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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第2章 巡り合うには遠すぎて
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第66話 密談

 中央宮殿の一角に用意されたエクィトゥム王国の滞在区画。


 昼間の和平交渉を終えたフィリウスは、一人で机に向かっていた。


 机の上には、今日の交渉でまとめられた書類。


 停戦。


 占領地の返還。


 捕虜の返還。


 貴族の身代金。


 賠償金。


 そして、戦前の国境への復帰。


 フィリウスは一枚ずつ確認していた。


 昼間とは違い。


 その顔に、妹思いの兄を演じる笑みはない。


 ただ。


 冷たい目で書類を読み進めている。


「……」


 そこへ。


 扉を叩く音がした。


「誰だ?」


「レノウィウスです」


「入れ」


 扉が開く。


 レノウィウスが入ってくる。


「こんばんは、フィリウス殿下」


「こんばんは、レノ」


 フィリウスは顔を上げた。


 昼間とは、まるで別人だった。


「座れ」


「失礼します」


 レノウィウスが向かいの椅子へ座る。


              ◆


「昼間とは、随分雰囲気が違いますね」


 レノウィウスが言う。


「当然だ」


「昼間の俺が本当の俺だと思ったか?」


「いいえ」


「なら話が早い」


 フィリウスは書類から目を離さない。


「妹思いの兄というのも、交渉のための顔だ」


「グラーティアを利用していることを隠す必要もない」


「……」


「お前には、もう分かっているだろう?」


「はい」


 レノウィウスは苦笑した。


「ティアも、最初から気づいていました」


「だろうな」


「妹は俺の性格をよく知っている」


 フィリウスは淡々と言った。


「俺は、グラーティアのために動いているわけじゃない」


「国家の利益になるから動いている」


「ただ、それだけだ」


 レノウィウスは黙って聞いていた。


              ◆


「昼間のシルウァニア戦の話」


 フィリウスが地図を広げる。


「詳しく話そう」


「はい」


「我々の第一目標は、シルウァニア王国東部の街道と要塞を圧迫することだ」


 フィリウスが東部を指す。


「山岳国家を正面から一気に抜こうとは考えていない」


「兵力を無理に山中へ送り込めば、こちらの損害が膨らむだけだからな」


 次に、北へ指を動かす。


「第二目標は、北部にある唯一の港町」


「ここを海上から攻撃する」


「港湾施設を破壊し、海上輸送を止める」


「シルウァニア王国が海から物資を受け取れる経路を絶つ」


 そして。


 南側へ指を移す。


「第三に」


「アンティクイランド王国」


「南部から圧力をかけてもらう」


「シルウァニア軍が東部へ兵力を集中させれば、南部が薄くなる」


「南部を固めれば、東部への守備兵が減る」


「そこを我々が突く」


 レノウィウスは地図を見つめる。


「三方向に対応させるわけですね」


「そうだ」


「東から陸軍」


「南からアンティクイランド軍」


「北から海軍」


「シルウァニア軍に、どの戦線を優先するか選ばせない」


 フィリウスは冷静に説明する。


「そして、最終的にはシルウァニア王国の首都圏と主要街道を圧迫し、講和へ持ち込む」


「長期占領を目的にはしない」


「エクィトゥムとして欲しいのは、シルウァニアが今後こちらへ大規模な侵攻を仕掛けられない状態にすることだ」


              ◆


「ただし」


 フィリウスは地図から目を離した。


「問題は、エクィトゥム王国だけでは兵力が足りないことだ」


「先の戦争で消耗している」


「それに、シルウァニアとの戦争は長期化し、消耗戦になる可能性がある」


「だから」


 フィリウスはレノウィウスを見る。


「アンティクイランドの協力が必要になる」


「分かりました」


「そこで」


 一拍。


「次は、お前の国の話だ」


 レノウィウスは頷いた。


              ◆


「まず」


 レノウィウスが口を開く。


「今の第一王子派の状況を話します」


「聞こう」


「戦勝によって、俺への支持は以前より明らかに増えました」


「エクウス伯爵家も第一王子派へ加わった」


「学院でも、第二王子派からこちらへ流れた子弟がいます」


「領地貴族だけではなく、法衣貴族にも動きが出ています」


 フィリウスは黙って聞いている。


「ただ」


 レノウィウスは続ける。


「これだけで勝てるほど、第二王子派は弱くありません」


「今の時点なら」


 一度考えてから言う。


「第一王子派と第二王子派は、かなり近いところまで来ています」


「五分に近い」


「状況が悪ければ、まだ負ける」


「ですが」


「以前のように、一方的に第二王子派が優勢という状態ではありません」


 フィリウスが頷く。


「つまり」


「第一王子派の勝率を五割近くまで持っていける、と」


「はい」


「それが俺の見立てです」


 フィリウスはしばらく考えた。


「なるほど」


 その目に、わずかに興味が浮かぶ。


              ◆


「次に」


 レノウィウスが言う。


「第二王子派についてです」


「ヴィクトリア第二王妃」


「そしてガルディシア伯爵」


「この二人が中心です」


「それだけではありません」


 フィリウスが目を細めた。


「カヴィーレスターン・スルタン国か」


「はい」


「そこまでは俺も把握している」


 レノウィウスは首を振る。


「それだけではない」


「……ほう」


「第二王子派は、帝国とも繋がっています」


 フィリウスの表情が変わった。


「帝国?」


「はい」


「カヴィーレスターンとの関係だけなら、周辺国との外交として見ることもできます」


「ですが」


「帝国とも関係を持っているとなると話は変わる」


 フィリウスが無言になる。


「第二王子派が王権を握った場合」


 レノウィウスが続ける。


「帝国との関係をさらに深める可能性があります」


「そして」


「最悪の場合、アンティクイランド王国が再び帝国の勢力圏へ戻される」


 フィリウスは地図上のアンティクイランドを見つめた。


              ◆


「……つまり」


 フィリウスが言う。


「第二王子派は」


「カヴィーレスターンと帝国」


「二つの大国を後ろ盾にしている」


「そういうことです」


「それを、どうやって知った?」


「王宮内の情報と」


「第二王子派の動きを調べていく中で」


「少しずつ見えてきました」


「確証は?」


「すべてを証明できるほどではありません」


「ですが」


「無視できない程度には、繋がりが見えています」


 フィリウスはしばらく黙った。


 やがて。


「十分だ」


「……え?」


「政治では」


「完全な証拠が出るまで待つ必要はない」


「相手がそう動く可能性が高いなら、それを前提に備える」


 フィリウスは淡々と答えた。


              ◆


「だから」


 フィリウスが言う。


「俺は、今日の婚約の話をただの縁談とは見ていない」


「アンティクイランド王国を、こちら側へ引き寄せるための一手だ」


「第一王子派の勝率を五分まで持ち上げる」


「第二王子派の帝国・カヴィーレスターンとの繋がりに対抗する」


「軍事同盟を結ぶ」


「貿易協定を結ぶ」


「そして」


「シルウァニア王国を共同で叩く」


 レノウィウスは黙って聞いていた。


「お前が第一王子派をまとめ切れれば」


「アンティクイランドは、俺たちの強力な同盟国になる」


「逆に」


「第二王子派が勝てば」


「帝国がこちらの計画を邪魔する可能性が高い」


「そういうことだ」


 フィリウスは頷いた。


              ◆


「……一つだけ」


 レノウィウスが言う。


「昼間」


「義兄弟だから助け合おうと言いましたよね」


「ああ」


「本当は」


 一瞬、間を置く。


「それも外交のためでしょう?」


 フィリウスは答える。


「当然だ」


「でも」


「それだけではない」


「グラーティアとお前の関係が本物なら」


「その関係を壊すつもりもない」


「むしろ」


 フィリウスは淡々と続ける。


「利用できるものは利用する」


「ただし」


「利用した結果、両国が安定するなら」


「それは悪い取引ではない」


 冷たい。


 だが。


 筋は通っている。


 レノウィウスは少しだけ苦笑した。


「やっぱり、昼間より今の方が話しやすいです」


「俺もだ」


 フィリウスは初めて、わずかに笑った。


              ◆


「それと」


 フィリウスが地図を畳む。


「第一王子派の勝率を五分に持ち込めるという話」


「ここが重要だ」


「俺たちが婚約と軍事同盟を進めても」


「お前が国内で勝てなければ意味がない」


「だから」


「まずは第一王子派を固めろ」


「領地貴族」


「法衣貴族」


「学院の子弟」


「全部だ」


 レノウィウスは頷く。


「分かっています」


「そして」


 フィリウスが続ける。


「第二王子派と帝国の繋がりは」


「まだ表に出すな」


「証拠が十分にない状態で騒げば、逆にお前が疑われる」


「分かりました」


「必要な時に使う」


「その時は」


「俺も協力する」


 レノウィウスは少し驚いた。


「ありがとうございます」


「礼はいい」


 フィリウスは冷静に答える。


「互いに利益があるだけだ」


              ◆


 フィリウスは、そこで話を切るように地図を畳んだ。


「……もう一つ」


「はい?」


「グラーティアについて、お前に伝えておくことがある」


「ティアについて?」


「ああ」


 フィリウスは椅子へ深く腰を下ろした。


「グラーティアは、幼い頃に聖別洗礼式を受けることができなかった」


 レノウィウスが目を瞬かせる。


「受けられなかった?」


「正確には、儀式そのものを最後まで続けられなかった」


「彼女の魔力が、あまりにも大きかったからだ」


 フィリウスの声音が少し低くなる。


「聖別洗礼式の最中に魔力が暴走しかけた」


「聖環を使った測定も安定せず、途中で中止された」


「王宮では、それ以上の事故を避けるため、しばらく魔力の制御を優先した」


 レノウィウスは黙って聞く。


「だから」


 フィリウスは続ける。


「グラーティアの正確な適性は、いまだに分かっていない」


「ただ」


 一瞬だけ考え。


「おそらく、魔術や魔法に関してはかなりの才能がある」


「少なくとも、普通の子供とは比較にならない魔力量だった」


 レノウィウスは驚いた。


「……ティアが?」


「ああ」


「本人は?」


「自覚しているかどうかは分からない」


「ただ、力を引き出すより先に、制御できることが重要だ」


 フィリウスの目が鋭くなる。


「もし本当にグラーティアの才能が開花すれば」


「王族としても、戦力としても」


「かなり大きな存在になる可能性がある。こちらでは制御できなかったのでな。」


 レノウィウスは、昼間に見たティアの姿を思い出す。


 サナとエドと笑っている少女。


 自分と前世の話をしていた幼馴染。


 そんな彼女が。


 実は。


 膨大な魔力を持つ可能性がある。


「……それは、本人に伝えていいんですか?」


「構わない」


 フィリウスは答えた。


「ただし」


「才能があるかもしれない、というだけで過信するな」


「力があるなら、それ以上に制御が必要になる」


「分かりました」


 レノウィウスは頷いた。


              ◆


「兄として忠告しておく」


 フィリウスは言う。


「グラーティアがもし魔術や魔法を本格的に使えるようになったとしても」


「その力を政治の道具としてだけ見るな」


 一瞬だけ。


 フィリウスの声が変わった。


 けれど。


「……それが、何より国益になることも忘れるな」


 すぐに冷徹な王太子へ戻る。


「やはり殿下は殿下ですね」


 レノウィウスが苦笑する。


「そういうことだ」


 フィリウスもわずかに笑った。


              ◆


 話が一段落した。


 レノウィウスは立ち上がる。


「今日はありがとうございました」


「ああ」


「また、この話をしても?」


「いつでも来い」


「では」


 レノウィウスは扉へ向かう。


「レノ」


 フィリウスが呼び止める。


「はい?」


「グラーティアには」


 ほんの一瞬だけ。


 フィリウスの目が冷たくなる。


「今日の話を詳しく話す必要はない」


「彼女には彼女の立場がある」


「……分かりました」


「それでいい」


 レノウィウスが一礼する。


「失礼します」


 扉が閉まった。


              ◆


 一人になったフィリウスは。


 椅子へ深く腰を下ろした。


「第一王子派が五分まで上がるか」


 今日、レノウィウスから聞いた情報を整理する。


 第一王子派。


 第二王子派。


 カヴィーレスターン。


 帝国。


 シルウァニア。


 そして。


 グラーティアとレノウィウスの婚約。


 さらに。


 グラーティア自身が秘めている、膨大な魔力。


 すべてが一つの盤面に並んでいる。


「……悪くない」


 フィリウスは静かに呟いた。


 妹を心配しているわけではない。


 妹の幸せを第一に考えているわけでもない。


 ただ。


 国を勝たせる。


 そのために使えるものを。


 一つずつ使う。


「アンティクイランド王国を、こちらへ引き込む」


「そのうえで」


 地図を見る。


「シルウァニアを潰す」


 そして最後に。


「第一王子派には、勝ってもらわなければならないな」


 フィリウスは静かに目を細めた。


 その夜。


 二人の王族の間で交わされた情報は。


 昼間の「義兄弟」という温かな言葉とは、まるで違う。


 互いの国家を生き残らせるための。


 冷たい政治の取引だった。

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