第37話 決着
アウルス隊を撃破した俺は、戦場全体を見渡しながら次の状況を確認していた。右翼ではコリウスが戦闘不能となったことで第一王子派の戦線が大きく崩れ、その隙を突いたアウルス隊がこちらの本陣へ突撃してきたものの、最終的には俺がアウルスを倒し、その部隊もすべて戦闘不能へ追い込んだ。第一王子派本陣の護衛部隊十人は全員脱落したが、アウルス隊も残っていた七人を俺が一人で倒したことで、この場所から第二王子派が本陣へ攻撃を続けることはできなくなった。
一方、俺の命令を受けて左翼から大きく迂回したティアとエリシア率いる女性隊は、すでに第二王子派本陣へ迫っている。中央ではエドが依然として戦線を維持し、第一王子派全体としては、多少の損害を出しながらも戦場の主導権を握りつつあった。
そして、その左翼で異変が起きていた。
「ひゃっはぁぁぁぁぁぁ!!」
聞き覚えのある声が戦場の喧騒を突き抜けて響いた。俺が視線を向けると、そこには完全に戦闘状態へ入ったエリシアがいる。ティアと共に女性隊を率いて左翼から敵陣の側面を抜けようとしていたはずなのだが、敵の隊列に僅かな隙間を見つけた瞬間、エリシアはそれを見逃さなかったらしい。「エリシア、勝手に前へ出ないで!」というティアの制止も虚しく、エリシアは木剣を握ったまま一気に前へ飛び出し、第二王子派の生徒たちの正面へ突っ込んでいった。
最初の一人の攻撃を受け流し、そのまま二人目へ踏み込み、木剣を叩き込んで戦闘不能へ追い込む。さらに横から別の生徒が入ってくれば、それを受け止めた勢いで身体を回転させ、別の相手へ一撃を加える。その動きは極めて荒々しい。しかし、荒々しいだけではない。エリシアは敵陣の薄い場所を本能的に見つけ出し、そこへ集中して突っ込むことで、最小限の時間で最大限の突破口を作っていた。
「エリシア! 戻って!」
「大丈夫です、ティア様!」
「その状態の『大丈夫』は信用できないよ!」
ティアの叫びが響く。しかしエリシアは止まらない。敵が増えるほど楽しそうになるという、いつもの恐るべき状態へ入っていた。だが、それでもティアは見捨てない。エリシアが作った突破口へ女性隊を送り込み、自身は周囲の状況を見ながら隊列を整え、敵がエリシアを包囲しようとするたびに別方向から圧力をかけてその動きを止める。エリシアが荒々しく切り開き、ティアがその道を戦術として完成させる。二人の性格は正反対だったが、この状況では妙に噛み合っていた。
やがて、第二王子派左翼の戦線が大きく崩れた。その先に見えたのは、第二王子派本陣だった。
◆
「左翼、突破されます!」
第二王子派本陣から報告が上がる。ルキウスがそちらへ視線を向けると、先頭で赤髪を振り乱しながら敵陣を突破してくるエリシアと、その後ろから女性隊を率いて進んでくるティアの姿が見えた。ルキウスの表情が僅かに変わる。
「……エリシアですか」
「はい。先頭の彼女が異常な速度で進んでおります!」
「止めるのは難しいでしょうね」
ルキウスは穏やかに答えた。だが、その瞳には僅かな緊張が宿っている。右翼からはアウルス隊が第一王子派本陣へ向かっている。中央では両陣営の主力がぶつかっている。そして今、こちらの左翼から第一王子派が本陣へ迫っている。つまり、両陣営が互いの本陣を同時に狙う状況になっている。
その頃には、俺も状況を理解していた。アウルス隊は俺の本陣へ向かっている。そしてティアとエリシアは、左翼から敵本陣へ迫っている。ならば、もう守りに徹する必要はない。片方だけを守ろうとすれば、もう片方を失う。両方が本陣を狙っているのなら、こちらも敵本陣を狙えばいい。戦場の中央で相手を押し返すより、敵本陣を落とす方が今は明確な勝利へ繋がる。
「ティア!」
俺は遠くへ向けて叫んだ。
「敵本陣へ進め!」
「了解!」
「ルキウスがいる!」
その言葉を聞いたティアの表情が変わった。敵本陣を落とすだけなら、もっと単純な命令で済む。だが、その本陣の中心には第二王子ルキウスがいる。第一王子派と第二王子派の学院内での争いを終わらせるなら、彼を倒すことが最後の決定打になる。
「分りました!」
ティアは木剣を構え直した。
「女性隊、進みますよ!」
その声に応じて、第一王子派の女性隊が一斉に前へ進んだ。
エリシアは相変わらず敵陣を突破しながら、「ひゃっはぁぁぁぁぁ!」と叫んでいる。
「エリシア! 今は叫ばなくていいわ!」
「申し訳ありません、ティア様!」
そんなやり取りをしながらも、二人と女性隊は確実に第二王子派本陣へ近づいていった。
◆
第二王子派本陣へ到達したティアは、そこで足を止めた。周囲では第一王子派女性隊と第二王子派の残存部隊が激しくぶつかっている。木剣が交差し、模擬矢が飛び、互いの指揮官が部隊を動かしている。しかし、その中心だけは妙に静かだった。
そこに、ルキウスが立っている。
第二王子。
俺の弟。
そして、学院内で最後まで第二王子派を率いてきた人物。
「ルキウス殿下」
「グラーティア殿下」
二人は互いに礼をする。
「ここまで来るとは、思っていませんでした」
ルキウスが穏やかに言う。
「私もです。ただ、レノが本陣を落とせと言いましたから」
「そうですか」
ルキウスは小さく笑った。
「ならば、私もここで退くわけにはいきませんね」
「はい。私も、負けるつもりはありません」
二人は同時に踏み込んだ。
木剣がぶつかる。
ルキウスは決して弱くなかった。第二王子として幼い頃から武術教育を受け、その身体には身体強化魔術と武具強化魔術が施されている。ティアも同様に強化されているが、二人の戦いは簡単には決着しない。ルキウスは相手の剣筋を読むことに長け、ティアが強引に押し込もうとすれば一度受け流して体勢を崩そうとする。ティアはそれに対して追いすぎず、距離を取りながら足運びと肩の動きを観察する。互いに相手の力量を認めた上で、一瞬の隙だけを狙っていた。
「お強いですね」
「ありがとうございます。グラーティア殿下も、想像以上です」
「それなら、もっと頑張らないといけませんね」
再び木剣が交差する。
そして。
ティアが一歩深く踏み込んだ。
ルキウスが受ける。
次の瞬間、ティアの剣筋が僅かに変化した。
「そこです!」
木剣がルキウスの腕へ入る。
武器が落ちる。
ティアはすぐに木剣を胸元へ止めた。
ルキウスはしばらく動かなかったが、やがて穏やかに笑う。
「……私の負けですね」
「ありがとうございました」
直後、教官の声が響いた。
「第二王子ルキウス殿下、戦闘不能!」
一瞬、戦場全体が静まり返った。
そして。
「勝者、第一王子派!」
宣告が響いた。
第一王子派から、一斉に歓声が上がった。
◆
俺は遠くから、その光景を見ていた。ティアが勝った。ルキウスが脱落した。そして中央ではエドが戦線を維持し、右翼の危機はすでに消えている。左翼も第一王子派が押し込んでいる。主要な戦力を失った第二王子派には、もう戦況を覆すだけの力は残っていなかった。
「第一王子派、勝利!」
教官が正式に宣言する。
エリシアが嬉しそうに拳を握った。
「やりましたぁぁぁ!」
「ひゃっはー!」
「エリシア、今それ言う!?」
ティアが呆れながら叫ぶ。
周囲では第一王子派の学院生たちが互いに声を掛け合い、これまで味方だった者たちが勝利を喜んでいる。コリウスも戦闘不能者として退場させられながら、こちらへ視線を向け、静かに頷いていた。エドは中央で戦線をまとめ終えた後、ようやく肩の力を抜いている。長かった学院内での派閥争い。その最後を飾る武術大会で、第一王子派が明確な勝利を収めた。
俺は。
そこで初めて。
学院内の戦いが終わったのだと実感した。
これまで、第一王子派と第二王子派は社交の場で争い、人脈を奪い、相手の家をこちらへ引き込み、時には学院内で互いの立場を牽制し合ってきた。だが今日、その全てが一つの結果にまとまった。第一王子派七十七人と第二王子派六十三人による集団戦。その結果、俺たちが勝った。数字では五割五分と四割五分だった勢力差が、実際の戦場でも結果として示されたのだ。
少なくとも。
学院内では。
これで。
第一王子派の優位は揺るがない。
◆
俺は歓声から少し離れた観客席へ視線を向けた。
国王アウレリウス陛下。
第二王妃ヴィクトリア様。
ガルディシア伯爵。
アトラシート伯爵。
そして、ほとんどすべての主要貴族たち。
王国を支える主要な貴族たちが、ほぼ一堂に会していた。
父上は静かにこちらを見ている。表情に大きな変化はないが、俺たちの勝利を確認しているのは分かる。アトラシート伯爵も第一王子派の勝利を受けて僅かに頷いていた。周囲の第一王子派貴族にも、明らかな安堵や喜びが見える。
だが。
俺の視線は、一人へ向いた。
第二王妃ヴィクトリア
第二王子ルキウスの母にして第二王子派の中心人物。
俺は彼女の表情を見た。
……何もない。
焦り
怒り
落胆
そのような感情を感じさせない。
ルキウスが敗れたという事実を、ただ静かに受け止めている。
俺はしばらく彼女を見つめた。
おかしい。
第一王子派が学院内の派閥争いで勝利した。
第二王子派の神輿(傀儡)だったルキウスが敗北した。
しかも、これは単なる一回の武術大会ではない。学院生たちの大多数が見ている前で、第一王子派が第二王子派を正面から上回ったという事実だ。さらに観客席には国王をはじめ、ガルディシア伯爵、アトラシート伯爵など、王国の主要な貴族が揃っている。この結果が王宮へ持ち帰られれば、第二王子派の威信に与える影響も決して小さくない。
それなのにヴィクトリアまるで、何かを失ったとは考えていないような顔をしている。
「……」
俺は静かに目を細めた。普通なら焦る。少なくとも、何らかの対応を考える。だが、ヴィクトリア様にはその気配がない。むしろ学院内の勝敗など、最初から大した意味を持たないと考えているように見えた。
◆
ティアが俺のところへ戻ってきた。
「レノ」
「どうした?」
「さっきから、第二王妃殿下を見てるけど……どうかした?」
「少し気になる」
俺は視線を外さずに答える。
「私たちは勝った」
「うん」
「ルキウスも脱落した」
「そうだね」
「それなのに、第二王妃殿下は焦っていない」
ティアもしばらくヴィクトリア様を見た。
「……確かに」
「勝敗を知らなかったわけではない。あの人は、今ここで何が起きているのか全部見ていた」
「それでも落ち着いている」
「ああ」
俺は少し考える。
ここで「勝ったから全部終わった」と考えるのは簡単だ。だが、そういう考え方をする人間が王位継承争いで勝ち残れるとは思っていない。敵の表情、行動、判断、失敗、そして勝った後の反応まで見る。そこから相手が何を考えているのかを推測し、次に何が起きる可能性があるのかを考える。
だから俺は、違和感を無視しなかった。
「……まだ何かあるな」
俺がそう言うと、ティアは静かに頷いた。
「レノがそう思うなら、きっと何かあるんだと思う」
「なら、調べる」
「誰に頼むの?」
「グラフィルだ」
◆
俺は戦場の端へ視線を移した。
「グラフィル」
「はい」
いつの間にか近くにいたグラフィルが、すぐにこちらへ来る。
俺は周囲を確認してから、声を落とした。
「第二王妃殿下の周辺を徹底的に調べろ」
「……第二王妃殿下を、ですか?」
「ああ」
「どこまでを対象にいたしましょう」
「全てだ」
俺は一つずつ指示する。
「最近の面会相手。手紙の往来。侍女と護衛の交代。王宮内での移動。私的な面会。ガルディシア伯爵家との連絡。第二王子派の残存勢力との接触。そして、帝国との繋がり。把握できるものは全て調べろ」
グラフィルは頷いた。
「承知しました」
「ただし、こちらが動いていると悟らせるな。無理に証拠を掴もうとする必要もない。まずは事実を集めろ。証拠を作る必要もない。何が起きているのかを正確に把握することを優先しろ」
「かしこまりました。慎重に進めます」
「それから、第二王妃本人だけを見るな。周囲の侍女、護衛、文官、ガルディシア伯爵家との連絡役まで含めろ。ヴィクトリア様が直接動かなくても、周囲が動いている可能性がある」
「承知いたしました」
「そして、結果は私だけへ報告しろ」
「はい」
グラフィルが深く一礼する。
「徹底して調べます」
「頼む」
グラフィルが離れていく。
俺はその背中を見送った。
学院内の戦いには勝ったからこそ次を見る必要がある。
◆
歓声が続く中、ルキウスは戦闘不能者として退場するところだった。ティアとの一騎打ちに敗れた悔しさはあるのだろう。それでも、その表情には乱れがない。すれ違う瞬間、俺とルキウスの視線が合った。
ルキウスは一瞬だけ俺を見て、小さく頭を下げた。
俺も同じように頷く。学院内での派閥争いは第一王子派の勝利に終わった。
だが、王位継承争いそのものが終わったわけではない。
むしろここから先はもっと重要になる。
学院内の勝敗が決まったことで、今度はその結果を王宮の政治へどう繋げるかという問題が生まれる。第一王子派が学院内で明確な優位を得た以上、第二王子派はこれまでのように「学院ではまだ互角だ」と言うことができなくなる。その一方で、ヴィクトリアがこの結果を予想していたのだとすれば、第二王子派が学院で敗北することを前提に、別の戦場を用意している可能性がある。
それが何なのかは分からないからこそ調べる価値がある。
俺は、もう一度観客席を見た。
ヴィクトリアは、相変わらず落ち着いている。
まるで、何かを待っているように。
俺はその姿を見ながら、勝利の余韻を完全に切り捨てた。
「……まだ終わっていない」
今度は独り言ではなく、確信に近い言葉だった。
学院での戦いは終り、第一王子派が勝った。
だが、その勝利によって安心することはできない。俺たちが今日倒したのは、第二王子派という派閥の学院内における勢力だけだ。王宮にはまだ第二王子派の貴族が残っている。ヴィクトリア様もいる。ガルディシア伯爵もいる。そして何より、俺たちが争っている本当の問題――この国が独立を維持するのか、それとも帝国へ再従属するのかという国家そのものの方針は、まだ何一つ決着していない。
だから俺は、勝利を喜ぶのではなく次に備える。
敵が落ち着いているなら、その理由を知る。
何かを隠しているなら、それを探し出す。
そして、必要なら次の手を打つ。
俺は静かに戦場を見渡した。
学院の大半の生徒たちは、まだ今日の勝利に沸いている。ティアはエリシアと話し、エリシアは興奮したまま今日の戦いを振り返っている。エドやルリウスも、それぞれ第一王子派の仲間たちと状況を確認していた。コリウスは戦闘不能から回復するため教員側へ移されている。誰もが、今日の戦いが終わったことに安堵している。
だが、俺だけはまだ終わったとは思っていなかった。
むしろ学院内の勝利によって次の戦いの入口がようやく見えたような気がした。
俺は観客席に座る第二王妃ヴィクトリアをもう一度だけ見てから、静かに背を向けた。
「グラフィルの報告を待つ」
それだけを決めた。
学院での戦いは終わったが
王位継承争いは、これからが本番だった。




