当然だろう。しかし、今回の戦争を避けることができない以上、必要な費用まで削れば別の問題が起きる。


「正直に申し上げれば、財務卿としては賛成しにくい数字です」


 ペクーニア伯爵が静かに言った。


「ですが、今の情勢を考えれば仕方がないのでしょうな。シルウァニア王国戦がエクィトゥム王国にとっても国家規模の戦争である以上、我が国だけが費用を惜しんで協力を縮小すれば、戦後の情勢がどうなるか分かりません」


 そこで彼は少しだけ苦笑した。


「それに、私は以前の戦争を経験していますからね。アイティクイ・エクィトゥム戦争の際も、我が国は七年分の通常の財政余剰を溶かしています」


 俺はその言葉に少し目を見開いた。


「七年分ですか」


「ええ。戦争というものは、始める前には必要な費用だけを考えがちですが、実際にはその後の補充、補修、輸送、負傷者への対応、物価上昇、交易への影響まで含める必要があります。我々のような小国にとっては、一度の大戦が財政へ与える影響は非常に大きい」


 ペクーニア伯爵は、机に置かれた九千枚の大金貨に相当する予算資料を見ながら続けた。


「国家貯蓄の三割五分を失うのは痛い。しかし、今回ばかりは、それを惜しんで将来の安全を失う方が高くつくでしょう。……仕方ありません」


 その言葉には、納得しきっているというより、財務を預かる者として現実を受け入れたような響きがあった。


 俺はその話を聞きながら、改めて今回の戦争が自国にとってどれほど重い意味を持つのかを考えていた。エクィトゥム王国は三十五万人を動かす。対して、我が国は一万七千百を限界として、そのために国家貯蓄の三割五分を使う。軍事力の差だけではなく、戦争によって国が負う負担そのものが全く違う。それでも、我が国がこの戦争へ参加する以上、必要な犠牲は受け入れなければならない。


              ◆


 報告が一通り終わったところで、国王アウレリウスが口を開いた。


「それでは、現時点での我が国の方針を決める」


 法衣貴族たちが一斉に姿勢を正す。


「シルウァニア王国戦は一年半後を予定する。エクィトゥム王国との協議では、その時期に向けて各国が準備を進めることになっている」


「承知しました」


「ただし、今の段階で大規模な動員を行う必要はない」


 国王の言葉には、明確な意図があった。


「公然と戦争準備を進めれば、周辺国にも情報が流れる。シルウァニア王国に余計な警戒を与えるだけでなく、アエテリア帝国や他国からも我が国の動向を注視される可能性がある」


 軍務卿が頷く。


「では、準備は秘匿する、と」


「そうだ」


 アウレリウスは静かに答えた。


「今日確認した兵力、戦費、兵站の問題を踏まえ、一年半後の戦争へ向けて、各卿はそれぞれの担当分野で必要な準備を進めてくれ。ただし、大規模な徴兵や軍備増強を表立って行うことは禁止する。必要な物資は分散して調達し、兵站路も可能な限り平時の交易として扱え。戦争の準備をしていると悟られないことを優先する」


 法衣貴族たちが次々と頭を下げる。


「承知しました」


「分かりました」


「財務については、急激に国家貯蓄を取り崩すのではなく、今後一年半の間に可能な限り財政余力を確保します」


 ペクーニア伯爵も静かに答えた。


「頼む」


 国王は頷いた。


「また、軍務卿は一万七千百の動員を可能にするための準備を進めろ。諸侯軍の状態を確認し、中央軍の装備を整え、必要な傭兵団についても水面下で接触を始める。ただし、実際の契約は時期を見て判断する」


「承知しました」


「外交卿は交易路と穀物輸入の確保を最優先とする。戦争が始まった場合に輸入が途絶えれば、軍より先に国民が苦しむことになる。そのため、複数の交易先と輸送路を確保しておけ」


「はい」


 俺はそれぞれの指示を聞きながら、この国が一年半という時間をどう使うのかを考えていた。


 今すぐ軍を動かすことはできない。


 しかし、だからといって何もしないわけにもいかない。


 むしろ、今だからこそできる準備がある。


 兵士を訓練する。


 装備を整える。


 傭兵団との関係を築く。


 穀物の輸入路を確保する。


 戦費を蓄える。


 そして、何よりも戦争の存在そのものを悟られないようにする。


「レノ」


 父上の声に、俺は顔を上げた。


「お前もエクィトゥム王国で得た情報を整理しておけ」


「はい」


「お前は今後、王太子としてこの戦争に関わることになる。戦場へ赴くかどうかも含め、今のうちから準備しておく必要があるだろう」


「承知しました」


 アウレリウスはそこで会議室を見渡した。


「一年半後、我々はシルウァニア王国との戦争へ向かう」


 その言葉は静かだった。


 だが、その場にいた全員が、その意味を理解していた。


「それまでに、誰にも知られぬよう準備を進める。今日の報告内容についても、必要以上に外へ漏らすな。エクィトゥム王国との協議内容も、アイティクイランド王国軍の正確な動員可能数も、戦費の上限も同様だ」


「承知しました」


 貴族たちが一斉に答える。


 会議はそこで終わった。


 法衣貴族たちが順番に退出していく中、俺は最後まで席を立たず、机の上に残された資料へ目を落としていた。


 三十五万人のエクィトゥム王国軍。


 一万七千百のアンティクイランド王国軍。


 大金貨九千枚の戦費。


 そして、一年半という準備期間。


 数字だけを並べれば、まだ時間があるようにも見える。


 だが、実際にはそう長くない。


 国家を戦争へ向けて準備するには、一年半など決して十分な時間ではない。


「……始まったな」


 俺は小さく呟いた。


 今はまだ、誰も戦場へ向かっていない。


 王都の街では、いつも通り人々が暮らしている。


 市場には商人が並び、街道には荷馬車が行き交い、王宮ではいつもと変わらない政治が続いている。


 それでも。


 俺たちの知らないところでは、すでに一年半後の戦争へ向けた歯車が回り始めている。


 しかも、その戦争には俺自身も参加することになる。


 ティアとの婚約が正式なものになる未来と、その先に待つ王太子としての人生。


 そして、その未来へ進むために避けては通れない戦争。


 俺は資料を閉じた。


 まずは準備だ。


 一年半後に勝つために、今できることを一つずつ積み重ねていく。


 表向きは、何も変わらない。


 だがその裏では。


 アイティクイランド王国は、静かに戦争へ向けて動き始めていた。


 そして、学院で俺は第二王子派の脅威を甘く見ていたことを知ることになる。

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