幕間 砂漠の大国カヴィーレスターン・スルタン国
このあたりの話はあまり面白くないかもしれません....
そろそろ第2章終盤に入らせていただきます。
アエテリア大陸。
その西方に広がる海を越えた先に、一つの巨大な勢力圏が存在する。
カヴィーレスターン・スルタン国。
広大な砂漠地帯を支配する、この地域でも有数の大国である。
ただし。
「国」と一言で呼ぶには、少しばかり複雑な成り立ちをしていた。
カヴィーレスターンは。
単一の民族や一つの王家によって統一された国家ではない。
砂漠に暮らす数多くの部族。
遊牧民。
オアシス都市の有力者。
海岸部の商人たち。
そうした様々な勢力が、それぞれの土地と権益を保持したまま、一人の君主の下に結びついている。
その頂点に立つ者こそ。
スルタン。
つまり。
この国における王である。
◆
これは。
カヴィーレスターンに限った話ではない。
アエテリア大陸の大国の多くは、一枚岩ではなかった。
巨大な帝国ですら。
実際には複数の王侯や民族、自治領を束ねた連合王国に近い。
各地の有力者がそれぞれの軍事力と領地を保持し、それを皇帝の権威によって一つにまとめている。
そして。
カヴィーレスターンは、それ以上に複雑だ。
数多くの部族が、それぞれ独自の利害を抱えながらスルタンの下に集まっている。
そのため。
表面上は巨大な一国家に見えても。
その内部には。
無数の勢力が存在している。
そう考えれば。
大陸上で本当の意味で一つの王家を中心にまとまっている国家は、むしろ少ない。
エクィトゥム王国、アイティクイランド王国
その程度だ。
だからこそ。
カヴィーレスターン・スルタン国の外交は。
常に部族と有力者の利害を考えながら動かされる。
◆
そんなカヴィーレスターンの首都。
砂漠の中に築かれた巨大な城塞都市。
王宮の一室で。
一人の男が書簡を読んでいた。
ザフィール・アル=ラシード。
カヴィーレスターン・スルタン国第十八代スルタン。
豪奢な衣装を身にまとい、頭にはスルタンの証たる装飾を身につけている。
その男の前には。
一人の側近が控えていた。
「陛下」
「何だ?」
「先ほど、海を越えて届いた密書にございます」
「誰からだ?」
「アンティクイランド王国より」
ザフィールは手を伸ばした。
「……アンティクイランド」
聞き覚えのある国名だ。
大陸西部に位置する王国。
最近まで。
エクィトゥム王国と戦争をしていた国家でもある。
「差出人は?」
「表向きにはございません」
「だが」
「封印から見て、第二王妃ヴィクトリアの側近を経由したものと思われます」
「ほう」
ザフィールの目が細くなる。
「ならば、読む価値はありそうだな」
◆
密書を開く。
そこには。
短く。
しかし。
明確な要求が記されていた。
――アンティクイランド王国第一王子レノウィウスが十五歳となり、正式に成人する時。
その時期に合わせ。
ガルディシア伯爵の手引きによって海峡を渡り。
兵五千をアンティクイランド王国内へ進入させてほしい。
目的。
第一王子派の殲滅
そして。
第二王子派の王位継承争いでの勝利
ザフィールは。
そこまで読んで。
「ふむ」
小さく声を漏らした。
◆
側近が尋ねる。
「いかがでしょうか?」
「まだ続きがある」
ザフィールは密書の下半分を見る。
そこには。
報酬が記されていた。
第一。
カヴィーレスターンとアンティクイランドの二国間貿易における関税の撤廃。
第二。
アンティクイランド王国の特産品。
ワイン。
そして。
オリーブ。
その輸出先の大部分を。
カヴィーレスターンへ集中させること。
「……なるほど」
ザフィールは顎へ手を当てる。
「関税をなくす」
「それだけでも我々の商人には大きな利益になります」
「そしてワインとオリーブの主要な輸出先を、我々へ寄せる」
「はい」
側近も頷く。
◆
ザフィールは少し考えた。
カヴィーレスターンにとって。
アンティクイランド王国は遠い。
海峡を越えなければならない。
直接的な軍事行動を行えば。
兵を送り。
船を用意し。
補給を整え。
さらに。
帰還まで考えなければならない。
五千もの兵を海峡の向こうへ送るなら。
決して小さな負担ではない。
だが。
「問題はない」
ザフィールは言った。
「我々は砂漠の民だが」
側近を見る。
「海を渡れないわけではない」
「交易船を数多く持つ以上」
「海上輸送の準備そのものは難しくない」
「そして」
もう一度。
密書を見る。
「五千だ」
「五千なら、送り込める」
「しかも」
口元が少し緩む。
「戦争そのものを我々が決めるわけではない」
「必要なのは、海峡を渡り兵を送ること」
「我々が派遣する軍はあくまでも傭兵としてだ。我が国の軍ではない。何の問題にもならないだろう」
つまり。
カヴィーレスターンにとって。
割の良い取引だった。
◆
「もっとも」
ザフィールは言った。
「一つだけ問題がある」
「帝国ですか?」
側近が尋ねる。
「それもある」
ザフィールは頷いた。
「この大陸西部で大きな動きが起きれば、帝国も黙ってはいない」
「アンティクイランドは帝国にとっても重要な位置にあります」
「だから」
ザフィールは笑った。
「我々は慎重に動けばいい」
「ガルディシア伯爵が手引きするというなら」
「こちらが先に大規模な動きを見せる必要もない」
「必要な時に」
「必要な兵だけを渡せばいい」
そして。
その目が。
密書の最後へ向く。
◆
第一王子レノウィウスが。
十五歳となる時。
その成人を。
一つの機会として。
兵五千を送る。
その代償として。
アンティクイランドとの貿易で。
大きな利益を得る。
ザフィールは。
少しだけ考え。
やがて。
静かに笑った。
「まあ」
「利益があるようだ」
「受けてやろう」
側近が頭を下げる。
「では」
「了承の返書を?」
「ああ」
「ヴィクトリア第二王妃へ伝えろ」
「我が国は」
「この要請を受け入れる」
「そして」
ザフィールは密書を閉じる。
「ガルディシア伯爵には」
「準備を進めさせろ」
「第一王子が十五になる時」
「五千の兵を海峡の向こうへ渡せるように」
「承知しました」
側近が一礼する。
◆
こうして。
アンティクイランド王国の王宮では。
まだ誰も知らないところで。
一つの約束が交わされた。
ヴィクトリア第二王妃。
ガルディシア伯爵。
そして。
砂漠の大国カヴィーレスターン・スルタン国。
その三者が。
第一王子レノウィウスが十五歳となる時を見据えて。
静かに手を結び始めた。
そして。
ザフィール・アル=ラシードは。
密書の存在そのものを隠すよう命じた。
「まだ早い」
「今は」
「誰にも知られる必要はない」
砂漠の王はそう言い。
次の書類へ目を移した。
遠く離れた海の向こうで。
一人の王子の成人を巡る。
新たな陰謀が。
静かに動き始めていた。




