第45話 戦争の条件
オスティエール公爵が説明を終えると、俺はしばらく地図を見つめたまま黙っていた。
『竜の祝福』そのものについては、よく考えられた作戦だと思う。北部を突破し、中南部と南部から時間差で攻撃を仕掛け、シルウァニア王国軍の判断を誘導しながら主力を移動させ、最後に北部から二十万人を投入して西半分を一気に制圧する。三十五万人というエクィトゥム王国の戦時動員兵力を前提とするなら、理にかなった作戦だ。
ただし、一つだけ問題がある。
俺は地図から視線を上げ、エクィトゥム王国側の出席者たちを見た。
「一点、確認しておきたいことがあります」
「何でしょうか」
答えたのはオスティエール公爵だった。
「先ほど、南部からアイティクイランド王国軍二万人を投入するとありましたが、その兵力を我が国が用意することはできません」
室内の空気が僅かに変わった。
「……できない、というのは?」
「文字通りです。現在の我が国には、戦争へ投入できる二万人の軍隊は存在しません」
俺は持参した資料を開き、机の中央へ置いた。
「アイティクイランド王国の戦時兵力は、諸侯軍が一万五百、中央軍が六千六百、合計一万七千百です。さらに、我が国では傭兵を雇用することも可能ですが、無秩序に集めた傭兵を軍として扱うことはできません。戦場で即座に裏切る危険があるため、我が国が雇用対象として認めているのは、指揮系統と団員間の信頼関係を持つ組織的な傭兵、つまり傭兵団に限られます」
俺は資料の次の頁をめくった。
「現在の情勢で確保できる傭兵団を最大限集めた場合、追加できるのは約五千です。したがって、我が国が短期間で用意できる兵力の限界は二万二千百になります」
オスティエール公爵が資料へ視線を落とした。
「一万七千百に五千を加えて、二万二千百……」
「はい。しかし、ここでさらに問題があります」
俺は地図上のアイティクイランド王国の位置へ指を置いた。
「その二万二千百を全てシルウァニア王国戦へ投入することもできません」
「国内防衛ですか?」
「それもあります。しかし、より重要なのは、我が国がアエテリア帝国とエクィトゥム王国の間に位置する小国だということです。現在のアイティクイランド王国は、両国に挟まれた緩衝国家として存在しています。我が国が軍をほぼ全て国外へ出せば、シルウァニア王国との戦争以前に、国家としての安全保障上の問題が発生します」
俺は地図から手を離した。
「最低でも五千は国内に残さなければなりません。これは戦争が始まった後も変えられない条件です。したがって、シルウァニア王国戦へ投入可能なのは、最大で一万七千です」
「二万ではなく、一万七千……」
「はい」
公爵は少し考え込んだ。
「ですが、アイティクイランド王国の人口を考えれば、戦時動員率はそれほど高くないのではありませんか?」
「その通りです」
俺は否定しなかった。
「一万七千百という数字だけを見れば、我が国の人口に対する動員率は約一・四パーセントです。一般的な国家であれば、限界戦時動員率を五パーセント前後まで引き上げることも不可能ではありません。数字だけを見れば、我が国にはまだ動員余力があるように見えるでしょう」
そこで俺は一度言葉を切った。
「ですが、我が国の場合、その数字だけで判断することはできません」
俺は資料の別の頁を開いた。
「アイティクイランド王国は、国内の穀物生産だけでは必要量を賄えていません。不足分は周辺国との交易によって補っています。つまり、我が国の食料供給は、平時から国外との交易に依存している状態です」
「なるほど……」
「ここで限界まで兵を動員すれば、農業や運搬、交易、鉱業など、軍隊以外の労働力まで不足します。兵士を増やせば増やすほど、国内で生産される食料は減り、一方で軍が必要とする食料は増える。輸入を増やして補おうとしても、輸送能力と周辺市場の供給量には限界があります」
俺は静かに続けた。
「その状態で限界動員を長期間続ければ、単純に戦費が増えるだけでは済みません。食料価格が上昇し、交易が混乱し、国内経済そのものが崩れる可能性があります。最悪の場合、軍を維持するために国内の民衆が食料を確保できなくなり、飢餓が発生する可能性すらあります」
誰も口を挟まなかった。
「ですから、一・四パーセントという数字だけを見て、まだ動員できるとは判断できません。アイティクイランド王国にとっては、現在の二万二千百という数字そのものが、短期間で国家が許容できる限界動員に近い」
オスティエール公爵は資料を読みながら、静かに頷いた。
「つまり、これ以上兵力を増やせば軍事的には強くなっても、国家そのものが戦争を継続できなくなる」
「はい。我が国の場合、兵力の限界は人口ではなく、食料と経済によって決まります」
俺はそう答えた。
エクィトゥム王国のような大国と同じ基準で、アイティクイランド王国の動員能力を考えることはできない。国土も人口も違う。何より、我が国は大国同士の間に存在する小国であり、戦争に勝つために国家そのものを危険にさらす余裕などない。
「したがって、南部で予定されている二万人については、一万七千へ修正していただきたいと思います」
「分かりました。そこは作戦計画を変更する必要がありますね」
公爵は地図へ視線を戻した。
「二万人が一万七千になった場合、作戦全体への影響はどう考えますか?」
「戦力差そのものより、役割を変えないことが重要だと思います」
「役割?」
「我が国の部隊に求められているのは、シルウァニア王国南部を単独で制圧することではありません。王都へ圧力をかけ、シルウァニア王国軍に南部を無視できないと思わせることです。その目的なら、一万七千でも十分に意味があります」
俺は地図上の王都付近を指した。
「ただし、二万人から一万七千へ減る以上、正面から敵主力と戦うことは避ける必要があります。敵の主力を撃破するのではなく、王都を脅かし続ける。必要以上に深入りせず、敵に『南部を放置すれば王都を失う』と思わせることが重要です」
「なるほど」
「そして、我が国の部隊が損耗しすぎれば、そもそも役割を果たせなくなります。したがって、南部方面の指揮官には、勝つことよりも戦線を維持することを優先させる必要があります」
公爵はその言葉を聞いてから、ゆっくりと頷いた。
「了解しました。アイティクイランド王国軍一万七千を南部方面の圧力部隊として計画に組み込みます」
「お願いします」
そこで俺は、もう一枚の資料を机へ置いた。
「それと、もう一つ報告しておきたいことがあります」
「まだありますか?」
「戦費です」
公爵が資料へ目を向ける。
「今回の戦争について、我が国が追加で投入できる戦費は九千億円相当です。貨幣換算では、大金貨九千枚(九千億円)になります」
その数字を聞いたエクィトゥム王国側の財務担当者が、僅かに眉を動かした。
「大金貨九千枚……」
「はい。これが我が国が今回の戦争のために追加で使用してよい予算の上限です。これ以上を投入すれば、国内の財政運営に支障が出ます」
「その金額で、どの程度の期間まで戦闘を継続できると考えていますか?」
俺は少し考えてから答えた。
「現在の一万七千を前提にするなら、我が国単独での継続可能期間は、戦闘の激しさにもよりますが、おおむね三か月から四か月程度と見ています」
室内に静かな緊張が走った。
「三か月から四か月ですか」
「はい。ただし、これは一万七千の全軍を常時激戦へ投入した場合の想定ではありません。補給、輸送、負傷者への対応、装備の補充、傭兵団への報酬などを含めた上で、戦争を継続できる限界を見積もった数字です」
「では、戦闘が長期化すれば?」
「四か月を超えて戦争が続く場合、我が国は戦費だけではなく、食料供給そのものが問題になります。兵力を維持するための物資を輸入し続ければ、国内市場への供給が圧迫される。逆に国内への供給を優先すれば、前線への補給が不足する。どちらを選んでも負担が大きくなります」
俺は淡々と続けた。
「そのため、我が国としては、シルウァニア王国戦を長期戦にすることは避けたいと考えています。理想を言えば、三か月以内に戦争の大勢が決まり、我が国の部隊が長期間拘束されない形が望ましいでしょう」
「つまり、アイティクイランド王国としては、三か月程度を一つの目安として考えている」
「はい。四か月は継戦可能な限界に近い数字です。目標として設定する期間ではありません」
オスティエール公爵はしばらく資料を眺めていたが、やがて顔を上げた。
「分かりました。エクィトゥム王国としても、アイティクイランド王国軍を長期間拘束するつもりはありません。むしろ『竜の祝福』そのものが、短期間で敵の戦力を分散させ、主力を撃破し、戦争の大勢を決めることを目的としています」
「それなら、我が国としても協力できます」
俺は静かに頷いた。
「ただし、一つだけ条件があります」
「何でしょう?」
「我が国軍一万七千を、消耗品として扱わないことです」
言葉を選びながら、俺は続けた。
「我が国はエクィトゥム王国ほどの軍事力を持っていません。一万七千という兵力は、我が国にとって戦争のために簡単に失える数字ではない。今回の戦争で必要な役割を果たすことには異論ありませんが、意味のない正面攻撃や、勝算の低い戦闘に投入することは避けていただきたい」
「当然です」
オスティエール公爵は即座に答えた。
「アイティクイランド王国軍には、王都への圧力という明確な役割を担っていただく予定です。敵主力との決戦を任せるつもりはありません」
「それなら問題ありません」
俺は資料を閉じた。
「我が国が提供できる兵力は一万七千。追加で投入できる戦費は大金貨九千枚。継戦可能期間は、戦闘状況にもよりますが三か月程度を安全圏とし、四か月を限界とする。この条件を前提にしていただければ、我が国としては『竜の祝福』への参加に同意します」
エクィトゥム王国側の出席者たちは、それぞれ資料を確認している。
俺はその様子を見ながら、静かに息を吐いた。
エクィトゥム王国は三十五万人を動かす。
対して、アイティクイランド王国が戦場へ送れるのは一万七千に過ぎない。
兵力だけを比較すれば、あまりにも大きな差がある。
しかし、だからといって無理に兵を増やせばいいわけではない。国が維持できなければ、戦争に勝つ前に国家そのものが倒れる。俺がここで伝えなければならないのは、我が国が弱いということではない。
我が国には、我が国なりの限界があるということだった。
「では、アイティクイランド王国軍一万七千を前提として、南部方面の作戦を再調整しましょう」
オスティエール公爵が地図へ手を伸ばす。
「戦費についても、大金貨九千枚相当を上限として計画に組み込みます。三か月以内に戦争の大勢を決めることを基本方針とし、四か月を超える場合には、改めて両国間で協議するという形でよろしいでしょうか」
「はい。それでお願いします」
俺は頷いた。
こうして、エクィトゥム王国の巨大な軍事力を中心とした『竜の祝福』に、アイティクイランド王国の現実的な制約が組み込まれていく。
三十五万人の大軍。
一万七千のアイティクイランド王国軍。
そして、大金貨九千枚という限られた戦費。
戦争というものは、戦場に並べられる兵士の数だけで決まるわけではない。どれだけの食料を用意できるのか、どれだけの金を使えるのか、どれだけの期間その軍を維持できるのか。そして、戦争が終わった後も国家を存続させられるのか。
それら全てを考えた上で、初めて国家は戦争を始めることができる。
俺は目の前の地図を見つめた。
シルウァニア王国との戦争は、まだ始まっていない。
それでも、この会議によって俺たちはようやく理解し始めていた。
これは単純に、エクィトゥム王国とシルウァニア王国の戦争ではない。
その戦争に、アイティクイランド王国もまた、国益のために戦争に参加するのだ。
だからこそ。
俺たちは、勝たなければならない。
しかし、俺はエクイトゥムが隠している切り札の1つを
見落としていた。
_そう、戦いは『陸だけではない』のだ。




