第62話 美談
――エクィトゥム王国第三王女。
その言葉を聞いたあと。
俺はしばらく、何も言えなかった。
先の戦争で戦った国。
今も和平交渉を進めようとしている国。
そして。
その王太子フィリウスが、つい先日こちらへ向けて王城を出立したばかりの国。
その国の第三王女が。
今、目の前にいる。
それも。
前世の美咲として。
◆
「……整理させてくれ」
ようやく口を開く。
「うん」
「お前は、エクィトゥム王国第三王女」
「そう」
「それを隠して、俺たちの王宮にいた」
「……うん」
「そして」
俺は少しだけ言葉に詰まった。
「前世では、美咲だった」
「そうだね」
グラーティアは静かに答えた。
あまりにも複雑だった。
目の前にいるのは、俺が守るべき民を抱える第一王子として見れば、敵国の王女。
けれど。
俺が湊として見れば。
ずっと会いたかった幼馴染。
どちらも。
本物だった。
◆
「……分かった」
俺は息を吐く。
「今すぐ全部を決めるのは無理だ」
「うん」
「でも」
俺はグラーティアを見る。
「お前を追い出すつもりもない」
その言葉に。
グラーティアの目が少しだけ見開かれた。
「本当に?」
「ああ」
「どうして?」
「前世の美咲だから」
迷わず答えた。
「それだけじゃない」
第一王子としての自分でも、考える。
「お前は戦場で俺たちに敵対した兵士じゃない」
「身元を隠した理由はともかく、今までここで誰かを傷つけたわけでもない」
「それなら、まずは落ち着いて考えるべきだ」
「……ありがとう」
グラーティアが小さく笑った。
「でも」
「何?」
「もう一つ、大きな問題がある」
「ああ」
俺も分かっている。
彼女をここに留めるのか。
いつかエクィトゥムへ戻すのか。
そして。
この事実を誰に知らせるのか。
決めなければならない。
◆
俺は一人で考えた。
グラーティアをエクィトゥム王国へ返す。
それが最も簡単な方法だ。
だが。
現在、両国はまだ戦争の後始末をしている。
彼女を返せば。
第三王女の存在が公式に知られることになる。
しかも。
俺との関係が知られれば。
外交上、どれほど面倒になるか分からない。
「……逆に」
俺は呟いた。
隠すだけでは駄目だ。
なら。
王宮の中で正式な立場を与える方法を考える。
そのためには。
父上に話す必要がある。
◆
王の執務室。
俺は父上――国王アウレリウスの前に立っていた。
「父上」
「何だ?」
「ティアについて、相談があります」
「……例の少女か」
父上はすぐに察した。
「何か分かったのか?」
「はい」
俺は一度、息を吐く。
「彼女は、エクィトゥム王国の第三王女です」
父上の目が変わった。
「……何?」
「グラーティア・アウレリア・デイ・エクィトゥム」
「本人がそう名乗ったのか?」
「はい」
しばらく沈黙。
「確かなのか?」
「本人の証言だけです」
「だが」
俺は続ける。
「今のところ、彼女が嘘をついている理由も見当たりません」
父上は椅子へ深く腰を下ろした。
「第三王女……」
「先の戦争でも、エクィトゥム王家について調べた記録にその名は?」
「私は聞いていません」
「俺もです」
「なら、なぜ今まで……」
そこで父上は言葉を止めた。
「これは、かなり厄介な話だな」
「はい」
俺は頷いた。
◆
「父上」
「何だ?」
「一つ、提案があります」
「聞こう」
「ティア――グラーティアを、この国に残したい」
父上の表情が険しくなる。
「理由は?」
「第一に、本人の安全です」
「第二に、今の両国の情勢です」
「第三に」
一瞬だけ、言葉を選ぶ。
「俺自身の問題です」
父上が黙って俺を見る。
「……話せ」
「俺と彼女は、非常に近しい間柄です。」
「そして、俺たちは互いに特別な想いを抱いています」
言った瞬間。
自分でも、妙に恥ずかしくなった。
父上はしばらく俺を見つめた。
「……そうか」
「はい」
「お前がそこまで言うのは珍しいな」
「……」
「分かった」
父上は考え込む。
「では、どうする?」
俺は答えた。
「まず、彼女を正式な客人として王宮に置く」
「エクィトゥム王国の第三王女であることは、現時点では公表しない」
「同時に、彼女の身元をこちらで確認する」
「そして」
俺は続ける。
「本人が望む限り、この国に滞在できる形を作る」
「だが」
父上が言った。
「エクィトゥム王国が第三王女の存在を求めてきた場合は?」
「その時は、外交問題として処理します」
「……なるほど」
父上が少し考える。
「それだけではないな?」
見抜かれた。
「はい」
「何だ?」
「俺とグラーティアが恋仲であることを、隠さず公表します」
父上の眉が上がる。
◆
「理由は?」
「隠せば」
俺は答える。
「いずれ誰かが勝手な噂を作ります」
実際。
もう作られている。
戦場で出会った少女。
朝帰り。
恋仲。
ありもしない話まで混ざっている。
「なら、逆にこちらから物語を与える」
「物語?」
「俺とティアの出会い」
「俺が戦場で彼女を助けたこと」
「王宮へ連れてきたこと」
「そして」
「身元も分からない彼女に対して、周囲の噂を気にせず接してきたこと」
父上が黙って聞いている。
「俺たちが互いに特別な想いを持つようになったことを、隠さず伝える」
「そうすれば」
「今までの噂を」
俺は少し考える。
「『第一王子が身元不明の少女に夢中になっている』という話ではなく」
そして。
「『戦場で出会った二人が、周囲の反対や噂にも屈せず想いを貫いた』という話に変えられる」
「……美談にするわけか」
「はい」
父上はしばらく黙っていた。
やがて。
「なるほど」
静かに笑う。
「噂を消すのではなく、別の物語で上書きするのか」
「そういうことです」
「面白い」
父上は頷いた。
「確かに、恋仲であることを否定し続ければ、逆に噂を認めているようにも見える」
「だが、こちらから堂々と認めれば違う」
「第一王子が自分の意思で彼女を選んだ」
「そういう話になる」
「はい」
父上が腕を組む。
「だが、エクィトゥム王国との関係はどうする?」
「そこは」
俺は答えた。
「第三王女本人が望んでアンティクイランド王国に滞在している」
「そして、俺との関係も本人の意思だ」
「それを前面に出します」
「王族同士の関係として、和平の一つの象徴にすることもできる」
「……なるほど」
父上は深く考えた。
「戦争の傷を残した二国の間に、若い王族同士の関係を置く」
「成功すれば」
「国民にとっても、分かりやすい希望になる」
「はい」
しばらくして。
「分かった」
父上は決断した。
「その案を採用しよう」
「ただし」
「グラーティア本人の意思を最優先とする」
「当然です」
「それと、王宮内では無用な詮索をさせない」
「承知しました」
◆
それから。
王宮内では新たな話が少しずつ広がり始めた。
第一王子レノウィウス。
そして。
戦場で出会った少女ティア。
戦争の混乱の中で出会った二人。
身分も分からない少女を助けた第一王子。
王宮へ迎えられた彼女。
その後。
周囲から様々な噂を向けられても。
二人はそれに振り回されなかった。
そして。
互いに特別な想いを抱くようになった。
そんな話が。
少しずつ、形を変えて広がっていく。
「第一王子殿下は、戦場で彼女を助けたそうだ」
「その後、王宮へ迎え入れたらしい」
「最初は身分も分からなかったそうだ」
「それでも殿下は彼女を守った」
「周囲が何と言おうと、二人は互いを信じた」
いつしか。
以前の噂とは、まったく違う話になった。
恋仲という言葉すら。
悪意を込めたものではなくなった。
むしろ。
「戦争の中で生まれた友情と絆」
「国境を越えた若者たちの物語」
「先の戦争で生まれた、二人の美しい関係」
そんな言葉へ変わっていった。
◆
もちろん。
これは完全な事実ではない。
実際には。
二人の関係は前世から続いていた。
そして。
ティアの本当の身分も。
今もまだ公にはされていない。
それでも。
嘘だけで作った話ではない。
戦場で出会った。
レノウィウスが彼女を救った。
王宮で過ごしている。
二人が互いを大切にしている。
そのどれもが、事実だった。
◆
第一王女の離宮。
ティアはその噂を聞かされていた。
「……美談?」
思わず呟く。
目の前では、サナが楽しそうに話している。
「お兄様とティアお姉様のお話、すごいですよ!」
「そんなに広がってるの?」
「はい!」
エドも頷く。
「街でも話してる人がいるんだって」
「……そう」
ティアは苦笑した。
正体は。
まだ誰にも知られていない。
自分が第三王女だと。
そして。
ここにいる理由も。
けれど。
少なくとも。
自分と湊の関係が、悪意ある噂ではなく。
誰かを傷つける話でもなく。
戦争の中で生まれた、小さな美談として語られている。
それが。
少しだけ嬉しかった。
◆
その日の夕方。
回廊で二人きりになった。
「……広まったな」
俺が言う。
「うん」
「大丈夫か?」
「何が?」
「こういう話になること」
ティアは少し考える。
「……嫌じゃないよ」
「むしろ」
小さく笑う。
「ちょっと嬉しい」
「そうか」
「だって」
ティアが俺を見る。
「前世では、最後まで言えなかったから」
「今度は」
「みんなが、私たちのことを応援してくれるみたいに聞こえるから」
俺は少しだけ笑った。
「なら、よかった」
「うん」
二人の間に、穏やかな空気が流れる。
◆
ただ。
その裏側で。
フィリウス率いるエクィトゥム王国の和平交渉団は。
すでにアンティクイランド王国へ向かって進んでいた。
そして。
グラフィルによるティアの身元調査も。
静かに続いている。
誰も知らない。
この美談の中心にいる少女が。
実は。
エクィトゥム王国第三王女だということを。
そして。
その秘密が明らかになった時。
この「美しい恋物語」が。
単なる美談では済まなくなることを。




