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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第40話 偶然の産物

 エクィトゥム王国へ向かう途中、俺たちはいくつかの領地を経由しながら西へ進み、やがてウィムーヌ子爵領へ入った。ここは、俺の亡くなった実母――故第一王妃リウィアの実家であるウィムーヌ子爵家が治める領地だ。俺自身、母上が亡くなってからこの地を訪れる機会はそれほど多くなかったが、実際に足を踏み入れてみると、王都とは明らかに違う空気が流れている。


海に隣接した領地らしく、潮の香りを含んだ風が吹き、港には大小の漁船が並び、市場にはその日に水揚げされたばかりの魚介類が所狭しと並べられている。一方で、内陸へ目を向ければ緩やかな丘陵に沿って広大な葡萄畑が続いており、ウィムーヌ子爵領の特産品である高級葡萄が丁寧に育てられていた。そこから作られる高級ワインは大陸でも名高く、王侯貴族の祝宴や外交の席でも扱われるほどの品だという。海と葡萄畑がすぐ近くに存在する景色を眺めていると、王都で暮らしてきた俺には、この土地で母上が生まれ育ったという事実が少し不思議に感じられた。


 領都へ入ると、ウィムーヌ子爵家の者たちが総出で出迎えに姿を見せた。王族である俺とグラーティア――ティアが訪れるのだから当然と言えば当然なのだろうが、俺にとっては単なる王族としての訪問ではなく、亡くなった母上の実家へ来たという感覚の方が強い。屋敷へ案内される道すがら、俺は何度も周囲へ目を向けた。


海に近い土地らしく、石造りの建物には潮風への対策が施され、港へ続く通りには海産物を扱う店が多く並んでいる。その一方で、少し視線を上げれば丘の斜面に規則正しく並ぶ葡萄畑が見え、その向こうには青い海が広がっている。土地そのものが豊かで、海産物と農産物の双方に恵まれていることが一目で分かる領地だった。なるほど、と俺は思う。母上はこんな場所で育ったのか、と。


              ◆


 屋敷へ通されると、ほどなくして昼食の用意が整えられた。今回の訪問が婚約前の親族との顔合わせという形式を取っている以上、食事の席で親族同士が交流することも重要な予定の一つなのだろう。俺とティアは上座へ案内され、その少し後ろにはエリシアとカイが控えている。食卓に並べられた料理には、この土地で取れる食材がふんだんに使用されていた。新鮮な魚介類を使った料理に、海沿いで採れる香草を使った料理、葡萄を使ったソースを添えた肉料理など、海と葡萄に恵まれたウィムーヌ子爵領らしい料理が並んでいる。


飲み物として用意されていたのは、この領地が誇る高級葡萄から作られた果実水で、酒ではないにもかかわらず葡萄そのものの香りが濃く、すっきりとした甘さが残る。さらに料理には、隣接するアリフレータ男爵領で採れるオリーブから作られた高級オリーブオイルまで使われていた。海産物、葡萄、オリーブ。地理的な条件を考えれば、これらを利用した独自の食文化が発達するのも不思議ではない。


 運ばれてくる料理を眺めながら、俺はそんなことを考えていた。前世とは違う世界なのだから、食材の組み合わせや調理法が似通ったとしても、別に不思議ではない。そもそも、魚介が豊富な海沿いの土地で、穀物が栽培され、さらにオリーブオイルが手に入るのなら、似たような料理が生まれる可能性は十分にある。俺はその程度に考えていた。だから、次の一皿が運ばれてくるまでは、まさか前世の記憶を直接刺激されるような料理が目の前に現れるとは思っていなかった。


「パエリアだ」


 思わず、口から言葉が漏れた。


 目の前に置かれたのは、大きく平たい鍋で調理された料理だった。魚介がふんだんに使われ、米によく似た穀物が敷き詰められ、具材にはアリフレータ男爵領産のオリーブオイルが使われている。見た瞬間に、前世で知っていた料理の姿が頭に浮かんだ。日本で食べたパエリアと、目の前の料理があまりにもよく似ていたからだ。そして、それを見たのは俺だけではなかった。


「パエリアだね」


 隣からティアが答えた。


 俺は思わずティアを見る。ティアも料理を見ながら少し目を丸くしているが、驚いているというより、どこか懐かしいものを見つけたような顔をしている。それも当然だ。彼女も俺と同じように前世の記憶を持っている。ならば、この料理を見れば同じ名前が出てくるのも不思議ではない。


「お二人とも、ご存じなのですか?」


 向かいに座るウィムーヌ子爵家の者が、不思議そうに尋ねる。


「ええ。私たちの前世で、よく似た料理を知っていました」


 ……とは言えない。


「以前、似た料理を見たことがある」


 俺はそう答えた。


 ティアも頷く。


「私も、前に見たことがあります」


 それ以上は追及されなかった。すると、料理人が料理について説明を始める。


「こちらはウィムーヌ領で古くから作られている料理でございます。海で獲れた魚介と、この地域で栽培されている穀物を使い、アリフレータ男爵領産のオリーブオイルと香草で味を整えております。もとは農漁村の家庭料理だったものを、子爵家の料理人が長い年月をかけて改良したものでございます」


 俺は説明を聞きながら、もう一度料理を見る。そして、少し考えれば答えは簡単だった。


 海沿いで魚介が豊富。


 穀物が手に入る。


 隣の領地にはオリーブがある。


 それを炒めるための油もある。


 さらに、皆で食べるために大きな鍋を使う文化がある。


 これだけ条件が揃っているのなら、似た料理が生まれても何もおかしくない。前世のスペインでパエリアが生まれ、この世界のウィムーヌ領でも似たような料理が生まれた。ただそれだけだ。世界そのものが繋がっているわけでも、誰かが前世の料理を持ち込んだわけでもない。環境と食材が似ていたから、別々の場所で似た答えへ辿り着いただけなのだろう。


「……なるほどな」


 俺は納得した。


 ティアも同じような結論に至ったらしい。料理を見ながら少し考えていたが、やがて小さく笑う。


「環境が似てると、料理も似るんだね」


「そういうことだろうな」


「ちょっと面白いね。世界が違っても、同じようなものを考える人がいるって」


「ああ。人間が考えることなんて、案外似たようなものなのかもしれない」


 そう言って、俺たちはようやく料理へ手を伸ばした。魚介の香りとオリーブオイルの風味が広がり、懐かしい味が口の中に広がる。完全に同じ味ではない。この世界の食材や香草が使われているせいか、前世で食べたパエリアとは少し違う。それでも、根本的な部分では確かに似ていた。


 そして俺は、少しだけ不思議な気分になった。前世で生きていた頃には、まさか自分が異世界へ転生し、王族として生きることになるなど想像すらしていなかった。その異世界で、かつて知っていた料理とよく似たものに出会う。普通なら運命だとか、前世との繋がりだとか、何か特別な意味を考えたくなるところだろう。しかし、俺はそこまで考えなかった。似た環境があり、似た食材があり、似た調理法があれば、似た料理が生まれる。それだけの話だ。偶然というものは、意外と大きな意味など持たずに起こるものなのだから。


「美味しいね」


 ティアが料理を口に運びながら言う。


「ああ。せっかくだ。冷める前に食べよう」


 俺も頷き、もう一度料理へ手を伸ばす。前世を思い出してしまう懐かしさはあるが、それを過度に追いかける必要はない。ここは俺が今生きている世界であり、目の前にいるのは今の俺とティアだ。過去は過去として残っている。それでも今は、この世界で生まれたこの料理を楽しめばいい。そう考えながら、俺はウィムーヌ子爵領の料理を静かに味わった。

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