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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第32話 大攻勢

 アルゲントゥム商会が崩壊し、それに伴って第二王子派の一部貴族が政治的な打撃を受けてから、数日が経った。王宮の勢力図だけを見れば、第二王子派が受けた損害は決して小さくない。アルゲントゥム商会から利益を得ていた者、商会との関係を利用していた者、そして商会を庇おうとして逆に疑惑を持たれた者まで現れ、第二王子派の内部には明らかな動揺が生じている。だが、俺が見ていたのは王宮ではなかった。俺が次に見るべき場所は、王立貴族学院だった。


 今までの学院内の勢力は、第一王子派が明確に優勢とは言えなかった。男子生徒では第二王子派の存在感が強く、女子生徒との社交ではティアやサナを中心にこちらが対抗していたものの、それだけで学院全体を動かせるほどではない。俺自身も、学院という場所では王宮ほど自由に人を動かせるわけではなく、第一王子という肩書きがそのまま政治的な勝利へ繋がるわけでもなかった。だからこそ、これまでは学院内で無理に大きく動かず、王宮での政治的な変化が学院へ波及するのを待っていた。


 だが。


 状況が変わった。


 第二王子派は、今、明らかに揺れている。


 アルゲントゥム商会を巡る一件は、第二王子派に所属する貴族たちの間へ疑念を生み、それぞれの家でも派閥への不安が広がっているはずだ。学院生たちはまだ政治の中心にいるわけではない。それでも、彼らの家が政治と無関係であるはずもない。家の中で起きた変化は、必ず子供たちへ伝わる。そして、子供たちの意識が変われば、学院内の人間関係も変わる。


 つまり。


 今なら。


 動かせる。


「……今だな」


 俺は机の上へ広げた学院内の勢力図を眺めながら呟いた。


 これまでの俺は、第二王子派から攻撃を受ければ対応するという形を取ってきた。敵が動いたから防ぐ。敵が仕掛けてきたから潰す。だが、それではいつまで経っても相手と互角のままだ。王宮でこちらが勢力を拡大した今なら、学院でも同じように先手を取る必要がある。


「明日から動く」


 俺はそう決めた。


              ◆


 翌日の昼休み。


 俺はティアとサナを呼んだ。


 二人が向かいへ座る。


「何かあったの?」


 ティアが尋ねた。


「ああ」


 俺は学院内の勢力図を机の上へ置いた。


「今日から、学院内で第一王子派が大きく動く」


「大攻勢?」


 サナが資料へ視線を落とす。


「ああ。今までのように、相手の動きを待つだけではない。こちらから人を取りに行く」


 ティアは少しだけ目を細めた。


「アルゲントゥム商会の件で、第二王子派が揺れているから?」


「それもある」


 俺は淡々と答える。


「だが、本当に重要なのは、第二王子派が『今までと同じように勝てる』と思えなくなったことだ」


「学院生にとって、それはかなり大きいよね」


 サナが言う。


「そうだ。これまで第二王子派についていた家の子供たちは、自分たちが優勢だからその側にいた者も多い。だが、勢力が揺らぎ始めれば、『本当にこのままでいいのか』と考える者が出てくる」


「じゃあ、そこを拾う?」


「ああ」


 俺は二人を見る。


「ただし、無理に第一王子派へ入れようとするな」


 ティアが頷く。


「まず話を聞く?」


「そうだ。何を不安に思っているのか。家ではどんな話が出ているのか。本人が第二王子派を支持しているのか、それとも単に親に従っているだけなのか。それを確認する」


「それで、第一王子派へ来たいなら受け入れる?」


「ああ。だが、自分で決められない者を無理に入れる必要はない」


 俺は資料へ目を落とす。


「数だけ増やしても意味がない。派閥にいるという肩書きだけを持った人間は、状況が変わればまた離れる。それより、こちらを選ぶ理由を自分で持っている人間を増やす方が強い」


「分かった」


 ティアが笑う。


「私は女子生徒を中心に動けばいい?」


「ああ。お前なら、それができる」


「サナは?」


「同じく女子社交だ。ただし、ティアとは少し違う動き方をしてくれ」


「どう違うの?」


「ティアは広げる。サナは深める」


 サナが少し驚いた顔をする。


「……なるほど」


「ティアは多くの令嬢と自然に話せる。だからまず接点を作る。その中で特にこちらへ理解を示す相手については、サナが関係を深めてくれ」


「任せて」


 ティアは胸を張った。


 俺は最後に二人へ釘を刺す。


「ただし、焦るな」


「第二王子派が弱ったからといって、露骨に喜んでいるように見せるな。相手が落ちてくるのを待っていると思わせれば、警戒される」


「普通に接する。普通に話す。普通に友達になる」


 ティアが言う。


「ああ。その方が強い」


              ◆


 その日の午後。


 最初に動いたのは、やはりティアだった。


 これまでティアは、第一王子派の令嬢たちと親しく付き合いながらも、第二王子派や中立寄りの令嬢へ露骨に近づくことは避けていた。派閥の緊張が高い学院では、王女という立場の人間が無闇に相手へ近づけば、それだけで政治的な意味を持ってしまうからだ。


 だが。


 今日は違った。


「こんにちは」


 廊下を歩いていた第二王子派の令嬢へ、ティアが自然に声を掛ける。


「グラーティア様……こんにちは」


「この前の授業、難しかったよね」


「はい。私も少し苦手で……」


「私も。あの先生、説明が早いんだよね」


「分かります」


 それだけだった。


 派閥の話もしない。


 アルゲントゥム商会の話もしない。


 政治の話も出さない。


 ただ。


 学院生同士として話す。


 その令嬢も最初は緊張していたが、少しずつ表情が柔らかくなる。


「そういえば、グラーティア様はこの間の武術訓練で――」


「見てたの?」


「はい。エリシアさんとの戦いも」


「ああ、あれね」


 ティアが笑う。


「エリシア、戦うとすごいんだよ」


「聞きました。かなり有名になっていますよ」


「やっぱり?」


 そんな何気ない会話が続く。


 だが。


 人間関係というのは。


 こういうところから始まる。


              ◆


 一方のサナも動いていた。


 第一王女である彼女には、ティアとはまた違った強みがある。王国内の貴族社会で生まれ育ったサナは、学院の令嬢たちがどの家の出身で、誰と誰が親しいのか、どの家がどんな事情を抱えているのかを把握しやすい。


「この前の茶会、楽しかったですね」


「はい。第一王女殿下とお話できるとは思いませんでした」


「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ」


 サナは、相手を急かさない。


 第一王子派へ来いとも言わない。


 むしろ、これまで通りの人間関係を築く。


「また今度、ご一緒しませんか?」


「よろしいのですか?」


「もちろんです」


 そうして。


 一人。


 また一人。


 第二王子派や中立寄りの令嬢たちとの距離を縮めていく。


 今まで第一王子派へ入りにくかった者にとって。


 「第一王子派へ入る」ことと、「第一王子派の人間と親しく付き合う」ことの間には大きな差がある。


 まず人間関係を作る。


 その上で。


 自分から派閥を変えたいと思った時だけ。


 手を差し出す。


 サナは。


 そのやり方を理解していた。


              ◆


 男子生徒側でも。


 変化は始まっていた。


 アルゲントゥム商会の一件は、すでに学院生たちの家でも話題になっている。第二王子派に所属する家ほど、今回の問題を重く受け止めていた。


「父上が最近、ずっと忙しいんだ」


「アルゲントゥム商会の件か?」


「たぶん。詳しいことは言わないけど、家の中でも何か揉めてるらしい」


「第二王子派も大変だな」


「……お前の家は?」


「俺のところは第一王子派だ。今のところは」


「そうか」


 そんな会話が。


 あちこちで交わされる。


 俺は。


 それを直接煽ることはしない。


 誰が不安を感じているか。


 誰が親の方針に疑問を持っているか。


 誰が自分の意思で第二王子派にいるのか。


 誰が。


 ただ勝ち馬に乗っていただけなのか。


 それを。


 一人ずつ見る。


              ◆


 三日目。


 最初の一人が。


 俺のもとへ来た。


「殿下」


 廊下を歩いていた俺に、第二王子派の男子生徒が声を掛けてきた。


「少し、お時間をいただけますか?」


「ああ」


 俺は足を止める。


「何だ?」


「……アルゲントゥム商会の件について、少しお聞きしたいことがあります」


「俺に?」


「はい」


 俺は相手の顔を見る。


 家柄。


 父親の派閥。


 現在の学院内での立場。


 これまでの友人関係。


 すでに頭の中には入っている。


「聞こう」


「殿下は……第二王子派について、どうお考えですか?」


 俺は。


 一瞬だけ黙った。


「お前はどう思っている?」


「……」


「正直に言え」


 男子生徒はしばらく俯いていたが、やがて口を開いた。


「……最近、少し不安なんです」


「何が?」


「父は第二王子派です。でも、アルゲントゥム商会の件で家の中でも意見が割れていて。このまま第二王子派についていていいのか、分からなくなっています」


 俺はそれ以上、すぐには勧誘しなかった。


「一晩考えろ」


「……え?」


「派閥を変えるというのは、学院で友達を一人変えるような話ではない。家にも関わる」


「だから、自分が何を望んでいるのかを考えろ」


「すぐに第一王子派へ来いとは言わない」


 男子生徒は驚いた顔をした。


「……誘ってくださらないのですか?」


「必要なら誘う」


「だが」


 俺は静かに言った。


「今のお前は、自分で決めていない」


「その状態で第一王子派へ来ても、意味がない」


 それだけ言って、俺は歩き出した。


 引き止めなかった。


 勧誘もしなかった。


 必要以上に言葉を与えるつもりもない。


 答えを相手に委ねる。


 それが。


 一番いい。


              ◆


 翌日。


 その男子生徒は。


 第一王子派へ加入した。


 そして。


 その話を聞いた別の生徒が、


「自分も話をしたい」


とやってきた。


 さらに、その翌日にはもう一人。


 その次の日には三人。


 第二王子派から。


 少しずつ。


 人が流れ始めた。


 俺たちが無理に奪ったわけではない。


 第二王子派が。


 自分たちの内部に生まれた不安によって。


 少しずつ人を失っている。


 だから。


 俺は。


 ただ受け入れた。


              ◆


 一週間。


 二週間。


 時間が経つにつれて。


 学院内の空気は明らかに変わった。


 第二王子派は以前ほど強気ではなくなり、逆に第一王子派へ話しかけてくる生徒が増えていく。中立寄りだった生徒たちも、これまではどちらにも属さないことに意味を見出していたのに、今では「どちらにつくか」を考え始めていた。


 その変化を。


 ティアとサナは見逃さなかった。


「エリシア」


「はい、ティア様」


「最近、第二王子派の子たちから話しかけられること増えたよね」


「はい。私にも何人か声を掛けてきました」


「何を話してるの?」


「特に政治の話ではありません。学院の授業や、最近の家の事情について少し聞かれるくらいです」


「それでいい」


 ティアが笑う。


「無理に誘わないで、自分から来てもらう」


「分かりました」


 エリシアは頷いた。


 そして。


 その日の放課後。


 また一人の生徒が第一王子派へ加わった。


              ◆


 月末。


 俺は新しい学院内勢力表を見ていた。


 第一王子派。


 第二王子派。


 中立。


 その数字を順番に確認する。


 以前なら、男子生徒の多くは第二王子派へ傾いていた。女子生徒との社交でも互角か、やや劣勢。総合的に見れば、学院内でこちらが明確に上回っているとは言えなかった。


 だが。


 今は違う。


 アルゲントゥム商会の一件による第二王子派の動揺。


 それによって生まれた各家の不安。


 その不安を受け止めるティアとサナ。


 そして。


 俺が一人ずつ話を聞いて受け入れていったこと。


 それらが。


 一本に繋がった。


「第一王子派が増えています」


 報告役が言う。


「以前との差は?」


 数字が読み上げられる。


 俺は。


 静かに確認する。


「……流れが変わったな」


 重要なのは。


 単純な人数だけではない。


 第二王子派はこれまで。


 「勝つ側」と見られていた。


 だが。


 アルゲントゥム商会の一件によって。


 そのイメージが崩れた。


 そして。


 一度でも「この派閥は本当に勝てるのか」と思われれば。


 これまで勢力を支えていた者たちの忠誠は。


 簡単に揺らぐ。


 人間は。


 勝つと思う側へ集まる。


 なら。


 ここで押す。


              ◆


「大攻勢は成功したね」


 ティアが俺の資料を覗き込む。


「ああ」


「でも、まだ行くんでしょ?」


「当然だ」


「やっぱり」


 ティアが苦笑する。


「第二王子派が弱っているから?」


「それだけじゃない」


 俺は学院の勢力図を見る。


「今、向こうは自分たちが勝つと思えなくなっている」


「その状態を放置すれば、必ず立て直す」


「だから、立て直す時間を与えない」


 ティアが少しだけ目を丸くする。


「……容赦ないね」


「必要だからな」


「そういうところ、レノらしい」


 俺は答えなかった。


 敵が弱った。


 だから攻める。


 勝てる可能性が高い。


 だから取りに行く。


 そこに怒りも憎しみも必要ない。


 これは復讐ではない。


 ただ。


 勝つための手順だ。


              ◆


 翌週。


 第一王子派は。


 学院内でさらに動きを広げた。


 女子社交ではティアとサナを中心に、第二王子派の令嬢や中立寄りの令嬢との交流を一気に増やす。男子生徒については俺が個別に話を聞き、家の事情や本人の意思を確認した上で、第一王子派へ来ることを望む者だけを受け入れていく。


 無理に数を増やすことはしない。


 第一王子という立場だけを使って相手を引きずり込むこともしない。


 自分で選ばせる。


 そして。


 選んだ者には。


 きちんと居場所を与える。


 それを繰り返した。


 すると。


 第二王子派の生徒たちの間で、さらに新しい変化が起こった。


「第一王子派へ行ってもいいんじゃないか」


「最近、向こうの方が勢いがある」


「父上は第二王子派だけど、俺自身はどちらでもない」


「なら、中立のままより第一王子派に行った方がいいのでは?」


 そんな声が。


 少しずつ。


 広がっていく。


 そして。


 一人。


 また一人と。


 第二王子派から離れる。


 勢力争いとは。


 こういうものだ。


 派閥が崩れる時は。


 誰かが一人で旗を降ろすのではない。


 小さな不安が。


 人から人へ伝染し。


 やがて。


 「ここにいる理由がない」


 という人間を増やしていく。


 俺は。


 その流れを。


 ただ加速させた。


              ◆


 月末。


 新しい勢力表が完成した。


第一王子派 領地貴族4割(コリウスの実家、ガイウシア子爵寝返り)


      法衣貴族7割(財務卿ペークニア伯爵寝返り)


新主要貴族


第三王妃、第三王子、第一王女、エクイトゥム王国第三王女


軍務卿アトラシート伯爵、財務卿ペークニア伯爵、教務卿兼宮内卿マスドリート子爵、


法務卿、外務卿、第二軍団軍団長、第三軍団軍団長、エクウス伯爵、ガイウシア子爵


カシウス公爵次男、ウィムーヌ子爵


第二王子派 領地貴族6割


      法衣貴族3割


新主要貴族


第二王妃、第二王子、ガルディシア伯爵、プラエシディウム伯爵、内務卿、第四軍団軍団長、第五軍団軍団長、王立士官学校校長


 俺は。


 しばらく黙って数字を見ていた。


 以前と比べて。


 第一王子派の勢力は明らかに増えている。


 第二王子派は。


 減っている。


 まだ。


 圧倒的な差ではない。


 だが。


 学院内で。


 初めて。


 第一王子派が優勢と言える地点まで来た。


「大攻勢は成功です」


 報告役が言う。


 俺は。


 資料を閉じた。


「違う」


「……?」


「まだ始まったばかりだ」


 学院内で長年築かれてきた第二王子派の人脈を。


 一ヶ月や二ヶ月で全部壊せるとは思っていない。


 だから。


 ここからが本当の勝負になる。


 今、相手は弱っている。


 だからこそ。


 さらに押す。


 反撃する時間を与えない。


 立て直す時間も与えない。


 人が離れるなら。


 その離れた人間を受け入れる。


 不安を抱えた者がいるなら。


 その不安をこちらで受け止める。


 そして。


 一度こちらへ来た人間が。


 「第一王子派へ来て良かった」


 と思える環境を作る。


 それだけでいい。


              ◆


 俺は窓の外を見た。


 学院生たちが歩いている。


 その中には。


 少し前まで第二王子派だった者もいる。


 今では。


 第一王子派の生徒と普通に話している。


 人間関係が。


 変わった。


 そして。


 その変化は。


 もう止まらないだろう。


「……あと一年」


 王太子を決めるまで。


 残された時間は。


 あと一年だ。


 俺は。


 第二王子派の勢力表へ目を戻す。


 アルゲントゥム商会。


 その崩壊が。


 今回の大攻勢のきっかけになった。


 王宮で生じた亀裂が。


 学院へ流れ込んだ。


 なら。


 今度は。


 学院で生じた変化を。


 王宮へ返せばいい。


 政治と学院。


 両方で。


 相手の逃げ場をなくしていく。


 俺は。


 淡々と次の資料を開いた。


「次は、どこを取る?」


 側近が尋ねる。


「取れるところから取る」


「それだけですか?」


「ああ」


 俺は即答した。


「勝てる時に勝つ。それだけだ」


 敵が崩れたなら。


 立て直す時間を与えない。


 それが。


 俺のやり方だった。

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