第39話 エクイトゥム王国へ
先日に続き、俺は侍従に案内されて王宮の執務室へ向かい扉の前で一度だけ姿勢を整えてから中へ入った。
「失礼いたします」
「入れ、レノ」
室内には父上――国王アウレリウスがいた。机の上には王宮内の派閥勢力をまとめた資料とは別に、軍務関係の書類や複数の地図まで並べられている。俺がそれを見た瞬間、今日の話が学院内の派閥争いだけでは終わらないことが分かった。
「座れ」
「はい」
俺が父上の向かいに座ると、父上は一冊の報告書を手に取った。
「武術大会の結果をもって、学院内における第一王子派と第二王子派の勢力差は明確になった。第二王子派が学院内で再び大きな勢力を取り戻す可能性は、相当に低くなったと考えていい」
「……では」
俺が先を尋ねようとすると、父上は机の上に置かれた地図へ視線を移した。
「その上で、お前には夏季休暇中に一つ重要な役目を与える」
「重要な役目ですか?」
「ああ。エクィトゥム王国へ向かってもらう」
「……ティアとですか?」
「そうだ。表向きの目的は、婚約前の親族との顔合わせだ」
俺は一瞬だけ黙った。十五歳になれば卒業式、成人式、立太子の儀、そして婚約式を同時に行う予定になっている。その前段階として、俺とグラーティアが正式に婚約する前に、双方の親族が顔を合わせる。それ自体は当然の流れだ。要するに「娘さんをください!」「娘はやらんぞ!」ってのをして来いということだ。
「ただし、実際にはもう一つ重要な目的がある」
父上の指が地図の上を移動する。
「対シルウァニア王国戦について、エクィトゥム王国側と具体的な軍事作戦を協議する」
「……軍事作戦を」
「ああ。婚約前の親族との顔合わせという名目なら、両国の王族が集まることに不自然さはない。その機会を利用して、今後の軍事行動について具体的な話を進める」
「俺も協議に参加するのですね」
「当然だ。お前は十四歳だが、すでに実権を持つ王族として国家方針に関わる立場にある。さらに第一王子派を率いる立場でもある。次期王太子として、実際の国家戦略に触れておく必要がある」
「承知しました」
父上はさらに資料を一枚、こちらへ滑らせた。
「今回の一行には、第一軍団から騎士百人、兵士二百人を同行させる」
「合計三百人ですか」
「そうだ。王族の護衛としても、軍事視察の一行としても、それくらいが妥当だろう。必要以上の軍勢を動かせば外交上の意味が変わる。一方で、王族二人を護衛し、軍事協議を行う以上、最低限の戦力は必要になる」
俺は資料へ目を落とした。三百人。決して大軍ではない。それでも王族二人を中心とする一行としては十分な規模であり、単なる親族訪問には見えない程度の軍事的な存在感もある。
◆
「グラーティア殿下の護衛はどうなりますか?」
「エリシア・デイ・フェルディナン嬢を同行させる」
父上は即答した。
「騎士家の令嬢であり、学院でも十分な実力を示している。何より、グラーティア殿下との関係も良好だ。護衛として適任だろう」
「確かに」
エリシアなら、ティアの側に置くには申し分ない。戦闘になると人格が変わるという問題はあるが、護衛という役目を考えれば、その戦闘能力はむしろ大きな長所になる。
「俺の側は?」
「カイを同行させる」
「カイですか」
「ああ。すでに王立貴族学院を卒業し、現在は王立士官学校へ進んでいてる。お前の側近として長年仕えてきた以上、今回も近くに置くのが適切だろう。お前の側近として必要な補佐を行い、同時に護衛も任せる」
「承知しました」
カイが同行するなら、俺としても異論はない。俺の考えを理解し、必要な場面では王族としての立場を崩さずに支えることができる人間は貴重だった。
「出立は三日後だ」
「随分早いですね」
「夏季休暇は長い。だが、対シルウァニア王国戦の計画を具体化するなら、時間を無駄にするわけにはいかない」
「分かりました。準備を進めます」
父上は頷いた。
「それから、ヴィクトリアについてだが」
俺は顔を上げた。
「何か?」
「エクィトゥムへ向かう間も、警戒は続けろ」
「もちろんです」
「お前も気づいているようだが、あの女が動かないこと自体が気になる。王宮内で第一王子派と第二王子派が膠着しているにもかかわらず、何も仕掛けない。俺も、それを完全に偶然とは考えていない」
「……父上もそう思われますか」
「ああ。ただ、証拠があるわけではない。だから今は動くな」
「承知しています」
「グラフィルの調査結果が届いたなら必ず確認しろ。お前が王都を離れている間に何かが動く可能性もあるが、それも含めて警戒しておけ」
「分かりました」
父上はそれ以上、その話を深く追及しなかった。俺も同じだった。今は疑うことより、証拠を集めることが重要だ。王宮を離れる以上、その間に起きることも観察しなければならない。
◆
王宮を出た俺は、自室へ戻る前に今回の旅の準備状況を確認した。第一軍団から派遣される騎士百人と兵士二百人の編成が始まり、護衛装備や旅程もすでに調整されている。ティアが同行する以上、エクィトゥム王国側にも当然その情報は伝えられることになる。表向きは婚約前の親族との顔合わせなのだから、俺とティアが一緒に訪問することに不自然さはない。それどころか、十五歳での婚約を見据えた両国王族の交流としては、むしろ自然な形だろう。
だが、俺は今回の旅を単純な外交訪問とは考えていなかった。対シルウァニア王国戦の具体的な作戦を協議するということは、兵站、進軍路、動員、戦力配置、攻撃目標、戦後処理など、軍事上の重要な情報を交換する可能性があるということだ。どこまで話すのかは、実際の会議にならなければ分からない。それでも少なくとも、王族同士で茶会を楽しんで終わるような旅ではない。次期王太子として、俺自身が他国との軍事協力へ踏み込む最初の機会になる。
その一方で、王都を離れるということは、俺自身の目が届かない場所が増えるということでもある。ヴィクトリアが本当に何かを企んでいるのなら、俺が王都を離れることを好機と考える可能性もある。逆に、俺が王都を離れること自体が想定済みで、そこまで含めて何かを仕掛けるつもりなのかもしれない。どちらにせよ、今の段階で決めつける必要はない。グラフィルの調査結果が届くまでは、可能性を並べたまま冷静に待てばいい。俺はそう考えていた。
◆
出発前、ティアと顔を合わせた。今回の旅が婚約前の親族との顔合わせという形式であることを理解している一方、実際には対シルウァニア王国戦の計画協議も目的に含まれていることを、彼女もすでに知らされている。
「思っていたより大掛かりな旅になったね」
ティアが王都の門前に整列する兵士たちを眺めながら言った。
「ああ。第一軍団の騎士百人と兵士二百人だ」
「親族との顔合わせにしては、かなり軍事色が強いけど」
「表向きと実際の目的が違うからな」
「そういうところ、王族って大変だね」
ティアは苦笑したが、嫌そうな様子はない。
「でも、エクィトゥムに行けるのは楽しみ」
「そうか」
「レノは?」
「俺は、やるべきことをやるだけだ」
「そう言うと思った」
ティアは少し笑った。その少し後ろでは、エリシアが護衛装備を確認している。剣の状態、周囲の人間、馬車の位置、そして何よりティアの立っている場所を何度も確認していた。武術大会の時とは違い、護衛任務中のエリシアは非常に真面目だ。
「エリシア」
「はい、レノ殿下」
「今回の任務はティアの護衛だ。何かあっても勝手に前へ出るな。ティアの安全を最優先にしろ」
「承知しております」
「武術大会の時とは違うからな」
「もちろんです」
エリシアは胸を張って答える。
「ティア様の護衛は、私が責任を持って務めます」
「頼む」
ティアが笑う。
「レノ、エリシアなら大丈夫だよ」
「そうだといいがな」
エリシアは少し困ったような顔をした。
「……信頼していただけるよう努力いたします」
「その努力はしてくれ」
「はい」
◆
そして、俺の側にはカイがいた。王立貴族学院をすでに卒業した彼は、現在は王立士官学校へ進んでいる。以前よりも少し大人びて見えるが、俺に向ける態度そのものは幼い頃から変わらない。
「殿下、準備はすべて整っております。第一軍団の騎士百人、兵士二百人、全員出立可能です」
「分かった」
「旅程も確認済みです。特に問題はございません」
「ならば出発する」
「承知しました」
カイが一礼する。
イザベラとの関係はどうなのだろう...
俺は一行全体を見渡した。先頭には第一軍団の騎士百人、その後ろに兵士二百人。中央には俺とティアの乗る馬車があり、その側にはエリシアとカイが付いている。王族二人を中心にした隊列としては十分な規模だ。王都の門前にこれだけの人間が集まれば、周囲の視線を集めるのも当然だった。
俺は出発する前に一度だけ王都を振り返った。王宮には父上がいる。学院は夏季休暇に入り、第一王子派として動いてきた学院生たちも、それぞれの領地や王都の邸宅へ戻っている。王宮内では第一王子派が優勢になったものの、第二王子派の基盤はまだ残っている。両派は膠着しており、その状況でもヴィクトリアは動かない。俺が王都を離れたことで何かが起こる可能性もあるが、今の俺には、それも含めて観察するしかない。
「殿下」
カイの声がした。
「出発のお時間です」
「分かった」
俺は王都から視線を外し、前へ向き直った。
「出発するぞ」
第一軍団の騎士たちが一斉に姿勢を正し、その後ろで兵士たちが動き始める。俺とティアを乗せた馬車を中心に、エリシアとカイがそれぞれの位置につき、三百人の一行が整然と進み始めた。王都の門を抜け、街道へ出る。しばらく進んだ後、俺は馬車の窓から遠ざかっていく王都を眺めた。ここを離れている間にも、王宮では政治が動き、グラフィルはヴィクトリアの周辺を調べ、第二王子派は膠着した勢力を抱えたまま次の手を考えているだろう。
今回の旅の表向きの目的は、婚約前の親族との顔合わせだ。十五歳での卒業、成人、立太子、そしてティアとの婚約を見据え、両国の王族が正式に顔を合わせる。だが、その裏では、エクィトゥム王国との間で対シルウァニア王国戦の具体的な軍事計画を協議する。俺にとっては外交であり、軍事であり、次期王太子として国家戦略に直接触れる重要な機会でもある。さらに、王都を離れることでヴィクトリアの動きを観察する余地も生まれる。俺がいない間に何かが起こるのか、それとも何も起こらないのか。その結果もまた、彼女が何を考えているのかを判断する材料になる。
だから俺は、今回の旅を単なる夏季休暇の一環とは考えていなかった。エクィトゥム王国で待っているのは、親族との顔合わせだけではない。今後の戦争を左右する軍事協議であり、ティアとの未来へ向けた外交上の一歩でもある。そして王都には、俺がまだ正体を掴めていない第二王妃ヴィクトリアが残っている。何が起こるのかは分からない。だが、分からないものを恐れて立ち止まる必要もない。情報を集め、状況を見極め、必要になった時に最も合理的な手を選べばいい。
「初めての海外旅行だな。」
「レノからしたらそうなのね!」
ティアが答える
そうして俺たちは、三百人の一行とともにエクィトゥム王国へ向けて進んでいった。




