第15話 致命的な一撃
それから。
調査は続いた。
俺が調べ。
軍務省の官僚が調べ。
王宮の監察官も調べた。
アトラシート伯爵自身も。
自分に向けられた疑惑を晴らすため、持っている記録をすべて提出した。
それでも。
何も出なかった。
いや。
正確には。
疑わしいものは、いくらでも見つかった。
市場価格より高く購入された軍事物資。
アトラシート伯爵家と付き合いのある商人。
軍務卿の決裁印。
不自然な契約の流れ。
だが。
どれだけ追っても。
最後の一線だけが繋がらない。
金が伯爵へ渡った証拠がない。
伯爵が商人へ便宜を図ったことを示す証拠もない。
誰かが裏で命令したという証拠もない。
そして。
別の誰かが仕組んだという証拠もない。
「……何もない」
俺は机の上に積まれた書類を見つめていた。
「はい」
調査を担当した官僚が答える。
「アトラシート伯爵が加担したと断定できる証拠は見つかっておりません」
「しかし」
一拍。
「同時に、伯爵以外の誰かが仕組んだと断定できる証拠もございません」
「……」
最悪だった。
どちらにも決められない。
だから。
疑惑だけが残る。
◆
最終報告の日。
中央宮殿の会議室には、国王陛下。
アトラシート伯爵。
軍務省の関係者。
そして俺が集められていた。
調査官が報告書を読み上げる。
「軍事物資の調達において、通常より高額な契約が複数存在したことは事実です」
「しかし」
「その価格設定が違法であったことを示す決定的な証拠はありません」
「また」
「アトラシート伯爵が、その差額から利益を得たことを示す証拠も確認できませんでした」
アトラシート伯爵は黙って聞いている。
「一方」
「別の人物が意図的に不正を仕組んだことを示す証拠も、発見されておりません」
会議室に。
重い沈黙が落ちた。
◆
父上が口を開く。
「つまり」
「今回の件について、刑事上の責任を問える者を特定できなかった」
「はい」
「だが」
「軍事予算に重大な疑念が生じたことは事実」
「その疑念を抱えたまま」
「アトラシート伯爵を軍務卿の職に戻すことも難しい」
その言葉を聞いて。
俺は思わず父上を見る。
「父上」
「何だ?」
「証拠がないのなら」
「伯爵を罰する理由もないのではありませんか?」
父上はしばらく黙っていた。
「その通りだ」
「なら――」
「しかし」
父上の声は重かった。
「政治というものは、法だけで決められるものではない」
「……」
「軍務卿は、王国軍の信頼そのものを背負う」
「疑惑が残ったまま、その地位へ復帰させれば」
「軍の士官たちにも、貴族たちにも」
「王が疑惑を放置したと受け取られる」
分かっている。
だから。
これは法的な処罰ではない。
政治的な処分なのだ。
◆
「したがって」
父上が続ける。
「アトラシート伯爵について」
「爵位を伯爵から子爵へ降格する」
俺の胸が。
重くなった。
アトラシート伯爵の表情は。
ほとんど変わらない。
ただ。
握っていた拳が。
わずかに強くなった。
「そして」
「軍務卿を解任する」
「第一軍団軍団長の職も解く」
俺は思わず息を呑んだ。
証拠がない。
それでも。
爵位まで失う。
◆
だが。
父上はそこで終わらなかった。
「ただし」
「これまでの軍務における功績を無視するつもりはない」
「アトラシート元伯爵」
「今後は子爵として」
「第三軍団軍団長を命じる」
会議室に。
小さなどよめきが起きた。
降格。
解任。
それで終わりではない。
軍から完全に追放するわけでもない。
第一軍団という王国軍の中核からは外す。
だが。
第三軍団を任せる。
それは。
罰であると同時に。
功績と能力を考慮した妥協でもあった。
◆
アトラシート子爵は。
しばらく沈黙していた。
やがて。
「承知いたしました」
深く頭を下げる。
「これまで軍務卿として陛下に仕えてきた身」
「今回の処分も」
「王国のためと受け止めます」
その声には。
悔しさがあった。
だが。
それ以上に。
軍人としての意地が残っていた。
「第三軍団の指揮」
「謹んでお受けいたします」
俺は。
その横顔を見ていた。
納得しているわけではない。
それでも。
受け入れるしかない。
そういう顔だった。
◆
そして。
父上は。
次の辞令を読み上げる。
「新たな軍務卿には」
「第三軍団軍団長であったヒルゼルス子爵を」
第二王子派に属する子爵。
その名が読み上げられる。
「爵位を伯爵へ昇格させる」
「同時に」
「軍務卿兼第一軍団軍団長に任命する」
今度は。
はっきりと。
会議室の空気が変わった。
第二王子派の子爵だった男が。
伯爵となり。
軍務卿となり。
さらに。
第一軍団軍団長となった。
つまり。
王国軍の中核。
常時三千。
戦時には六千六百まで膨れ上がる中央軍の
第一軍団の実権。
それが。
第二王子派へ移った。
◆
俺は。
何も言えなかった。
これで。
第一王子派は。
軍事部門で明確に後退した。
女子社交では。
サナとティアの存在によって優位に立てた。
だが。
軍事では。
完全に逆転された。
しかも。
アトラシート子爵は。
第三軍団へ移される。
王都中央の軍事権力から。
遠ざけられたのだ。
「……」
俺は拳を握った。
◆
会議が終わった後。
俺は廊下で。
アトラシート子爵に追いついた。
「伯爵」
「……もう伯爵ではありませんよ」
苦笑する。
「今は子爵です」
「……すみません」
「殿下が謝ることではありません」
アトラシート子爵は歩きながら言う。
「証拠がなかった」
「だが」
「疑惑も消えなかった」
「それだけのことです」
「納得していますか?」
俺が聞く。
子爵は。
少しだけ考えた。
「いいえ」
意外なほど素直な答えだった。
「ですが」
「納得できないからといって」
「王国の軍務を止めるわけにはいかない」
「第三軍団を任された以上」
「私は軍人として、そちらに集中します」
「……」
「殿下」
子爵が俺を見る。
「一つだけ」
「はい」
「決して」
「私を庇わないでください」
「……」
「今の私は」
「第一王子派にとって」
「最大の弱点になり得る存在です」
「私を守ろうとして」
「殿下まで傷つけば」
「それこそ敵の思う壺でしょう」
その言葉に。
俺は何も返せなかった。
◆
その夜。
第一王子派の者たちを集めた。
部屋の中には。
重苦しい空気が漂っていた。
「アトラシート子爵の件」
俺が口を開く。
「我々は」
「潔白を証明できなかった」
「同時に」
「汚職を立証することもできなかった」
誰も口を挟まない。
「だから」
「今回の処分を受け入れるしかない」
ルリウスが言った。
「軍務卿の座を」
「第二王子派に渡したのは」
「かなり痛いですね」
「ああ」
俺は頷く。
「だが」
「これで終わりじゃない」
顔を上げる。
「軍務卿を失った」
「第一軍団も失った」
「しかし」
「第一王子派そのものが崩れたわけじゃない」
「むしろ」
「ここで慌てて動けば」
「相手の思う通りになる」
誰もが。
黙って頷いた。
◆
ティアも。
俺の隣にいた。
「レノ」
「何だ?」
「悔しい?」
「ああ」
正直に答える。
「かなりな」
「でも」
ティアが静かに言う。
「アトラシート子爵は」
「まだ第三軍団を率いてる」
「ああ」
「軍から追放されたわけじゃない」
「そうだ」
「なら」
ティアが俺を見る。
「まだ終わってないよ」
「……」
「軍務卿の席を失っただけ」
「第三軍団が残っているなら」
「そこからできることもある」
「……そうだな」
俺は少し笑った。
◆
今回。
アトラシート伯爵が汚職に加担した証拠は見つからなかった。
しかし。
潔白を証明することもできなかった。
だから。
伯爵は子爵へ降格され。
軍務卿と第一軍団軍団長を解任された。
代わりに。
第二王子派の第三軍団軍団長だった子爵が伯爵へ昇格。
軍務卿兼第一軍団軍団長となった。
結果だけを見れば。
第一王子派の敗北だった。
しかも。
かなり大きな敗北だ。
軍務という。
王位継承争いにおいて極めて重要な分野の主導権を。
第二王子派へ渡してしまったのだから。
それでも。
俺には一つだけ。
確かなことが分かった。
今回の事件は。
これで終わったわけではない。
誰が。
何のために。
この疑惑を作ったのか。
結局。
それは分からないままだった。
そして。
分からないままだからこそ。
俺は。
この事件を。
忘れることができなかった。
いつか。
必ず。
真相が姿を現す。
その時まで。
俺は。
第一王子派を守り抜かなければならない。




