第19話 炎熱魔法
それから、一年が過ぎた。
レノウィウス・ゲンス・デイ・アンティクイランド、十四歳。王立貴族学院第五学年。十三歳だった俺も、気づけば四年生を終え、五年生になっていた。この一年は、第一王子派にとって決して平穏なものではなかった。アトラシート子爵の汚職疑惑に始まる一連の騒動によって派閥は大きく勢力を失い、今も第二王子派の優位は変わっていない。
それでも。
俺自身の生活には、政治とは別のところで大きな変化があった。
ティアだ。
そして。
俺自身も、去年とはかなり変わっていた。
◆
十四歳になった俺は、十三歳の頃と比べて身長も伸び、体つきも少年から青年へ向かう途中にあることがはっきり分かるようになっていた。幼さの残る顔立ちは少しずつ整い、鍛錬によって姿勢も良くなったことで、王族として人前に立った時の印象も以前とは違う。学院内では、第一王子という立場だけでなく、戦場を経験したことや武術競技で結果を残したことも含めて、同年代の中ではかなり目立つ存在になっていた。
当然。
俺自身は、そこまで気にしていない。鏡を見て「随分と格好よくなったな」などと思う趣味もないし、容姿が政治にどれほど影響するかを考えることの方が多い。それでも、周囲から向けられる視線が以前と少し違うことくらいは分かる。王族として整った身なりをしていること。鍛錬によって立ち姿が変わったこと。そして何より、十三歳の少年だった頃にはなかった落ち着きが少しずつ身についてきたこと。それらが重なって、以前より大人びた印象になっているらしい。
まあ。
俺としては、中身が大きく変わったわけではないと思っているのだが。
◆
そして。
ティアもまた。
一年前とは、かなり変わっていた。
十三歳の頃よりさらに成長し、長い髪や整った顔立ちは王女らしい華やかさを増している。もともと目を引く容姿だったが、十四歳になった今では、幼さの残った可愛らしさだけではなく、少しずつ少女らしい品のある雰囲気も加わっていた。
学院ではエクィトゥム王国第三王女という身分も相まって、彼女の周囲には自然と人が集まる。
それでも。
俺にとっては。
「……ティアはティアだな」
その程度の認識だった。
「何それ?」
訓練場で木剣を握ったティアが、不満そうにこちらを見る。
「いや。一年前より随分変わったと思ってな」
「どういう意味?」
「身長も伸びたし、顔つきも少し大人っぽくなった」
「……それだけ?」
「それ以外に何かあるのか?」
「もういい」
「何でだよ」
ティアは少し頬を膨らませた。
どうやら。
褒め方を間違えたらしい。
◆
そんな俺たちの関係が、一番よく表れる場所がある。
王宮の訓練場だ。
「――そこ!」
木剣がぶつかる。
俺は一歩下がった。
ティアは、そのまま追ってくる。
「まだ!」
さらに一撃。
俺は受ける。
木剣が弾かれる。
次の瞬間、ティアが踏み込んだ。
俺も踏み込む。
互いの剣が交差し、そのまま数度打ち合う。
「……やるな」
「レノもね」
俺たちは一度距離を取った。
一年前なら、数合も打ち合えばティアの動きには明確な隙があった。構えは悪くなかったが、重心が安定せず、攻撃の後にも動きが止まる。そこを突けば、俺なら簡単に勝てた。
だが、今は違う。
足運び。重心。剣を振る速度。攻撃から次の動作へ移る速さ。どれを取っても、俺と大差ない。
「もう一度」
ティアが木剣を構える。
「ああ」
俺も構え直す。
そして。
二人同時に踏み込んだ。
◆
何度目かの打ち合いの末。
「そこまで!」
アトラシート子爵の声が響いた。
俺たちは同時に剣を止める。
「本日のところは終了です」
ティアが息を整える。
「どうだった?」
俺はアトラシート子爵を見る。
「第三王女殿下の剣術は、もう第一王子殿下と互角と言って差し支えありません」
「……」
ティアが目を丸くする。
「本当に?」
「はい」
アトラシート子爵は頷いた。
「技術だけを見れば、殿下はすでに一人前の剣士です。実戦経験では第一王子殿下に及びませんが、純粋な剣術の鍛錬においては、互いに勝敗を決めるのが難しいところまで来ています」
ティアが俺を見る。
「……やった」
「よかったな」
「うん」
嬉しそうに笑う。
一年前。
「レノを助けたい」と言って木剣を握り始めた少女が。
今では。
俺と互角に剣を交えている。
その成長速度には、俺も素直に感心していた。
◆
だが。
ティアの成長は、剣術だけではなかった。
「次は魔術訓練です」
魔術師の言葉に、ティアは小さく頷く。
魔力の制御を始めた頃は、ただ魔力を循環させるだけでも相当な集中を必要としていた。それが今では。
「上級身体強化を」
「はい」
ティアの身体を魔力が巡る。流れは安定している。
「問題ありません」
「次、上級武具強化」
「はい」
ティアが木剣へ魔力を流す。木剣が淡く魔力を帯びた。
「こちらも安定しています」
アトラシート子爵が頷く。
ティアは一年をかけて、上級身体強化と上級武具強化を安定して使えるところまで成長していた。
◆
「次は魔法です」
アトラシート子爵が告げる。
「炎熱魔法の基礎から確認しましょう」
ティアが手を前へ出す。魔力が集まる。
「――竜の鼻息!」
ボッ。
小さな炎が生まれた。
「……」
「……」
訓練場が静かになる。
俺は炎を見つめた。
「なあ、ティア」
「何?」
「その名前、本当にそれでいいのか?」
「え?」
「竜の鼻息って」
ティアが首を傾げる。
「だって、それが正式な名前なんでしょう?」
「……そうだけど」
「魔法の名前って、書物に書いてあるものを使うんだよね?」
「そうだな」
「じゃあ、私が勝手に変えたら駄目じゃない?」
「まあ、そうだが……」
そう。
俺たちが使っている魔法の名前は、ティアが考えたものでも、俺たちの流行で付けたものでもない。古くから魔術書や魔法書に記され、体系として定められている正式な術式名だ。
つまり。
「竜の鼻息」という名前も。
正式名称なのである。
だから。
俺たち二人は。
そのクソダサい名前を。
あっさりと受け入れていた。
「……まあ、正式名称なら仕方ないか」
「うん」
「分かりやすいしな」
「でしょ?」
王族二人。
どちらも妙に納得してしまった。
なんというか。
こういうところだけ、二人とも少しずれている気がする。
◆
「次は炎槍」
ティアが手を掲げる。
炎が集まり、一本の槍へと形を変える。
「――炎槍!」
炎の槍が前方へ放たれ、標的へ突き刺さる。
「成功です」
アトラシート子爵が頷く。
続いて。
「炎壁」
ティアが両手を広げる。
炎が立ち上がり、目の前に壁を形成する。
「――炎壁!」
燃え上がる炎の壁が、俺たちの前を遮った。
「防御にも使える」
俺が言う。
「そう」
ティアが頷く。
「レノが敵に囲まれた時に、逃げ道を作れるようにしたいから」
「……」
相変わらず。
全部。
俺を助けることに繋がっている。
◆
そして。
最後。
「では」
アトラシート子爵が少しだけ慎重な表情を見せた。
「今の殿下が使用できる炎熱魔法の中では、最も大きな術です」
ティアが息を整える。
魔力が集まる。
空気が熱を帯びる。
周囲の魔力が大きく揺れる。
そして。
「――炎上」
一瞬。
巨大な炎が訓練場の標的を包み込んだ。
燃え上がる炎。
広がる熱。
「……」
俺は炎を見ながら、一年前の「竜の鼻息」を思い出していた。
「なあ」
「何?」
「炎上って」
「うん」
「これ、最高奥義の名前なんだよな?」
「うん」
「正式名称?」
「そうだよ」
俺は黙って炎を見る。
「……」
「どうしたの?」
「いや」
俺は肩をすくめた。
「正式名称なら仕方ないな」
「でしょ?」
ティアも何の疑問も持たずに頷く。
――妙に納得してしまうところまで、俺たちはよく似ていた。
よりによって。
小規模な炎を起こす術が「竜の鼻息」。
火の槍が「炎槍」。
火の壁が「炎壁」。
そして。
大規模な炎を起こす最高奥義が「炎上」。
だが。
書物にそう記されているのだから仕方がない。
俺たちは、二人揃ってその事実を素直に受け入れていた。
◆
一年前。
ティアは。
俺を助けたいと言って剣を握った。
そして、この一年で剣術を磨き、魔術を覚え、炎熱魔法を習得した。
今では、剣術なら俺と互角。魔術では上級身体強化と上級武具強化を扱い、炎熱魔法では「竜の鼻息」「炎槍」「炎壁」、そして最上位の「炎上」まで使える。
十四歳。
まだ成長の途中だ。
それでも。
以前のティアと比べれば、その強さはまるで別人だった。
◆
訓練を終え、俺とティアは並んで王宮の廊下を歩いていた。
「……一年か」
「うん」
「本当に強くなったな」
「ありがとう」
「最初は木剣を振るだけで腕が痛いって言ってたのに」
「言わないでよ」
「事実だろ」
「もう違うもん」
「そうだな」
俺は少し笑った。
ティアも笑う。
その横顔を見ながら、俺はふと思った。
昔から可愛らしい顔立ちだったが、今では王女としての品や落ち着きも加わり、学院で目立つのも当然だと思えるほど整った雰囲気になっている。
俺自身も、去年より背が伸び、鍛錬を続けてきたことで身体つきが変わった。王族としての教育を受け、人前に立つ機会も増えたことで、少年らしい幼さは少しずつ薄れている。
「……」
「何?」
ティアがこちらを見る。
「いや」
「何か見てた?」
「別に」
「怪しい」
「気のせいだ」
そう言って誤魔化す。
昔から。
こいつのこういうところだけは。
全然変わらない。
◆
「ねえ、レノ」
「何だ?」
「私」
ティアが少しだけ前を向く。
「これなら、もう少しだけレノの近くにいられるかな」
「……十分だ」
「本当に?」
「ああ」
「戦場でも」
「学院でも」
「何かあった時に、今度は私がレノを助けられるかな」
俺は少しだけ考えてから答えた。
「もう、かなり頼りにしてる」
「……」
ティアが目を丸くする。
そして。
「それなら」
嬉しそうに笑った。
「もっと強くなるね」
「まだやるのか?」
「もちろん」
「欲張りだな」
「レノを助けたいから」
「そうだったな」
二人で歩く。
十四歳になった俺と。
同じく十四歳になったティア。
姿も。
力も。
立場も。
一年前とは少しずつ変わっている。
けれど。
俺たちが一緒に鍛錬する時間だけは。
変わらず続いていた。




