第10話 ティアの願い
冬の学院生活にも、少しずつ慣れてきた頃。
ある休日の午後。
俺が王宮の訓練場へ向かうと、そこにはティアがいた。
「レノ」
「どうした?」
いつもの笑顔とは少し違う。
何かを決意したような顔だった。
「お願いがあるの」
「お願い?」
「うん」
ティアは訓練場に置かれた木剣へ目を向け、それから俺を見る。
「私に、剣術を教えてほしい」
「……剣術?」
「うん」
俺は少し驚いた。
「急だな」
「ずっと考えてたの」
ティアが静かに言う。
「レノは戦場に行ったでしょう?」
「ああ」
「その時、私は何もできなかった」
ティアは木剣から視線を外さない。
「レノが危険な場所にいるって分かっていても、私は何もできなかった。誰かに守ってもらうことしかできなかった」
「……」
「でも」
ティアが顔を上げる。
「もう、それだけなのは嫌なの」
「レノが危険な場所に行くなら」
「私も、自分の力でレノを助けられるようになりたい」
俺は何も言えなかった。
「剣だけじゃない」
ティアは続ける。
「魔法も、魔術も」
「私にはたぶん、それだけの力があるんでしょう?」
「……そうだな」
幼い頃。
ティアは膨大な魔力の暴走によって聖別洗礼式を最後まで受けることができなかった。
その正確な適性はいまだに分かっていない。
けれど。
少なくとも。
魔法や魔術に関して、並外れた才能を持っている可能性は高い。
「なら」
ティアが小さく拳を握る。
「それを、ちゃんと使えるようになりたい」
「レノを守るために」
「……私も、レノの力になりたいから」
◆
「分かった」
俺は頷いた。
「ただし、俺だけで全部教えるのは無理だ」
「どうして?」
「俺は剣術ならまだしも、魔術師としては専門家じゃない」
「それに」
「魔力の制御まで考えたら、下手な訓練は危険だ」
ティアが頷く。
「じゃあ、誰に?」
「剣術ならアトラシート伯爵」
「魔法と魔術は、王宮の魔術師に指導してもらおう」
「でも」
「平日の基礎訓練なら俺も付き合える」
「本当?」
「ああ」
ティアの顔が明るくなった。
「ありがとう、レノ」
「その代わり」
「無理はするなよ」
「分かってる」
「本当に?」
「……たぶん」
「おい」
思わず笑ってしまう。
◆
翌日。
まずはアトラシート伯爵のもとを訪れた。
「第三王女殿下が剣術を?」
「はい」
ティアが答える。
「レノを助けられるくらいになりたいんです」
伯爵は黙ってティアを見る。
「なぜ剣術なのです?」
「魔法や魔術だけでは、対応できない場面もあると思うからです」
「それに」
ティアは少し迷ってから言った。
「レノが剣を使うなら、私も隣に立てるようになりたい」
アトラシート伯爵は、しばらく考えた。
「……よいでしょう」
「まずは基礎から始めます」
「ありがとうございます!」
「ただし」
伯爵の声が厳しくなる。
「剣術も魔法も魔術も、力があるだけでは意味がありません」
「制御できなければ、自分自身を危険にさらします」
「特に殿下の場合、魔力量が尋常ではない可能性がある」
「はい」
「ならば、急ぐ必要はありません」
「一歩ずつ、確実に進みましょう」
ティアは真剣な顔で頷いた。
「はい!」
◆
その後。
王宮の魔術師からも話を聞くことになった。
そこでまず行われたのは。
攻撃魔法でも。
高度な魔術でもなかった。
魔力の感知。
魔力の流れ。
そして。
制御。
「第三王女殿下」
魔術師が言う。
「まず、魔力を一気に外へ出そうとしないでください」
「はい」
「自分の身体の中を巡らせる感覚を覚えることから始めます」
「分かりました」
ティアが目を閉じる。
しばらくして。
「……分かる」
「何がです?」
「身体の中に、すごく大きな流れがある」
魔術師の表情が変わった。
「……やはり」
「何?」
「いえ」
魔術師は慎重に言葉を選ぶ。
「殿下の魔力量は、かなり大きいようです」
「ただ」
「大きいからこそ、扱いを誤らないことが重要です」
ティアは真剣に頷いた。
「分かりました」
◆
休日。
アトラシート伯爵による剣術訓練。
その後に、魔術師による魔力制御と魔法・魔術の基礎訓練。
そんな日々が始まった。
最初は。
剣を握るだけで肩に力が入り。
魔力を動かそうとすれば、すぐに流れが乱れる。
魔法を使えば。
「力を出しすぎです」
と止められる。
「……難しい」
ティアが疲れた顔をする。
「最初から上手くいく方がおかしいだろ」
俺が言う。
「レノはできるじゃない」
「俺だって失敗する」
「本当に?」
「ああ」
「……なんか意外」
「失礼だな」
「ふふ」
少し笑って。
また訓練へ戻る。
◆
そして。
平日の放課後。
俺とティアは訓練場へ向かう。
「今日は剣術?」
「その後、魔力制御」
「昨日、アトラシート伯爵に習った型を復習したい」
「分かった」
ティアが木剣を構える。
俺も木剣を構えた。
「始めよう」
「うん!」
木剣がぶつかる。
一度。
二度。
三度。
「そこ、少し遅い」
「分かった」
「次は攻撃した後、すぐに魔力を流す」
「剣術から魔法へ繋げるの?」
「ああ」
「実戦なら、剣だけで戦い続ける必要はないからな」
「なるほど」
もう一度。
ティアが踏み込む。
木剣を振る。
俺が受ける。
ティアが距離を取る。
そして。
魔力を集中させる。
「……!」
今度は。
魔力が以前より綺麗に流れた。
「できた」
「今のは良かった」
「本当?」
「ああ」
ティアが嬉しそうに笑う。
「じゃあ、もう一回」
「また?」
「うん」
◆
それから。
俺たちは少しずつ訓練の幅を広げていった。
剣術。
魔力制御。
初歩的な魔法。
魔術の基礎。
剣と魔法をどう組み合わせるか。
魔術をどう補助に使うか。
ただ力を強くするのではなく。
自分の力をどう扱うか。
それを一つずつ学んでいく。
ティアは。
以前よりずっと真剣だった。
◆
ある日の訓練。
俺が木剣を構える。
「今日は少し実戦に近い形でやる」
「分かった」
「まず俺が攻撃する」
「うん」
「その後、ティアが剣で受ける」
「そこから魔法へ繋げる」
「分かった」
始める。
俺が踏み込む。
ティアが受ける。
木剣がぶつかる。
ティアが一歩下がる。
その瞬間。
魔力が流れた。
小さな魔法が発動する。
「……!」
俺が距離を取る。
「今のは良かった」
「本当に?」
「ああ」
ティアが嬉しそうに息を吐く。
「少しずつだけど」
「できるようになってる」
「うん」
ティアが木剣を握り直す。
「もっと」
「もっと?」
「もっと上手くなりたい」
「どうして?」
聞くまでもないことなのに。
俺は聞いてしまった。
ティアは。
迷わず答えた。
「レノを助けたいから」
「……」
「私は、もう一度レノを失いたくない」
その言葉に。
俺は何も言えなかった。
「だから」
「私にもできることを増やしたい」
「剣術も」
「魔法も」
「魔術も」
「全部」
「少しずつでいいから」
「レノの隣で戦えるくらいになりたい」
◆
俺は。
小さく笑った。
「なら、頑張ろう」
「うん」
「でも」
「無茶はしない」
「……分かった」
「俺との約束」
「約束」
ティアが笑う。
俺も笑った。
そして。
二人で再び木剣を構える。
冬の訓練場に。
木剣がぶつかる音。
魔力が流れる気配。
小さな魔法が発動する音。
それらが重なっていく。
ティアはまだ強くない。
魔法も魔術も。
自分の力を完全には扱えていない。
それでも。
一歩ずつ。
確実に前へ進んでいる。
いつか。
俺の隣で。
俺を助けられるようになるために。
そのための時間が。
始まった。




