第33話 最後の武術大会
学院内での大攻勢を開始してから、しばらくが経った。アルゲントゥム商会の崩壊と、それに伴う第二王子派の政治的な動揺は学院にも確実に波及し、これまで互角か、やや劣勢程度だった第一王子派は、ようやく学院内でも優勢と言えるところまで勢力を伸ばしていた。女子生徒との社交ではティアとサナが人脈を広げ、男子生徒については俺が一人ずつ話を聞き、本人の意思で第一王子派を選ぶ者を受け入れていった。その結果、学院内で第二王子派に残っている主要人物は、以前とは比べものにならないほど少なくなっていた。
そんな時だった。
今年の王立貴族学院武術大会について、新たな告示が出された。
いつもの武術大会とは違う。
今回から、学年ごとの個人戦ではなく、学年を問わず学院生を二つの陣営へ分けた集団戦を行うというのだ。上級生と下級生が同じ陣営に入り、それぞれの能力や技量を考慮しながら役割を分担し、集団で戦う。個人の剣術だけではなく、指揮、連携、判断力、他者との協調まで含めて学ぶことを目的とした、新しい武術訓練だった。
掲示された内容を確認した俺は、静かに息を吐いた。
「……来たか」
この制度を学院へ働きかけたのは俺だった。
◆
数週間前。
俺は、第一王子派の法衣貴族である教務卿兼宮内卿マスドリート子爵へ、この新しい武術大会の案を持ち込んでいた。
「学院は将来の貴族や騎士を育成する場所です。であるならば、個人の武技だけではなく、複数の人間を一つの戦力として扱う訓練も必要なのではないでしょうか」
そう話した俺に、マスドリート子爵は資料へ目を通しながら頷いた。
「確かに、教育方針としては十分に成立いたしますな。学年の異なる生徒を同じ陣営へ組み込めば、上級生が下級生を指揮し、下級生がその指示に従って動く訓練にもなります」
「その通りです」
「しかし、なぜ今年なのです?」
マスドリート子爵が俺を見る。
俺は少しだけ間を置いてから答えた。
「学院内の勢力が変化したからです」
もちろん、それだけではない。
俺が狙っているのは。
学院内の派閥争いそのものに。
決着をつけることだった。
これまでの学院内政争では、第一王子派と第二王子派が人脈を奪い合い、女子社交や男子生徒の交友関係、家同士の繋がりなどを通じて少しずつ勢力を変化させてきた。だが、それではいつまで経っても「第一王子派が優勢らしい」「いや、まだ第二王子派も強い」という曖昧な状態が続くだけだ。
ならば。
戦わせればいい。
それも。
学院全体の前で。
学年を越えて二つの陣営に分ければ、現在の派閥勢力がそのまま戦力として表れる。
第一王子派が勝てば。
学院生全員が理解する。
第一王子派が。
第二王子派より強いと。
「実際の戦闘で勝敗を決めるということですか」
「正確には、集団戦術の訓練です」
俺はそう答えた。
「ですが、結果として学院内の勢力関係が可視化されることになるでしょう」
マスドリート子爵はしばらく俺を見た後、小さく笑った。
「……殿下らしいお考えですな」
それ以上は聞かなかった。
聞く必要もなかったのだろう。
マスドリート子爵自身、第一王子派の人間なのだから。
「承知いたしました。教務卿として、学院へ正式な制度として提出いたしましょう」
「お願いします」
こうして。
今回の武術大会は動き始めた。
◆
そして。
今日。
新たな対戦表が告示された。
掲示板の前には、すでに大勢の学院生が集まっている。
「学年関係なしって、本当なのか?」
「一年生と五年生が同じ陣営になるらしいぞ」
「集団戦術を学ぶためだって」
「でも、二つの陣営って……どうやって分けるんだ?」
「見てみろ。もう名前が出てる」
ざわめきが広がる。
俺も掲示板へ目を向けた。
第一陣営。
俺。
ティア。
コリウス。
ルリウス。
エリシア。
そして。
エド。
主要な第一王子派の学院生が。
ほぼ全員揃っている。
対する第二陣営。
アウルス。
そして。
第二王子ルキウス。
わずか二人。
もちろん、第二王子派の全学院生が二人しかいないわけではない。だが、これまで学院内で第二王子派の中心として名前が挙がっていた主要人物のほとんどが、今では第一王子派へ移るか、中立へ戻っている。
その事実が。
この対戦表だけで。
全員に伝わっていた。
「……随分と差がついたな」
誰かが呟く。
俺は。
何も言わなかった。
これが。
今の学院の現実なのだから。
◆
その時だった。
「……レノ」
背後から。
聞き慣れた声がした。
俺が振り返る。
そこには。
ルキウスが立っていた。
第二王子。
俺の弟。
そして。
今なお第二王子派の中心として残っている最後の主要人物。
その少し後ろには、アウルスもいる。
俺とルキウスが向かい合ったことで、周囲の学院生たちが少しずつこちらへ集まってきた。
一人。
また一人。
誰もが。
この場を離れようとしない。
当然だった。
第一王子と第二王子。
学院内で何年にもわたって続いてきた派閥争い。
その最後に残った二人が。
今。
同じ場所にいる。
誰もが。
この二人の言葉を聞きたかった。
「対戦表を見に来たのか?」
俺が尋ねる。
「ああ」
ルキウスが答える。
「随分と変わったな」
「そうだな」
ルキウスが掲示板を見る。
「第一王子派は、ほとんど揃っている」
「お前たちは二人だけだ」
俺がそう言うと、アウルスが少し眉をひそめた。
「人数だけで勝敗が決まるわけじゃないだろ」
「その通りだ」
俺は否定しなかった。
「だからこそ、この大会には意味がある」
個人戦ではない。
集団戦。
人数だけではなく。
誰が誰を信頼し。
誰が誰の指示に従い。
誰が誰を支えるか。
そこまで含めて。
戦う。
つまり。
この大会そのものが。
今の学院の勢力を測るための最後の試験になる。
◆
ルキウスが。
少しだけ俺を見る。
「お前は、この大会に勝てば学院内の争いが終わると思っているのか?」
「ああ」
「そうか」
ルキウスは。
しばらく黙った。
「俺は、もっと長く続くと思っていた」
「俺もだ」
「最初の頃は、お前がここまで来るとは思っていなかった」
「そうか」
「母上も、俺が勝つと思っていた」
「だろうな」
俺は。
淡々と答える。
周囲に集まっている学院生たちは、息を潜めて二人の会話を聞いている。
誰も口を挟まない。
「レノ」
「何だ?」
「お前は、変わったな」
「そうか?」
「ああ」
ルキウスは少し笑った。
「昔のお前なら、ここまで徹底して勝ちに行かなかった」
「昔は、勝つために何が必要なのか分かっていなかっただけだ」
「今は?」
「分かる」
俺は。
掲示板を見る。
「人を集める」
「敵の力を削る」
「相手が崩れたら、その隙を使う」
「そして、勝てる場所では勝つ」
ルキウスは。
しばらく黙っていた。
「……本当に、お前らしいな」
「そうかもしれない」
「この大会で勝つつもりか?」
「ああ」
「俺もだ」
視線が交わる。
そこには。
怒りも。
憎しみも。
なかった。
ただ。
互いに退くつもりがないという意思だけがあった。
◆
「レノ」
ルキウスが。
静かに口を開いた。
「俺は、お前に負けたくない」
「ああ」
「ここまで来たなら」
「最後まで戦いたい」
「そうだな」
周囲が静まり返る。
ルキウスが。
少しだけ笑う。
「これが、学院での最後の言葉になるかもしれないな」
俺も。
少しだけ目を細める。
「ああ」
「なら、言っておく」
「何を?」
「学院では」
ルキウスが。
ゆっくりと言う。
「俺は、お前に譲らない」
俺は。
少しだけ間を置いて答えた。
「俺も、お前に譲るつもりはない」
それだけだった。
大げさな宣言はしない。
相手を侮辱もしない。
勝つと叫ぶ必要もない。
ただ。
譲らない。
それで十分だった。
◆
やがて。
周囲に集まっていた学院生たちが少しずつ離れていく。
教師からも、
「対戦表をご確認いただいた方は、各自の集合場所へ移動してください」
という案内が響いた。
ルキウスは。
最後に一度だけ俺を見る。
「レノ」
「何だ?」
「勝った方が、学院で最後に立つんだな」
「ああ」
「なら――」
ルキウスが。
一瞬だけ笑った。
「絶対に負けるなよ」
俺は。
一瞬だけ目を見開いた。
それから。
小さく笑う。
「お前もな」
そう答えて。
俺たちは別れた。
ルキウスはアウルスと共に第二陣営の集合場所へ向かう。
俺は。
第一陣営の仲間たちのもとへ戻った。
◆
そこには。
ティアがいた。
エリシアがいた。
コリウスがいた。
ルリウスがいた。
そして。
エドがいた。
「どうだった?」
ティアが尋ねる。
「少し話しただけだ」
「ルキウス殿下と?」
「ああ」
「最後の言葉?」
「そんなところだ」
ティアは。
何かを察したようだったが、それ以上は聞かなかった。
「じゃあ」
エリシアが木剣を持ち上げる。
「大会へ向けて、これから訓練ですね!」
「大会はまだ少し先だ」
「分かっています!」
エリシアが真面目な顔で頷く。
「でも、勝つためには練習が必要です!」
「……戦闘の話になると本当に元気だな」
「そうでしょうか?」
「そうだ」
ティアが笑う。
「エリシアらしいよ」
「そうですか?」
「うん」
コリウスが対戦表へ目を向ける。
「今回は集団戦です。個人の力量だけでなく、役割分担が重要になるでしょう」
「分かっている」
ルリウスも頷く。
「学年が違う者同士で組む以上、普段とは全く違う戦い方になりますね」
エドも静かに言った。
「第一王子派として、ここで負けるわけにはいかない」
「その通りだ」
俺は。
もう一度だけ。
掲示板を見る。
第一陣営。
第二陣営。
この大会が。
学院内で積み重ねてきた派閥争いの。
最後の舞台になる。
これまで。
第一王子派は。
社交で戦った。
人脈で戦った。
政治で戦った。
第二王子派の攻撃を受け。
それを一つずつ返してきた。
そして今。
主要人物の勢力関係は。
ここまで変わった。
かつて第二王子派の中心だった人間たちの大半は。
もうこちら側にいる。
残っているのは。
ルキウスと。
アウルス。
もちろん。
だからといって勝利が保証されているわけではない。
集団戦なら。
戦術次第で結果は変わる。
だからこそ。
この大会で。
第一王子派が。
第二王子派より優れていることを。
学院全体へ。
実際の結果として見せる。
俺は。
木剣を握り直した。
「勝つぞ」
俺が言った。
「ああ!」
ティアが答える。
「はい!」
エリシアが続く。
コリウス、ルリウス、エドも。
それぞれ静かに頷いた。
俺は。
その全員を見た。
この場所で。
もう一度。
第二王子派を正面から叩く。
今度は。
言葉ではない。
人脈でもない。
政治でもない。
学院全体が見ている前で。
戦う。
そして。
勝つ。
それによって。
第一王子派が。
学院内で第二王子派を完全に上回ったことを。
誰の目にも分かる形で示す。
ルキウスとは。
最後に言葉を交わした。
もう。
学院で言葉を交わす必要はない。
次に向き合う時は。
この大会の戦場だ。
俺は。
静かに対戦表から目を離した。
学院生活の最後に。
一つだけ決着をつける。
第一王子派が勝つ。
それだけだった。




