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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第34話 最後の会話

 王立貴族学院武術大会当日。学院全体が、普段とは明らかに異なる空気に包まれていた。今年の武術大会は、これまでのような学年別の個人戦ではない。学年に関係なく学院生を二つの陣営へ分け、異なる学年、異なる身分、異なる技量を持つ者たちが一つの戦力として行動し、集団戦術を学ぶという新たな形式が採用されていた。表向きには、将来の貴族や騎士に必要となる指揮能力、連携能力、状況判断力を養うための教育改革である。


 しかし、この制度が採用された背景には、俺自身の思惑も存在していた。学院ではこれまで、第一王子派と第二王子派が社交、人脈、家同士の関係などを通じて長く争ってきたが、言葉と人間関係だけで勢力を比べ続けていては、いつまで経っても「どちらが優勢なのか」という曖昧な状態が残る。それならば、学院全体を二つの陣営に分け、実際の戦いの結果によって、どちらが優れているのかを全員に理解させればいい。今回の武術大会は、俺にとって学院内の派閥争いを終わらせるための最後の舞台だった。


 武術大会への出場者は、全校生徒二百五十人のうち約百四十人。その大部分は爵位を持つ貴族と裕福な中央騎士家の出身者であり、爵位持ち貴族が約九十四人、中央騎士家が約百五十六人という学院の構成から考えれば、騎士家の令嬢の中に武術を嗜む者が一定数存在するのも自然なことだった。実際、今回の出場者にはエリシアのように騎士家令嬢も二十人以上含まれており、家の方針によっては本格的な剣術や武術を学んでいる者も少なくない。そして今回、出場者の中に中立の生徒はいなかった。第一王子派が七十七人、第二王子派が六十三人。五割五分対四割五分という比率で、人数だけを見れば第一王子派が優勢だった。


 しかし、六十三人という第二王子派の戦力は決して侮れない。集団戦においては人数だけではなく、指揮系統、連携、個々の技量、相手の動きを読む判断力によって戦況は大きく変化する。だからこそ、俺は今日の戦いを最後まで慎重に見るつもりだった。


 そして、もう一つ。今年の大会が例年以上に大きな意味を持っている理由があった。観客席には学院関係者だけではなく、王国の最高位にいる者たちまで集まっていた。国王アウレリウス陛下、第二王妃ヴィクトリア様、ガルディシア伯爵、アトラシート伯爵をはじめ、王宮の主要な貴族や法衣貴族、領地貴族の多くが観戦に訪れている。第一王子派と第二王子派の有力者たちもそれぞれの立場から生徒たちの戦いを見守るため、観客席はほとんど王国の貴族社会そのものが縮小されたかのような光景になっていた。表向きは未来の貴族や騎士を育成する教育行事だが、ここにいる者たちの多くは、学院生たちの武術だけを見に来たわけではない。第一王子派と第二王子派の現在の勢力、両陣営の結束、そしてこの先の王位継承争いを見据えて、今日の戦いを観察しているのだろう。


              ◆


 第一王子派の集合場所には、多くの学院生が集まっていた。俺の周囲には、ティア、コリウス、ルリウス、エリシア、エドの姿もある。七十七人の生徒たちは、それぞれ武具を確認し、担当する位置や役割を最後まで確かめていた。普段なら教室で同じ授業を受け、食堂で昼食を取り、廊下で友人と話しているだけの学院生たちが、今日は一つの戦力として動こうとしている。学年も違えば家柄も違う。それでも、今日だけは第一王子派という一つの陣営に属している。その光景を眺めながら、俺はここまでの学院生活を思い返していた。アルゲントゥム商会の崩壊と、それによって生じた第二王子派の動揺。そこから始めた学院内での大攻勢。ティアとサナによる女子社交、俺自身による男子生徒との接触、第二王子派から離れてきた者たちの受け入れ。そうした積み重ねの結果として、今ここに七十七人がいる。


「レノ、少し緊張してる?」


 ティアが俺を見る。


「多少はな。これだけの人数を一つの陣営として動かすのは、俺にとっても初めての経験だから」


「私も少し緊張してる。でも、レノが一緒なら大丈夫だと思う」


「そうか。それならよかった」


 ティアは周囲を見渡し、第一王子派の学院生たちを眺めながら小さく頷く。


「今まで、こうしてみんなで一緒に戦うことなんてなかったものね」


「そうだな」


「なら、今日は勝ちたい」


「ええ。俺も、そのつもりだ」


 ティアは満足そうに笑った。普段の明るさは変わらないが、その目には今日の戦いに対する決意が宿っている。


              ◆


 少し離れた場所では、エリシアが木剣を確認していた。赤い髪、碧い瞳、つり上がった目、そして騎士家の令嬢らしい真っ直ぐな姿勢。その見た目だけなら、非常に気の強い少女に見える。しかし、戦闘が始まる前の彼女はいつものように少し緊張している。


「エリシア」


「はい、レノ殿下」


「今日は集団戦だ。独断で前へ出ることは避けてくれ」


「承知しております」


「本当に大丈夫か?」


「……善処いたします」


 返事だけ聞けば問題はなさそうだが、俺は彼女の木剣を握る手を見る。妙に力が入っている。


 ティアがその様子を見て、くすりと笑った。


「エリシア、今日は『ひゃっはー』しないようにね?」


「し、しません!」


「本当に?」


「本当に……です」


 しばらく黙っていたエリシアが、やがて小さな声で付け加える。


「……できる限りは」


「そこは自信を持ってほしいところなんだけどな」


 俺がそう言うと、エリシアは困ったように笑った。普段は気弱で、戦闘になると理性が吹き飛ぶ。その切り替えの激しさには未だに慣れないが、今日は集団戦なのだから、できるだけ自制してもらいたい。


              ◆


 やがて、教官たちが訓練場中央へ整列した。学院長もその後ろに立っている。今回の大会は王立貴族学院として正式な教育課程の一環として行われる以上、監督する側も普段以上に慎重だった。観客席にも多くの貴族たちが席についており、国王アウレリウス陛下と第二王妃ヴィクトリア様、その側近や護衛、ガルディシア伯爵、アトラシート伯爵をはじめとした高位貴族たちが、静かに訓練場を見下ろしている。第一王子派の貴族と第二王子派の貴族だけではない。中立的な立場を取っている者や、今回の大会を教育上の行事として見に来た者まで含めれば、ほとんどの主要貴族が顔を揃えていた。


 それだけではない。父上の近くには王宮の重臣たちも並び、第二王妃ヴィクトリアの席の周囲にはガルディシア伯爵家に連なる者たちの姿もある。一方、第一王子派の観覧席にはアトラシート伯爵をはじめ、法衣貴族や領地貴族の姿が見える。学院生にとっては武術大会でも、大人たちにとっては王国の将来を担う若者たちの能力を見極める機会であり、同時に、現在の派閥勢力を改めて確認する場でもあるのだろう。


 ざわめきが少しずつ収まり、教官が学院生全体へ向けて口を開く。


「これより、本年度の王立貴族学院武術大会を開始いたします。本年度は、従来の学年別・個人戦とは異なり、学年を問わず二つの陣営に分かれた集団戦形式を採用いたしました。これは単に個人の武技を競うことのみを目的としたものではありません。異なる技量や能力を持つ者同士が互いの役割を理解し、指揮、連携、状況判断、隊列の維持など、集団戦に必要な能力を総合的に学ぶことを目的としております」


 実にもっともな説明だ。


 少なくとも表向きには。


 俺自身がマスドリート子爵へ提案した際も、その理由を前面に出した。教育改革として十分に正当性があり、だからこそ学院側も採用できたのだ。だが、俺にはもう一つの目的がある。学院内の派閥争いに決着をつけること。そのためには、曖昧な数字や社交関係ではなく、誰の目にも分かる結果が必要だった。


 しかも。


 今日は、その結果を学院生だけに見せるわけではない。


 国王である父上。


 第二王妃ヴィクトリア。


 ガルディシア伯爵。


 アトラシート伯爵。


 その他、大勢の貴族たち。


 彼ら全員が。


 この戦いを見ている。


 今日の勝敗が。


 学院だけの話で終わるとは。


 俺は思っていなかった。


              ◆


 俺は反対側へ目を向けた。そこには第二王子派六十三人が集まっている。その先頭には、第二王子ルキウスとアウルスが立っていた。以前なら第二王子派の中心人物はもっと多かった。だが、今では主要な人物のほとんどが第一王子派へ移るか、中立へ戻っている。残った六十三人も決して弱いわけではない。しかし、学院内の勢力図が以前と大きく変わったことは、この光景だけでも十分に分かる。


 そして。


 ルキウスと目が合った。


 少し離れた場所にいるのに、その目だけで何を考えているのかが何となく分かる。俺たちは兄弟だ。幼い頃から同じ王宮で育ち、互いの性格もある程度は分かっている。その一方で、今の俺たちは第一王子派と第二王子派、それぞれの中心に立っている。


 だからこそ。


 ここまで来た。


              ◆


「兄上」


 ルキウスが静かにこちらへ歩いてきた。周囲にいた学院生たちも、その姿を見て少しずつ集まり始める。第一王子と第二王子が向かい合っているのだ。誰もが気になるのは当然だった。数人が立ち止まり、その後ろへさらに数人が集まり、やがてかなりの人数が俺たちの周囲へ集まってきたが、誰一人として口を挟もうとはしない。ただ、兄弟二人の会話を聞こうとしている。


 観客席からも、こちらを注視する視線を感じる。父上も、ヴィクトリア様も、ガルディシア伯爵も、アトラシート伯爵も、そして周囲にいるほとんどの貴族たちも、学院生たちの様子を見ている。誰かが声を上げるわけではない。ただ、ここで第一王子と第二王子が何を話すのか、その一点へ視線が集まっていた。


「対戦表をご覧になっていたのですか、兄上」


「ああ。お前も確認しに来たのだろう?」


「はい」


 ルキウスが掲示板へ目を向ける。


「……随分と変わりましたね」


「ええ。以前とは大きく違う」


「第一王子派は、かなりの人数が残っています」


「そのようだな」


 アウルスが少し口を開きかけたが、ルキウスが静かに制した。


 俺はルキウスを見る。


「そちらは六十三人か」


「はい。十分な人数だと思っています」


「そうだな。集団戦である以上、人数だけで決まるわけではない」


「ええ」


 ルキウスは静かに頷いた。


「だからこそ、今回の大会は面白いのかもしれません」


「俺もそう思う」


 周囲の生徒たちは息を潜めている。


 誰もが。


 これが単なる武術大会前の会話ではないことを理解していた。


              ◆


「兄上」


「何だ?」


「兄上は、この大会に勝てば学院内の争いが終わるとお考えですか?」


「ああ。学院内においては、そうなるだろう」


「王宮では?」


「それは、また別の話だ」


 ルキウスはしばらく黙り、それから少しだけ微笑んだ。


「そうですよね。俺も、そこは理解しています」


「ならば、今は今だけを考えればいい」


「はい」


 その短いやり取りだけで、互いに十分だった。


 学院内では、今日の勝敗が最後になる。しかし王宮では、まだ国家方針を巡る争いが続いている。独立を維持するのか、帝国へ再従属するのか。俺とルキウスが争っている本当の理由は、そこにある。


              ◆


 ルキウスは再び掲示板を見た。


「……ここまで来るとは、正直思っていませんでした」


「俺が?」


「はい」


「俺も、ここまで来るとは思っていなかった」


「兄上でもですか?」


「ああ。最初から勝てると思っていたわけではない」


 俺は少しだけ対戦表から目を逸らす。


「昔は、何をすれば勝てるのかも分からなかった。だが、今は違う」


「何が違うのでしょう」


「勝つために必要なものが分かるようになった」


「人を集めることですか?」


「それも必要だ」


「敵の勢力を削ることも?」


「ああ」


「そして、相手が崩れた時に、その機会を逃さないこと」


「その通りだ」


 ルキウスが静かに笑う。


「……本当に兄上らしいですね」


「そうかもしれない」


 声を荒らげる必要はない。勝つと叫ぶ必要もない。俺に必要なのは、勝つための条件を揃えることだけだ。


              ◆


「兄上」


「何だ?」


「俺は、この大会で勝ちたいと思っています」


「俺も勝つつもりだ」


「……でしょうね」


 ルキウスが少しだけ笑う。


「ですが、俺は兄上に譲るつもりはありません」


「俺も、ルキウスに譲るつもりはない」


 そこに怒りはなかった。弟だからといって手を抜くつもりもない。兄だからといって譲歩するつもりもない。それでも、兄弟としての情が消えたわけではない。だからこそ、言葉の一つ一つには静かな重みがあった。


「これが学院で交わす、最後の言葉になるかもしれませんね」


「そうだな」


「なら、最後に一つだけ」


「何だ?」


 ルキウスは一度だけ視線を落とし、すぐに俺へ戻した。


「兄上。どうか、最後まで悔いのないように戦ってください」


 俺は少しだけ目を細めた。


「お前もな」


「はい」


 それだけで、十分だった。


 俺たちは互いに頭を下げ、別々の陣営へ戻った。


              ◆


 ティアが俺のもとへやってくる。


「……最後の話だった?」


「ああ」


「ルキウス殿下と?」


「そうだ」


「何を話したの?」


「学院では、最後まで互いに譲らない。それだけだ」


 ティアは少しだけ寂しそうに頷いた。


「兄弟なのに、やっぱり大変だね」


「そうだな」


 俺は反対側を見る。


 ルキウスは、すでに第二王子派の陣営へ戻っている。


「けれど、これでいい」


「うん」


「ここでは、どちらが王になるべきかではなく、どちらが勝つべきかだけを考えればいい」


 ティアは静かに頷いた。


 その横では、エリシアが木剣を握っている。


「レノ殿下」


「何だ?」


「配置につく時間だそうです」


「分かった」


「本日は、できるだけ冷静に戦います」


「頼む」


「はい」


 だが、エリシアの瞳が一瞬だけ鋭く輝いた。


 ティアがそれを見逃さない。


「エリシア?」


「……何でしょう?」


「今、少し楽しそうだったよね?」


「そ、そんなことはありません!」


「本当に?」


「本当です!」


 俺は二人の会話を聞きながら、小さく息を吐いた。


「……戦闘が始まるまでなら問題ないだろう」


「たぶんね」


 ティアが笑った。


              ◆


 「第一陣営、配置についてください」


 教官の声が訓練場へ響いた。第一王子派七十七人が一斉に所定の位置へ移動していく。前衛、中衛、後衛、指揮を補佐する者、伝令を担う者。それぞれが自分の役割を理解し、その役割に従って配置についていく。学年は違う。家柄も違う。それでも今は、全員が一つの陣営だ。俺は全体を見渡しながら最終確認を行った。ティアは魔法と剣術、エリシアは接近戦における突破力、コリウス、ルリウス、エドもそれぞれ自分の役割を担う。そして七十七人の学院生全員が、それぞれの場所にいる。


 俺は反対側を見る。第二王子派六十三人。その先頭には、ルキウスとアウルスが立っている。先ほどまで兄弟として話していた弟が、今は第二王子派の代表として立っている。俺はその姿をしばらく見たが、やがて視線を外した。今は敵だ。だからこそ、手加減はしない。


 そしてルリウスが俺に報告する。


  「全部隊、配置につきました。」


 同様の報告をルキウスも受けているようだ。


 そして_


 教官が中央へ進み出た。


「双方、準備は整いましたでしょうか」


 二つの陣営から返事が響く。


 教官がゆっくりと手を上げる。


 訓練場が静まり返った。


 第一王子派七十七人。


 第二王子派六十三人。


 その先頭には、俺とルキウスが立っている。観客席には国王アウレリウス、第二王妃ヴィクトリア、ガルディシア伯爵、アトラシート伯爵、そしてほとんどすべての主要貴族たちが集まり、次代を担う王族たちの戦いを見守っていた。学院生たちにとっては武術大会。貴族たちにとっては、第一王子派と第二王子派の現在の結束と実力を見極める場。そして俺にとっては、学院で何年も続けてきた戦いに決着をつける場だった。


 「双方、開戦の号令をお願いいたします」


 教官が一歩下がる。


 静寂が訪れた。


 俺は前を見る。


 ルキウスも。


 こちらを見ている。


 兄と弟。


 第一王子と第二王子。


 第一王子派七十七人と第二王子派六十三人。


 もう。


 言葉はいらない。


 俺は木剣を掲げ、第一王子派七十七人へ向けて、普段より僅かに強く、しかし王族としての威厳を崩さない声で告げた。


 ほとんど同時だった。


 反対側からも、ルキウスの穏やかな声が響く。


『――かかれ!』


 二人の声が。


 同時に重なった。


 次の瞬間。


 第一王子派七十七人と第二王子派六十三人が、一斉に地面を蹴った。無数の足音が訓練場を揺らし、前衛同士が正面から衝突し、木剣と盾が激しく交差する。後方から指示が飛び交い、隊列が動き、学院中から集まった貴族の子弟たちが、それぞれの陣営のために一斉に戦場へ飛び込んでいく。


 観客席からは大きなどよめきが起こった。


 父上も。


 ヴィクトリア様も。


 ガルディシア伯爵も。


 アトラシート伯爵も。


 その他ほとんどの貴族たちも。


 息を呑んで戦場を見つめている。


 そして。


 俺は前へ出た。


 ルキウスも。


 同じように前へ出る。


 学院内で何年も続いてきた派閥争いの最後の戦いが。


 今。


 始まった。

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