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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第28話 商会情勢、動く

 春の終わりごろ。


 第一王子派を実質的に率いる立場となり、実権保持王族として国家の最高機密まで知るようになった今でも、七歳の頃から追ってきたアルゲントゥム商会の問題は完全には解決していなかった。


 いや。


 正確には、解決へ向けて動いていなかった。


 あの頃、俺はアルゲントゥム商会を危険な存在だと判断した。ヘーロース商会を潰して市場を奪い、中規模商会を従わせ、王都の物流を握り、その経済力を利用して情報網を広げる。そして、その先には帝国との繋がりがある。だからこそ、いずれは王国の法によって処理しなければならないと考えていた。


 だが、俺が王子である以上、表向きには商会へ干渉できない。


 まして当時の俺は七歳。商会同士の争いに第一王子が直接口を挟めば、それだけで王位継承争いへ繋がる政治問題になる。アルゲントゥム商会は第二王子派との繋がりもある。そんな相手に、証拠もない段階で俺が「帝国の工作組織だ」と言ったところで、ただの派閥争いとして処理される可能性が高い。


 だから俺は、表では何もしなかった。


 商会へ命令もしなかった。


 ヘーロース商会や中規模商会を動かしたわけでもない。


 ただ。


 裏で情報を集め続けた。


 そして、その間に七年が過ぎた。


 俺が七歳の頃に浮浪児だった子供たちは成長し、その中でも適性のある者は読み書きや計算だけではなく、人の顔を覚えること、行動を観察すること、情報を整理することを身につけ、今では王都の各所で普通の住民として生活しながら、俺の知らない情報を拾ってくる存在になっている。


 それでも。


 アルゲントゥム商会を巡る状況は大きく動かなかった。


 ヘーロース商会との対立は続いていた。


 中規模商会との関係も悪かった。


 だが、どちらも決定的な一撃を加えることはできない。


 アルゲントゥム商会も勢力を失わない。


 こちらも決定的な証拠を掴めない。


 結果として。


 七年間。


 状況は停滞していた。


 だからこそ。


 あの戦争が始まった時、俺は商会の状況まで大きく変わるとは思っていなかった。


 帝国軍三十万とカヴィーレスターン・スルタン国軍十六万が激突し、帝国軍が勝利したあの戦争は、王国の外交や交易にまで大きな影響を与えた。カヴィーレスターンの主要な港湾や交易路、オアシスなどが帝国によって押さえられ、それまで王都へ入ってきていた香辛料や薬、装飾品、ナツメヤシなどの交易品も手に入りにくくなった。


 その結果。


 王国内の商業構造そのものが揺れた。


 そして。


 春の終わり頃。


 久しぶりに。


 俺のもとへ一つの報告が届いた。


「アルゲントゥム商会が、メルカトル商会へ攻撃を仕掛けました」


 報告を受けた俺は、机の上に置かれた資料へ目を落とした。


「メルカトル商会?」


「はい。カヴィーレスターン・スルタン国との交易を得意としている商会です」


 俺は資料をめくる。


 メルカトル商会。


 アルゲントゥム商会、ヘーロース商会と並ぶ三大商会の一つ。


 カヴィーレスターンとの交易に強く、商人たちの往来を利用して情報を収集し、それをカヴィーレスターン側へ提供している商会でもある。


 帝国と繋がり、王国内に工作網を広げようとしているアルゲントゥム商会からすれば。


 自分たちとは異なる外国勢力へ情報を流す商会が、王都で大きな情報網を持っていることは邪魔になる。


 しかも。


 今のカヴィーレスターンは戦争によって大きく弱体化している。


 交易路も以前とは違う。


 だからこそ。


 アルゲントゥム商会は、この機会を利用してメルカトル商会の市場と情報網を奪おうとしているのだろう。


「そして」


 報告役が続ける。


「この件を受けて、ヘーロース商会と中規模商会が動きました」


「……やはりな」


 俺は資料を閉じた。


 アルゲントゥム商会は。


 やりすぎた。


 以前からヘーロース商会を狙っていた。


 中規模商会にも圧力をかけていた。


 そして今度は。


 メルカトル商会まで攻撃した。


 一つの商会が。


 王都の商人たちを敵に回し始めている。


「具体的には?」


「ヘーロース商会を中心とした中規模商会の連合が、アルゲントゥム商会への取引圧力を開始しております。仕入れ先を変更し、共同輸送からアルゲントゥム商会を外し、倉庫や街道沿いの物流拠点についても協力を拒否する動きが出ています」


 俺は王都の地図を広げた。


 市場。


 港。


 倉庫。


 街道。


 商会の支店。


 それぞれの位置を確認する。


「護衛隊の方は?」


「双方の隊商護衛同士による衝突も発生しております」


「死者は?」


「現時点では確認されておりません。裏路地や街道沿いでの小競り合いが中心です」


「そうか」


 商人同士の争いは。


 必ずしも市場の中だけで起きるわけではない。


 取引を切る。


 物流を止める。


 倉庫を使わせない。


 護衛を引き上げる。


 そして、それでも決着がつかなければ。


 護衛隊同士が裏路地や街道で衝突する。


 剣で始まった争いではない。


 金から始まり。


 物流へ広がり。


 最後には剣へ行き着く。


 そういう戦いだった。


              ◆


「アルゲントゥム商会の内部は?」


「現在のところ、大きな混乱は確認されておりません。ただ、七年前から確認されていた人物と似た特徴を持つ男たちが、最近になって倉庫や支店へ出入りする姿が再び確認されています」


「帝国との繋がりか」


「断定できる証拠はありません」


「なら、まだ断定する必要はない」


 俺は淡々と答えた。


 疑わしい。


 だから調べる。


 それだけだ。


「ただし」


 報告役が続ける。


「カヴィーレスターンとの戦争が始まってから、アルゲントゥム商会の倉庫への出入りが以前より増えています」


「……なるほど」


 帝国とカヴィーレスターンの戦争。


 その影響で王国内の交易が変化した。


 メルカトル商会の立場も変化した。


 そして。


 アルゲントゥム商会も動いた。


 七年前には動かなかった歯車が。


 今になって。


 ようやく噛み合い始めたらしい。


              ◆


 その夜。


 俺は久しぶりに、かつて浮浪児だった情報員たちを集めた。


 七年前とは違う。


 目の前にいる彼らは、もう子供ではない。


 十四歳の俺と同年代の者もいれば、それより年上の者もいる。


 身なりも整い、言葉遣いも変わった。


 今では。


 誰が見ても王都で普通に暮らしている若者にしか見えない。


「久しぶりだな」


「はい、殿下」


「状況が動いた」


 俺は資料を机へ広げた。


「アルゲントゥム商会が、メルカトル商会へ攻撃を仕掛けた」


「その結果、ヘーロース商会と中規模商会も動いた」


「七年間停滞していた商会同士の対立が、再び表面化している」


 全員が黙って資料を見る。


「だが」


 俺は続ける。


「表では、俺たちは何もしない」


「これまで通りだ」


「商会へ直接干渉するな」


「商人へ命令するな」


「俺の名前を使うな」


「第一王子派の名前も出すな」


「俺たちは、存在しない」


 全員が頷いた。


 今の俺は十四歳。


 以前とは違い、政治的な力も持っている。


 だが。


 だからこそ。


 表向きの介入はできない。


 アルゲントゥム商会は第二王子派との繋がりを持っている。


 俺が第一王子という立場で商会へ直接手を伸ばせば、商会同士の争いでは済まなくなる。


 第二王子派との正面衝突になる。


 だから。


 表では何もしない。


「見るだけでいい」


 俺は言う。


「誰が誰と会っているか」


「どの倉庫へ何が運び込まれたか」


「どの商会がアルゲントゥム商会と取引しているか」


「金がどこから来て、どこへ流れているか」


「そして」


「誰がアルゲントゥム商会を守っているのか」


 情報員たちは。


 静かに頷いた。


「分かりました」


「危険を感じたら、無理をするな」


「証拠を無理に持ち帰る必要もない」


「生きて帰ってこい」


「はい」


 俺は。


 彼らを見た。


 七年前は浮浪児だった。


 今は違う。


 自分の足で立っている。


 その上で。


 俺のために情報を集めている。


 それだけで。


 十分だった。


              ◆


 数日後。


 新しい報告が届いた。


「アルゲントゥム商会の倉庫へ、夜間に人が出入りしています」


「特徴は?」


「商人風の服装ですが、商人にしては周囲を警戒する動きが多いです」


「他には?」


「荷物を受け取る際、同じ印のついた袋を使っています」


「印?」


「これです」


 差し出された紙へ、簡単な絵が描かれている。


 俺は。


 それを見て。


 少し考える。


 商会の正式な印ではない。


 以前から帝国側で確認されている物資管理用の印に似ている。


 もちろん。


 それだけで証拠にはならない。


 だが。


「……記録しておけ」


「はい」


「次は、同じ印がどこで使われているかを探れ」


「承知しました」


 別の情報員からも報告が入る。


「港の近くで、アルゲントゥム商会の者と見たことのない男たちが接触していました」


「人数は?」


「三人です」


「何を話していた?」


「聞き取れませんでした」


「それでいい」


 無理に近づけば危険になる。


 情報が取れなかったなら。


 次に別の方法を考えればいい。


「よくやった」


 俺はそう言った。


 情報員は一礼して退室した。


              ◆


 その頃。


 王都では。


 商会同士の争いがさらに激しくなっていた。


 ヘーロース商会と中規模商会の連合は、アルゲントゥム商会との取引を減らし、物流面でも距離を置き始めている。


 アルゲントゥム商会も、当然黙ってはいない。


 別の商会へ接触し、新たな仕入れ先を探し、失った物流網を別の場所で補おうとしている。その結果、市場では商品の取り合いが起こり、港では荷の受け入れ先を巡って商人同士が揉め、街道では双方の護衛隊が互いを警戒するようになっていた。裏路地では時に護衛同士が偶然を装って衝突し、表向きには単なる商会同士の競争に見える争いが、王都の物流全体へじわじわと広がり始めている。


 俺が介入している証拠はない。


 そもそも。


 介入していない。


 俺がやっているのは。


 情報を集めることだけだ。


              ◆


 ある日。


「レノ様」


「何だ?」


「アルゲントゥム商会が、ヘーロース商会側へ接触を試みています」


「降伏か?」


「いえ。取り込みを狙っている可能性が高いかと」


「……そうか」


 俺は地図を見る。


 アルゲントゥム商会は。


 少しずつ孤立している。


 メルカトル商会へ攻撃したことでヘーロース商会と中規模商会が動いた。カヴィーレスターンとの戦争で市場そのものが変化し、その混乱を利用しようとしたアルゲントゥム商会が、以前より露骨に自らの勢力を広げようとしている。


 七年間、何も変わらなかった。


 だからこそ。


 今の動きには意味がある。


 商会が動けば。


 人が動く。


 人が動けば。


 金が動く。


 金が動けば。


 情報が動く。


 そして。


 その流れを追えば。


 最後には。


 アルゲントゥム商会と帝国の繋がりへ辿り着けるかもしれない。


「アルゲントゥム商会は第二王子派だ」


 俺は小さく呟いた。


 だからこそ。


 表から手を出してはいけない。


 今は。


 まだ。


 証拠がない。


 なら。


 待つ。


 集める。


 確認する。


 それだけだ。


              ◆


 俺は窓の外を見た。


 王都は。


 何も変わっていないように見える。


 商人が歩き、荷車が行き交い、市場には人が溢れ、学院生たちは今日も普段と変わらない一日を過ごしている。誰もがいつも通りの生活を送っているように見えるが、その裏では七年間停滞していた商会同士の争いが、帝国とカヴィーレスターンの戦争をきっかけに再び動き始めていた。


 戦争によってカヴィーレスターンの交易路が変わった。


 その結果、王国内へ流れ込む商品の量が変化した。


 メルカトル商会の立場も変わった。


 それを好機と見たアルゲントゥム商会が動いた。


 そして。


 ヘーロース商会と中規模商会が、それを止めようとして動いた。


 それぞれが自分たちの利益を守るために行動している。


 俺が命じたわけではない。


 第一王子派が動かしたわけでもない。


 だからこそ。


 今の俺は。


 その争いに表立って手を出す必要がない。


 むしろ。


 何もしない方がいい。


 商人たちが自分たちの意思で動き。


 アルゲントゥム商会自身が、帝国との繋がりを維持するために動き。


 その結果として証拠が残れば。


 その時に。


 王国の法によって処理すればいい。


 俺は。


 報告書へ再び目を落とした。


 七年前。


 俺はまだ七歳だった。


 商会を潰すための力もなかった。


 政治的な影響力もなかった。


 だから。


 ただ情報を集めるしかなかった。


 今は違う。


 十四歳になり、第一王子派を実質的に率いている。


 実権保持王族として、この国の暗部まで知る立場になった。


 そして。


 七年前から育ててきた情報網も。


 もう。


 子供たちの遊びではない。


 王都の中で人と金と物の流れを追える。


 だから。


 焦る必要はない。


 アルゲントゥム商会を今日潰す必要もない。


 俺が自ら姿を見せる必要もない。


 必要なのは。


 相手が自分から動いて。


 自分から証拠を残すのを待つこと。


 そして。


 その一つ一つを。


 見逃さないことだ。


 俺は。


 最後の報告書を閉じた。


「……七年か」


 小さく呟く。


 七年前に始めたことは。


 七年間。


 ほとんど成果を出さなかった。


 だからといって。


 無駄だったわけではない。


 浮浪児だった子供たちは成長し。


 情報員になった。


 王都の地理を覚え。


 商人たちの顔を覚え。


 金の流れを追う方法を学んだ。


 その七年間があったからこそ。


 今。


 アルゲントゥム商会が動き始めた瞬間を。


 俺は見逃さずに済んだ。


 そして。


 アルゲントゥム商会がメルカトル商会へ攻撃を仕掛けたことで。


 ヘーロース商会と中規模商会も動いた。


 商会同士の対立が激しくなれば。


 それだけ。


 表に出てくる人間も。


 金も。


 情報も増える。


 なら。


 この機会を利用する。


 表では。


 何もしない。


 裏では。


 徹底的に見る。


 そして。


 帝国との繋がりが確定した瞬間。


 今度こそ。


 王国の法によって。


 アルゲントゥム商会を処理する。


 俺は窓の外へ目を向けた。


 王都の街並みは。


 今日も変わらない。


 だが。


 俺には分かる。


 七年間。


 止まっていた歯車が。


 もう止まることはない。


 帝国とカヴィーレスターンの戦争によって変化した交易路。


 それによって生まれた市場の空白。


 その空白を狙って動き出したアルゲントゥム商会。


 それに対抗して立ち上がったヘーロース商会と中規模商会の連合。


 そして。


 その全てを追う。


 俺の情報網。


 条件は。


 揃いつつある。


 あとは。


 証拠だ。


「……今度は、逃がさない」


 そう呟いた。


 だが、その声には怒りも焦りもなかった。


 ただ。


 七年間積み重ねてきたものを。


 今度こそ結果へ繋げるという。


 静かな確信だけがあった。

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