第16話 劣勢
アトラシート伯爵が。
いや。
アトラシート子爵が第三軍団へ移り。
ヒルゼルス伯爵が新たな軍務卿兼第一軍団軍団長となった。
その人事が発表された直後から。
王都の貴族社会は、大きく動いた。
第一王子派から。
貴族が離れ始めたのだ。
「軍務卿まで第二王子派になった」
「第一軍団も向こうが握った」
「これでは、第一王子派を支持し続けるのは危険だ」
「我が家まで巻き込まれるわけにはいかない」
ある家は、第二王子派への復帰を申し出た。
ある家は、表立った支持を取り下げた。
またある家は中立を宣言しながら、実際には第二王子派との距離を縮めていった。
第一王子派が積み上げてきたものが。
静かに。
しかし確実に崩れていく。
◆
数日後。
王宮から届いた最新の勢力調査を、俺は机の上で確認していた。
第一王子派。
領地貴族三割。
法衣貴族四割。
第二王子派。
領地貴族七割。
法衣貴族六割。
「……」
数字を見て。
俺は、特に表情を変えなかった。
予想していたからだ。
軍務卿の失脚。
第一軍団の指揮権喪失。
そこまで揃えば。
これほどの勢力変動が起きるのは当然だった。
問題は。
これからどうするかだ。
俺は書類を閉じる。
「互角から、ここまで落ちたか」
それだけ呟いた。
悔しくないわけではない。
だが。
悔しがって数字が戻るわけでもない。
必要なのは。
今の状態を正確に把握することだった。
◆
学院でも。
変化はすぐに現れた。
教室へ入ると。
以前まで俺へ挨拶をしていた生徒たちが、軽く頭を下げるだけになっている。
話しかけてくる者も減った。
逆に。
第二王子派の生徒たちは以前よりも堂々としていた。
「ヒルゼルス伯爵が軍務卿になった」
「第一軍団も第二王子派だ」
「これで王都の軍事は大きく変わったな」
「第一王子派も、もう以前のようには動けないだろう」
そんな声が廊下から聞こえてくる。
俺は。
特に反応しなかった。
聞くべき情報だけを拾う。
それだけで十分だった。
◆
昼休み。
第一王子派の生徒が集まっていた場所には。
以前より空席が多くなっていた。
「減りましたね」
ルリウスが言う。
「ああ」
「昨日まで一緒だった者が、今日は第二王子派のところにいます」
「珍しいことじゃない」
俺は周囲を見る。
第二王子派の中心にいるのは。
コリウス。
ガイウシア子爵家はプラエシディウム伯爵を寄親としている。
当然。
コリウスも第二王子派だ。
その周囲には。
アウルスをはじめとした第二王子派の生徒たちが集まっている。
そして。
そこには以前、第一王子派へ移ろうとしていた者たちの姿まで混じっていた。
「……かなり吸収されていますね」
エリシアが言った。
「そういうことだ」
俺は短く答える。
学院内でも。
勢力図が書き換えられている。
◆
さらに。
ユーザがいないことも大きい。
両国学生交流計画によって、ユーザは現在エクィトゥム王国へ留学中。
以前なら。
男子生徒の中でも俺の近くで動いてくれていた。
だが。
今、その席は空いている。
第一王子派の男子生徒が減っている今。
その不在は無視できなかった。
「男子側は、かなり苦しくなりましたね」
ルリウスが言う。
「そうだな」
それだけ答える。
◆
一方。
女子社交では状況が違っていた。
「グラーティア様」
「こちらのお話も、ぜひ聞いていただきたいのですが」
「今度のお茶会について――」
ティアの周囲には。
今日も多くの令嬢が集まっている。
そして。
「ティアお姉様」
サナもまた。
新入生たちとの交流を着実に広げていた。
ここだけは。
今でも第一王子派が優位だった。
むしろ。
男子側が崩れたことで。
その優位がより目立つようになっている。
軍事。
領地貴族。
法衣貴族。
学院全体。
その多くで劣勢。
それでも。
女子学院生との社交だけは。
第一王子派が上だった。
◆
放課後。
ティアが俺のところへ来た。
「レノ」
「何だ?」
「少し話してもいい?」
「ああ」
俺たちは人の少ない廊下へ移動する。
「最近、すごく大変になったね」
「そうだな」
ティアが俺を見る。
「……平気?」
「別に」
「本当に?」
「ああ」
俺は窓の外を見る。
「想定できる範囲だ」
「軍務卿を失った以上、貴族が離れるのは当然だ」
「第一王子派に残ることで損をすると考える家が出る」
「それなら、第二王子派へ移る」
「単純な話だ」
ティアは少し黙ってから。
「でも」
「何だ?」
「レノは、どうするの?」
「どうするも何もない」
俺は答える。
「取り戻すだけだ」
「どうやって?」
「それをこれから考える」
ティアが少し笑う。
「レノらしいね」
「そうか?」
「うん」
◆
そこへ。
「お兄様」
サナがやってきた。
「どうした?」
「少し、話が聞こえました」
「そうか」
サナは俺を見る。
「お兄様」
「何だ?」
「第一王子派が苦しくなったからといって」
「私にできることまでなくなったわけではありませんよね?」
「……」
「ティアお姉様と私は」
「女子の皆さんとお話しできます」
「お茶会にも参加できます」
「学院で友達も作れます」
「それに」
サナは少し胸を張った。
「それを続けることが、第一王子派の役に立つんですよね?」
俺はサナを見る。
「その通りだ」
「なら」
サナが笑う。
「私、頑張ります」
俺は頷いた。
「頼む」
それだけだった。
◆
ティアも。
「私も」
静かに口を開く。
「これまで通り、女子の社交を続ける」
「それだけじゃない」
「必要なら、エクィトゥムとの関係も使える」
「私が第三王女であることは」
「外交の上では、それなりに意味があるから」
俺はティアを見る。
「……助かる」
「うん」
ティアは笑う。
「こういう時こそ、二人でやればいいんだよ」
「そうだな」
俺は頷いた。
◆
その時。
俺は、一つのことをはっきり理解した。
これまでの俺は。
自分の力を中心に考えすぎていた。
戦場では。
自分が戦えばいい。
武術では。
自分が勝てばいい。
だが。
派閥争いは違う。
俺が強いだけでは。
誰も勝手には従わない。
貴族には貴族の事情がある。
家には家の利害がある。
女子には女子の社交がある。
軍人には軍人の論理がある。
そして。
第二王子派は。
それらを利用している。
「なるほど」
俺は呟いた。
「やっと分かってきた」
ティアが首を傾げる。
「何が?」
「俺は」
「自分が強ければ、周りもついてくると思っていたらしい」
「でも」
「実際には逆だ」
「周りが動く理由を作らなければ」
「自分が強くても意味がない」
ルリウスが少し驚いた顔をした。
「殿下……」
「だから」
俺は続ける。
「これからは」
「俺自身も、政治を覚える」
「貴族の家系」
「派閥」
「婚姻」
「商人」
「軍」
「外交」
「全部だ」
「これまで以上に」
ルリウスが頷く。
「それなら、私も資料を集めます」
「頼む」
「はい」
◆
その日の夜。
俺は執務室に戻った。
そして。
初めて。
自分から政治の書物を開いた。
王国の爵位制度。
領地貴族の勢力。
法衣貴族の役職。
婚姻関係。
王都の商会。
軍団の編成。
外交関係。
貿易路。
そして。
派閥ごとの人物相関。
一つずつ。
覚えていく。
剣術のように。
魔法のように。
政治も。
鍛えればいい。
◆
窓の外。
夜の王都レクィエリアを眺める。
第一王子派。
領地貴族三割。
法衣貴族四割。
第二王子派。
領地貴族七割。
法衣貴族六割。
数字だけなら。
今の俺たちは圧倒的に不利だ。
だが。
「……まだ終わっていない」
俺は静かに呟いた。
感情で強がる必要もない。
勝てると思い込む必要もない。
今は。
負けている。
なら。
その事実を認めた上で。
取り返す方法を考えればいい。
ティアがいる。
サナがいる。
ルリウスがいる。
まだ第一王子派に残っている者もいる。
そして。
女子社交という。
こちらだけが持つ優位もある。
なら。
使えるものを使う。
「……さて」
俺は次の書類を開いた。
今度は。
第二王子派の主要貴族の一覧だ。
これまで。
名前を聞いたことがある程度だった人物たち。
今から。
一人ずつ覚えていく。
誰が何を欲し。
誰と繋がり。
何を恐れているのか。
剣で戦う時と同じだ。
相手を知らなければ。
勝負にはならない。
俺は。
もう一度。
書類へ目を落とした。
第一王子派は。
今。
かつてないほど追い込まれている。
だからこそ。
ここからの一手で。
流れを変える。
そう決めた。




