第8話 新たな扉
冬の学院社交界で起きた婚約破棄騒動は、その日のうちに王都中へ広がった。
もちろん。
ただの恋愛問題ではない。
エクウス伯爵家は第一王子派へ加わったばかり。
一方、ロリウス・ゲンス・デイ・カシウスは第二王子派へ加わったばかり。
その二人を結んでいた婚約が、派閥の変化を理由に一方的に破棄された。
つまり。
これは第二王子派と第一王子派の対立が、とうとう婚姻関係にまで直接影響したということだ。
当然。
第一王子派としても、放っておくわけにはいかなかった。
◆
翌日。
俺は中央宮殿の会議室へ呼ばれていた。
そこには父上。
王弟であり、ロリウスの父でもある宰相カシウス公爵。
軍務卿アトラシート伯爵。
そして、エクウス伯爵がいた。
その隣には、俺たちより先に学院を卒業したカイの姿もある。
今回の件は、第一王子派の勢力に関わる。
だからこそ。
外野が口を挟む話ではなく、関係する当事者たちで処理することになったのだろう。
「今回の件について、整理しておこう」
父上が口を開いた。
「ロリウスとイザベラ嬢の婚約は、ロリウス側から一方的に破棄された」
「原因は、エクウス伯爵家が第一王子派へ加わったこと」
「その認識で間違いありません」
エクウス伯爵が答える。
「娘には何の落ち度もありません」
「分かっている」
父上が頷く。
すると。
それまで黙っていたカシウス公が口を開いた。
「……まずは、息子の愚行について謝罪させていただきたい」
その声には、重いものがあった。
「ロリウスがあのような振る舞いをしたことは、父としても恥ずかしく思っております」
「学院の公の場で婚約破棄を宣言するなど、あまりにも軽率だった」
エクウス伯爵は頭を下げる。
「お気持ちは分かります」
「ですが」
「娘が傷ついたことも事実です」
「……承知しております」
カシウス公はそれ以上、言い訳をしなかった。
◆
「問題は」
アトラシート伯爵が言う。
「今回の件を、第一王子派としてどう処理するかです」
「ロリウスの個人的な問題として片付けることもできます」
「しかし、それでは済みません」
エクウス伯爵がこちらへ加わった時。
家として大きな政治的決断をした。
その直後に娘の婚約が破棄された。
この結果だけを見れば。
第一王子派へ加わったことによって、不利益を受けたようにも見える。
「これを放置すれば」
アトラシート伯爵が続ける。
「これから第一王子派へ加わろうとしている貴族たちが、どう考えるか分かりません」
「自分たちも派閥を変えれば、家の婚姻関係まで壊されるのではないか」
「そう思われれば、こちらへの流入にも影響が出る」
俺は黙って聞いていた。
その通りだった。
派閥というのは。
ただ王子を支持するだけのものではない。
自分の家を守れるか。
娘や息子の将来を守れるか。
その派閥に加わることで、家が不利にならないか。
貴族はそこまで見ている。
だから。
今回の一件は、エクウス伯爵家だけの問題ではなかった。
◆
「そこで」
アトラシート伯爵が言った。
「エクウス伯爵家と、王家との関係を強化する案を考えました」
俺が尋ねる。
「王家との関係を?」
「はい」
そして。
部屋にいた者たちの視線が、一人へ集まった。
カイだった。
「……私ですか?」
「お前だ」
「なぜ?」
「理由は簡単です」
アトラシート伯爵が淡々と答える。
「お前は第一王子殿下の側近候補であり、次期軍務卿としても有力視されている」
「そして、エクウス伯爵家は第一王子派に加わった有力貴族」
「両家が婚姻によって結びつけば、今回の婚約破棄によって生じたエクウス伯爵家の不安を取り除くことができる」
俺はカイを見る。
「……」
カイも。
明らかに戸惑っている。
「つまり」
カイがゆっくり口を開く。
「私が、イザベラ嬢の新しい婚約者になるということでしょうか?」
「その通りです」
◆
その時。
カシウス公が口を開いた。
このカシウス公、王弟派が脱落した後はすっかり丸くなり
王位継承争い脱落の原因となった第二王子派とは敵対しているため
第一王子派に協力してくれている。
父上も表向きは中立ながらも長男である俺が王位を継ぐべきだと考えている
「私は賛成だ」
俺は少し驚いた。
「叔父上?」
自分の息子が婚約を破棄したばかりだというのに。
カシウス公は冷静だった。
「ロリウスの件で傷ついたエクウス伯爵家との関係を、これ以上悪化させる必要はない」
「それに」
「カイ殿が相手なら、私も反対する理由はない」
カシウス公はカイを見る。
「次期軍務卿としての資質もある」
「第一王子殿下の側近としても信頼されている」
「エクウス伯爵家の娘の新たな婚約者として、決して悪い話ではない」
エクウス伯爵も黙って聞いていた。
◆
「もちろん」
カイが言う。
「エクウス伯爵令嬢本人の意思を無視して決めるつもりはありません」
「今回の件で、イザベラ嬢はすでに一度傷つけられている」
「そこへ、今度は家の都合で別の婚約を押しつけるようなことはしたくありません」
エクウス伯爵が頷く。
「その点については、私も同意します」
「娘に確認します」
父上が頷く。
「それがいい」
「王家や派閥の都合だけで決める婚約ではない」
「双方が納得した上で進めるべきだ」
◆
その日の午後。
エクウス伯爵家から返答が届いた。
「イザベラ嬢も、承諾したそうです」
報告を聞いた俺は少し驚いた。
「本人が?」
「はい」
アトラシート伯爵が答える。
「今回の婚約破棄を、自分一人の不幸で終わらせたくないと言ったそうです」
「第一王子派へ加わったことで、家が不利になるようなことがあれば、自分にも責任がある」
「そのためにも、今度の婚約を前向きに考えたいと」
「そして」
「カイ殿については、以前から悪い印象を持っていなかったそうです」
俺は頷いた。
少なくとも。
ロリウスの時のように。
一方的に決められた話ではない。
◆
数日後。
学院でカイに会った。
「本当に決まったのか?」
「はい」
「イザベラ嬢と?」
「はい」
カイは少し複雑そうな顔をしている。
「どうした?」
「……まだ実感がありません」
「それはそうだろうな」
「ついこの前まで、私はダンスパートナーすら見つからなかったのに」
「そうだったな」
「それが突然、婚約者です」
俺は苦笑する。
「人生って分からないな」
「本当にそうですね」
カイも苦笑した。
◆
「ところで」
俺はふと思い出す。
「学院の女子たちは何て言ってる?」
「……相変わらずです」
「何が?」
「殿下方の『お助け役A』だと思われていた私が、今度は婚約までした、と」
「……」
「『王族カップルの恋を陰から支える役だったのに、やっと本人にも春が来た』などと言われました」
「それは酷いな...っぷ」
「誰のせいだと思います?」
「……俺たちか?」
「ほぼ間違いなく」
カイはため息をついた。
俺は。
何も言えなかった
ごめんね...
お助け役A...っぷ
◆
その後。
学院では、新たな噂が広がった。
「カイ殿がエクウス伯爵令嬢と婚約したらしい」
「婚約破棄されたばかりなのに?」
「今度は第一王子派同士だって」
「なるほど……」
「今回の婚約は、第一王子派同士の結びつきを強める意味もあるらしいわ」
「派閥争いって、本当に婚姻まで動かすのね」
「でも、イザベラ様には悪い話ではないのでは?」
「カイ殿なら、少なくともロリウス殿のようなことはしなさそうですもの」
「まあ……」
「それは確かに」
話は。
少しずつ形を変えていった。
◆
後日。
俺はイザベラとカイが一緒に歩いている姿を見かけた。
二人とも。
まだ少しぎこちない。
当然だ。
ついこの前まで。
二人は婚約者ではなかったのだから。
それでも。
カイはイザベラの歩く速度に合わせている。
イザベラも。
隣を歩くカイを見上げて、小さく笑っている。
「……まあ」
隣でティアが呟いた。
「何だ?」
「なんだか、いい感じじゃない?」
「そうか?」
「うん」
「まだ始まったばかりだろ」
「だからこそ、じゃない?」
ティアは少し笑う。
「最初は家同士の都合でも」
「その後どうなるかは、二人次第なんだから」
「ああ」
俺も頷いた。
◆
一方。
カイ自身にも。
少しずつ変化があった。
これまでの彼は。
王家に仕える者。
第一王子の側近。
次期軍務卿候補。
そういう役割を、自分自身の人生だと思っていた。
だが。
婚約者ができたことで。
初めて。
自分の人生にも、別の未来があることを意識するようになった。
軍務卿として国を支える未来。
第一王子を支える未来。
そして。
その隣に。
一人の少女がいる未来。
それが。
まだ自分でも不思議だった。
けれど。
冬の社交界で起きた一つの婚約破棄が。
思いもよらない縁を。
二人の間へ運んできたことだけは。
確かだった。
そして。
「王族カップルのお助け役A」と呼ばれていた男の人生に。
この冬。
カイの中のロリ...ゲフンゲフン
新しい扉が一つ。
静かに開かれた。




