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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第3章 第二王妃ヴィクトリア
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第20話 逆転

反撃計画を開始した。 


反撃の第一手は、法務卿だった。


 グラフィルが集めた証拠は、十分だった。法務卿が親族名義の商会を経由して公金を横領していたことを示す契約書、送金記録、商会側の帳簿、そして最終的な資金の流れまで、すべてが一本につながっている。アトラシート子爵の時とは違う。今回は、疑わしいというだけではなく、誰が、どのように、どれだけの金を不正に動かしたのかまで証明できた。


 俺は父上にすべての証拠を提出した。


「これが事実なら、法務卿をそのままにはできないな」


「はい。しかも、本人の署名まで確認できます」


「分かった。調査を正式に行おう」


 その後の調査は早かった。証拠を突きつけられた法務卿は横領を否定し続けたが、帳簿と送金記録の前では言い逃れはできなかった。最終的に法務卿は職を失い、爵位も失うことになった。


 その瞬間。


 空いた法務卿の席へ目を向ける。


 そこには、第一王子派に属する副法務卿がいた。第三王妃の実家である男爵家の当主だ。


「副法務卿を法務卿へ任命する」


 父上の言葉が響く。


「それに伴い、男爵位を子爵位へ昇格させる」


 第一王子派にとって、これは大きな一歩だった。


 これまで「副」に甘んじていた人物が、一気に法務行政の頂点へ上がったのだ。爵位も男爵から子爵へ上がる。


 そして。


 これは俺が立てた反撃計画が、初めて現実の形になった瞬間でもあった。


「一つ取ったな」


 ルリウスが報告を聞いて言った。


「ああ」


 俺は頷く。


「でも、まだ一つだ」


 第一王子派は領地貴族三割。法衣貴族四割。第二王子派は領地貴族七割、法衣貴族六割。法務卿を一人失脚させただけでは、到底追いつかない。


 だが。


 俺が欲しかったのは、一度の逆転ではなかった。


 このやり方が通用することを証明すること。


 それができた。


「次へ行く」


              ◆


 次に狙ったのは。


 軍務卿ヒルゼルス伯爵だった。


 グラシエルが集めていた資料の中に、以前から気になるものがあった。ヒルゼルス伯爵が第三軍団軍団長だった頃から、軍事物資の調達に関して不自然な金の流れがいくつか存在していたのだ。


 ただし。


 それだけなら、まだ決定打にはならない。


 俺は時系列を並べ直した。


 アトラシート伯爵への疑惑が表面化した時期。


 軍務卿の職務停止。


 アトラシート伯爵の解任。


 ヒルゼルス伯爵の軍務卿代理への就任。


 そして。


 その後に確認されたヒルゼルス伯爵側の不正資金。


「……」


 俺は資料を見つめた。


 気づいた瞬間。


 すべてが一本につながった。


「グラフィル」


「はい」


「これ」


「私も、同じ点を疑っていました」


 グラフィルが別の資料を出す。


「ヒルゼルス伯爵が不正に得た金の一部が、アトラシート伯爵の失脚直前から直後にかけて動いています」


「つまり」


「はい」


「この横領は、アトラシート子爵が失脚した時期と重なる」


「そして」


 俺は続けた。


「ヒルゼルス伯爵には、軍務卿の座を手に入れる動機があった」


 グラフィルは黙って頷いた。


              ◆


 ただの横領事件として処理することもできる。


 だが。


 俺はそうしなかった。


 今回の事件では。


 アトラシート伯爵が汚職に関与した証拠はなかった。


 それでも。


 彼は失脚した。


 爵位を落とされ。


 軍務卿を解任され。


 第一軍団軍団長の地位まで奪われた。


 そして。


 その空いた席へ入ったのが。


 ヒルゼルス伯爵だった。


 ならば。


 ここでヒルゼルス伯爵の横領が明らかになったなら。


 あの時の人事そのものを見直すことができる。


「父上に説明する」


「はい」


              ◆


 数日後。


 中央宮殿で、再び重大な会議が開かれた。


 父上。


 ヒルゼルス伯爵。


 アトラシート子爵。


 軍務関係者。


 そして。


 俺。


 俺は用意した資料を一つずつ机へ並べた。


「まず、アトラシート子爵についてです」


 父上が黙って聞いている。


「これまでの調査で、アトラシート子爵が汚職に加担したという証拠は見つかりませんでした」


 ヒルゼルス伯爵の顔が少し動く。


「しかし」


 俺は次の資料を置く。


「今回の調査によって、ヒルゼルス伯爵が軍務部門において横領を行っていた証拠が見つかりました」


「何だと?」


 ヒルゼルス伯爵が声を上げる。


 だが。


 俺は止まらない。


「契約書、支払い記録、商会側の帳簿、そして資金の移動記録です。複数の資料が一致しています」


「私が横領したというのか!」


「はい」


 俺は淡々と答えた。


「少なくとも、これはアトラシート子爵の件とは違い、証拠があります」


 父上が書類へ目を通す。


 会議室が静まり返る。


「……確かに」


 父上が呟いた。


「証拠は十分だ」


 ヒルゼルス伯爵の顔から血の気が引いていく。


「お待ちください、陛下! これだけで私を――」


「まだ話は終わっていません」


 俺が遮る。


「俺が問題にしているのは、横領だけではない」


 ヒルゼルス伯爵がこちらを見る。


「アトラシート子爵の失脚と」


「この横領が」


「ほぼ同時期に行われていたことです」


「……」


「アトラシート子爵が軍務卿から失脚した直後、あなたはその空いた地位へ入った。そして今、その時期と重なる横領の証拠が出てきた」


「これは」


「単なる偶然でしょうか?」


 ヒルゼルス伯爵は答えられなかった。


 俺はさらに続ける。


「アトラシート子爵が汚職に加担したという証拠がなかったにもかかわらず、疑惑だけで爵位を落とされ、軍務卿と第一軍団軍団長を解任された」


「その結果、あなたが軍務卿と第一軍団軍団長になった」


「そして、今度はあなた自身に横領の証拠がある」


 俺は。


 真正面からヒルゼルス伯爵を見る。


「俺は、こう主張します」


 一拍置いて。


「アトラシート子爵の失脚を利用して軍務卿の座を手に入れるために、あなたがアトラシート子爵を陥れようとしたのではないか、と」


 会議室が。


 凍りついた。


              ◆


「そんな証拠はない!」


 ヒルゼルス伯爵が叫ぶ。


「確かに」


 俺は即答した。


「あなたがアトラシート子爵を陥れたと直接示す証拠はありません」


「なら――」


「ですが」


 俺は。


 机の上の資料を指差した。


「アトラシート子爵が汚職をしたという証拠もありませんでした」


「一方で」


「あなたには横領の証拠がある」


「そして、その横領が行われた時期は、アトラシート子爵が失脚した時期と重なっている」


「この二つが同じ事件に関係している可能性を、無視することはできません」


 ヒルゼルス伯爵は。


 完全に黙り込んだ。


 証明できない。


 だが。


 否定もできない。


 それが。


 今回の状況だった。


              ◆


 父上は。


 長い時間。


 資料を読んでいた。


 やがて。


「アトラシート子爵」


「はい」


「これまでの調査で、そなたが汚職に加担した証拠は見つからなかった」


「はい」


「そして」


 父上はヒルゼルス伯爵を見る。


「ヒルゼルス伯爵には、横領の証拠がある」


「……」


「また」


「そなたが失脚した直後にヒルゼルス伯爵が軍務卿となったことを考えれば」


「当時の処分そのものについて、再検討する必要がある」


 アトラシート子爵は。


 何も言わなかった。


              ◆


 そして。


 父上は決断した。


「アトラシート子爵」


「伯爵位へ復帰させる」


「そして」


「軍務卿へ再任する」


「同時に」


「第一軍団軍団長へ戻す」


 俺は静かに息を吐いた。


 ようやく。


 戻ってきた。


 アトラシート子爵――いや。


 アトラシート伯爵が。


「承知いたしました」


 伯爵が頭を下げる。


 その声は。


 以前より少しだけ低かった。


「この御恩は」


「軍人として返します」


              ◆


 続いて。


 ヒルゼルス伯爵へ処分が下された。


「ヒルゼルス伯爵」


「……はい」


「横領について」


「爵位を伯爵から男爵へ降格する」


 会議室が静まり返る。


「そして」


「軍務卿を解任する」


「第一軍団軍団長も解任する」


 ヒルゼルス男爵は。


 俯いたまま。


「……承知しました」


 と答えた。


 そして。


 第三軍団軍団長の後任について。


 父上が新たな人事を告げた。


「第一軍団第二騎士団長兼第一軍団副軍団長の男爵を、第三軍団軍団長へ任命する」


「それに伴い」


「男爵位を子爵位へ昇格させる」


 その人物は。


 第一王子派に属している。


 これによって。


 第三軍団の指揮権も。


 第一王子派へ戻ることになった。


              ◆


 その知らせは。


 王都を駆け巡った。


「アトラシート伯爵が軍務卿に戻った!」


「第一軍団軍団長にも復帰したらしい」


「ヒルゼルス伯爵は男爵にまで降格だ」


「第三軍団軍団長も第一王子派になったぞ」


 今度は。


 第一王子派の側から。


 貴族たちが動き始めた。


「……流れが変わった」


「第二王子派が取った軍務の中枢を」


「取り返したのか」


「それどころか」


「最初より状況が良くなった部分まである」


              ◆


 数日後。


 王宮で最新の勢力調査がまとめられた。


 俺は。


 その数字を見ていた。


 第一王子派。


 領地貴族三割。


 法衣貴族六割。


 第二王子派。


 領地貴族七割。


 法衣貴族四割。


「……法衣貴族で、逆転したな」


 ルリウスが言う。


「ああ」


 俺は頷いた。


 領地貴族では。


 まだ第二王子派が圧倒的に強い。


 だが。


 法衣貴族については。


 ついに第一王子派が上回った。


 しかも。


 ただ数字が変わっただけではない。


 法務卿には。


 第一王子派の新たな子爵。


 軍務卿には。


 復帰したアトラシート伯爵。


 第一軍団も。


 第三軍団も。


 第一王子派が軍務の中枢を再び押さえている。


 少し前まで。


 圧倒的に追い詰められていた。


 それが。


 反撃の最初の一手によって。


 ここまで戻った。


              ◆


 その日の夕方。


 俺はティアとサナと一緒に庭を歩いていた。


「レノ」


 ティアが言う。


「どうだった?」


「法衣貴族は逆転した」


「本当?」


「ああ」


 サナも嬉しそうに笑った。


「お兄様、すごいです!」


「俺一人じゃない」


 俺は答える。


「グラシエルが証拠を集めた」


「そして」


「第一王子派の法衣貴族たちが、空いた席へ入った」


「だからこその結果だ」


 ティアが微笑む。


「でも」


「何だ?」


「レノが、ちゃんと反撃の方法を考えたからだよ」


 俺は。


 少しだけ笑った。


「まだ領地貴族では負けている」


「第二王子派は七割だ」


「だから」


「まだ勝ったわけじゃない」


 ティアが頷く。


「うん」


「でも」


 俺は。


 遠くに見える王宮を眺めた。


「ようやく」


「こっちから相手を追い込めるところまで来た」


 サナが嬉しそうに笑う。


「これからですね」


「ああ」


              ◆


 今回の一連の事件で。


 アトラシート伯爵は一度失脚し。


 爵位を落とされた。


 軍務卿も。


 第一軍団軍団長も。


 一度は失った。


 しかし。


 汚職への加担を示す証拠が存在しなかった一方で。


 ヒルゼルス伯爵には。


 明確な横領の証拠があった。


 そして。


 両者を結びつける状況的な要素が。


 あまりにも多かった。


 結果。


 アトラシート伯爵は伯爵位へ復帰。


 軍務卿兼第一軍団軍団長へ再任。


 ヒルゼルス伯爵は男爵へ降格。


 第三軍団軍団長には、第一王子派の第一軍団第二騎士団長兼第一軍団副軍団長だった男爵が昇格し、子爵となった。


 そして。


 第一王子派は。


 領地貴族三割。


 法衣貴族六割。


 第二王子派は。


 領地貴族七割。


 法衣貴族四割。


 王位継承争いの勢力図は。


 再び。


 大きく動いた。


 もちろん。


 これで終わりではない。


 領地貴族では。


 まだ圧倒的に不利だ。


 学院でも。


 まだ第二王子派が優勢な場所は多い。


 だが。


 第一王子派は。


 もう一度。


 反撃できる位置まで戻ってきた。


 そして。


 俺は。


 今回初めて。


 自分の手で。


 政治という戦いに。


 勝利の一手を刻んだのだった。

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