第25話 幼馴染の励まし方
実権保持王族最高機密国家方針会議を終えた後、俺は自室へ戻った。
扉が閉じる。側近たちは外で待機している。誰も、今日俺がどこへ行っていたのか正確には知らない。当然、会議の内容など知るはずもない。
俺は椅子へ腰を下ろしたまま、しばらく動かなかった。
頭の中では、さっき聞かされた言葉が繰り返されている。
独立。従属。王朝交代。下級法衣貴族の権利保障。そして、母上の暗殺、先王の暗殺、第二王妃と帝国の繋がり。
俺は普段、物事を感情で判断しない。起きた事実を整理し、原因を探り、そこから最も合理的な選択をする。それが俺のやり方だ。
だからこそ、今日聞いた話も頭の中では整理できていた。
ヴィクトリアにはヴィクトリアの正義がある。帝国への従属を選んだ理由も理解できる。彼女がこの民族を滅ぼしたいわけではなく、むしろ生き残らせるために従属を選んだことも分かった。
だが。
理解できることと、受け入れられることは別だった。
「……母上」
誰もいない部屋で、思わず名前が漏れた。
返事はない。
当然だ。
俺は目を閉じる。
母上が生きていたら。先王が生きていたら。この国はどうなっていたのだろう。
そんな仮定に意味がないことくらい分かっている。過去は変えられない。死者は戻らない。それでも、考えることをやめられなかった。
独立を維持する。
それが母上や先王、そして父上の選択だった。
俺も、その道を選ぶのか。
ヴィクトリアのように、従属によって民族を守る道を選ぶのか。
王太子を決めるまで、残された時間はあと一年。
その一年の間に、この国の未来まで決めることになる。
「……簡単な話ではないな」
俺は目を開いた。
だが、まだ迷っている自分がいる。
それが腹立たしかった。
俺は今まで、判断に迷ったことは少ない。戦場なら敵を見て、勝つために必要な行動を選ぶ。政治でも、利益と損失を並べれば大抵の答えは出る。
なのに。
今回は。
どちらも「国を守る」という同じ目的から出た答えだった。
「……」
机に肘をつく。
考えても。
考えても。
答えが出ない。
そんな状態のまま、翌朝を迎えた。
◆
翌日の放課後。
俺が中庭を歩いていると、ティアがこちらへ向かってきた。
「レノ」
「……ティアか」
ティアは俺の顔を見て、少し首を傾げた。
「何、その顔」
「普通だろ」
「普通じゃないよ。朝からずっと、ものすごく難しい顔してる」
「そうか?」
「うん。眉間に皺が寄ってるし、目つきも怖い。イケメンが台無し」
「やかましいわ!ほおっておいてくれ」
「嫌」
即答だった。
ティアは俺の隣へ並ぶ。
「何を考えてるの?」
「……いろいろだ」
「何が?」
「お前には関係ない」
「ふーん」
ティアが俺を見る。
「じゃあ、もっとひどくなったら?」
「何が」
「レノの頭の中」
俺は答えなかった。
ティアはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……もう、いいや」
「何が?」
「レノってさ」
ティアの声が。
少しだけ冷たくなった。
「本当に面倒くさいよね」
「……は?」
「考えすぎ。自分一人で全部答えを出そうとして、勝手に難しくして、勝手に悩んで、それで何も決められなくなってる」
「……」
「イケメン王子様だから何でも一人でできると思ってるの?」
「そういうわけじゃ――」
「じゃあ何?」
ティアがずいっと顔を近づける。
「昨日からずっと、ぐるぐるぐるぐる同じこと考えてるじゃん」
「……」
「独立か従属か。ヴィクトリア様がどうとか。お母様がどうとか。国がどうとか。そんなことばっかり考えて」
「それで?」
俺が返す。
ティアは。
呆れたように俺を見た。
「それで、結局何かしたの?」
「……」
答えられない。
「してないよね?」
「……」
「考えてただけでしょ?」
痛いところを突かれた。
いや。
正確には。
何もしていないわけではない。
だが。
この一年で派閥争いに勝たなければならないという現実を前に、頭の中だけで考え続けていたのも事実だった。
ティアは。
俺の顔を見たまま、さらに畳みかける。
「レノってさ」
「意外と弱いよね」
「……何?」
「頭が良くて、剣も強くて、魔法も使えて、王子様で、何でもできそうな顔してるくせに」
「肝心なところで、ぐずぐずしてる」
「……」
「本当に情けない」
「……お前」
俺が睨む。
ティアは。
一切ひるまない。
「何?」
「人格を全否定するな」
「してるよ」
「即答するな」
「だって本当だもん」
俺は。
完全に言い負かされていた。
そして。
最後に。
ティアは腰に手を当てると。
いつもの。
俺を立ち直らせる必殺技を放った。
「ぐずぐずしてないで、やるべくことをしなさい!」
「……」
「悩むのはそのあと!」
「今のお前がやるべきことは何?」
「王太子になるために、第一王子派を勝たせることでしょ?」
「だったら、さっさとやる!」
俺は。
しばらくティアを見ていた。
「……」
そして。
思わず。
笑ってしまった。
「何がおかしいの?」
「いや」
「お前は本当に容赦がないな」
「だって、それくらい言わないとレノ動かないじゃん」
「……否定できないな」
確かに。
昨夜から俺は。
同じことを考え続けていた。
理解できない問題ではない。
覚悟を決めるだけの問題だった。
なら。
いつまでも迷う必要はない。
「分かった」
俺は立ち上がった。
「やる」
「うん」
「俺は独立を選ぶ」
「うん」
「なら」
頭の中で。
霧が晴れていく。
「あと一年で、第一王子派を勝たせる」
ティアが笑った。
「やっとレノらしくなった」
「……お前、本当に人を立ち直らせる方法がひどいな」
「効果はあったでしょ?」
「まあな」
悩みを優しく受け止めるわけでもない。
慰めるわけでもない。
徹底的に否定して。
最後に現実を突きつける。
だが。
それが。
俺には一番効く。
俺にとってティアは、そういう意味でも癒しなのだ。
◆
翌日。
俺は第一王子派の現在の勢力について、改めて資料を集めさせた。
表向きの名称は、もちろん第一王子派。
「独立派」という名を知る者は、実権保持王族最高機密国家方針会議の参加者と、かつて機密を漏らされたガルディシア伯爵だけだ。
「領地貴族と法衣貴族を合わせた総勢力を二十割とした場合、第一王子派が九割、第二王子派が十一割です」
グラフィルが説明する。
「十割換算では、第一王子派が四割五分、第二王子派が五割五分となります」
俺は資料を受け取った。
第一王子派四割五分。
第二王子派五割五分。
差は一割。
数字だけなら、覆せない差ではない。
だが。
このままなら。
「第二王子派が勝つ」
俺が言う。
「はい」
グラフィルが答える。
つまり。
従属派が勝つ。
そうなれば。
帝国への再従属を支持する勢力が、王太子を得ることになる。
その先にあるのは。
この国の国家方針そのものの変更だ。
俺は。
そこで初めて。
迷っている時間などないことを完全に理解した。
◆
まず。
現状を整理する。
法衣貴族では第一王子派が六割まで勢力を回復している。
アトラシート伯爵が軍務卿兼第一軍団軍団長へ復帰した。
第三軍団軍団長も第一王子派。
法務卿も第一王子派。
王宮の行政機構では、以前よりはるかに有利な位置まで戻っている。
問題は。
領地貴族だ。
こちらでは第二王子派が七割。
第一王子派は三割。
さらに学院内でも、男子生徒を中心に第二王子派が優勢。
ユーザはエクィトゥム王国へ留学中で、第一王子派の男子側の戦力は以前より薄い。
一方。
女子社交では。
ティアとサナが第一王子派の大きな強みになっている。
特にティアは。
第一王子派の人間関係を支えるだけではない。
彼女自身が多くの令嬢と良好な関係を築き、派閥の違いを越えて会話できる。
俺が鋭く動けば、その分だけ敵を作る。
だが。
ティアがその空気を和らげる。
サナが、その繋がりをさらに広げる。
そして。
俺は。
その時間を政治に使える。
「……本当に頼りになるな」
思わず呟く。
「何が?」
隣からティアが聞く。
「いや」
「何でもない」
俺は視線を逸らした。
◆
俺は資料を並べ直す。
第一王子派九割。
第二王子派十一割。
十割換算で四割五分対五割五分。
このままなら負ける。
なら。
第二王子派から切り崩す。
領地貴族の家系。
寄親と寄子。
婚姻関係。
商業上の利害。
軍役。
帝国との関係。
それらを一つずつ調べる。
第一王子派の人間についても同じだ。
誰が何を求めているのか。
何があれば離反するのか。
誰ならこちらへ引き込めるのか。
誰は最後まで従属派なのか。
感情で考える必要はない。
憎しみも不要。
必要なのは。
勝つための条件を揃えることだけだ。
◆
夜。
俺は一人で机に向かっていた。
勢力図。
貴族名簿。
婚姻関係。
派閥の繋がり。
交易。
軍。
法衣貴族の役職。
次々と資料を整理していく。
昨日までなら。
ここでまた考え込んでいたかもしれない。
独立とは何か。
従属とは何か。
ヴィクトリアは正しいのか。
母上は。
父上は。
先王は。
だが。
もういい。
考えるべきことは、十分に考えた。
俺は。
独立を選んだ。
なら。
次にやることは一つだ。
勝つこと。
それだけだ。
「……あと一年」
俺は。
第二王子派の名簿を見ながら呟いた。
「十分だ」
もちろん。
本当に十分かどうかは分からない。
第二王子派は強い。
領地貴族七割。
法衣貴族でも以前は大勢力だった。
学院内でも優勢。
しかも。
従属派は。
自分たちの未来を懸けて戦っている。
だが。
俺たちも同じだ。
第一王子派が負ければ。
独立維持という国家方針そのものが敗北する。
だったら。
手段を選んでいる場合ではない。
もちろん。
無意味な破壊はしない。
必要な交渉をする。
必要な譲歩もする。
必要なら相手の弱点も突く。
それだけだ。
◆
翌朝。
俺はティアとすれ違った。
「レノ」
「何だ?」
「また難しい顔してる」
「今度は必要なことを考えている」
「ならいい」
ティアが笑う。
「でも、またぐずぐずし始めたら」
「人格否定するからね」
「……」
「覚悟しておいて」
「もう十分覚えてる」
俺は苦笑した。
そして。
そのまま歩き出した。
第一王子派四割五分。
第二王子派五割五分。
あと一年。
この差を覆す。
昨日まで。
その数字は。
重く見えた。
今は違う。
ただの。
目標になった。
ティアに人格を全否定され。
最後に、
「ぐずぐずしてないでやるべくことをしなさい!」
と叩き起こされたおかげで。
余計な迷いはなくなった。
俺は。
独立派の頂点として。
残された一年を。
徹底的に戦い抜く。




