第14話 事情聴取
アトラシート伯爵の職務停止。
そして。
第二王子派に属する第三軍団軍団長の子爵が、軍務卿代理へ就任した。
この二つの出来事が重なったことで、第一王子派には一気に緊張が走った。
俺も。
当然、動いた。
汚職疑惑が本物なら。
アトラシート伯爵には軍務卿を続けてもらうわけにはいかない。
逆に。
誰かが仕組んだものなら。
このままでは第一王子派の軍事基盤そのものを奪われる。
しかも。
アトラシート伯爵は。
ただの派閥の重鎮ではない。
俺の剣術の師の一人であり。
ティアの剣術訓練を指導している人物でもある。
そして。
何より。
アトラシート伯爵家の長男は、王立士官学校へ進んだカイ。
俺の側近だ。
だからこそ。
この疑惑を放置することはできなかった。
◆
まず。
俺は調査状況を確認した。
軍務部門の決裁記録。
物資の発注書。
軍需商人との契約書。
倉庫への納入記録。
支払い記録。
帳簿。
担当官の証言。
関係する商人への聞き取り。
可能な限り。
すべてを確認した。
だが。
「……何もない」
俺は書類を机へ置く。
帳簿に不自然な点はある。
実際。
通常価格より高い金額で物資が購入されていた。
そこまでは間違いない。
しかし。
金の流れを追うと。
途中で別の商人を経由している。
その商人を調べれば。
さらに別の契約へ繋がっている。
そして。
その先には。
軍務卿へ直接金が渡ったことを示す証拠がない。
証言も同じだった。
担当官は。
「上から指示された」
と言う。
だが。
その「上」が誰なのか。
具体的な名前を尋ねると。
「書類上の決裁者です」
としか答えない。
証拠を探そうとすれば。
必要な書類は存在する。
だが。
決定的な部分だけがない。
◆
次に。
帳簿の改竄を疑った。
しかし。
元帳と写しは一致している。
倉庫の記録も。
発注記録と大きな矛盾はない。
物資そのものが存在しなかったわけでもない。
高く買った。
だが。
実際に買っている。
では。
高く買った理由は何か。
そこを調べると。
「当時の市場価格が上昇していた」
「輸送費が高騰していた」
「軍需品不足によって仕入れ価格が上がった」
そんな説明がいくつも出てくる。
どれも。
完全な嘘だとは言い切れない。
だが。
だからこそ。
疑惑だけが残る。
◆
商人を直接調べても。
結果は同じだった。
アトラシート伯爵家と親しい商人。
その事実は間違いない。
しかし。
「以前から軍務省と取引があった」
「伯爵家と商売上の付き合いがあった」
それ以上でも。
それ以下でもない。
賄賂を渡した。
利益を還流した。
伯爵へ金を渡した。
そんな証拠は。
どこにも見つからなかった。
むしろ。
調べれば調べるほど。
誰かが。
最初からこうなることを見越しているような気がした。
◆
「殿下」
調査を担当していた官僚が言った。
「これ以上は……」
「何だ?」
「調べられるところは、ほぼ全て調べました」
「しかし」
「決定的な証拠が出てきません」
「証拠がない?」
「正確には」
官僚は言葉を選んだ。
「疑わしい部分はあります」
「ですが、伯爵が汚職に関与していないと断定できる証拠だけがないのです」
「……」
俺は黙り込んだ。
つまり。
誰かが不正をした可能性は高い。
だが。
その誰かがアトラシート伯爵でないことを証明できない。
そして。
調査の方法を変えても。
出てくる結果は同じ。
すべて。
対策されている。
◆
俺は。
ようやく一つの結論に達した。
これ以上。
書類を眺めていても。
何も出ない。
「……直接、話を聞く」
「伯爵本人に?」
「ああ」
それしかない。
アトラシート伯爵が。
本当に何も知らないのか。
何かを隠しているのか。
それを。
本人の言葉から判断するしかない。
◆
数日後。
俺はアトラシート伯爵のもとを訪れた。
職務停止中とはいえ。
伯爵は軍務卿の館にある執務室の一つを使っていた。
机の上には。
大量の書類。
その横には。
軍事地図。
そして。
辞職して逃げるつもりなど微塵も感じさせない姿があった。
「第一王子殿下」
「伯爵」
「お越しになると思っておりました」
「……そうですか」
「はい」
伯爵が椅子を勧める。
「お掛けください」
俺は腰を下ろした。
◆
「単刀直入に聞きます」
「ああ」
「本当に何もしていないんですか?」
アトラシート伯爵は。
すぐには答えなかった。
やがて。
「していません」
短い答えだった。
「金を受け取っていない?」
「受け取っていません」
「商人から利益を受けていない?」
「ありません」
「家族も?」
「ありません」
「第三者を経由しても?」
「ありません」
一切。
迷いがない。
「では」
俺は続ける。
「なぜ、あれほど不自然な価格で物資を購入したんです?」
「私にも分かりません」
「……」
「私が確認できるのは」
伯爵が書類を一枚取り出す。
「最終決裁に上がった書類です」
「その時点では、軍が必要としている物資が」
「必要な数量で」
「必要な期日までに納入されることになっていた」
「価格についても、当時の市場価格から大きく外れているとは判断できなかった」
「だから承認した」
俺は書類を見る。
「つまり」
「伯爵は」
「上がってきた情報そのものを信用した」
「そういうことです」
「その情報を作ったのは誰です?」
「そこが分からない」
「……」
「私も調べました」
伯爵は静かに言う。
「だが」
「調べようとすると」
「必要な記録がすでに整いすぎている」
「担当官を問い詰めても」
「自分は規則通りに処理したと答える」
「商人も」
「契約通りに納入しただけだと言う」
「それが事実だからこそ」
「誰も捕まえられない」
◆
俺は。
伯爵の顔を見た。
「つまり」
「あなた自身も」
「誰かが仕掛けた可能性を考えている?」
「当然です」
「なぜ?」
伯爵の目が。
少しだけ鋭くなる。
「第一王子殿下」
「この国の軍務卿の座は」
「王位継承争いとは無関係ではありません」
「私が失脚すれば」
「誰が軍務を握ると思いますか?」
「……」
俺は答えなかった。
「第二王子派です」
伯爵が言った。
「現に」
「私が職務停止になった直後」
「第三軍団軍団長である第二王子派の子爵が代理に就任した」
「偶然だと思いますか?」
「……分かりません」
「私も断定はできません」
「ですが」
伯爵は静かに続ける。
「この件が解決されない限り」
「私は軍務卿へ戻れない」
「そして」
「中央軍3000人、戦時6600人の実権は第二王子派の人間が握る」
俺は。
その言葉を聞いて。
改めて事態の大きさを理解した。
◆
「伯爵」
「はい」
「もし」
「最後まで証拠が出なかったら?」
アトラシート伯爵は。
少しだけ目を伏せた。
「私は」
「軍務卿を辞めることになるでしょう」
「それだけですか?」
「……」
「第一王子派は」
「私一人が失脚するだけで済むと思いますか?」
「違います」
俺自身が答えた。
「軍務卿を失う」
「軍事部門を第二王子派に握られる」
「そして」
一番重い言葉を。
俺は口にした。
「俺の側近であるカイは、あなたの長男だ」
伯爵は。
黙った。
◆
その瞬間。
俺は初めて。
この事件が自分自身へ向けられている可能性を実感した。
もし。
アトラシート伯爵の汚職が事実だと確定したら。
俺は。
汚職に関わった人物を重要な側近として置いていたことになる。
もちろん。
俺自身が関与していなくても。
王族の側近の父親が汚職していた。
それだけで。
王都の貴族たちは。
好き勝手に言うだろう。
「第一王子は」
「軍務卿の汚職を知らなかった」
「いや」
「知っていて黙認していたのではないか」
「軍務卿と結託して軍を私物化していたのではないか」
そんな噂が。
簡単に生まれる。
そして。
それを第二王子派が利用すれば。
第一王子派そのものを傷つけられる。
◆
「だから」
アトラシート伯爵が言った。
「殿下」
「何でしょう」
「私の潔白を証明するために」
「無理に動かないでください」
「……」
「殿下が私を庇えば」
「それだけで」
「第一王子殿下も汚職に加担している」
「そういう噂を作られる」
俺は。
黙って伯爵を見る。
「分かっています」
「ならば」
「私は」
「最後まで調査を受けます」
「罪があるなら」
「軍務卿としてではなく、一人の貴族として責任を取ります」
「ですが」
「罪がないなら」
「それを証明するために」
「私自身が戦います」
その顔に。
逃げる意思はなかった。
◆
「……伯爵」
「はい」
「俺は」
一度。
言葉を選んだ。
「あなたを信じる、と今ここで言うつもりはありません」
「構いません」
「まだ真相が分かっていないからです」
「はい」
「でも」
俺は立ち上がった。
「この件を」
「必ず解決します」
アトラシート伯爵が俺を見る。
「殿下」
「汚職が本当にあったなら」
「その犯人を見つける」
「あなたが関与していないなら」
「それを証明する」
「そして」
俺は扉へ向かう。
「俺の側近の父親が汚職をした」
「そんな噂だけで」
「第一王子派が終わるようなことにはさせない」
伯爵は。
しばらく黙っていた。
そして。
「……ありがとうございます」
静かな声だった。
◆
部屋を出た。
廊下を歩く。
俺は。
改めて考えていた。
調べても。
何も出ない。
帳簿も。
契約書も。
証言も。
すべて。
対策されている。
偶然ではない。
誰かが。
最初から。
「調べられること」を想定していた。
その上で。
アトラシート伯爵を疑わせる証拠だけを残した。
だとすれば。
この事件を仕掛けた者は。
相当な切れ者だ。
そして。
目的は。
単なる金ではない。
軍務卿の失脚。
第二王子派による軍務の掌握。
第一王子派への打撃。
さらに。
俺とカイの関係まで傷つける。
もし。
ここで解決できなければ。
この事件は。
第一王子派にとって。
致命的な一撃になる。
◆
その夜。
俺は一人。
机に向かっていた。
目の前には。
大量の書類。
アトラシート伯爵の決裁記録。
軍務省の契約。
商人の情報。
派閥の動向。
そして。
第二王子派の動き。
何度見ても。
答えは出ない。
「……」
それでも。
やるしかない。
この事件を解決できなければ。
軍務卿の座は。
第二王子派に渡ったままになる。
第一王子派は。
軍事面で大きな損失を受ける。
そして。
俺自身も。
「第一王子が汚職に加担していた」
そんな疑惑を着せられる可能性がある。
それだけは。
絶対に避けなければならない。
俺は。
目の前の書類をもう一度手に取った。
「……絶対に見つける」
誰が。
何のために。
この事件を仕掛けたのか。
そして。
アトラシート伯爵が。
本当に無実なのか。
その答えを。
俺は必ず掴む。
たとえ。
すべての道が。
すでに塞がれていたとしても。




