第22話 情勢の変化
アトラシート伯爵が返り咲いた。
その知らせが王都を駆け巡ってから、しばらくして。
王立貴族学院でも、第一王子派と第二王子派を巡る空気は明らかに変わっていた。
法務卿の横領が発覚し、その座へ第一王子派の貴族が就いた。さらに軍務卿ヒルゼルス伯爵の横領が発覚し、アトラシート伯爵が伯爵位へ復帰。軍務卿兼第一軍団軍団長にも戻った。第三軍団軍団長にも第一王子派の子爵が就任したことで、第一王子派の法衣貴族は大きく勢力を回復した。
領地貴族では依然として第二王子派が七割を占めている。だが、法衣貴族では第一王子派が六割、第二王子派が四割。
王位継承争いが始まって以来。
初めて。
第二王子派の方が明確に劣勢になった分野が生まれた。
「いやあ、ここまでひっくり返るとは思わなかったな」
昼休み。
教室の一角で、男子生徒が話している。
「アトラシート伯爵が戻ったのが大きいだろ」
「軍務卿と第一軍団軍団長だからな」
「しかも第三軍団まで第一王子派になった」
「法務卿も第一王子派になったんだろ?」
「そう聞いた」
「なら、王宮の法衣貴族はかなり第一王子派に戻ったことになる。」
「それだけじゃなくて新しく増えたみたいだぞ」
噂話は。
あっという間に広がっていた。
誰がどの派閥なのか。
誰がどの役職へ就いたのか。
どの家の爵位が上がったのか。
学院生たちにとっても。
決して他人事ではない。
自分の実家がどちらの派閥へ属するのか。
その家の寄親は誰なのか。
将来、どの派閥へ入ることになるのか。
その全てに関わってくるからだ。
◆
「しかし」
別の男子生徒が言った。
「第二王子派が、王位継承争いが始まってから初めて劣勢になったって話は本当なのか?」
「法衣貴族についてはな」
「領地貴族はまだ向こうが圧倒的だ」
「それでも大きいだろ」
「まあな」
第二王子派のコリウスも、その話を聞いていた。
「第一王子派は一時、かなり追い込まれていたからな」
「それが法衣貴族六割まで戻した」
「しかもアトラシート伯爵まで復帰した」
コリウスは。
黙って聞いていた。
ガイウシア子爵家は第二王子派。
当然、彼自身もその側にいる。
だからこそ。
今回の人事は、学院内の第二王子派にとっても無視できない出来事だった。
「とはいえ」
コリウスが言う。
「領地貴族まで含めれば、まだ第二王子派の方が強い」
「それはそうだな」
「学院内でも人数はこちらが多い」
「だったら、まだ負けてない」
「当然だ」
コリウスはそう答えた。
だが。
その声には。
以前ほどの余裕はなかった。
◆
そんな学院内で。
もう一つ。
別の噂が急速に広がっていた。
「カヴィーレスターンからの品が、かなり減ってるらしい」
「本当?」
「ああ。帝国軍が三十万人で攻め込んだだろ?」
「カヴィーレスターンは十六万人だったとか」
「それで帝国軍に負けて、港や交易路を取られたらしい」
「だから、輸入が止まり始めてるんだって」
今度は。
派閥争いとは関係のない話だった。
いや。
正確には。
学院生たちにとっては。
派閥争いより身近な問題だった。
◆
「香辛料が高くなっているらしいぞ」
ある男子生徒が言う。
「この前、家の料理人が困っていた」
「香辛料?」
「ああ。以前なら商人から普通に買えたものが、最近は数が減っているらしい」
「薬もだって」
別の生徒が口を挟む。
「カヴィーレスターン経由で入ってきていた薬草や薬が手に入りにくくなってるって」
「装飾品も」
「それにナツメヤシ」
「ナツメヤシまで?」
「うちでは菓子に使ってたけど、仕入れがかなり悪くなったって母上が言ってた」
「そんなに?」
「交易路を押さえられたって話だからな」
学院のあちこちで。
同じような話が飛び交っていた。
◆
女子生徒たちの間でも。
「最近、香辛料が高くありません?」
「そうですわね」
「お茶会で使うものまで値上がりしていて困りますわ」
「母から聞いたのですが、薬も以前より手に入りにくいそうです」
「そういえば、この前注文した装飾品も届くのが遅れていましたわ」
「カヴィーレスターンから来るはずだった品かしら?」
「ええ」
「では、帝国との戦争の影響?」
「おそらく」
最初は。
ただの生活上の不便だった。
けれど。
少しずつ。
生徒たちも気づき始める。
カヴィーレスターンとの戦争は。
海の向こうで終わった遠い戦争ではない。
ここ。
王都の生活に。
すでに影響を及ぼしている。
◆
俺は。
廊下を歩きながら、その噂を聞いていた。
「帝国がカヴィーレスターンを攻撃して、交易路と港を奪った」
「その結果、こちらへ来ていた商品の流通量が減った」
隣を歩くティアも。
「エクィトゥムでも、似た話はあるよ」
と言った。
「向こうでもカヴィーレスターンの交易品はかなり入っていたから、香辛料や薬は少しずつ値段が上がってる」
「エクィトゥムでもか」
「うん」
俺は。
少し考える。
「つまり」
「帝国が要所を占領したことで、カヴィーレスターンの交易能力そのものが低下している」
「そういうことだね」
ティアが頷く。
「戦争で負けたっていうのは、領土を取られるだけじゃないんだね」
「ああ」
「港や交易路を取られれば、そこを通っていた商品そのものが減る」
「結果として、取引相手の国まで影響を受ける」
俺は淡々と整理した。
帝国の戦略が。
思った以上に上手く機能している。
カヴィーレスターンを完全に征服する必要はなかった。
港と交易路とオアシス。
そこを押さえた。
その結果。
カヴィーレスターンの軍事力だけではなく。
交易国としての力まで削られている。
◆
「でも」
ティアが少し考える。
「これって、アンティクイランドにもかなり影響するんじゃない?」
「ああ」
俺は答えた。
「うちの国は交易が重要だからな」
「香辛料も」
「薬も」
「装飾品も」
「ナツメヤシも」
「全部、カヴィーレスターン経由で入ってくる量が減れば値上がりする」
「それなら」
ティアが言う。
「商人たちは困るね」
「困る」
俺は即答した。
「そして、商人が困れば、当然ながら王宮にも影響が来る」
「税収とか?」
「それもある」
俺は少し考えた。
「交易量が落ちれば関税収入も減る。輸入価格が上がれば国内物価にも影響する。さらに、薬など生活に直接関係するものまで不足すれば、貴族だけではなく平民にも影響が広がる」
「戦争の影響が」
ティアが呟く。
「海の向こうから、ここまで来るんだね」
「そういうことだ」
◆
その話は。
学院内でも。
ただの噂では済まなくなっていた。
「最近、家の商会の売り上げが落ちている」
「うちもだ」
「カヴィーレスターンとの取引が多かったからな」
「逆に、帝国系の商人との取引が増えている家もあるらしい」
「戦争で勝った国に商売が流れていくのか」
「そういうことだろう」
学院生たちは。
それぞれ自分の家の事情を持っている。
だからこそ。
帝国の勝利という遠い出来事が。
自分の家にどう影響するかを。
考え始めていた。
◆
そして。
もう一つ。
学院で大きな話題になっていることがある。
第一王子派の復活。
「アトラシート伯爵が戻った」
「法務卿も第一王子派」
「第三軍団軍団長も第一王子派」
「法衣貴族は六割まで戻った」
「第一王子派が、とうとう第二王子派を上回ったらしい」
それを聞けば。
以前第一王子派から離れた生徒の一部も。
再び様子を窺い始める。
第二王子派に加わった者たちの中にも。
「今のままで大丈夫なのか?」
と考える者が出てくる。
派閥というものは。
力関係によって。
人の態度が変わる。
それは。
学院という小さな貴族社会でも同じだった。
◆
「最近、学院の話題が二つに分かれてない?」
ティアが言った。
「二つ?」
「うん」
「一つは第一王子派と第二王子派の話」
「もう一つは帝国とカヴィーレスターンの戦争」
「確かに」
俺は頷く。
「しかも」
ティアは続ける。
「その二つが、少しずつ繋がってきてる気がする」
「どういう意味だ?」
「第一王子派が王宮で勢力を取り戻していることも」
「カヴィーレスターンの交易品が減っていることも」
「結局は」
「国と国との動きが、ここまで影響しているってことだから」
俺は。
一瞬だけ考えた。
「その通りだな」
学院にいる俺たちは。
まだ学生だ。
それでも。
その背後では。
王国の政治が動き。
大国同士の戦争が起こり。
交易路が変わり。
商品の価格まで変わっていく。
貴族の子弟が集まる学院は。
結局。
小さな王都そのものなのかもしれない。
◆
その日の昼休み。
また新しい噂が飛び込んできた。
「知ってる?」
「何を?」
「カヴィーレスターンから入ってくるナツメヤシが、さらに減るらしいわ」
「また?」
「今度は薬も危ないって」
「そんな……」
「帝国軍が占領した港の影響らしい」
そして。
少し離れたところでは。
「第一王子派の法衣貴族が六割だって」
「本当に?」
「ええ。アトラシート伯爵が戻ったのが大きいらしい」
「第二王子派は?」
「法衣貴族四割まで落ちたとか」
「領地貴族はまだ七割らしいけど」
「それでも、王位継承争いが始まって以来、初めて第二王子派の方が劣勢になったって」
学院中で。
二つの噂が飛び交っていた。
王国の中では。
第一王子派が反撃に成功した。
そして。
海の向こうでは。
帝国軍がカヴィーレスターンを打ち破った。
その結果。
王都の市場では。
香辛料。
薬。
装飾品。
ナツメヤシ。
これまで普通に手に入っていたものが。
少しずつ。
手に入りにくくなっている。
学院生たちは。
その二つの出来事を。
自分たちの生活に起きた変化として。
少しずつ実感し始めていた。
そして。
誰もがまだ知らない。
国同士の力関係の変化が。
やがて。
自分たちの人生まで大きく動かしていくことを。




