第67話 一時帰還
暫くして。
中央宮殿では、戦争とは別の意味で新たな議題が持ち上がっていた。外務卿から提出された書類に目を通した俺は、最初に書かれていた「両国学生交流計画」という文字を見て、思わず眉を上げる。
「学生交流?」
「はい。両国の教育制度や文化を相互に学ぶため、王立貴族学院とエクィトゥム王国の高等教育機関との間で、長期の学生交流を行うという提案です」
外務卿の説明によれば、これは単なる短期訪問ではない。学院の各学年から二名ずつ、さらに一つの学級からは一名ずつを選出し、合計十名をエクィトゥム王国へ派遣する。同時に、エクィトゥム王国からも十名をアンティクイランド王国へ受け入れ、両国の学生が卒業まで相手国で学ぶという、大規模な長期留学計画だった。
表向きの目的は明快だ。教育制度の研究、貴族社会の文化交流、礼儀作法や芸術、歴史、そして互いの国の生活を知ること。先の戦争によって生じた敵意を次の世代へ引き継がせず、将来的な両国関係の安定につなげる。そのための計画だという。
「こちらから派遣する学生は?」
「第一王子殿下の学年からは、第三王子エドリアン殿下とエクウス伯爵家のユーザ令息です」
「エドとユーザか」
俺は少しだけ笑った。第三王子であるエドと、武術大会でも頭角を現したユーザ。確かに、王族と有力貴族を一人ずつ出すなら妥当な人選だろう。エクィトゥム王国側にも、こちらが本気で交流を行う意思を示せる。
「それで、向こうから来る学生は?」
「第三王女殿下です」
「……」
一瞬、言葉が止まった。
「グラーティア・アウレリア・デイ・エクィトゥム殿下。つまり、ティアです」
俺は書類を見つめる。
「なるほど」
ここまで来れば、もう偶然とは思えない。
フィリウスがこの交流計画を利用して、グラーティアをアンティクイランド王国に長期滞在させるつもりなのだ。教育と文化の交流という大義名分があれば、王族である第三王女をこちらに置いても不自然ではない。さらに、彼女が王都の貴族社会や学院へ自然に溶け込むことができれば、将来的な婚約や両国関係の強化にも都合がいい。
単なる留学ではない。
これは、ティアがこの国に根を下ろすための準備でもある。
「それから」
外務卿が続けた。
「エクィトゥム王国からは、学生だけでなく料理人も派遣されます」
「料理人まで?」
「はい。料理文化の交流も計画に含まれているそうです。向こうの料理人がエクィトゥムの料理を紹介し、こちらからも料理人を派遣して、双方の食文化を学ぶことになります」
「……随分と大掛かりだな」
「戦後の関係改善を、教育だけではなく文化そのものから進めたいという意図でしょう」
確かに、悪い話ではない。
戦争で壊れた関係を修復するなら、軍事や外交だけではなく、実際に人と人が交流する機会を増やした方がいい。特に貴族社会においては、幼い頃から他国を知っている者が増えることが、その後の外交にも影響するだろう。
ただ。
俺には、それとは別の意味が分かっていた。
ティアを。
グラーティアを。
この国で生きていけるようにする。
それが、今回の計画の大きな目的の一つなのだろう。
◆
その日のうちに、俺は第一王女の離宮を訪れた。
庭ではサナとエドがティアと遊んでいる。俺が近づくと、ティアがこちらへ気づいて微笑んだ。
「レノ」
「聞いたか?」
「学生交流のこと?」
「ああ。俺のクラスに来るんだって?」
「そうみたい」
ティアが少し嬉しそうに笑う。
「卒業まで、一緒にいられるね」
「ああ」
「……楽しみ」
「俺もだ」
そう答えた直後だった。
「ただね」
ティアの表情が少し曇る。
「私は、すぐには来られないみたい」
「どういうことだ?」
「一度、エクィトゥムへ戻るんだって」
「……帰るのか」
「うん」
俺は少し黙る。
だが、ティアはその理由を説明してくれた。
「第三王女としてアンティクイランドの社交界へ正式に出るなら、準備が必要なんだって。侍女も護衛も決めなきゃいけないし、服装や礼儀作法も整えなきゃいけない。留学先での住居も用意しないといけないし、それに王族としてこちらの貴族社会へ入るなら、何の準備もなしに来るわけにはいかないから」
「なるほど」
「だから、今から一つ季節分くらい時間を空けて準備するみたい」
「一つ季節分か」
「うん。その間にエクィトゥムで準備を済ませて、アンティクイランドの社交界が本格的に動く時期に間に合わせるんだって」
「そうか」
つまり。
ティアはいったん帰国する。
そして再び戻ってくる時には、ただの留学生ではない。
エクィトゥム王国第三王女として。
アンティクイランド王国の社交界へ正式に姿を見せることになる。
その準備まで含めて。
今回の学生交流計画なのだ。
◆
「……寂しい?」
ティアが、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「そりゃあな」
「ふふ」
「笑うなよ」
「だって」
ティアは嬉しそうだった。
「私も、少し寂しいから」
「……そうか」
「でも」
ティアは庭へ目を向ける。
「今度は、ちゃんと戻ってくる」
「今までみたいに、身分を隠してじゃなくて」
「王女として堂々と」
「それで」
俺を見る。
「レノのクラスへ行く」
「席、空けとく」
「本当に?」
「ああ」
「約束だよ」
「約束」
前世なら。
そんな何でもない約束を、俺たちは何度もした。
そして。
今世でも。
また同じ言葉を交わしている。
◆
翌朝。
王宮の正門には、エクィトゥム王国へ戻るための馬車が用意されていた。
サナとエドも見送りに来ている。
「ティアお姉様!」
サナがティアの手を握る。
「ちゃんと戻ってきてくださいね!」
「もちろんです、サナ様」
「学院で会える?」
エドも尋ねる。
「会えますよ。エド様も向こうへ行くんでしょう?」
「うん!」
そして。
最後に。
ティアは俺の前に立った。
ここにはサナもエドもいる。
護衛もいる。
侍女もいる。
だから。
俺たちはいつもの「レノウィウス」と「ティア」でいなければならない。
「それでは、レノウィウス殿下」
「ああ。気をつけて帰れ」
「はい」
一礼。
それだけ。
けれど。
顔を上げたティアと目が合った瞬間。
ほんの一瞬だけ。
前世の幼馴染だった少女の笑顔が覗いた。
「……またね」
声には出さない。
唇だけが、そう動いた。
俺も。
「……ああ」
小さく頷く。
馬車の扉が閉じられる。
やがて。
車輪がゆっくりと回り始めた。
エクィトゥム王国へ戻る馬車が、王宮の正門を抜けていく。
俺は。
その姿が見えなくなるまで、黙って見送っていた。
寂しい。
正直に言えば。
少しどころではない。
せっかく再会できたのに。
また離れることになる。
それでも。
今回は違う。
前世のように、二度と会えなくなるわけじゃない。
一つ季節が巡れば。
ティアは戻ってくる。
今度は。
王女として。
そして。
俺のクラスメイトとして。
その時、俺たちは
どんな学院生活を送ることになるのだろう。
そんなことを考えながら、俺は
遠ざかっていく馬車をいつまでも見つめていた。




