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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第44話 竜の祝福

 別室へ移動すると、長大な会議机の上にはシルウァニア王国周辺の詳細な地図が広げられ、国境線、山脈、街道、渓谷、城塞都市、前線基地、補給拠点などが細かく記されていた。先ほどの謁見の間とは違い、ここに集まっているのは王族の親族たちではない。エクィトゥム王国側からは国王、王太子、宰相を兼ねるオスティエール公爵を中心として、軍務、外交、兵站を担当する責任者たちが席につき、アンティクイランド王国側からは俺が代表として出席している。ティアたちはこの協議には参加せず、俺たちはここから先、婚約を控えた男女としてではなく、シルウァニア王国との戦争について具体的な判断を下す国家の代表として向き合うことになった。


 俺が席につくと、正面に座っていたオスティエール公爵が机の上に置かれた資料へ手を伸ばし、地図を確認しながら静かに口を開いた。


「それでは、まずエクィトゥム王国側が予定している作戦について説明いたします」


「頼む」


 国王が短く答えると、公爵は地図の上へ指を置いた。


「今回の戦争において、我がエクィトゥム王国はおよそ三十五万の兵力を投入します」


 その数字を聞いた瞬間、俺は改めてこの国の国力を実感した。人口八百万人を抱えるエクィトゥム王国には、平時から軍務に就いている常備軍が約十四万人存在するが、戦争が始まれば諸侯軍、予備役、戦時徴募兵などを動員することで、最大で約四十万人の戦時動員兵力を確保することができる。しかし、その四十万人という数字は決して余裕を持って設定された数字ではなく、王都や主要都市の防衛、国境警備、国内治安、重要街道や港湾の守備、兵站維持など、国家そのものを機能させるために必要な兵力を残したうえで、王国が戦争へ振り向けられる限界に近い数字である。


 つまり、三十五万人という今回の投入兵力は、単に「エクィトゥム王国にはそれだけの軍隊がある」という話ではない。戦時動員可能な約四十万人のうち、その実に八割七分以上を一つの戦争へ振り向けることを意味しており、国内に残される約五万人も王都や重要都市の守備、国境警備、占領地の治安維持、負傷者の補充などに必要となるため、実際にはエクィトゥム王国が国家として維持できる限界に近い規模の戦力を、今回のシルウァニア王国戦へ投入するということになる。


 アンティクイランド王国が同じ規模の軍を一度に国外へ送り出せば、それだけで国内の政治や経済、領地経営に大きな影響が出るだろう。だが、エクィトゥム王国はそれを実行できるだけの人口、農業生産力、経済力、兵站能力を持っている。それでも三十五万人という数字は決して軽いものではなく、この戦争に敗北すれば莫大な人的資源と物資を失い、王国の国力そのものが大きく損なわれるほどの規模だった。


「シルウァニア王国との国境についてですが、我が国が大規模な軍を直接進めることのできる地域は、大きく二つに限定されています。一つがヴロントリア辺境伯領に接する北部、そしてもう一つがリティルファード侯爵領に隣接する中南部です。それ以外の地域は険しい山脈によって遮られており、大軍を展開できる街道も存在しません。したがって、シルウァニア王国側から見ても、この二つの地域こそが我が国からの主要な侵攻路であり、当然ながら厳重な防衛態勢が敷かれています」


 公爵が地図上の二か所を指でなぞる。


 確かに、山脈はエクィトゥム王国とシルウァニア王国の国境の大部分を覆っており、大軍を通すことのできる場所は極端に少ない。だからこそシルウァニア王国は、その二つの侵入口を巨大な防衛城壁によって塞ぐことができるのだろう。


「シルウァニア王国は、その二つの侵入口に石垣のような巨大な防衛城壁を築いております。城壁には当然ながら相当数の兵が配置されており、正面から突破することは容易ではありません。しかし、逆に言えば、そこを突破してしまえば、我が軍はシルウァニア王国内部へ大規模に展開できるようになります」


「つまり、最初から二方面の突破を狙うわけか」


「その通りです。ただし、単純な二正面作戦ではありません。今回の作戦は、シルウァニア王国軍に主攻地点を誤認させ続け、敵が戦力を移動させたところで、本命となる攻撃を叩き込むことを目的としています」


 公爵はそこで一度言葉を切り、地図の北部へ視線を移した。


「作戦名は――『竜の祝福』です」


              ◆


「第一段階です」


 公爵が北部のヴロントリア辺境伯領に隣接する国境線を指し示した。


「まず、ヴロントリア辺境伯領からシルウァニア王国との国境に存在する渓谷へ進軍し、その渓谷を塞ぐように築かれた防衛城壁へ攻撃を加えます。ここにはシルウァニア王国軍の前線基地も存在しているため、この防衛線を突破しなければ、北部からの大規模な侵攻は不可能です」


 地図上の渓谷は、山々に挟まれた細い一本の道として描かれていた。確かに、ここを塞がれれば軍を進めることは難しい。しかし――。


「防衛城壁を正面から落とすのか?」


「はい。ただし、通常の攻城兵器による攻撃ではありません」


 公爵の言葉と同時に、軍務担当者が別の資料を机の上へ置いた。


「今回投入するのは、改良型のファイアカタパルトです」


 俺は資料へ目を落とした。


「攻城兵器を改良したものか」


「ええ。通常の攻城兵器より射程と破壊力を高め、城壁そのものへ継続的な打撃を与えることを目的としています。もちろん、それだけで城壁を完全に破壊できるわけではありません。そこで五万人規模の兵力を集中させ、ファイアカタパルトによる攻撃と地上部隊による圧力を同時に加えます」


「五万で突破する」


「その通りです。第一段階の目的は、城壁そのものを完全に破壊することではありません。突破口を開き、シルウァニア王国軍の前線基地を陥落させ、我が軍が渓谷を越えて王国内へ進出できる状態を作ることです」


 五万人。


 今回の戦争で三十五万人を投入するとはいえ、その最初の突破口を開くためだけに五万人を集中させるというのは、それだけシルウァニア王国の防衛線が堅固だということなのだろう。


「そして、第二段階へ移ります」


 公爵の指が、さらにシルウァニア王国内部へ進んだ。


「北部の主力軍を前進させます。ここで北部方面に用意する兵力は約二十五万人です。そのうち五万人を先ほどの城壁突破へ投入し、残りの兵力を中心として戦線を押し上げます。ある程度の地域を制圧した後、北部の狭い渓谷を通ってシルウァニア王国内部へ進出し、前線基地を建設します」


「二十五万を一気に王国内へ入れるのではなく、まず戦線を押し上げてから前線基地を作るのか」


「はい。シルウァニア王国内での戦闘は、エクィトゥム王国内のように補給線を容易に維持できるわけではありません。敵領内へ進出する以上、前線基地を確保し、そこを拠点として兵站を維持する必要があります。したがって、北部方面軍は突破した勢いだけで無秩序に進軍するのではなく、占領地域を確保しながら段階的に前進します」


 俺は地図を見つめた。


 北部の地形は狭く、軍を大きく展開するには向いていない。しかし、その狭い渓谷を抜けた先には広い地域が広がっている。そこまで到達できれば、二十五万という兵力が初めて本来の意味を持つ。


「では、ここまでが本命なのですか?」


 俺が尋ねると、公爵は首を横に振った。


「いいえ。ここからが『竜の祝福』の本質です」


              ◆


「第三段階です」


 公爵の指が、今度は南へ移動した。


「北部で第二段階の作戦が行われている間に、中南部から約四万人を投入します」


「四万人だけか」


「はい。目的は中南部を完全に制圧することではありません」


 公爵は地図を指で叩いた。


「時間差による一斉攻撃です。北部で二十五万規模の大軍が進撃を開始すれば、シルウァニア王国軍は当然、北部を主要戦場と判断するでしょう。その状況で中南部から四万人を投入し、別の戦線を形成します」


「敵の判断を遅らせる」


「正確には、敵に戦力の再配置を強制します。北部に集中させていた軍を中南部へ移動させれば北部の防衛力が落ちますが、北部を維持すれば今度は中南部の突破を許すことになります。シルウァニア王国軍にとっては、どちらを選んでも別の場所に隙が生まれる状況を作るのです」


 俺は頷いた。


「だが、敵もすぐに集結先を変更するだろう」


「その通りです。だからこそ、第四段階へ移ります」


 公爵の指が、さらに南へ向かった。


「アイティクイランド王国軍二万を南部から進撃させます」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は地図へ視線を落とした。


「二万で?」


「はい。二万で十分です。重要なのは兵力ではありません。位置です」


 公爵が示した地点は、シルウァニア王国の王都へ極めて近い場所だった。


「アイティクイランド王国軍二万が南部から進出すれば、シルウァニア王国軍から見て王都が直接脅かされることになります。王都が目と鼻の先にある以上、いくら北部が危険であっても、王都を無防備にするわけにはいきません」


「つまり、二万を本命に見せる」


「そういうことです。実際に王都へ圧力をかけ続けることで、シルウァニア王国軍は南部へさらに戦力を引き抜くことになります」


 そこで公爵は、さらに別の矢印を地図へ書き加えた。


「そして第五段階です。南部でアイティクイランド王国軍との交戦が始まった直後、中南部から追加で六万人を投入します」


「四万人に六万人を加えて、合計十万人」


「はい。南部と王都周辺で戦闘を発生させ、シルウァニア王国軍が南部へ集中する状況を作ります」


 俺は地図を見ながら考えた。


 北部で二十五万。


 中南部から四万。


 南部からアイティクイランド王国軍二万。


 さらに中南部から六万。


 それぞれの攻撃が同時ではなく、時間差を持って行われる。


「三段階の時間差攻撃か」


「ええ。北部を攻撃し、中南部を攻撃し、南部から王都を脅かし、さらに中南部から六万人を投入する。敵が一つの戦線へ対応したと思った瞬間、次の戦線を動かします」


「そして、敵が南部を本命だと判断する」


「その通りです」


              ◆


 公爵はそこで、再び北部へ戻って指を置いた。


「第六段階です。南部で三度にわたる時間差攻撃を行い、さらに王都周辺で激戦が続けば、シルウァニア王国軍は最終的に南部を本命と判断するでしょう」


「北部を囮にするわけか」


「はい。北部では二十五万人という巨大な軍勢を見せておきながら、南部へ敵の主力を誘導することで、北部の戦線に大きな穴を作ります」


 そして、公爵は北部の奥へ一本の太い線を引いた。


「そこで、第七段階です」


 部屋の空気が僅かに変わった。


「北部の真の主力、二十万人を投入します」


「……」


「それまで北部で活動していた兵力と合わせ、合計二十五万人規模の軍勢によってシルウァニア王国西半分を一気に制圧します」


 俺は地図を見つめた。


 ここで初めて、最初から北部に配置されていた二十五万人の意味が見えてきた。


 五万人は城壁突破に使用する。


 残る部隊は戦線を押し上げ、敵を北部へ引きつける。


 そして、敵が南部へ戦力を移した瞬間に、温存していた二十万人を投入する。


「最初から二十五万人すべてを本命として使うつもりではなかったのですね」


「その通りです。敵にとっては、二十五万人すべてが北部の主力に見える。しかし実際には、その二十五万人の存在そのものを餌として使い、敵主力を南へ引きずり出したところで、二十万人を本格的に動かします」


 俺は小さく息を吐いた。


「かなり大規模な欺瞞作戦ですね」


「ええ。『竜の祝福』は、単純な兵力差によってシルウァニア王国を押し潰す作戦ではありません。敵に戦力を分散させ、判断を誤らせ、こちらが望む場所へ敵軍を移動させ、その隙を最大兵力で突く作戦です」


 そして、公爵は西半分を示した。


「ここまで成功すれば、シルウァニア王国西半分は我が軍の支配下に入ります」


              ◆


「第八段階です」


 公爵は中南部方面へ視線を戻した。


「北部の二十五万人が西半分を制圧した後、中南部方面軍十万人と合流します」


「合計三十五万人」


「はい。ここで今回の戦争に投入するエクィトゥム王国軍三十五万人が、初めて一つの大規模な戦力として再編されます。ただし、すべてを同じ場所へ集中させるわけではありません。占領地域の確保や補給線の維持にも兵力を残しながら、主力を王都周辺へ向けます」


 そして、その南側にはアイティクイランド王国軍二万人が描かれていた。


「王都周辺では、アイティクイランド王国軍二万人が南側から圧力をかけ続けます。我が軍が西側から王都周辺へ進出することで、王都とその周辺地域、つまりシルウァニア王国南東部を挟撃します」


「王都を落とすこと自体が最終目的ではないのですね」


「その通りです」


 公爵の表情が少しだけ硬くなった。


「ここが、この戦争において最も重要な点です」


 地図上のシルウァニア王国全域を、公爵はゆっくりと見渡した。


「シルウァニア王国は、単一の王都と中央政府によって統制されている国家ではありません。山岳地帯に根を張る諸部族が緩やかに連合した国家であり、王都を陥落させただけでは、各部族が独立して抵抗を続ける可能性があります」


「つまり、王都陥落だけでは勝利にならない」


「ええ。王都を落としても、山岳部族が戦い続ければ戦争は終わりません。むしろ各地で抵抗が続けば、我が国は長期間にわたって兵力を拘束されることになります」


「だから、国土全体を制圧する」


「その通りです。『竜の祝福』の最終的な勝利条件は、シルウァニア王国の国土全域を制圧し、組織的な抵抗を終わらせることです」


 俺はその言葉を聞き、地図へ視線を落とした。


 王都を落とすだけなら、もっと短い作戦にできるだろう。


 しかし、それでは山岳民族を相手にした戦争は終わらない。


 だからこそ、エクィトゥム王国は王都ではなく、シルウァニア王国そのものを狙っている。


              ◆


「そして最後が、第九段階です」


 公爵の指が、まだエクィトゥム王国軍の支配下に入っていない北東部へ向かった。


「この地域には、ソルフィエート族という大部族が存在します。北東部では最大勢力を誇る部族ですが、戦争については穏健派です」


「つまり、ここだけは戦場にしない」


「可能であれば、そうしたいと考えています」


 公爵は一枚の資料を俺の前へ差し出した。


「シルウァニア王国の残存勢力が北東部へ集結した場合、我が国はソルフィエート族へ和平を提案します」


「条件は?」


「シルウァニア王国という国家そのものを終わらせます」


 その言葉に、俺は資料へ視線を落とした。


「エクィトゥム王国国王陛下がソルフィエート族長へシルウィア公爵の爵位を授ける。そして、ソルフィエート族長を旧シルウァニア王国北東部の統治者として認め、シルウァニア王国の国王という立場から、公爵という立場へ移します」


「国王から公爵へ」


「はい。そして国家名もシルウァニア王国からシルウィア公国へ変更させます。旧シルウァニア王国北東部についてはシルウィア公国として一定の自治を認める一方、エクィトゥム王国の属国とします」


「なるほど」


 俺は静かに頷いた。


「ソルフィエート族にとっても、完全に滅ぼされるよりは、その条件を受け入れる方が遥かにいい」


「その通りです」


「では、拒否した場合は?」


 公爵の表情が少しだけ険しくなった。


「その場合は、軍事的に排除します」


 部屋が静まり返る。


「ただし、我々としても、それを望んでいるわけではありません」


「理由は残党か」


「ええ。ソルフィエート族を殲滅すれば、シルウァニア王国の残党を処理するためにさらに長期間の軍事行動が必要になります。加えて、シルウァニア王国の北東部で直接的な統治を行う必要が生じ、そこに住む諸部族との戦いが続く可能性もあります」


 公爵はさらに地図の北側を指した。


「そしてもう一つ。シルウァニア王国の北東部は、セプテントリア連合公国との接触地域でもあります。ここを直接統治すれば、我がエクィトゥム王国はセプテントリア連合公国と直接国境を接することになります」


「つまり、シルウァニア王国を間に挟んでいた外交関係が消える」


「その通りです。直接国境を接すれば、戦後の外交問題も一気に増えるでしょう。だからこそ、シルウィア公国を緩衝地帯として残す意味があります」


 俺は地図を見つめた。


 シルウァニア王国を完全に消滅させる。


 だが、そのすべてをエクィトゥム王国が直接統治するわけではない。


 北東部だけはソルフィエート族に与え、爵位を与え、国王という地位を公爵へ移し、属国として残す。


 それによって戦後の統治負担を減らし、セプテントリア連合公国との直接的な衝突も避ける。


「戦争に勝つことだけを考えた作戦ではないのですね」


 俺が言うと、オスティエール公爵は静かに頷いた。


「戦争は勝つだけでは終わりません。勝った後に何をするかまで決めて、初めて戦争に勝ったと言えるのです」


 その言葉を聞きながら、俺は地図を見つめ続けた。


 北部で防衛線を破壊する。


 主力を押し上げる。


 中南部を攻撃する。


 南部からアイティクイランド王国軍を進出させる。


 さらに中南部から六万人を投入する。


 敵が南へ集まったところで、北部の二十万人を本格投入する。


 西半分を制圧し、中南部方面軍と合流する。


 そして王都周辺を挟撃する。


 最後に北東部のソルフィエート族へ和平を提示し、シルウィア公国として残す。


 それが『竜の祝福』だった。


              ◆


「以上が、我がエクィトゥム王国の基本作戦です」


 公爵が説明を終えると、室内にしばらく沈黙が流れた。


 俺は地図から目を離さなかった。三十五万人という圧倒的な兵力を投入するだけあって、その作戦は単純な正面突破ではない。北部、中南部、南部の三方向を利用し、時間差をつけ、敵の判断を誘導し、最終的に敵主力を望む場所から引き離す。そして、その瞬間に二十万人という巨大な戦力を北部へ投入する。


 しかも、その三十五万人という数字自体がエクィトゥム王国にとって軽いものではない。人口八百万人に対して戦時動員可能兵力は約四十万人だが、その四十万人は国家として維持可能な限界に近い。そこから三十五万人を国外の戦場へ投入するということは、王都や主要都市、国境、兵站拠点などを守るための約五万人を残したうえで、王国が持つ戦争遂行能力の大部分をシルウァニア王国戦へ振り向けるということだ。


 それだけの兵力を動かす以上、この戦争にエクィトゥム王国が賭けているものは大きい。勝利すればシルウァニア王国を解体し、その領域を再編するほどの成果を得られるが、敗北すれば三十五万人規模の軍を動かした代償として、人的資源、物資、資金、そして国家の戦争遂行能力そのものが大きく損なわれる。


「……よく考えられています」


 俺がそう言うと、国王がこちらを見る。


「問題はあるか?」


「いくつか確認したい点があります」


「構わん。遠慮なく言ってくれ」


 俺は地図上の北部を指した。


「この作戦が成功するかどうかは、シルウァニア王国軍が本当に南部を本命だと判断するかにかかっています。もし敵が北部の二十五万人を最後まで主力と判断し続けた場合、二十万人を追加投入しても、北部で激しい戦闘になる可能性があります」


「その通りです」


「ならば、南部での攻撃は単なる陽動ではなく、本当に王都を脅かす必要がある」


「そのためのアイティクイランド王国軍二万人です」


 俺は頷いた。


「そして、南部の六万人も重要になる」


「ええ。四万人の攻撃だけでは、敵に陽動だと見抜かれる可能性があります。そこで六万人を追加し、実際に南部の戦線を拡大させる。敵から見れば、北部よりも南部の危険度が高くなったように見えるでしょう」


「分かりました」


 俺はそこで一度、地図全体を見渡した。


「なら、俺から確認したいのは一つです」


「何でしょう」


「この作戦が失敗した場合の次善策は?」


 オスティエール公爵が僅かに目を細めた。


 俺は続ける。


「戦場では、敵がこちらの予定通りに動くとは限りません。シルウァニア王国軍が北部へ主力を残した場合、南部へ過剰に兵を送った場合、あるいは王都を守るために各戦線へ均等に兵を配置した場合、それぞれに対して別の対応が必要になります。『竜の祝福』が予定通り進まなかった時、どこへ兵を動かし、どこを捨て、どこを守るのか。その判断基準まで決めておくべきでしょう」


 国王はしばらく俺を見た後、静かに口を開いた。


「なるほど。やはりお前は、作戦そのものよりも、その作戦が崩れた後を気にするか」


「作戦が予定通りに進むなら苦労はありません。重要なのは、予定通りに進まなかった時にどうするかです」


 俺は地図へ視線を戻した。


「敵が何を選ぶか分からない以上、こちらは敵の選択肢を一つずつ潰していく必要があります。北へ行けば南が危険になる。南へ行けば北が崩れる。王都を守れば西部を失う。西部を守れば王都が危険になる。そういう状況を作り続ければいい」


 俺は地図の上へ指を置いた。


「最終的に、シルウァニア王国軍がどこへ兵を動かしても、こちらが次の手を打てる状態にする。それができるなら、この作戦は成功するでしょう」


 オスティエール公爵はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「……殿下のおっしゃる通りです。『竜の祝福』は、敵がこちらの想定通りに動くことだけを前提とした作戦ではありません。敵がどのような判断をしても、その判断によって別の戦線が危険になるようにするための作戦です」


「なら、俺はこの作戦に賛成します」


 俺は椅子へ深く腰を戻した。


 目の前には、これから戦場になるシルウァニア王国の地図が広がっている。


 三十五万人。


 北部二十五万人。


 中南部十万人。


 そして、南部から進出するアンティクイランド王国軍二万人。


 さらに、エクィトゥム王国の戦時動員能力は約四十万人。残る五万人も国内防衛や兵站、補充などのために必要な兵力であり、今回の三十五万人は、王国が国家として維持できる限界に近い戦力を一つの戦争へ振り向けた数字だった。


 戦争は、兵士の数だけで決まるものではない。


 どこへ兵を置くか。


 いつ動かすか。


 敵に何を見せ、何を見せないか。


 そして、敵がどの選択をしても、こちらが次の手を用意しているか。


 その積み重ねによって、戦場の形は変わる。


 俺は最後に、もう一度だけ地図全体を見渡した。


 シルウァニア王国との戦争は、まだ始まっていない。


 だが、少なくともエクィトゥム王国は、勝つための準備をすでに整えている。


 そして俺は、その戦争にティアの故国と共に参加することになる。


 婚約の許可を得たばかりだというのに、次に話しているのは婚礼ではない。


 戦争だった。


 それでも、不思議と迷いはなかった。


 王国同士の未来を決めるのは、華やかな謁見でも、婚約の儀式でもない。


 その先にある現実だ。


 俺は静かに資料を閉じた。


「では、次はアンティクイランド王国側の戦力と、我々がどこまでこの作戦に介入するかを話しましょう」


 オスティエール公爵が頷き、別の資料を手元へ引き寄せる。


 こうして会議は、ここから本当の意味で始まった。

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