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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第25話 幼馴染の励まし方

 実権保持王族最高機密国家方針会議を終えた後、俺は自室へ戻った。


 扉が閉じる。側近たちは外で待機している。誰も、今日俺がどこへ行っていたのか正確には知らない。当然、会議の内容など知るはずもない。


 俺は椅子へ腰を下ろしたまま、しばらく動かなかった。


 頭の中では、さっき聞かされた言葉が繰り返されている。


 独立。従属。王朝交代。下級法衣貴族の権利保障。そして、母上の暗殺、先王の暗殺、第二王妃と帝国の繋がり。


 俺は普段、物事を感情で判断しない。起きた事実を整理し、原因を探り、そこから最も合理的な選択をする。それが俺のやり方だ。


 だからこそ、今日聞いた話も頭の中では整理できていた。


 ヴィクトリアにはヴィクトリアの正義がある。帝国への従属を選んだ理由も理解できる。彼女がこの民族を滅ぼしたいわけではなく、むしろ生き残らせるために従属を選んだことも分かった。


 だが。


 理解できることと、受け入れられることは別だった。


「……母上」


 誰もいない部屋で、思わず名前が漏れた。


 返事はない。


 当然だ。


 俺は目を閉じる。


 母上が生きていたら。先王が生きていたら。この国はどうなっていたのだろう。


 そんな仮定に意味がないことくらい分かっている。過去は変えられない。死者は戻らない。それでも、考えることをやめられなかった。


 独立を維持する。


 それが母上や先王、そして父上の選択だった。


 俺も、その道を選ぶのか。


 ヴィクトリアのように、従属によって民族を守る道を選ぶのか。


 王太子を決めるまで、残された時間はあと一年。


 その一年の間に、この国の未来まで決めることになる。


「……簡単な話ではないな」


 俺は目を開いた。


 だが、まだ迷っている自分がいる。


 それが腹立たしかった。


 俺は今まで、判断に迷ったことは少ない。戦場なら敵を見て、勝つために必要な行動を選ぶ。政治でも、利益と損失を並べれば大抵の答えは出る。


 なのに。


 今回は。


 どちらも「国を守る」という同じ目的から出た答えだった。


「……」


 机に肘をつく。


 考えても。


 考えても。


 答えが出ない。


 そんな状態のまま、翌朝を迎えた。


              ◆


 翌日の放課後。


 俺が中庭を歩いていると、ティアがこちらへ向かってきた。


「レノ」


「……ティアか」


 ティアは俺の顔を見て、少し首を傾げた。


「何、その顔」


「普通だろ」


「普通じゃないよ。朝からずっと、ものすごく難しい顔してる」


「そうか?」


「うん。眉間に皺が寄ってるし、目つきも怖い。イケメンが台無し」


「やかましいわ!ほおっておいてくれ」


「嫌」


 即答だった。


 ティアは俺の隣へ並ぶ。


「何を考えてるの?」


「……いろいろだ」


「何が?」


「お前には関係ない」


「ふーん」


 ティアが俺を見る。


「じゃあ、もっとひどくなったら?」


「何が」


「レノの頭の中」


 俺は答えなかった。


 ティアはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……もう、いいや」


「何が?」


「レノってさ」


 ティアの声が。


 少しだけ冷たくなった。


「本当に面倒くさいよね」


「……は?」


「考えすぎ。自分一人で全部答えを出そうとして、勝手に難しくして、勝手に悩んで、それで何も決められなくなってる」


「……」


「イケメン王子様だから何でも一人でできると思ってるの?」


「そういうわけじゃ――」


「じゃあ何?」


 ティアがずいっと顔を近づける。


「昨日からずっと、ぐるぐるぐるぐる同じこと考えてるじゃん」


「……」


「独立か従属か。ヴィクトリア様がどうとか。お母様がどうとか。国がどうとか。そんなことばっかり考えて」


「それで?」


 俺が返す。


 ティアは。


 呆れたように俺を見た。


「それで、結局何かしたの?」


「……」


 答えられない。


「してないよね?」


「……」


「考えてただけでしょ?」


 痛いところを突かれた。


 いや。


 正確には。


 何もしていないわけではない。


 だが。


 この一年で派閥争いに勝たなければならないという現実を前に、頭の中だけで考え続けていたのも事実だった。


 ティアは。


 俺の顔を見たまま、さらに畳みかける。


「レノってさ」


「意外と弱いよね」


「……何?」


「頭が良くて、剣も強くて、魔法も使えて、王子様で、何でもできそうな顔してるくせに」


「肝心なところで、ぐずぐずしてる」


「……」


「本当に情けない」


「……お前」


 俺が睨む。


 ティアは。


 一切ひるまない。


「何?」


「人格を全否定するな」


「してるよ」


「即答するな」


「だって本当だもん」


 俺は。


 完全に言い負かされていた。


 そして。


 最後に。


 ティアは腰に手を当てると。


 いつもの。


 俺を立ち直らせる必殺技を放った。


「ぐずぐずしてないで、やるべくことをしなさい!」


「……」


「悩むのはそのあと!」


「今のお前がやるべきことは何?」


「王太子になるために、第一王子派を勝たせることでしょ?」


「だったら、さっさとやる!」


 俺は。


 しばらくティアを見ていた。


「……」


 そして。


 思わず。


 笑ってしまった。


「何がおかしいの?」


「いや」


「お前は本当に容赦がないな」


「だって、それくらい言わないとレノ動かないじゃん」


「……否定できないな」


 確かに。


 昨夜から俺は。


 同じことを考え続けていた。


 理解できない問題ではない。


 覚悟を決めるだけの問題だった。


 なら。


 いつまでも迷う必要はない。


「分かった」


 俺は立ち上がった。


「やる」


「うん」


「俺は独立を選ぶ」


「うん」


「なら」


 頭の中で。


 霧が晴れていく。


「あと一年で、第一王子派を勝たせる」


 ティアが笑った。


「やっとレノらしくなった」


「……お前、本当に人を立ち直らせる方法がひどいな」


「効果はあったでしょ?」


「まあな」


 悩みを優しく受け止めるわけでもない。


 慰めるわけでもない。


 徹底的に否定して。


 最後に現実を突きつける。


 だが。


 それが。


 俺には一番効く。


 俺にとってティアは、そういう意味でも癒しなのだ。


              ◆


 翌日。


 俺は第一王子派の現在の勢力について、改めて資料を集めさせた。


 表向きの名称は、もちろん第一王子派。


 「独立派」という名を知る者は、実権保持王族最高機密国家方針会議の参加者と、かつて機密を漏らされたガルディシア伯爵だけだ。


「領地貴族と法衣貴族を合わせた総勢力を二十割とした場合、第一王子派が九割、第二王子派が十一割です」


グラフィルが説明する。


「十割換算では、第一王子派が四割五分、第二王子派が五割五分となります」


 俺は資料を受け取った。


 第一王子派四割五分。


 第二王子派五割五分。


 差は一割。


 数字だけなら、覆せない差ではない。


 だが。


 このままなら。


「第二王子派が勝つ」


 俺が言う。


「はい」


 グラフィルが答える。


 つまり。


 従属派が勝つ。


 そうなれば。


 帝国への再従属を支持する勢力が、王太子を得ることになる。


 その先にあるのは。


 この国の国家方針そのものの変更だ。


 俺は。


 そこで初めて。


 迷っている時間などないことを完全に理解した。


              ◆


 まず。


 現状を整理する。


 法衣貴族では第一王子派が六割まで勢力を回復している。


 アトラシート伯爵が軍務卿兼第一軍団軍団長へ復帰した。


 第三軍団軍団長も第一王子派。


 法務卿も第一王子派。


 王宮の行政機構では、以前よりはるかに有利な位置まで戻っている。


 問題は。


 領地貴族だ。


 こちらでは第二王子派が七割。


 第一王子派は三割。


 さらに学院内でも、男子生徒を中心に第二王子派が優勢。


 ユーザはエクィトゥム王国へ留学中で、第一王子派の男子側の戦力は以前より薄い。


 一方。


 女子社交では。


 ティアとサナが第一王子派の大きな強みになっている。


 特にティアは。


 第一王子派の人間関係を支えるだけではない。


 彼女自身が多くの令嬢と良好な関係を築き、派閥の違いを越えて会話できる。


 俺が鋭く動けば、その分だけ敵を作る。


 だが。


 ティアがその空気を和らげる。


 サナが、その繋がりをさらに広げる。


 そして。


 俺は。


 その時間を政治に使える。


「……本当に頼りになるな」


 思わず呟く。


「何が?」


 隣からティアが聞く。


「いや」


「何でもない」


 俺は視線を逸らした。


              ◆


 俺は資料を並べ直す。


 第一王子派九割。


 第二王子派十一割。


 十割換算で四割五分対五割五分。


 このままなら負ける。


 なら。


 第二王子派から切り崩す。


 領地貴族の家系。


 寄親と寄子。


 婚姻関係。


 商業上の利害。


 軍役。


 帝国との関係。


 それらを一つずつ調べる。


 第一王子派の人間についても同じだ。


 誰が何を求めているのか。


 何があれば離反するのか。


 誰ならこちらへ引き込めるのか。


 誰は最後まで従属派なのか。


 感情で考える必要はない。


 憎しみも不要。


 必要なのは。


 勝つための条件を揃えることだけだ。


              ◆


 夜。


 俺は一人で机に向かっていた。


 勢力図。


 貴族名簿。


 婚姻関係。


 派閥の繋がり。


 交易。


 軍。


 法衣貴族の役職。


 次々と資料を整理していく。


 昨日までなら。


 ここでまた考え込んでいたかもしれない。


 独立とは何か。


 従属とは何か。


 ヴィクトリアは正しいのか。


 母上は。


 父上は。


 先王は。


 だが。


 もういい。


 考えるべきことは、十分に考えた。


 俺は。


 独立を選んだ。


 なら。


 次にやることは一つだ。


 勝つこと。


 それだけだ。


「……あと一年」


 俺は。


 第二王子派の名簿を見ながら呟いた。


「十分だ」


 もちろん。


 本当に十分かどうかは分からない。


 第二王子派は強い。


 領地貴族七割。


 法衣貴族でも以前は大勢力だった。


 学院内でも優勢。


 しかも。


 従属派は。


 自分たちの未来を懸けて戦っている。


 だが。


 俺たちも同じだ。


 第一王子派が負ければ。


 独立維持という国家方針そのものが敗北する。


 だったら。


 手段を選んでいる場合ではない。


 もちろん。


 無意味な破壊はしない。


 必要な交渉をする。


 必要な譲歩もする。


 必要なら相手の弱点も突く。


 それだけだ。


              ◆


 翌朝。


 俺はティアとすれ違った。


「レノ」


「何だ?」


「また難しい顔してる」


「今度は必要なことを考えている」


「ならいい」


 ティアが笑う。


「でも、またぐずぐずし始めたら」


「人格否定するからね」


「……」


「覚悟しておいて」


「もう十分覚えてる」


 俺は苦笑した。


 そして。


 そのまま歩き出した。


 第一王子派四割五分。


 第二王子派五割五分。


 あと一年。


 この差を覆す。


 昨日まで。


 その数字は。


 重く見えた。


 今は違う。


 ただの。


 目標になった。


 ティアに人格を全否定され。


 最後に、


「ぐずぐずしてないでやるべくことをしなさい!」


 と叩き起こされたおかげで。


 余計な迷いはなくなった。


 俺は。


 独立派の頂点として。


 残された一年を。


 徹底的に戦い抜く。

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