プロローグ(第1話)学院再開
夏季休暇が終わった。
長かった戦争が終わり、和平交渉が始まり、エクィトゥム王国の王太子まで王都へやって来た。さらに、両国の学生交流まで決定された。
春の国境視察から始まった一連の出来事を振り返れば、随分と長い時間が流れたようにも思える。
そして今日。
王立貴族学院の夏季休暇が終わり、授業が再開される。
「……三年生か」
朝。
学院へ向かう馬車の中で、俺は窓の外を眺めながら呟いた。
入学した頃は、学院生活がこんなにも長く続くものになるとは思っていなかった。
戦争。
王都の政治。
派閥争い。
武術大会。
そして、ティアとの再会。
思い返せば。
学院で過ごしている時間そのものよりも、学院の外で起きたことの方が多かった気がする。
「殿下」
向かいに座るカイが声を掛ける。
「何だ?」
「本日から授業再開です」
「分かっている」
「それから、秋の行事に向けた準備も始まります」
「……そうだったな」
学院には、毎年秋にいくつかの行事がある。
貴族子弟が集まる以上、単なる学問だけでは終わらない。
武術。
芸術。
社交。
他学年との交流。
そして、各派閥が学生たちをまとめるための活動。
特に今年は。
両国の学生交流計画まで決まった。
学院側も、その受け入れ準備を進めなければならない。
「第三王女殿下の留学が決まったことで、学院側もかなり慌ただしくなっているようですよ」
カイが続ける。
「そうだろうな」
「王族の留学生ですからね」
「それだけではない」
俺は窓の外を見る。
「エクィトゥム王国との関係そのものが変わり始めている」
「はい」
カイは頷いた。
先の戦争では敵だった。
だが。
今では和平交渉が始まり、王族同士の関係まで生まれようとしている。
その象徴として。
学院生の交換留学が行われる。
その中心にいるのが。
ティア。
「……」
名前を思い浮かべる。
昨日。
エクィトゥム王国へ帰っていった。
また会える。
それは分かっている。
一つ季節が過ぎれば戻ってくる。
それでも。
隣にいないというだけで。
少しだけ物足りない気がした。
◆
学院へ到着すると。
久しぶりに見る生徒たちの姿が、あちこちにあった。
「おはようございます、殿下!」
「お久しぶりです!」
「夏季休暇はいかがでしたか?」
声を掛けてくる貴族子弟たちに、俺は一人ずつ返事をする。
以前とは少し違う。
戦争を経て。
俺を見る目が変わった生徒が多い。
以前は。
第一王子という肩書きだけを見ていた者も多かった。
今では。
実際に戦場へ出て、戦勝を経験し、和平交渉で逆に敵国との同盟にまで持ち込んだ
優秀な第一王子という周囲からの認識。
それが。
学院内の派閥関係にも影響を与えていることは、容易に想像できた。
◆
教室へ入る。
「殿下、おはようございます」
ルリウスが挨拶する。
「ああ。久しぶりだな」
「はい。夏季休暇はいかがでしたか?」
「色々あった」
「それは殿下らしいですね」
そう言って笑う。
少し離れたところでは。
エリシアが他の女子生徒と話している。
「休暇中に何があったのか、後で聞かせてくださいね!」
こちらに気づいたエリシアが声を掛けてくる。
「大したことじゃない」
「絶対、大したことありますよ!」
相変わらずだ。
そして。
教室の反対側。
ユーザがこちらを見ていた。
以前とは。
少し違う。
「殿下」
ユーザが近づいてくる。
「久しぶりだな」
「はい」
「夏季休暇中に聞いた」
「何を?」
「俺が第一王子派として扱われることになったと」
俺は少し驚いた。
「正式に決まったのか?」
「そうみたいです」
ユーザが頷く。
「家からも、そう伝えられました」
「……そうか」
学院内だけではなく。
貴族家そのものの派閥が動き始めている。
それが。
学院へも流れ込んでいる。
◆
しばらくすると。
教室の後ろから話し声が聞こえてきた。
「第二王子派から、また何人か動いたらしいぞ」
「第一王子派へ?」
「ああ」
「しかも、先の戦争でプラエシディウム伯爵領周辺が助けられた地域からだ。」
「何とか第二王妃殿下とプラエシディウム伯爵が引きとどめていたがさすがに難しくなったらしい。」
「でも、第二王子派も黙っていないぞ。」
「ヴィクトリア第二王妃が動いているって話もある」
「学院の中まで派閥争いになるのかよ」
そんな声が聞こえる。
俺は少しだけ眉を寄せた。
学院は。
もともと貴族社会の縮図だ。
王子が二人いる以上。
その対立が生徒たちへ影響しないわけがない。
まして。
今は国内の勢力図そのものが変わり始めている。
第一王子派が伸び。
第二王子派が焦る。
その動きは。
学院にも、そのまま流れ込んでいる。
◆
教室へ教師が入ってくる。
「全員、席につけ」
ざわめきが収まる。
「本日から授業を再開する」
教師は教壇へ立ち、書類を置いた。
「それと同時に、秋の学院行事に向けた準備を始める」
教室の空気が変わる。
「今年は戦争と外交関係の変化によって、学院を取り巻く環境も大きく変化している」
「さらに、両国学生交流計画が正式に決定された」
「各学年から選ばれた生徒は、一定期間エクィトゥム王国へ留学する」
「そして、エクィトゥム王国からも留学生を受け入れることになる」
教室がざわついた。
「本当に王族が来るのか?」
「第三王女殿下だろ?」
「うちの学院に?」
「俺たちと同じ教室で学ぶのか?」
俺は黙って聞いていた。
やはり。
もう学院中に知れ渡っている。
◆
「なお」
教師が続ける。
「エクィトゥム王国第三王女、グラーティア・アウレリア・デイ・エクィトゥム殿下については、受け入れ準備の都合上、留学開始時期が少し遅れる予定だ」
俺は。
少しだけ息を吐いた。
分かっている。
昨日、本人から聞いた。
一度、帰国する。
そして。
社交界への正式な参加や、留学に伴う護衛、侍女、住居、教育体制などの準備を整える。
そのため。
しばらくの間、学院には来ない。
「つまり」
教師が言う。
「皆と同時に登校するわけではない。第三王女殿下の到着は、一つ季節ほど後になる予定だ」
教室が再びざわめく。
「それまでに学院側も受け入れ体制を整える」
「皆も、王族の留学生を迎えるという自覚を持つように」
俺は。
小さく頷いた。
◆
昼休み。
学院の中庭。
ルリウスたちと昼食を取りながら、秋の行事について話していた。
「今年は色々と大変そうですね」
ルリウスが言う。
「ああ」
「武術の行事もありますし、社交関係の催しも増えるでしょう」
エリシアが口を挟む。
「第三王女殿下が来るなら、絶対に盛大になりますよ!」
「やめろ」
「何でですか?」
「余計に疲れる」
「殿下、相変わらずですね」
ユーザが笑う。
その時。
「……王族の留学生か」
別の声がした。
振り向く。
そこにいたのは。
アウルスだった。
かつて第二王子派にいた少年。
今では。
少し距離を置いた場所から、こちらを見ている。
「第三王女殿下が、殿下のクラスへ来るそうですね」
「ああ」
「……そうですか」
アウルスはそれ以上何も言わなかった。
だが。
以前のような余裕がない。
これも。
学院内の勢力図が変わった影響なのだろう。
◆
午後。
秋の行事の担当決めが始まった。
各クラスで役割を決め。
上級生は下級生の指導役も担う。
教室の前には。
様々な書類が並べられている。
「第一王子派は、この役割を取ろう」
「我ら第二王子派としては――」
政治と学院行事が。
少しずつ混ざり始めていた。
俺は。
その光景を見ながら。
少しだけ疲れを感じた。
「……やっぱり」
学院へ戻ってきても。
政治からは逃れられないらしい。
◆
放課後。
俺は一人で廊下を歩いていた。
窓の外を見る。
夏の暑さが少しずつ和らぎ。
季節が秋へ向かっているのが分かる。
一つ季節。
その頃には。
ティアが戻ってくる。
今度は。
第三王女グラーティアとして。
正式な留学生として。
俺のクラスへ。
「……待ってるか」
小さく呟く。
前世では。
待っても。
会えなかった。
今世では。
待てば。
会える。
それだけの違いが。
妙に嬉しかった。
◆
その頃。
王都から遠く離れた道を。
一台の馬車が進んでいた。
エクィトゥム王国へ向かう馬車。
その中に。
ティアがいる。
窓から流れる景色を眺めながら。
彼女もまた。
同じ季節を数えていた。
「……一つ季節」
小さく呟く。
その先に。
湊がいる。
今度は。
ちゃんとした身分で。
胸を張って。
もう一度。
あの人のいる学院へ帰るために。
馬車は。
ゆっくりと西へ進んでいった。




