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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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幕間 第4次カヴィーレスターン戦争

 帝国軍の再編が完了した。


 長年にわたって帝国軍の問題とされてきた軍団編制、指揮系統、兵站体制の見直しが終わり、新たな帝国軍は以前よりはるかに統一された軍事組織へと生まれ変わった。その直後、帝国軍元帥マギステル・エクィス・ミリトゥムのもとへ、皇帝から一つの命令が届いた。


 対象は、海を隔てた砂漠の大国、カヴィーレスターン・スルタン国。


 しかし、皇帝の命令はカヴィーレスターンの征服でも、スルタンの廃位でもなかった。


 目的は明確だった。カヴィーレスターンの主要港湾、主要オアシス、交易路、軍事上の要衝を占領し、同国の交易能力と軍事的影響力を削り、その勢力を弱めること。


 マギステルは作戦地図を前に、長い時間を費やしていた。


「砂漠そのものを取る必要はない」


 彼が最初に参謀たちへ示した方針は、それだった。


「砂漠の奥へ進めば進むほど、こちらの補給線が伸びる。水場を確保するために兵を割き、占領地を維持するためにさらに兵を割く。そこまでして得られるものが少ないなら、進む意味がない」


 地図上には、カヴィーレスターンの港湾と主要交易路、そして巨大なオアシスが印されている。


「我々が取るのはここだ。港。交易路。オアシス。そして、それらを結ぶ軍事拠点。これだけ押さえれば、カヴィーレスターンの経済活動と軍の移動に大きな制約を与えられる」


 今回、帝国が動員したのは約三十万人。帝国正規軍十万人に加え、帝国の属領に住むモンゴル系民族から約二十万人の弓騎兵を動員していた。


 一方、カヴィーレスターンも戦時体制へ移行し、スルタン直属軍、都市守備隊、各部族の兵士を合わせて約十六万人を動員する。


 兵力だけを比較すれば、帝国が圧倒的に優勢だった。


 しかし、マギステルは数だけを見てはいなかった。


「カヴィーレスターンは砂漠の民だ。土地の知識は向こうが上だ。こちらが兵数に任せて奥へ進めば、勝てる戦争を難しい戦争に変えてしまう」


 参謀たちが黙って頷く。


「したがって、決戦を目的にはしない。敵軍を撃破することより、敵が戦争を続けるために必要な場所を奪う」


 それが今回の作戦だった。


              ◆


 開戦直後、帝国正規軍は大規模な進軍を開始した。


 しかし、広範囲へ展開したのは正規軍だけではない。二十万人の弓騎兵が、数千から一万程度の部隊に分かれて砂漠へ散っていった。


 偵察。


 オアシスの確認。


 交易路の把握。


 カヴィーレスターン軍の移動確認。


 そして、必要に応じた小規模な襲撃。


 弓騎兵は敵を見つけても、正面から決戦を挑まない。距離を保って射撃し、追撃されれば退き、追撃が止まれば再び接近する。別の部隊は敵の側面へ回り、さらに別の部隊は補給路を探る。


 カヴィーレスターンの騎兵たちも、砂漠戦には慣れていた。帝国軍の狙いを理解し、むやみに追撃しない部隊も多かった。


 それでも、二十万人という数は大きかった。


 一つの部族が帝国軍を追えば、別の場所で別の弓騎兵が現れる。補給隊を出せば、その進路を狙われる。伝令を送れば、その途中で敵の偵察兵と遭遇する。


 帝国軍はカヴィーレスターンの軍隊を一気に壊そうとはしていなかった。


 ただ、少しずつ。


 その行動範囲を狭めていた。


              ◆


 開戦から一月。


 カヴィーレスターンは、なお約十六万人の動員兵力を維持していた。


 だが、その全軍を一つの戦場へ集めることはできない。


 オアシスを守らなければならない。


 交易路も守らなければならない。


 各部族の居住地域も守らなければならない。


 そして、帝国軍が次にどこを狙うのか分からない。


 マギステルは、そこを狙った。


「次の目標は北東部の大オアシスだ」


 地図上の一点を指す。


「この地域を押さえれば、周辺の交易路を確保できる。さらに西へ進めば港へ繋がる」


「敵も必ず兵を集めます」


 参謀の一人が言った。


「集めさせればいい」


 マギステルは即答した。


「一か所を守るために兵を集めたということは、その兵を他の地域から動かしたということだ」


「つまり」


「別の場所が薄くなる」


 その言葉通りだった。


              ◆


 帝国正規軍十万人のうち、六万人を主攻軍とし、二万人を第二攻撃軍、残る二万人を後方の守備と補給に回した。


 主攻軍の左右には、約十二万人の弓騎兵が展開する。


 これに対して、カヴィーレスターン側は約十万人を大オアシス周辺へ集結させた。


 総兵力では帝国が十八万人、カヴィーレスターンが十万人。


 マギステルは、それでも正面攻撃を急がなかった。


「中央は正規軍で圧力をかける。左右は弓騎兵で広げろ」


「敵が増援を出した場合は?」


「その増援を狙う」


「敵が動かなければ?」


「補給路を狙う」


「敵が退いた場合は?」


「追いすぎるな」


 参謀が尋ねる。


「では、敵を完全に包囲するつもりはないのですか?」


「必要ない」


 マギステルは地図へ視線を落とした。


「敵を全滅させても、オアシスは二倍にならない。こちらが必要としているのは敵の死体ではなく、敵が使っている水場だ」


              ◆


 戦いが始まった。


 帝国正規軍が中央から前進し、カヴィーレスターン軍がそれを迎え撃つ。


 中央では、砂漠の民らしい粘り強い戦いが続いた。地形を理解しているカヴィーレスターン軍は、足場や水場の位置を利用しながら帝国軍の前進を阻む。


 だが。


 左右では弓騎兵が広がっていた。


 カヴィーレスターン軍の左翼へ接近して射撃し、追撃を受ければ退く。追撃部隊が離れれば、別の弓騎兵がその側面を攻撃する。


 右翼でも同じことが起きていた。


 さらに。


 その一部が後方へ回り込み、補給隊を脅かす。


 カヴィーレスターン軍の指揮官は、兵を動かす。


「左翼へ増援を送れ!」


 だが、増援部隊が移動すれば、その途中へ弓騎兵が現れる。


「右翼も危ない!」


 今度は右翼へ兵を回す。


 すると。


「後方の補給隊が襲撃を受けています!」


 次々と指示を出さなければならない。


 兵力ではなく。


 戦場の広さそのものが、カヴィーレスターン軍へ負担をかけていた。


              ◆


 夕刻。


 カヴィーレスターン軍左翼の一部が後退を始めた。


「左翼後退!」


「後方に帝国騎兵!」


「オアシス西側の補給施設が襲われています!」


 報告が続く。


 中央はまだ持ちこたえていた。


 しかし、左右と後方が崩れ始めれば、十万人の軍をその場へ留めておくことは難しい。


「退路を残せ」


 マギステルが命じる。


「弓騎兵による追撃は限定する。正規軍はオアシスを確保する」


「全滅させる機会では?」


「必要ない」


 返ってきた答えは変わらなかった。


「敵軍を追えば、こちらも砂漠へ引きずられる。今回の目的はオアシスを取ることだ」


 夜が明ける頃。


 大オアシスには帝国軍の旗が翻っていた。


 帝国軍は最初の主要目標を確保した。


              ◆


 ここから戦争は、帝国軍にとってさらに明確な形になった。


 占領したオアシスを拠点にし、主要交易路を確保する。そこへ守備兵を置き、さらに次の要地へ進む。


 帝国軍は、一度にカヴィーレスターン全土へ攻め込まない。


 必要な場所だけを奪い、それを防衛する。


 その一方で、弓騎兵は広範囲へ展開し続けた。


 カヴィーレスターンの部族軍が集まれば偵察し、補給路を把握し、必要なら襲撃する。


 その結果。


 一つのオアシス。


 その次に別のオアシス。


 そして主要交易路。


 少しずつ帝国側の支配地域が増えていった。


 カヴィーレスターン軍も反撃する。


 夜襲。


 小規模な拠点への攻撃。


 補給隊への襲撃。


 帝国軍を砂漠の奥へ引きずり込もうとする戦術。


 しかし。


 帝国軍は、それに乗らない。


 目的から外れた場所へは進まない。


 必要な要地を取ったら止まる。


 それを繰り返した。


              ◆


 半年後。


 帝国軍はカヴィーレスターン北東部の一部地域、複数の主要オアシス、主要交易路の一部、そして海岸部の重要港湾を占領していた。


 地図上では、帝国軍の支配地域が一つの線として繋がり始めている。


 港。


 交易路。


 オアシス。


 軍事拠点。


 それぞれが帝国軍の補給と軍事行動を支えている。


「ここまでで十分だ」


 マギステルが地図を見ながら言った。


「これ以上進めば、占領地を維持するための兵力が増える。補給線も長くなる」


「しかし、カヴィーレスターンはまだ健在です」


「それでいい」


 マギステルは答えた。


「我々の目的はカヴィーレスターンそのものを消すことではない」


「港を奪い、交易路を奪い、主要な水場を奪う。それによって、相手の交易能力を落とし、軍を動かす能力を削る」


「国が存続していても、以前と同じようには動けなくなる」


「それが今回の勝利だ」


              ◆


 戦争が長期化するにつれ、カヴィーレスターン側でも限界が見え始めていた。


 十六万人を動員できたとしても、その全てを長期間維持できるわけではない。


 各部族は自分たちの領地へ戻らなければならない。


 商隊が使う交易路が失われれば、部族の収入も減る。


 重要なオアシスを失えば、軍事行動も難しくなる。


 帝国は、カヴィーレスターンの軍を十六万人から八万人へ、八万人から四万人へと直接減らしたわけではない。


 その代わり。


 十六万人を再び集めて戦うための条件そのものを削っていった。


 そして。


 それこそが、マギステルの狙いだった。


              ◆


 最終的に、カヴィーレスターン・スルタン国は講和を受け入れた。


 帝国は、占領した主要地域と港湾、オアシス、交易路の一部を確保する。


 カヴィーレスターンは独立国家として存続する。


 スルタンも、その地位を維持する。


 しかし。


 戦前に比べれば、その勢力は明らかに低下した。


 重要交易路の一部を失い、港湾の一つを帝国に押さえられ、複数のオアシスまで奪われたことで、経済活動と軍事的な展開能力の双方が制限された。


 帝国軍三十万人という巨大な軍を動員した結果としては、完全征服ではない。


 だが。


 それは最初から目的ではなかった。


 戦争目的は。


 カヴィーレスターンを滅ぼすことではなく。


 要所を奪い、その勢力を弱めること。


 そして。


 その目的は。


 十分に達成された。


 マギステル・エクィス・ミリトゥムは帝都へ送る最終報告書に、その結果を簡潔に記した。


 帝国正規軍十万人。


 属領から動員したモンゴル系弓騎兵二十万人。


 総勢三十万人。


 対するカヴィーレスターンは約十六万人。


 しかし。


 勝敗を決めたのは、単純な兵数差だけではなかった。


 帝国軍は戦争の目的を限定し、その目的に必要な場所だけを奪った。


 そして。


 砂漠全土を占領する必要がないと判断した時点で。


 進軍を止めた。


 帝国は。


 カヴィーレスターンを滅ぼさなかった。


 代わりに。


 カヴィーレスターンが以前と同じ力で大陸へ影響を及ぼすことを難しくした。


 それが。


 帝国軍元帥マギステル・エクィス・ミリトゥムの考えた、この戦争の勝利した。


 しかし、カヴィーレスターンが勢力回復の一環として


 アイティクイランド王国の内乱に介入するとは思いもしなかったのだった。

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